第五話
ビクターとはいまでこそこんなくだらないやり取りをしているが、初めて対峙したときには、ほんとうの意味で、心底恐ろしいやつだと思ったものだった。
僕の剣術の流派では、技術よりも気合を重んじる。
もちろん剣術というのは剣をもって戦うフィジカルなもので、力や技術を軽視することは致命的な誤りであるけれど、たとえば居合などには「勝負は鞘のうち」という言葉があったりして、ようは剣をあわせるに先立って、「気」のレベルでの勝負が行われる、と考えるのだ。
仮に、技量にそれほど差のない剣士どうしが命や名誉のかかった決闘をすれば、間違いなく「気」の争いを制したほうが勝つ。
つまり、相手を飲んだほうが勝ち、恐怖に駆られたり逃げ腰になったほうが負けるのだ。
この「気」というのは決して抽象的なものではなく、肌に感じれば粟立つし、自然な状態では一点に集中しやすいという普遍的な性質がある。
武術全般において、丹田を意識しろとよく言われるが、それは丹田が人体の中心にあるからだ。
ひとの身体から生じた気は自ずと丹田に集まってゆくことになる。
僕の祖父が「人を斬れ」と厳しく言いつけたのも「気」というものがあってのことである。
いざ殺し合いになれば、ひとを殺したことのあるほうが、ひとを殺したことのないほうを飲むことになるのは当然だった。
それが生き死にを分けることもある。
だから祖父はあくまでそこにこだわったのだった。
かつて、激しい雨の降る路地でビクターと対峙したときも、僕は気迫をもってこの前哨戦を制しにかかった。
ところが、いくらやってもビクターを飲むことができない。
実はそのとき、僕はすでにビクターの幻術にやられていて、それとしらず、幻影にむかって気合を発していたのだが、当時はそんなことがあるとは想像もしていなかったから、とにかく愕然とした。
なんだこいつはと思った。
そうして恐怖し、戦意を喪失したところを、かれの部下(にして、現同僚)たちが投げる縄によって絡めとられ、ダンジョン管理局の地下牢に放り込まれたのだった。
あの男にはかなわないと思った。
上には上がいるものだと痛感した。
のちにビクターに、あれはなんだったんだと訊ねたら、
「もちろん、幻術さ」
と、かれはひとをうまいこと落とし穴にひっかけたガキみたいにニヤニヤしながら言った。
「人間には五感を超えた共感力がある。
きみの言う『気』というのもそれだよ。
こっちが相手を飲んだと思えば、相手は飲まれたと感じる。
ただしその共感力や浸透力には強弱がある。
この力が強い人間は、『魔力が強い』と言われる」
「ではビクター、きみがダンジョンでゴブリンだのオーガだのを焔に包むのも、その『共感力』や『浸透力』によるものなのか」
「もちろんそうだ。
魔法の力というのはそれ以外には存在しない。
ただし、『浸透』する対象はそれぞれ違う。
きみみたいな野蛮な剣士が敵に粗野な闘争心をぶつければ『気合』になる。
力学的な側面に干渉すれば『勁』になる。
きみが普通にやったら斬れるはずのないものをスパッと斬ってみせるのも、たぶんそれだろうな。
無意識のうちに、それをやっているんだよ。
それから、人間の精神に対して巧妙にそれをやれば『幻術』になる。
つまり、幻を見せたり、錯覚に陥らせたりすることができるわけだな。
対象を生物の自然治癒力に絞ってやれば『治癒術』になる。
社会や運命といったものに干渉すれば『祈祷術』になる。
そこでだ。
大自然に『浸透』すれば『元素術』になる。
つまり、炎を起こしたり冷気を呼んだり、竜巻を招いたりなど、自然現象を操ることができるのだ。
その自然の『共感力、感応力』を指して、サラマンダーやノーム、ウンディーネ、シルフと呼んだりする。
つまり四大の精霊とは自然が備えている感受性の比喩なんだ」
「野蛮な剣士、か。
さっき、話の勢いに乗じて、さりげなく僕をディスったな。
まあいい――」
僕は腕を組んで、しばらく考え、
「ということは、すべての魔法は武道における『気合』とおなじ仕組みで成り立っているのか」
「大雑把に言えば、そうだ」
「しかし、だれでも魔法が使える訳ではないだろう」
「それはもちろんそうだ――」
と、ビクターは認めて、
「だが、剣士の『気合』だって、素人が真似しようと思っても出来るものではあるまい。
ただ『キエーッ』と叫んでみても鼻で笑われるだけだ。
凄みが伴わない。
それは魔法全般、おなじことだよ。
『精神統一』や『念の強化』などの専門の訓練が必要だし、『干渉』するためのコツも掴まないといけない。
しかしそれができれば、誰でも魔法は使えるようになる。
できれば、だがね」
「では……怪我よ治れ、病気よ癒えろと念じれば、治るのか。
そんなことはみんな自然にやっているはずだが。
もしそれで病気が治るのなら、死ぬひとなどいなくなる」
ビクターはタフな質問をむしろ楽しむように、
「ひとつ断っておかなければならないけれど、死を目前に控えたひとが、病気が治るように念じるとき、ほとんどの場合、死の不安や恐怖の渦のなかにいる。
それは気合に例えるなら、『すでに敵に飲まれている』状態なんだよ。
だから大抵は癒えるどころか裏目に出てしまう。
しかし断言するが、治るという十分な信念と気迫をもって治れと念じれば、その想いの力に見合った治癒がかならず起こる」
「それをきみは、偉大なる魔術師グラハム・ヒューリックに教わったのか」
「いや、師匠はそういう理屈までは知らなかったよ。
ただ、どういうふうに精神を鍛えれば魔力を効率よく発露させることができるか、その方法に関しては、じつによく精通していた。
僕はそれらを教わり、実際にやってみて、そのうえで自分なりに考察を加え、理論を整理したまでだ」
そうしてビクターはワインを呷り、
「いずれにせよ、きみも僕も、なんら特別なことをしている訳ではないんだよ。
わかったかい。
わかったならさっさと中二病的な幻想から覚めて僕から魔法を教わりたまえ」
「いや、遠慮しておく」
「なぜだ」
「『気合』を身につけるだけでも血を吐くような稽古をした。
もう十分だ」
「……なるほど、足るを知る、か。
それも一つかもしれないな。
僕も魔法を習得するのと引き換えに、ひどい片頭痛持ちになってしまったからなあ。
精神集中の訓練は、脳にひどく負担をかけるものらしい」
実際、ビクターは長雨の季節になると別人みたいに元気がなくなる。
気圧が下がると途端に激しい頭痛を催すらしい。
「ただ……ひとつ教えてくれ」
「なんでも聞きたまえ、我が義弟よ」
ビクターが大身の伯爵ぶって鷹揚に言う。
「どうすれば『幻術』を破ることができるんだ。
あのときは相手がビクターだったから良かったが、そうでなければ僕は確実に殺されていた。
……なにか、破る方法はないのか」
「簡単なことだ。
まやかしに共感・感応しなければいい」
「なに――」
僕は眼を細めた。
「そんなことが可能なのか」
ビクターはうなづいて、
「釈迦やキリストは、長い瞑想のあとで悪魔に誘惑されたが、それを鉄の意志で退けて悟りをひらいた。
禅にも似たような話があって、瞑想を妨げるなら神仏だろうが殺してしまえ、という意味の言葉があるくらいだ。
……あとは分かるだろう?」
「………」