第十話
翌日、僕は旧知の盗賊であるフィンツを、地下水道のアジトに訪ねた。
かれはランプの明りのしたで、工具を手に、万能鍵の手入れをしていた。
「蠅に眼をつけられたらしい。煩くってかなわない」
フィンツは右の眼窩にルーペをはさんだまま顔をあげて、
「はえ……」
「公安のことだ」
それで、了解したらしい。
やれやれと首を振って、
「養女さまのことですな。
それにしても、ラッセル伯もこまったもんですなあ。
あの方はひとが良すぎる。
むかしは軍師として狡知で鳴らしたお方なのに……」
「まあ、気持ちはわかるよ。
リリィはかわいい娘だ」
「おやおや、旦那まで」
フィンツは喉を鳴らして笑い、
「もうダンジョン管理局の泣く子も黙るお役人を篭絡しちまった。
末恐ろしいハーフ・デビルの娘っこだ……」
「笑いごとじゃない」
「わかってまさあ」
「ネドベーという名の騎士だ。
恐らく、ドロネオ子爵に近いと思う」
「……ちょっくら、探りを入れてみましょうか」
「頼めるか」
それから二日ほどして、ダンジョン管理局のオフィスに、封蝋が施された手紙が届いた。
むかし馴染んだ娼婦で、いまは穀物商の第二夫人におさまっている、ナタルマからだった。
僕はナタルマが帰り際に見せた、あの酔ったような可愛らしい眼を思い浮かべながら、けれども中身を読む気にはなれず、そのまま机の引きだしに放り込んだ。
午前中のうちに、フィンツから使いが来た。
冒険者ギルドの二階にあるビストロで、昼食をとりながら報告したいという。
僕は使いにわかったと言い、制服から冒険者ふうの革のチュニックに着替えて、ビストロにむかった。
フィンツはシチューをずるずると音をたてて飲み、パンを突っ込んで食器をがちゃがちゃ鳴らしながらよく食べた。
ひととおり平らげたあと、
「奴さん、伯爵だけでなく、旦那の近辺も洗ってるみたいですぜ」
ご苦労なことだ、と思った。
残念ながら僕にはやましいことなどない。
昔、橋の下で強盗として暮らしていた時期はあるが、それもダンジョン管理局に協力することを条件に、帳消しになっている。
悪評を立てるくらいはできるだろうが、告発までもっていくのは到底、無理な話だった。
フィンツはナプキンで髭だらけの口元を拭いながら、
「奴――ネドベーは、ナタルマとも会っているようですな」
「なに?」
「あの女を締め上げれば、旦那の面白いネタがきっと出てくると、思っているンでしょうよ」
僕はしばらく黙考し、
「……引き続き、頼む」
経費と報酬と食事代を置いて、ビストロを出た。
ダンジョン管理局のオフィスに戻って、引き出しをあけ、手紙を開いてみた。
熱烈な求愛のメッセージ。
僕は便箋をとって、歯の浮くような台詞を書き連ねて封をし、局の小間使いに心づけを多めに渡して、市場ちかくの穀物商に届けるよう頼んだ。
「第二夫人付きのメイドに渡すんだ。けっして間違えるなよ」
そうして僕はその晩、ナタルマと密会し、夜が明けないうちに彼女を穀物商まで送りとどけ、アパートに帰った。
背後にはつねに人の気配があったが、気付かないふりをした。
二日後、フィンツから急使が来た。
ナタルマがネドベーから呼び出されて、いま、港ちかくの宿で会っているという。
僕は長剣を腰にさげて、急行した。
果たして、ネドベーが宿から出てくるところだった。
僕は、黙ってあとをつけ、かれが人気のない橋のたもとに差し掛かるのをまって、声をかけた。
「貴様、よくも僕の女に手を出したな――」
ネドベーはぎょっとした様子で、ふりかえった。
「お待ちなさい、これは職務上のことで……」
「つべこべ言うな、さっさと抜け。……言っておくが、これは女を巡る私闘だぞ」
帝国において、騎士は、おのれの名誉を守るための私闘を認められていた。とくに女をめぐる私闘はありふれたものだった。
帝都のあちこちで、それを題材にした戯曲が演じられていた。
私闘であるから法の外だ。
こいつを殺しても、公安は僕に文句を言うことができない。
要するに、この男はドジを踏んだのだった。
「ひ……ひぃ……」
ネドベーが背をむける。
僕は背後から躍りかかり、抜き打ちざまにその首を刎ねた。
ネドベーの死骸を、川に蹴落とす。
黒い髪を蛇みたいにひろげた生首が、ゆったりと流れてゆく。
月はなにごともなかったかのように、超然と、港の倉庫のはるかうえで輝いていた。
お読みいただいてありがとうございました。
いちおうここまでで、ひとつの区切りとさせて頂きたいと思います。
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