第六話
僕はその日の仕事が終わると、木剣をもってダンジョン管理局の訓練場へいき、砂敷きのうえに正座して、長いこと黙想した。
僕の剣術の師であった祖父は、他流派の研究にも余念がなかった。
そのなかでとくに注意を引いたのは一刀流らしく、無想剣というものにおおきな関心を寄せていた。
ベトナムの密林で米兵を襲っていたころ、たびたび窮地に陥ったが、ここで終わりと覚悟をきめたとたんに心が澄んできて無の境地に至り、身体がひとりでに動きだし、死地を奇跡的に乗り切ったということが幾度もあったらしい。
その経験をひいて、剣の奥義は「無」である、剣禅一如である、と祖父はよく言った。
僕はビクターの話に思い当たることがあって、それについて、長い時間、想いを馳せた。
やがて、辺りに木剣や棒を打ち鳴らす音が満ちてきた。
ダンジョン管理局では事務方や魔術師・僧侶連中もわりと武術に熱心で、仕事帰りにひと汗流しに来るものが多い。僕は幼少のころから竹刀の音には馴染んできたので、そういう騒々しい稽古の音にも、黙想を妨げられることはなかった。
やがて――
ふと、ひとの気配を感じて、まぶたを開いた。
黒髪の少女が砂のうえに立っていた。
訓練用のチュニックをまとい、木剣を右手にさげている。同僚のラミア・カルディオネである。
大サリュード記念学院という事実上の士官学校を卒業したばかりの新人の捜査官で、カルディオネ公爵家の末娘だった。
父や家臣の反対を押し切ってダンジョン管理局に志願してきた、変わり者のじゃじゃ馬娘。
たしか、歳は十九だったか。
「ヴォイド……さん? なにをなさっているの?」
ラミアは不思議そうな顔をして、そう訊ねる。
僕は苦笑いを浮かべた。
この世界の武術には、黙想の習慣などない。
砂敷きの隅に膝をついて背筋を伸ばして座っていれば、それは奇妙に見えるに違いなかった。
「気にしないでくれ」
僕は、眼を閉じた。
「あの……もしお暇なら、お相手をしていただけませんか?」
「暇じゃない。考えごとをしている」
すこし不機嫌に言った。
貴族の令嬢というのはみなこうだ。
なにごとにも率直なうえ、我儘を通すのに慣れきっている。
「傍目には寝ているようにしか見えませんけれど……」
うるさいやつだ。
僕はぎろりと眼をむく。
「僕の稽古は厳しいぞ。おしっこをチビることになっても知らんからな」
彼女はさわやかに微笑んだ。
「望むところです」
立ち上がって下段に構えたけれども、なんだか面倒くさくなってきて、開始一秒でラミアの木剣をへしおった。
木目の感じから、どこを叩けば折れるか、だいたいわかる。
僕はかるく鼻を鳴らし、砂敷きの隅にもどって正座をする。
ラミアはなにを思ったか、僕のとなりに膝をついた。
「こうやって、砂のうえに座って眼を閉じていると、強くなれるのですか?」
「……そんなわけないだろう」
それから僕たちは、四半時ばかり黙想を続けた。
ラミアは僕にあわせて立ち上がろうとして、派手に転がった。
「脚が痺れて……歩けないんですけど」
僕は仕方なしに、肩を貸してやった。
せっかくの綺麗な黒髪が、砂まみれだった。
それからラミアは訓練場で僕を見つけると、仕事や剣術のことを尋ねてくるようになった。
もっとも、僕も彼女も多忙であったから、そう頻繁に顔を合わせたわけではなかったけれども、数か月もすると、だいぶ親しく言葉を交わすようになった。
その日、ラミアと木剣をあわせて汗を流し、着替えを終えてダンジョン管理局を出ると、ふたたび、彼女と鉢合わせた。
どこかで飯でも食べていくかという話になり、海辺のレストランに入ってパエリアとビールを頼み、ラミアから故郷の話などを聞きながら食事を取っているうち、ふと彼女の佩いている剣の柄に眼がとまった。
立派な銀の装飾が施されている。どうも、見覚えがあった。
ラミアは、食事の手をとめ、剣をベルトから外して、
「ご覧になりますか」
と、差し出してきた。
その灰色の瞳に、どこか得意そうな色がある。
鞘からゆっくりと抜いて、その肌にほんのわずかだか、不吉な赤みを感じた。
思わず息を飲んだ。
それは紛れもなく、《暁の雲》だった。
「どうです? 見事な剣でしょう?」
僕は、おまえには十年早いよ、の言葉をかろうじて飲み込んだ。
いくら十九歳の娘とはいえ、ラミアは騎士の叙勲を受けてダンジョン管理局の武官として国家に仕えている。
剣術や仕事のことでは軽口は叩けても、それは言うべきではないと思った。
剣は騎士の魂である。
「……こいつの来歴は知っているのか?」
むろん刀剣商のグラヴィアーダが大貴族の息女を相手にそれを説明もせず販売したとは到底思えないが、いちおう確認せずにはいられなかった。
「もちろん、購入時にちゃんと聞きました」
「そうか……」
だったら、なにも言うまい。
僕は鞘にもどして、彼女に返した。
「眼福だったよ」
「ヴォイド殿には、言いたいことがおありのようですね。
分かります。兄上にも、家臣たちにも、諫められましたから」
「………」
「でも私、軽い気持ちでこの剣を選んだのではありませんよ。
《暁の雲》を腰に帯びるに足るだけの騎士になりたいんです。
これは……その決意のつもりです」
僕はそれを聞いて、嫌な予感がこみ上げてきた。
いままで多くの同僚がダンジョンの露と消えていった。
この仕事をする以上は、付いてまわることだった。
ラミアが騎士として生きいそぐのも、危険を承知で魔剣を佩くのも、定めなのだろう。
そう思って、見守るよりほかにない。
第二章の半分くらいまで来ました。