第四話
結局のところ、ビクターは、ひとの面倒を見たり世話を焼いたりするのが心底好きなのだと思う。
そんなかれのもとには、そのへんの大小の貴族や商人から、古井戸に幽霊が出るから祓ってくれないかとか、うちの息子に嫁を世話してくれないかとか、古い倉庫から解読不能の古書が出てきたのだけれどちょっと見てくれないかとか、そんな相談がひっきりなしに持ち込まれる。
ビクターは多忙をおして、そういうのをいちいち聞いてやっているらしかった。
僕もいくどか幽霊退治には付き合ったことがあったが、かれは問答無用で追い払うのではなく、幽霊と仲良くなって聞いてやれる要望は聞いてやったうえで立ち退いてもらうという穏健な手段をとったため、えらく時間がかかった。
それでも後腐れなく片付くことが多かったから、かれの幽霊払いには根強い人気があった。
手間はかかったけれど、幽霊の思わぬ背景や隠された人間関係、こころの機微が聞けたりして、けっして退屈はしなかった。
ビクターはひとに物を教えるのも大好きな性質で、幽霊退治(いや、立ち退き交渉か)の帰り道、
「そうだ、いいことを思いついた――」
などと手をポンと叩き、
「きみにも魔法をおしえてあげようか」
などと言いだすことがあった。
魔法の教授がそんなに簡単なものではないことはさすがに僕でもわかるし、なにより、ダンジョン管理局のかれのオフィスでは未決のトレイに山のような書類が待っているのである。
「なあビクター、現実逃避はよせ。
僕たちは一刻も早くオフィスに戻って書類と格闘を始めなきゃならない。
……兄貴もいい加減、大人なんだから分かるだろう」
かれはいかにも白けたというふうな眼を僕にむけて、
「きみはほんとうにつまらないことを言う奴だなあ」
と、情感をたっぷり込めて言う。
けれども、かわいそうに思って話に付き合いだすともう収拾がつかなくなる。
僕はすでに、なんどか痛い眼を見ていた。
かれは毎年、年末には、ダンジョン管理局の各部署から提出される予算申請の書類をとりまとめなければならなかったが、この作業をさんざん先送りしたあげく、とうとう締め切りが目前に迫って宰相府から矢のような催促をうけ、ようやく取り掛かったところ、ダンジョン絡みの大きな摘発がもちあがってなかなか捗らず、とうとう土壇場になり、期日に間に合わせるために三日三晩の徹夜を余儀なくされた、ということがあった。
むろん僕もむりやり付き合わされた。
よりによってビクターはその方面の才覚など皆無にひとしい僕に予算折衝のための小難しい口上やらなんやらの校正をさせて、涼しい顔をしているのである。
この作業のために購入してきた大陸および帝国の公用語であるキュローヴ語の辞書が、作業が終わる頃にはボロボロになっていた。
なあ、兄貴はバカなのか、僕をだれだと思っているんだ、などと、どれだけ文句を言ったか分からない。
すると、うるさいなあ、だまってやりたまえ、おにいさまにたてつくつもりか! このおろかものめ! と権高に返してくる。
たぶん、半分くらいは僕に対するいやがらせなのだ。
ビクターはあらゆる点で有能だったが、自分自身の時間と労力の計画的な配分という一点において無能を極めていた。
だから僕が小うるさいことを言ってやるしかなかったのだ。
それにしても、どうも、この男といると調子が狂う。
「おい兄貴、魔法でなんとかならないのか」
徹夜が二日続いて、意識がもうろうとなりながら、僕はそんな愚痴を言った。
「それが可能ならはじめから苦労はしない!」
ビクターはじつに勇ましい声でそう言った。
眠すぎてテンションがおかしくなっているのである。
ダンジョンで魔物の大群に遭遇すれば幻術でまどわし炎の元素術で火の海に沈めるかれも、書類の山には手のほどこしようがないようだった。
「……ざまあーみろ」
「君もな!」
そんな不毛なやりとりを何百回となく交わしたあと、ようやく書類は仕上がった。
むろん内容は散々で、下手をしたら申請した予算のうち半分も通らないのではないか、その結果各部署からどれだけ苦情の集中砲火を浴びることになるのかと、ふたりして戦々恐々としたものだが、ビクターがその後、商業の神エファロアを祀る神殿に参拝して数々の供物を火にくべながら渾身の祈祷を捧げた験があったのか、なんと申請した予算のうち九割までが通るという奇跡が起こった。
僕は、あのときほど、魔法とは恐ろしいものだと思ったことはない。
たしかに効験には驚いたが、それより兄貴が祈祷魔法の成功に気をよくして相変わらず未決のトレイに書類をため込んでいることが恐ろしかったのである。
僕はこれでもダンジョンを探索していて魔物を怖いなどと思ったことは一度もないが、兄貴がオフィスのトレイのうえにじわじわと積みあげている書類の束だけは心底恐ろしかった。