001
女は不遜に笑っていた。
傍らで倒れている男は、熾烈な拷問の末、虫の息の状態だった。
倒れている男を虐げたのは女ではない。
共に刑を受けてる身だった。
それでも女の身には傷ひとつ、負わされていない。
女に鞭が振るわれようなら、執行人が昏倒するからだ。
女は視線ひとつで、それが可能だった。
女は不遜に笑って玉座に居る天公を見据えていた。
「なにゆえ非を認めようとせぬ、金蝉よ」
広間に響き渡る天公の批難にも、金蝉にはどこ吹く風だ。
「私は、いつものように自分の庵で、いつものようにお茶をしているだけですわ。ただその席に時折配下や押し掛けの客人が同席しているだけ。何も天公に批難されるようなことなど・・・・・・」
――― 一切ございませんわ。
言い切ってみせるだけである。
その応答にも周囲に集まっている者達からの批難でざわめく。
「貴様の言う客人とやらが何者であるかわかっておるのか!」
「私にしてみれば、只のお猿さんですわ」
「其奴は大罪人≪斉天大聖≫! 両目≪邪眼≫の持ち主ではないか!」
「≪聖眼≫をお持ちの天公ともあろう方が、何を≪邪眼≫ごときに怯えなさいます? しかも今はこうして手負いのただのお猿さんではありませんか」
理不尽に対して、金蝉は引くことも知らない。
金蝉当人も≪聖眼≫を所持している。
それを疎ましく思い、僻地に軟禁されているのである。国の中枢から追われ、更に放任されているのなら、他人に迷惑かけない範囲なら、何しようが自分の勝手である。
ただ、そこに女個人の配下は含まれていない。
金蝉が≪猿≫と呼ぶ、≪斉天大聖≫と彼女の出逢いは最悪としか呼びようがなかった。
双方が喧嘩早いためか、即戦闘になったものだ。数日間苛烈な戦闘続いたそれは、今では茶飲みの友となり、時には床を同じくしている。
配下にしてみれば 両目≪邪眼≫の魔性と、両目≪聖眼≫の金蝉が、なぜそこまで惹かれ合ったのかはわからない。
思い返せば、どちらも世間から排斥された、似た者同士だったのだろう。他人には決して見せなかった感情が、あの戦闘の中でぶつかり合い、互いを認め合ったのだろう。それは推測でしかないが。
「どこまでも平行線ですわ。さっさと裁きをどうぞ」
「ふん、己が罪を認める気になったか」
「まさか。とっととこの場からおさらばしたいだけです。帰ったら皆でお茶にしたいですわ」
「それは叶わぬ! ≪斉天大聖≫並びに貴様の配下は即処刑! 貴様自身には生涯幽閉! もう好き勝手はさせぬ、一生陽を拝めんと思え」
金蝉の足元に、ボロボロの拷問体が追加された。
軟禁生活している自分の護衛兼世話役の二人だった。
なぜここまでボロボロなのか? 金蝉には理解できない。
二人がここまでされる理由が思い当たらない。
否、本当は判っている。
“金蝉”を護るためだ。
“金蝉”のせいだ。
それが判るから腹立たしい。
「訊いても無駄でしょうが、彼らの助命は?」
大きな溜息と共に吐き出した。
「配下の者なら免じてやる。ただしそいつらも生涯幽閉だ。≪斉天大聖≫の処断は変わらない」
冷徹なまでの声が響く。
「わかりました。ならば、ここはひとつ、コレで、手を打っていただけませんか?」
瞬間、誰もが目を見張った。
金蝉が一瞬、何をしでかしたのか、その手は血塗られていた。
「私のこの≪聖眼≫ひとつで、彼ら二人の免罪を。そして———」
もう一つ、引き抜いた。
「こちらは、≪斉天大聖≫の免罪。
ああ、良かったじゃないですか天公。欲しかったでしょ≪聖眼≫。というか、私自体お邪魔だったからちょうどいいじゃないですか」
手を広げて、大げさに言う。
「この神聖な場で何をしている!」
どこかで衛兵が騒いでいるのが聴こえてくるが、姿を確認することはできない。
誰かが、金蝉の体を取り押さえようとしている。
「金蝉を閉じ込めておけ、残りの連中も始末しろ!」
天公が声を荒げる。
衛兵達が金蝉の許に押し寄せる。
「触れるな!」
集った衛兵を弾き飛ばすように、金蝉の足元に陣が現れる。
「折角差し上げるというのに、ご満足いただけないのですね。残念ですわ」
見えない目で、天公を睨みつけるかのように顔を向ける。
「残念ですが、交渉決裂ということで。私共はこれにてお暇させていただきますわ」
金蝉の足元の陣が巻き起こす風は次第に暴風と化し、側にいた衛兵を傷つける。
「またいずれ、何処かでお会いしましょう。それがどんな形になるか、分かりませんが」
次第に風が収まると、残されていたのは≪斉天大聖≫のみだった。
「彼の身柄はお預けしますわ。丁重にお扱くださいな。もし何かあれば―—————」
残酷な一言を残して、気配すら感じられなくなった。
暫く誰も言葉を発することはなかった。
漸くして、天公の側近が口を開いた。
「いかがなさいますか」
天公は忌々しく舌打ちした。
この天界を、たった一人の女に滅ぼされることはあってはならない。
あの女には、≪聖眼≫を失くしてもそれだけのことができる。だからこそ中枢から追い出していたのだ。
だが結果はどうだ。
「≪斉天大聖≫は適当にどこか封印しておけ。罪状は、天界の乗っ取りを目論み下界の妖怪を引き連れて反乱を起こした。あとは任せる」
天鵞絨に載せられた、金蝉の≪聖眼≫が、天公の元に届けられた。
先程の暴風で、ズタズタな状態であり、≪眼≫としては遣い物にならないが相応の力が漂っている。
「然るべき時まで保管しておけ」
天公は退室し、≪斉天大聖≫も衛兵に運ばれていく。
「ああ、ちょっと待って。彼の身柄は僕が引き取るよ。適当に封じておけばいいんだろ?
なら適所があるんだ」
その場に居た一人の男が衛兵に声をかける。
彼は事の顛末を面白げに楽し気に傍観していた。
彼は楽しいこと面白いことが好きだった。今回のような騒ぎは大好物だった。
だから————その火種を手許に置いておきたかった。
「そうだね、取り敢えず下界にでも封じておくよ。大丈夫、あとは任せて。決して天公お怒りに触れるようなことはしないから」
そうして、≪斉天大聖≫は五行山に封じられることとなる。
彼が目覚め、事の経緯をどう知るかは、時の彼方にある。
2018.06.30. 初稿