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0.奴隷商人、亡くなる

 木の芽吹き穏やかな陽気の中で、一人の男が老いて亡くなった。

 トレニア公国に拝領されし六大諸侯の一、バルズス公爵領の東端はグモルドア伯爵の分領の南、アザイ男爵の治める交易中継都市ナフレ。その郊外にある墓地にて男の葬式がしめやかに執り行われようとしていた。

 その日は特別な日でもないというのに、中心地の多くの老舗が扉を閉ざして閑散としていた。

 店舗を持たない露天商でさえも普段の半数ほどしか営業しておらぬ有様で、平時のナフレを知る旅商人たちは一様に「流行り病でも起きたのではないか」と勘ぐったものだった。

 付近の村で農作物に被害を与える魔物数匹の退治をし終えて、北の中心都市パロコートへの岐路に立ち寄った若い冒険者パーティ一行も同様に、往路で見た活気のあふれるさまとは程遠い様子に首を傾げた。

「いったい何事だい?」

 パーティの中でも最年長だろうか、三十路に手が届こうという風体のフードの男が、果物の並べられた露天の商品から朝飯を吟味しながら店主に訊ねる。情報収集を担う経験から、小さな貨幣袋を片手に商品を買うつもりがある意思をしっかりと示唆して見せた。

 フードの男の首にはペンダント様に冒険者ギルドから貸与された身分証が掛けられており、露天商の店主はそれを一瞥すると安心してその問いに笑顔で答える。

「いやね。とある男の葬式らしいんですけどね。どうにもおかしなことになってるんでさ」

「おかしなこと? どういう風におかしいのか、とんと判らないのだが」

 興味が湧いたとでも言いたげに、フードの男は身を乗り出した。

 冒険者にとって情報収集は危険回避の大事な役割の一つで、場合によっては情報一つで大きな収入にもなりえるため、聞き出すためのテクニックというのも忘れてはならない。身を乗り出した男に店主は釣れたと感じて、より正確な情報を話すかもしれない。

 こういった露天商の店主は職業柄、そういう類のことには耳が早い。本職の情報屋よりも詳しいなんてことはざらにあるくらいだ。

 店主はもったいぶった風もなく話し始めた。

「それが旦那、何日か前に亡くなったのは奴隷商なんですよ」

「奴隷商だって? そんなのが未だに残っているなんてどこの田舎者だい」

 呆れた風に乾いた笑いを発したが、フードの男はふと何かに気がついた。

 この街が奴隷制廃止の声を上げた最初の地で、“ナフレの聖人”と呼ばれて名高い大地母神マグリットの司教様が一僧侶時代に苦悩し奇跡をもたらした最初の地ではないか、と。

 眉根を寄せるフードの男の様子に気づきもせず、店主は生来のよく滑る口であとを続ける。

「わたしだって吃驚しているところなんですよ。なんたって、この地方の伯爵様たちの土地すべて、両隣の侯爵様の土地に及ぶまでどこを探したって奴隷商なんていないんですから。だいたいにしてその男が運営してた奴隷商ギルドだって、この国で唯一残っていたものらしいじゃないですか」

 店主はふんすと鼻を鳴らした。

 フードの男は手近な拳大の赤い果実をひとつ手に取ると、着衣で果実の表面をこすってから齧りつく。果実はさくっと音を立て、彼の口内に甘い香りと味と果汁を満たした。彼は店主が差し出す手のひらに、当たり前のようにビスト銅貨3枚を放り込む。果実の値段よりも多い報酬に気をよくした店主は、さらに饒舌に言葉を紡いだ。

「で、旦那。なにがおかしいって、その奴隷商の葬式の参列者ってのが錚々たる顔ぶれなんでさぁ。“ナフレの番人”アザイ男爵様を筆頭に、領主バルズス侯爵様と5大伯爵様、隣はメルニカ侯爵領のタロード伯爵様、“ナフレの聖人”サノ・メンディス司教様、さらには公王様代理としてキュレー侯爵様までがいらっしゃっているとか」

 一生かかっても謁見できるか否かもわからないような大貴族の面々に、さすがにフードの男も面食らった。文字通り開いた口が塞がらないという表情で、それは本当に一市民である奴隷商の葬式なのかと疑いたくもなった。

 ましてやあろうことか奴隷商の天敵ともいうべき“ナフレの聖人”までもが参列してると言うのだ。

「信じられん……」

 無意識に言葉が口をついた。

 店主はフードの男の言葉に首を巡らせて、あごで通りの向こうを指し示して、

「あの角にも、その向こうにも、見慣れない兵士がいますでしょ? わたしの言ってることもあながち嘘じゃあないってことですよ」

 言われてみれば、ドゥレンテと呼ばれる各伯爵の旗印に染め上げたマントを靡かせている者が剣を佩いて警邏しているようだ。

 フードの男には彼らが普通の兵士ではなく、伯爵直属の常設騎士団であると判っていた。冒険者という職業上──傭兵として振舞う時には、最も注意して扱わなければならない連中だということは基礎教育として叩き込まれる。敵に回してはいけない相手だというのはひよっ子でも理解しているといっても過言ではない。

 今頃は小悪党どもが隠れ家の隅っこで震え上がってるのだろうなと、具にもつかないことが頭をよぎったりもしたが、まだひとつすっきりしないことが残っていた。

「それで、その奴隷商人の葬式とこの街の静けさとはどうつながるんだい? まさか“兵士”が怖くて隠れてるわけでもなかろうに」

 いつの間にかフードの男の背後には、同じ冒険者パーティーの仲間が雁首を揃えていた。皆一様に今のこの街の状況に違和感を覚えているのだから、興味がないはずもない。

 交易中継都市と呼ばれるだけあって、この近隣で生産される農作物や工芸品などの商品のほとんどが一旦ナフレに集められる。集められた商品はナフレの商人たちによって仲介され、生産者から買い取られた様々なものが旅商人に流通するという。

 そのナフレの商人たちが一斉に店を閉ざすということは、それらの正常な流通がまったく機能しなくなるということである。

 彼ら冒険者パーティにしても無関係ではなく、泊まった宿の厨房を与る主人が不在のために朝食にありつくことさえできなかったのだ。

「まさかこぞって、たかが奴隷商人の葬式に皆が参列したとか言うのかい?」

「そのまさかなんですよ、旦那。そのたかが奴隷商人のために、お歴々の方々がこの街に集まっているんですから、一目見たいと思うのも致し方のないこと。おかげでいつになくこうやって儲けさせてもらっているんですけどね」

 フードの男の仲間たちが次々に商品を手にしては店主の手のひらへと乗せてゆく売り上げの重みに、店主はにんまりと笑みを強くして応えたものだった。

 なるほどな、と合点のいったフードの男は、そろそろ疑問の核心について聞き及ぶことにした。

「ときに、その亡くなった奴隷商の男の名はなんというのだい?」


 奴隷商の男は名をロンケイン・ベルリアルといった。


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