003
「法明和尚、江流です」
取り急ぎ部屋に戻りて、身なりを整え、和尚の部屋に向かう。
廊下から声を掛けると、「お入りなさい」と静かな声が返ってくる。
「失礼します」
「急がせてしまったようで悪いね」
「いえ」
淹れたてなのか、まだ熱い茶を差し出される。それに口を付けながら和尚の話を待つ。
「さて、葒から何か聞いたかね?」
「何か? いえ、彼には和尚が呼んでいると伺っただけです」
「そうかい」
新たに一杯茶を注ぎ足し、和尚はのんびりと飲み干した。
そして漸く本題を口にする。
「さて、江流。君に長期のお仕事を頼みたいんだ」
「長期の……ですか?」
「最近、何か噂話を聞かないかい?」
噂。
町に買い出しに行けば、そこには確かに幾つもの噂が転がってはいる。最近、その中で和尚がこの様に訊いてくるものとしたら“あの件”しかないだろう。
「都から高僧が西域に旅立った――という件でしょうか」
「うん、そうそれ」
――東の都に御座す帝より命じられた三蔵法師が、はるか西域に在る地に赴き、有難い経典を賜りて、その力を以って世界を平定する――
簡略に言えばそんなところだ。
都の外では、人外なる存在が跋扈し、実際に世界は荒れている。いくつもの郷邑が滅んでいる話を幾度も耳にしている。
だが、経典の力でどうにかなるのなら、もっと早く、どうにかなったのではないかと江流は考える。被害は今に始まったことではないのだ。
そんな考えが顔に出ていたのか、和尚が苦笑した。
「まぁ、“今まで誰も行きたがらなかった”んだよ。危険だし、無事帰って来れるとも限らない。本当にそんな経典があるとも限らない。みんな尻込みしてたんだ。だけど決意を固めた方が居てね。その人に三蔵の位を授けたんだ」
和尚はどこか嬉しそうだった。
「周りの連中は今まで見下していた者が思ってもない程の位階に恵まれて、地団駄踏み鳴らかしたそうだよ」
ああ、容易に想像がつく。地位に拘るものほど保身に忙しい。他人に押しつけていた案件に、栄誉ある地位が約束されているなら、自身が率先して動いただろうに。
ただ貰うだけ貰って、動かないのも、目に見えてはいるが。
「江流、顔に出ているよ」
「すみません、修行が足りませんでした」
「話を戻すよ。江流、君は腕力こそ劣るかもしれないが、文武両道でその実力は申し分なく水準を満たしている。」
「はい」
「決してお前を破門するつもりで声を掛けたことではないことを、心に留めてほしい」
「……はい」
いつだって破門を言い渡されることは覚悟していたので、それ程衝撃ではなかった、かと云えば嘘になる。
「江流にとってここでの生活が窮屈じゃないか、いつまでも籠の鳥にしとく訳にもいかないだろう。本気で足抜けしたい気があるなら、いつでも構わないと私は考えていたんだ」
「……」
平静を装っていながら、江流は今にも泣きそうだと思ったのか、手を伸ばしてその頭を撫でた。
「でもね、本当は葒を行かせたかったんだ。あの子は本っ当に本気でガチで窮屈そうにしているからね。どうして何度逐電しても帰ってくるのか不思議なくらいだよ」
確かに葒が何度も出奔しているのを知っている。彼はあまりにも自由だった。誰を以っても何を以っても、ここに縛り留めることはできないのに。
一度彼に、何気なく聞いたことがあったのを思い出す。
――なぜ、何度出て行っても、戻ってくるのか。
はて、彼は何て答えたのだっただろうか。
「その葒が君を推したんだ。思わず如何してか聞き返しちゃったよ。そしたら“自分はまだやることがある”って言ってね、“あいつこそ、ちょうどいい機会だろ。自分はその気になればいつでも出ていける”って。
ああ、最後の言葉には思わず納得しちゃったよ」
葒なら遣り兼ねない。
もしかして今度出奔したら、そのまま帰ってこないだろう――
「わかりました。お役目、お引き受けます」
「うん、有難う。出来ることなら、まだ手放したくなかったのは本音だからね。血の繋がりはないけど、お前は娘のようなものなんだから」
「………はぃ」
江流の照れながらの頷きに気をよくしたのか、和尚は満面の笑みを浮かべた。
「じゃぁ、詳しい話をしようか」
2019.12.30. 初稿
2020.01.10. 修正 コウは草冠に紅の文字を使用しています。




