第二話
半年ほどまえ、刀剣商のグラヴィアーダが店の客間で僕に見せたふと振りの剣は、まさにそうしたいわくつきのものだった。
パッと見は風のない日の湖面のようなきれいな地肌をしているが、窓から射しこむ午後のやや黄ばんだ陽光にかざすと、不気味な赤みを帯びて見える。
おやと思って眼をしばたいてよく見ると、ごくふつうの良質な鋼の白みがかった光沢が浮かんでいるに過ぎないのだが、剣を鞘におさめようとすると、ふと、紅潮したような色が浮かんで見えたりする。
この剣は、以前にも眼にしたことがあった。
拵えは多少変わっていたが、思い違いではないはずだ。
そのようにグラヴィアーダに言うと、かれは、
「ほう……いずこで」
「あなたの店ではなかったが、ネディロスの刀剣商に見せられたように思う」
「それは、どういう触れ込みで……」
「冒険者の遺品、だったか。
銘はたしか、《暁の雲》……」
「なるほど」
と言って、我が意を得たりとでもいうように、薄い唇の端をつりあげた。
「では、ヴォイド殿、この剣がどのようにして私のもとに流れてきたかも、薄々お分かりでしょう」
白髪のいい歳をした爺さんが、片眼鏡をはめた左目に、まるでお気に入りの玩具を買ってもらって興奮がとまらない男の子のそれのようなひかりを湛えて、尋ねてくる。
「おおかた、《死体漁り》どもが拾ってきたのでは」
冒険者の皆が皆、まっとうにダンジョンを探索している訳ではない。
なかには、全滅したパーティーの死体から武器や防具をはぎ取ってきて古物商に売り飛ばすのを専門にしている連中もいる。
そういう連中を指して死体漁りと蔑んでいる訳だが、それはそれで立派な活動の一つではあるだろう。
かれらのお陰で、ダンジョンの闇に永久に消えていくのをまぬがれた名剣・名鎧のたぐいは数知れない。
むろん、永遠に失われてしまったほうがいいようなものもある。
魔剣とか、呪いのかかったアイテムとか、そういうものは冒険者の遺体とともに土に返したほうが皆のためである。
ところがあいにく、おおかたの死体漁りは鑑定眼など持ち合わせていないし、そもそもカネになるならなんでも構わず、一切合切、持って帰ってくる。
そして古物商はそういうものを平然と買い取り、それをグラヴィアータのような鑑定眼のある刀剣商がしらばっくれて買い叩く。
そうして僕がいま、巡ってきた剣を手に取って、込められた「念」に全神経をかたむけて耳を澄ましている、というわけであった。
この剣は僕の見立てが間違っていなければ――神聖歴六六〇年、つまり、いまからおよそ二〇〇年ほどまえに、ゼドゥ共和国の名工ジェンスキーが鍛えたもので、アーガム王国の著名な収集家であったローヴァー卿により《暁の雲》と名付けられた。
ながいこと共和国の貿易商スラン商会の宝物庫のおくで眠っていたが、北方から蛮族が襲来したさいに略奪されて、その五年後、蛮族の戦士ゲネスによって帝都ネディロスに持ち込まれた。
ゲネスはダンジョンを探索する冒険者となったが、神聖歴七三一年の夏にリザード・マンの君主ガガーマンに敗れて殺されたさいに紛失し、以来、行方がわからなくなっていた。
それが数年前にダンジョンから持ち出されて、以降、冒険者の腰を転々としている。
僕がふたたびこの剣を見ることになったのも、多分 それゆえだ。
その経歴からして、持ち主に凶運をもたらすタイプの魔剣と考えて間違いなかった。
そのことは恐らく、グラヴィアーダも分かっている。
「ところで……これを、どうするつもりですか」
僕は、便覧にはおそらく名剣として記載されているであろうこの魔剣を鞘にもどして、テーブルにそっと置いた。
「じつは、その《暁の雲》を所望なさる方がおりましてな――」
と、刀剣商は目を細める。
「とある大貴族に列なるお方なのですがね。どうしても腰に帯びたいと……」
なるほど、それで話が読めた。
グラヴィアーダは、僕に
「曰くつき」
であると言わせたいのだ。
むろん、客に警告をして購入を諦めさせるためではない。
そんなお人よしは、どんなに優れた鑑定眼と商才があろうと、店を潰してしまうに決まっている。
商売はそれほど甘くはない。
そうではなく、かれは客の要望に沿いたいのである。
巷間、とくに若い貴族のあいだで、あえて曰くつきの剣を佩いて豪気を示すということが流行っていた。
悪趣味な肝試しのようなものである。
あるいは迷信を蛇のように踏み据えて、おのれの知性とその明晰ぶりをひけらかす訳である。
いずれも、僕に言わせれば、死線をさまよったことのない人間の安易な考えだった。
が、他人が口をはさむことでもなかった。
「……その方には、ご武運を、としか言いようがありませんな」
僕はそれから、数振の剣を見せられた。
いずれも見事なものだった。
そのつど寸評を述べて、刀剣商からささやかな礼金をうけとり、店を辞した。