002
自分がこの寺に来たのは幾つの頃だっただろうか?
幼い日、大人に手を引かれて長い階段を懸命に登ってきたのは今でも覚えている。
物心ついて間もない頃だと認識しているものの、その辺りは明白ではない。
なぜ、ここに連れてこられたのかも知らない。尤も、この寺では訳ありや孤児が預けられたりしているから、自分もどちらかなのだろうと判断している。
もっといえば、疑問は尽きない。
自分は何故、この寺に―――。
江流。
それが自分に与えられた名前だ。
誰が付けたのか、知らない。
親がくれたのか、それとも寺の和尚なのか、果ては別の誰かなのか。
知らない。
江流は、過去の事を何も知らなかった。
教えてもらえてないということは、“知らなくてもいい”のか、“知ってはいけない”のどちらかだ。大抵は前者だ。
後者なら、口にする事すら稀だろう。
だが、前者の“知らなくてもいい”ことは、案外人の口を介して、いつかは当人の耳に届く。隙間の空いた桶から水が漏れるのと同じだ。
娯楽の少ない領域では、他人の醜聞類いはさぞかし蜜の味がするだろう。そういうことに現を抜かしてるようなら、当人の器も知れた事だが。
しかし、そんな彼らにとって江流は格好の餌食だった。それだけの訳と理由がある。
◇ ◇◇◇◇ ◇
まだ陽が昇る前に江流は目を覚ますと、布団を片付ける。 身仕度を整え、首筋を覆う髪を一括りにして、井戸で顔を洗う。
境内を浄め、再度部屋に戻れば、今度は自身の部屋の掃除に取り掛かる。
数人で一部屋だが、江流には狭いながらも、一人部屋が与えられていた。その点が“贔屓”と、やっかまれている原因のひとつになっている。
清掃が終われば、本堂に集まり読経、朝餉となる。 それが済めば、夕の読経まで各自の時間になる。各々に分かれ、師父兄の元で、座学・武術等修行に充てる時間だ。
江流は空いた時間を利用し、寺の裏手森の奥に進む。
奥に鎮座する大岩の影には泉が湧いている。
江流は誰も居ないことを確認すると、着物を脱ぎ泉に飛び込む。
江流が唯一、自分の事を語る事ができ、誰にも語れない事がある。
――それが、自身が“女の身”であるという事だった。
当然、幼少から自分の面倒を看てくれている師父と一部の師兄は知っているが、同輩以降の殆どは知らぬか知らぬ振りかである。
だから江流は他人との江流を避ける。故に、孤立していくことを感じながら‥‥。
◇ ◇◇◇◇ ◇
江流は碌に髪を拭きもせずに来た道を戻る。
ふいに、上から手拭いが降ってきた。
「よぅ、江流。ずぶ濡れだな」
よく見知った顔が自分を見下ろしていた。
「葒、か」
江流がまともに口を利く数少ない相手の一人だ。
素行は悪いが、人当たりはいい、愛想を持ち合わせていない自分とは真逆だ。
彼がこの寺に来たのはいつだったかは覚えていない。
名前が似ていると言って、誰とも関わらない江流にちょっかいを掛けてくるようになった。
不思議と、それが嫌には感じなかった。
「何か用?」
借りた手拭いで濡れた髪の水分を乱雑に拭き取る。
「和尚が呼んでる」
2018.08.13. 初稿
2020.01.10. 修正 コウは草冠に紅の文字を使用しています。