第2幕 四人の聖人
今回は、説明や場面転換が少し多いです。
読みにくかったらごめんなさい………。
水水 水
少女は混迷していた。
整理すべき情報が多すぎて思考が現実に追いつけない。興奮と疲労とを一度に、一気に経験して、奈依の頭はパンク寸前だった。足元をふらつかせながら、石畳の階段を上がる。途中で何度か足を踏み外しそうになったが、それすらも彼女の意識の範疇には入らなかった。ーーー下手すれば階段から転げ落ちてしまうだろうに。
奈依は先程の出来事を何度も何度も脳内で反芻した。考えれば考える程、突拍子のない作り話のように思えてくる。ーーー東条椿。奈依を家まで送ってくれようとしていた彼は、ただの優しい美少年ではなかった。彼は、勇敢で、強くて、普通じゃなくて…………それらは全て、彼が”黒の聖団”の団員であるということに起因していたのだ。
ーーー三時間前、事件は起こった。
奈依と椿、そして右京の三人は、家路を辿っている途中で”怨鬼”による襲撃に巻き込まれた。あと一歩で右京と奈依は棺桶に頭を突っ込むところだった。しかし椿は一ミリも鬼に臆することなく、二人の命を救うどころか、たった一人でそれを退治してしまったのだ。
「ーー怨鬼専門の”裁き屋”とは言ったが、そう呼ばれるようになったのはつい最近…
と言っても三十年くらい前からなんだ。”黒の聖団”という組織は、もともと国家の暗躍機関として
ずっと昔から存在していた。世間に公表できないような案件、巷では都市伝説化しているものも
あるようだが、そういった〈闇〉を秘密裏に処理、抹消するのが我々の本来の仕事なんだよ。」
椿の上司で、特別断罪執行官隊の隊長だと名乗った砲轟大雅は、こうなった以上奈依たちにも知る権利があるだろうと言って、組織の成り立ちなどについて色々説明してくれた。
「…だが鬼が出現してから、国民の命は常に危険にさらされるようになってしまった。
鬼の出現初期の頃は本当に、もうダメかと思ったものだ……。私がまだ幼かった頃の話だがな。
奴らに対抗する術を、我々人類は持っていなかった。」
一瞬、砲轟の眼が、目の前にいる奈依たちを通り抜け、遥か遠くを見つめるような哀しい表情を浮かべた。
しかし彼は、彼のその様子をじっと窺う奈依たちの視線に気がつくと、またすぐに話し始めた。
「君たちも見たのなら分かると思うが、人が鬼と対等に渡り合える道理は、身体能力の面においても
武力の面においても、まず無い。………普通はな。しかし神は我々を完全には見放していなかった
らしい。鬼に対抗し得る力が、奇跡的に発見されたんだ。」
「………それが、その十字架だってこと?」
奈依が椿の首に下げられたチェーンを指差して言った。
「そうだ。正確には、”十字架にはめ込まれた宝石”だがな。その水晶には特殊な
魔力のようなものが秘められているらしい。同じものを持つ私が言うのもなんだが、
まったく奇怪な石だよ。なぜ数多く存在する宝石の中で、その個体だけが特別なのか、
今の科学では解明できないんだ。害獣を退治できるようになったのは大いに喜ぶべきことだが、
私としては気味が悪いというのが本音だ。
………ちなみに、現在発見されている個体は世界で四つ。全て聖団が所持している。」
まるで小説に出てくるような現実離れした話に、奈依は戸惑っていたが、
”そういう系”が好きな右京は目を輝かせて説明に聞き入っていた。
椿の幼馴染である右京は、椿が鬼と戦うための戦士だということだけは知っていた。というのも、彼が十二歳の時、彼と彼の兄が怨鬼に襲われたことがあったのだが、間一髪で右京を助けたのが椿だったのだ。ただ、兄の京斗は帰らぬ人となってしまったが。
その時椿は自分が戦士であることを、言わざるを得なかったのだ。
とはいえ彼は、砲轟が二人にここまで多くの情報を漏らすことに驚き、また訝しんでもいた。
先程砲轟は言った、口封じは冗談だと。だがあれは嘘だ。五年以上も彼のもとにいるから分かる。あの時彼の目には、明らかな警戒と敵意が表れていた。必要とあらばどこまでも冷酷に、そして非情に。怨鬼との聖戦に勝利するためなら人間性をも進んで捨ててみせる、砲轟大雅とはそういう男だった。だからこそ、必要以上のことまで話す砲轟の真意を、椿は図りかねた。
「”特別断罪執行官隊”は、この神秘の石が戦力化されてから発足したんだ。
鬼を倒すことができる手段は、今のところコレだけだ。」
右京が興奮した声で歓声をあげた。
「マジかよ! スッッッッゲェ!! そーいうの夢見てた。カッケェなあ!!」
「………ふふ、すごいな君は。鬼の襲撃現場を見たら、しばらくはまともに話もできないのが
普通なんだが……。なかなか期待できる精神力だ。ウチに入ってみるか?」
砲轟は冗談半分で言ったつもりだったが、それを聞いた右京はいっそう嬉しそうな顔をした。
「ヒューー! おい聞いたか椿、オレすげぇってよ!!」
「お前もマトモじゃないってことだろ。……ところで、その………久麗?」
呆然とその場に立ち尽くしていた奈依は、急に名前を呼ばれてもちゃんとした返事ができなかった。口から出てきたのは、「えっ?」という間の抜けた声だけだった。
砲轟は奈依の様子を見ると、何かを察したように椿に目配せをした。
「お嬢さん、傷心のところ申し訳ないが、これから事件の目撃者として事情聴取に
応じてもらわなければならない。それと、少年もな。私たちは警察とは別の独立した機関だから、
彼らにこの案件は任せられないんだ。嫌なものを思い出させてしまうだろうが、なるべく早く
終わらせよう。全て聴き終えたら、私の車で家まで送るよ。それで良ろしいかな?」
奈依は弱々しく頷くと、またすぐに俯いてしまった。
それから一、二時間かかって砲轟の質問に答え終わると、彼は約束どおり奈依を車に乗せてくれた。家の近くまで来ると、奈依はもう大丈夫だからと言って途中で降車した。砲轟は心配そうに、本当に平気かと再度尋ねた。その表情からは、一度は本気で奈依たちを始末しようかと考えたことなど、微塵も想像できなかった。心の底から心配してくれているのが分かった。
悶々と物思いに耽りながら歩いているうちに、いつのまにか家の前まで来ていた。奈依はのろのろと鍵を取り出して扉を開け、中に入った。叔母はまだ仕事から帰っていないらしい。誰もいない夕暮れ時の家はひっそり閑としていて、少し不気味にさえ感じる。奈依は靴を脱ぎ、おぼつかない足で廊下を進んでいった。台所にメモと夕食の作り置きがあったが、食べる気になれずにそのまま冷蔵庫に蔵ってしまった。代わりにコップに水を注いで一気に飲み干すと、自分の部屋へと戻った。
電気も点けずに荷物を床に放り出し、ベッドにどさっと倒れ込むと、仰向けになって暗い天井を見つめた。ずっとのしかかっていた緊張が緩んだ気がして、少しだけホッとした。もう、何も考えたくなかった。
目を閉じてみると、すぐに眠くなってきた。
(あーあ、制服にシワがついちゃうなあ……)
などとどうでもいいことを思いながら、体は動かさない。奈依は大きなため息をつくと、か細い声で一言、呟いた。
「………最、悪………。」
それから数分もしないうちに、彼女の意識は深い漆黒の中へと沈んでいった。
* * * * * * * * * *
「最悪だ………。」
車の後部座席から、流れゆく街の明かりを眺めながら、椿は独りごちた。
既に日は沈み、街は高層ビルやコンビニ、そして居酒屋といった、あらゆる建物の窓から漏れる電気の光で、きらびやかに彩られている。
十数分前に奈依を家の近くまで送り届けてからずっとだんまりを決め込んでいた砲轟は、椿の独り言を聞くとようやく口を開いた。
「全くもってその通りだ。高校に入学して早々、同級生がお前と怨鬼の戦闘に巻き込まれて
死にかけた上に、聖団の存在を知られる羽目になるとはな。」
椿は少し棘のある砲轟の言い方にムッとしながら、振り向かずに言った。
「悪かったよ。でも本当に仕方なかったんだ。俺がやらなきゃ、俺がいる意味がないだろ。
それに大雅さんだって、何で重要な情報をあそこまで漏らす必要があったんだよ?」
「敵の裏をかこうとすれば、時には捨て身の覚悟でやらなければならない時もあるんだ、椿。」
砲轟が右京と奈依を悪者扱いするので、椿はついカッとなって声を荒げた。
「だからあいつらは敵じゃないって言ってるだろ!そんなに俺が信用できないのか?」
「無論、信じている。」
砲轟は淡々と答えた。
「お前のことは信頼している。心の底からな。ただ油断はするなと、そう言いたいんだ。
”仕方ない”で何でも済ませて逆に何もできなくなったら、それこそ我々の存在は無意味なものに
なってしまう。今回は確かにそうする他なかったようだから大目に見るが、次は無いぞ。お前は、
全てが直接的ではないにしても、人類の存続に対する責任を担う立場にあることをもっと強く
自覚しろ。いいな?」
椿は黙って外を傍観していたが、やがて低い声で話し始めた。
「分かってる。分かってるけど…………人類とかそういう規模が大きいことは、正直まだ
ピンとこないよ。俺は俺のために………戦ってるだけだ。こんな自己中な奴が国民の命を
背負って良い筈ないけど………でも、どうしてもやらなきゃいけないんだ。
……………俺が、この手で。」
椿が苦しそうに語るのを聞いて、砲轟は急に胸が塞がるような気持ちになった。ちら、と椿の整った横顔を一瞥する。大人っぽく振る舞い、実際に人の死を見てきた分だけ並みの高校生とはまるで面構えが違うが、それでもまだ十六の子供だ。平和を忘れてしまった、哀れな子供。
砲轟はポツリと呟いた。
「…………まだ、探しているのか。家族の仇を?」
「………………………。」
椿は依然としてこちらを見ようとしない。しかし顔は見えずとも、その激しく燃え上がる憎悪はひしひしと伝わってきた。砲轟は長息すると、重い口調で続けた。
「なぁ椿、俺にお前の生き方を否定する権利は無いが……お前、間違っても道を
踏み外すなよ。怒りだけでこの世界を生きていくには限界がある。いつか”堕ちる”ぞ。
まぁ、お前はそれでも良いと言うかもしれんが………俺はそうは思わん。ひいき目と
勘違いされるかもしれないから他の部下の前では言えないが、俺はあの日ーーー
ーー鬼に家族も、未来も奪われたお前を拾ったあの日から、お前のことは息子のようにさえ
思っているんだ。それを忘れないでくれ。」
ーーー息子。それは親を失った椿にとって、とてつもなく大きな意味を持った言葉だった。椿は急に熱いものが込み上げてきて、泣きたくなるのを必死にこらえた。
(俺だって同じだ。あの日大雅さんが助けてくれてなかったら、俺は今ここにいない。この人が俺を聖団に招き入れてくれてなかったら、鬼と戦うことも、その方法を知ることさえもできずに、ただ泣き寝入りすることしかできなかったんだ。ここまで育ててくれたんだ………父親、みたいに。)
椿は目に溜まった涙を気付かれないようにこっそり拭うと、くぐもった声で言った。
「ありがとう、大雅さん……………ゴメン。」
砲轟は何も言わなかったが、左手で一度だけ、ポン、と椿の頭を優しくたたいた。それだけで十分だった。
気がつくと、二人が乗った車は賑やかな表通りを抜け、薄暗い裏道を走っていた。道沿いに点々とつづく街灯が、ぼんやりと光っている。
車はやがて人気のない路地裏の前で停車した。ドライバーが先に降り、砲轟が座っている方のドアを開けて「お着きです。」と言った。二人が車から出ると、運転手はまた車内に乗り込んで、路地の奥の暗闇へと消えていった。
砲轟はその姿が見えなくなるまで見送ると、ざっと辺りを見渡してから、やっと人が一人通れるくらいの狭い路地裏へ入っていった。椿もそれに続く。
数分後、二人が道の突き当たりまで来ると、そこには一軒の寂れたバーがあった。木造の押し扉に斜めにかかっている看板に、消えかけの<CLOSE>という文字が手書きされている。だが、埃や蜘蛛の巣にまみれた小さな格子窓からは、茫々とした光が漏れていた。
砲轟が手で軽く押すと、扉はあっさり開いた。鍵はかかっていなかったようだ。上に積もっていた砂がザァッと落ちて、砂埃が舞った。砲轟が顔の前を、手でパタパタと煽ぎながら店内へ入ると、床の軋む音を聞きつけた店主らしき老人がカウンターの奥から出てきた。
「おう若いの、困るじゃあないか。表の看板が目に入らんかったんか?」
白いひげを生やした白髪の老人は、歯が抜けてしわくちゃになった口をフガフガと動かして言った。
それに対し、砲轟はわざとらしく驚いたような顔をして答えた。
「おっと、これは失礼した。知人を訪ねて来たつもりだったんだが………
ここは確か、狩出という男の私有地ではなかったか?」
「うんにゃ、そりゃ人違いじゃ。ここは暗影家のもんじゃからな。」
「そうでしたか、ならば私が早とちりしてしまったようだ。
……それにしても、この店は随分と趣があって良いですね。例えば、あの置き時計とか?」
そう言うと彼は、店の隅に置いてある大きな振り子時計を指差して言った。
かなり古いものらしい。所々に亀裂が入っていたり、時計盤を覆うガラスが汚れで黒ずんでいたりと、ひどく傷んでいる。おまけに肝心の振り子はただ凝然とぶら下がっているだけで、時計としての役目を果たしていない。お世辞にも「良い」とは言えない粗品だ。
しかし老人は試すような目つきで砲轟を見ると、眉を上げてニヤリと笑った。
「気に入ったんならもっと近くで見てみぃや。ワシャぁ特に、
時計の側面の装飾が好きなんじゃがな。」
「ありがとう。」
砲轟は礼を言うと、つかつかと店の中を横切って時計に歩み寄った。顔を近づけ、時計盤の周りに目を凝らす。
中世ヨーロッパ風の細かい模様が彫られた中に、砲轟の視線があるものをとらえた。時計の針が指している数字の三の真横、そこから数センチくらいのところに、小さな紋章が刻み込まれている。言われなければ気付けない程の大きさだ。
それは、砲轟のコートに付いている紋章と同じものだった。
彼がそれに親指を当ててグッと力を込めると、カチッという音がなった。
すると突然、建物の床が低く唸りながら揺れ始めたではないか。天井に吊るされた電球が、振動に合わせてゆらゆらと弧を描く。カウンターの食器棚にある無数のワイングラスが、互いにぶつかり合ってキンキンと音を立てた。
ガコッ!という何かが外れるような音がしたかと思うと、置き時計の足元の床板がゆっくりと沈み始めた。時計はそのまま降下していき、ついには姿が見えなくなってしまった。地面にぽっかりと空いた穴を、横からスライドしてきた真新しい木の板が蓋をした。
時計があった所の後ろの壁に、重々しい鉄の扉が姿を現した。時計によって隠されていたのだ。
砲轟がその扉の前に立つと、小さな四角いパネル画面が、ヴン、と映し出された。画面の真ん中でうすい青色の光がチカチカと光っている。彼はそれに顔を近づけて、右目の瞳が光の正面にくるようにした。
すると青白い光は、彼の瞳を上から下までスキャンすると、今度は赤く点滅し始めた。おもむろに「ピーーーーー」という機械音が鳴り響く。直後、真っ黒な画面に文字が浮かび上がった。
『ーCLEARー 黒の聖団特別断罪執行官隊隊長・砲轟大雅』
途端に、鉄の扉がゴゴゴ…と開き始めた。中から生あたたかい風が吹き出す。同時にこちら側の空気が吸い込まれ、壊れた笛のような、不気味な甲高い音が鳴った。
砲轟の髪や服が、風でなびいた。
「………椿。こっちへ。」
彼はバーの入り口のそばに立っている椿に手招きをした。
椿は言われるままにそちらへと歩いていき、扉の中をちらりと覗き見た。ドアの向こうには、地下へ続く階段があった。
すると砲轟が、椿の耳元でささやいた。
「椿。こういう時は一度、尾行がついていないか確認するものだろう。聖団に入って
何年経つんだ、お前。」
慌てて椿が窓越しに外をうかがおうと首を伸ばすと、それを見た彼は吹き出した。そしてクックッと笑いながら、階段を下り始めた。
「ふふ、いないよ。いたら私がとっくに気付いている。
全くお前は、本当に素直で良い子だな………。」
「…………タチ悪いぞ、おっさん…………。」
騙された上に子供扱いされて、椿はぶすくれたように文句を言った。苛立った歩調で彼の後に続く。
二人が扉の向こうへ入ってからしばらくして、コツコツという足音が聞こえなくなると、また店の床が振動し始めた。例の置き時計が再び床下から姿を現し、元の位置に戻ったため、隠し扉も見えなくなった。
店内に残ったのは、ひそやかな静寂だけ。時計と老人は何事もなかったかのように無言で鎮座している。
橙色のライトに照らされた薄暗い部屋の中で、老人がふかしている煙草の煙が、ゆらゆらと虚空へ溶け込んでいった。
* * * * * * * * * *
黒の聖団の本部はいつもよりざわついていた。
タイル張りの通路を歩く大勢の人の、カッカッという靴音が幾重にも重なって廊下に反響する。人々は忙しなく行き交い、書類を抱えて運んだり、部下に指示を出したりしている。様々な場所に設置されたドアがひっきりなしに開け閉めされる音や、受付の電話対応の声、そしてあちこちから聞こえてくる機械音が入り乱れ、本部はこれから始まる重要会議の準備のために騒然としていた。
ここ中央本拠地と呼ばれる地下都市は、聖団の全ての業務を統括、指揮するための組織の総本部だ。国家の、いや世界規模の軍の本部への入り口は明確には決まっておらず、定期的に移動する。ある時は古びたバーだったり、またある時は高級ホテルのスイートルームの中だったり。さらに関係者以外の侵入を防ぐため、その時々、場所によって暗証もやり方も全て違う。
最先端の科学技術や情報網を駆使することによってのみ成し得ることだ。東京の地下を丸ごと全部占める本部の内部でも、SF映画に出てきそうなロボットや電子機器等が当たり前のように使用されている。
「ちょっと、隊長たちはまだいらっしゃらないの?
他の方々はもうお見えになってますのに…。」
軍の制服を着た一人の女性が、うろたえた様子で部下にささやいている。その部下の男もオロオロと答えた。
「まだです。夕方までには戻ると伺ったつもりですが………。」
「私もよ、そう聞いたわ。だけどあの人のことだから、どうせまた遅れるだろうと思って
わざわざ会議の時間をずらしたのに………………全くもう、これだからあのズボラ男!!」
「…………そ、それ、砲轟隊長のことですよね………。」
男は、官隊の最高権力者をズボラ呼ばわりする女上司にたじたじとした。しかし、前髪を短く切りそろえ、高いピンヒールを履き、書類の紙束を小脇に抱えている女は、それをはばかる様子もなくイライラと辺りを見回した。眼鏡の奥で琥珀色の瞳が怒りに燃えている。唇に塗った真っ赤な口紅のせいで、キツそうな印象が余計に強くなって見えた。
するとその時、廊下の奥の方で、人波が一層騒がしくザワつき始めたので、彼女はそちらの方に目を向けた。二人の男が歩いてくるのが見えた。団員たちは彼らに道を開けるために通路の両側に退けている。彼らの顔を見た途端、女はカッと目を見開いて叫んだ。
「隊長ッッ!!!」
キョロキョロと首を動かしながら歩いていた砲轟は、探していた目当の人物を見つけるとにこやかに返した。
「ああ泉、そこにいたのか。いやぁすまない、ちょっとトラブルに巻き込まr……」
「お黙りっ!!」
バコッ!と手に持っていたバインダーで女が砲轟の頭を思い切り叩いたので、椿を含むその場の全員が「Oh……」というような顔をした(実際に声に出して言ってしまった人もいた)。
この泉と呼ばれた女は砲轟の秘書であるが、彼に対してこんなことができるのも、唯一彼の頭が上がらないのも、聖団の中でこの人物ただ一人だけだった。
泉は砲轟と椿の背中をグイグイ押しながら、キビキビと言った。
「遅刻ですわよ、お二人とも。一体どこで道草を食ってらしたんですの?!」
「いやだから、途中で……」
「遅刻は遅刻です!さぁ、早くこれにお召し替えを。」
そう言うと彼女は二人に正装用のコートを手渡した。椿は学校の制服の上着を脱いでそれを羽織ったが、装飾などが付いている分、ズシリとした重みが肩にかかった。砲轟も、「これ、重くて暑苦しいから、動きづらいんだよな……。」などと文句を言っている。
しかし泉はそんなことはお構い無しに、「さ、お早く。」と二人を急かしながらエレベーターに押し入れると、自分も乗り込んで<B5>のボタンを押した。扉がシュウーンと閉まると、昇降カゴはさらに地下へと降下し始めた。
やがてドアの上の表示板に『B5』という英数字が表示されると、カゴが小さく振動して止まった。三人がエレベーターから降りて床に足を置くと、カツーン…という靴音が、波紋が水面に広がるように、静かに辺りに響き渡った。
そこは、先程までいた場所とは打って変わって、気味が悪いほどに静かな所だった。地下独特の冷えた空気に、窓の無い長い廊下。点々と等間隔に並んだ照明。その光に照らし出された床の白いタイル………。それらは、幾何学的な幻想世界に迷い込んだような錯覚を起こさせた。
通路の一番奥、廊下の突き当たりには、大きな部屋が一つあった。そのドアの両サイドに、屈強な黒いスーツ姿の男が二人、物々しい雰囲気で立っている。
二人は、椿と砲轟のコートについた聖団の紋章を見ると、黙って通路の脇に退いた。うち一人が、壁の認証センサーに手をかざすと、ドアは自動で開いた。
「…………さて。」
ふぅ、と短く息を吐くと、砲轟が正面を向いたまま椿に言った。いや、半分は自分に言い聞かせるような声色だった。まるで、今から面倒なことが起きるとでも言いたげだ。
「準備はいいか、椿? せいぜいナメられないよう頑張れよ。お前は会うのは初めてだろうが、
何せあいつらは…………かなりの曲者だからな。」
そう言って彼が入っていった部屋の壁には、仰々しい文字で、
<黒の聖団 特別作戦会議室>
と書かれていた。
* * * * * * * * * *
泉は、目の前に並んだ錚錚たる顔ぶれに、内心たじろいでいた。自分を除く、今この場にいる四人の猛者たち。彼らが一同に会することなど、そう頻繁には起こらない。
彼らは聖団の中でもトップクラスの権力者であり、実力者でもある。”大聖人”という肩書きを背負う彼らは、例の宝石ーーー”ノヴァ”と呼ばれる、特別な力を持つ石の所持者なのだ。
石を手にする、つまり大聖人になるということは、聖団に所属する者にとって最大の名誉と言われている。何故なら大聖人とは、個人の能力やこれまでの実績等を踏まえた上で、軍の総帥によって選び抜かれた精鋭にのみ与えられる称号だからだ。
泉は会議室の大きな円卓の椅子に腰掛けている四人の顔を、順に目で追っていった。
Douglas・Thunderson(米)
ーーー聖団の米国支部を管轄する大聖人の一人。非常に好戦的な性格で、他人との人間関係に
多少の難はあるが、その戦闘能力は極めて高い。能力上、近接戦や範囲制圧に長ける。
Belladona・Berlovich(露)
ーーーロシアを中心とする北方支部の責任者。名門貴族家の令嬢で、その財力と人脈で組織に
大きく貢献する。範囲制圧、防御において力を最大限に発揮する。
東条 椿(日)
ーーーわずか十一歳という若さで現在の地位に立った、「史上最年少の大聖人」の肩書きを持つ
異例中の異例。その脅威の格闘センスと学習能力は、今や軍に欠かせない存在となってい
る。超近接戦に有利。
砲轟 大雅(日)
ーーー大聖人にして特別断罪執行官隊の隊長。戦闘、知能、判断力など、全てにおいて
常人の範囲を穎達しており、その実力は間違いなく組織の頂点と言えるだろう。
怨鬼との戦いによって右腕を失った今でも、それは変わらない。
文字通りの”化け物”たち。彼らの肩に、人類存亡の未来がかかっているのだ。
(………いいえ、気後れしている場合じゃなくてよ。しっかりなさい、泉。砲轟隊長の秘書としてその名に恥じぬよう、威厳を持って臨まなければ。)
泉は自分をたしなめると、畏怖を胸の奥にしまい込んでから、きっと前を向いた。そして椿と砲轟が会に遅れたことで、何やらもめている四人の声をさえぎるように声を張り上げた。
「静粛にッ!お願い致しますわ。……良ろしい、ご協力感謝します。
それでは大変長らくお待たせしましたが、これより第五回、特別軍会議を執り行います。
司会は私、天御堂 泉が務めます。」
その時、クスクスという笑い声が聞こえてきた。
ベラドーナ・ベルロヴィッチだ。彼女は手の甲で口を軽く押さえて笑っている。
首のチョーカーについた銀の十字架がキラキラと光った。
彼女は、ムッとした顔で泉が自分の顔を睨んでいるのに気付くと、
鈴がなるような甘い声で言った。
「相変わらずね、イズミ。貴女だけよ? 私たちにそんな接し方をするのは……。
新鮮でいいわねぇ、羨ましいわ、こんなに優秀な秘書がいるなんて。北方支部の
部下どもは私の前じゃずうっとモジモジして、はっきりしないんですもの。
ねぇ、タイガ?」
彼女は話を砲轟の方へふった。
二人は軍の訓練兵時代からの同期だ。
砲轟も少しだけ目を細めると、親しげな口調で返した。勿論、英語で。
「それはどうも。だがおそらく、君の部下がそんな調子なのは、能力云々の話ではないと
思うがな………。」
二人の会話を聞いていた椿は、横目でチラリとベラドーナを盗み見た。確かに砲轟の言う通りかもしれない。
ベラドーナの、引き締まった体とは裏腹に、大きく艶やかな曲線を描く胸部と下半身のボディラインは、女の魅力をそのままカタチにしたようだった。おまけに着ている制服の露出がやたら多いため、雪国育ちの白い肌がむき出しになっている。(組織内での階級が高い者は制服を自由にデザイン、特注することができるのだ。)それに、少し気だるげに見開かれたグレーの瞳や、その片方にだけかかった美しい銀髪、色っぽい口元などが、彼女の色香をさらに強めていた。これでは男が落ち着かないのも当然だろう。
本人も確信犯のような笑みを浮かべていたが、ベラドーナはとぼけて「何のことかしら?」と言うように肩をすくめて見せた。
「貴様がどうしようもない淫乱な雌犬だと言っとるんだろーが、この色狂いめ。」
椿の向かい側に、腕を組んで座っていたダグラス・サンダーソンが口を挟んだ。
体中の筋肉という筋肉が盛り上がり、闘牛に激突されてもビクともしなさそうな彼の肉体は、さながら人間戦車のようだ。顔の半分を覆っている、十字架が取り付けられた黒い大きな眼帯のせいで、余計にガラの悪い海賊っぽく見える。
気分を害されたベラドーナは、眉間にしわを寄せて反論した。
「あら嫌だわ、失礼ね。誤解を招くような言い方はよしてくださらない?
私にだって男の好みくらいあるわ。誰でもいいわけじゃないのよ。」
(ツッこむところ、そこなんだ………………。) と、椿は心の中でツッこんだ。
「貴様のこだわりなんぞ聞いとらんわ。そのフシダラな体相を
どうにかしろと言っとるんだ!!」
「年がら年中『鬼だ、鬼だ』って、怨鬼を殺しまくってカンジテルような変態には
言われたくないわねぇ。」
「おいおい止めないか、二人とも。未成年もいるんだぞ。」
「………え、いや、俺は別に………興味ないし……………。」
ーーあれ、これヤバくないか?だんだん収束つかなくなってきたぞ。
すると、ダグラスの眉がピキ、と痙攣した。
「あ”ぁん……? 何だ小僧、随分ナメた態度してんなぁ………。
つーか何でこんな所にこんな餓鬼がいるんだ?遊び場じゃねぇんだぞ、ここは。」
「ちょっとオジさま、報告書きちんとお読みになったの?
………貴方ね、最年少で大聖人になった日本の少年っていうのは。なかなか可愛い
じゃない? 結構好きよ、その顔 ♡ 」
「………ベル………頼むから椿に手を出さないでくれよ? お前の色香は
思春期の男子には毒だからな。」
「いや、だから俺は………っていうか! 子供扱いするなって何度も言って……」
「いいッ加減に!! しなさいッッッ!!!! 」
突然、泉が雷が落ちたような凄まじい怒号をあげたので、驚いた四人はピタリと話すのを止めた。
泉は目をつり上げ、怒りに肩をわなわなと震わせている。その琥珀色の瞳は、まるで蛇のそれのように鋭く光っていた。
(この人たちは………本当に世界の命運を担っているという自覚があるのかしら?!)
「これでは話が進みませんわ! 少しお黙りなさいな!!」
泉はそう言い放つと、しばらく肩を上下に揺すっていた。が、室内がしぃんと静まり返っていることに満足すると、深呼吸をして胸を落ち着かせた。これでようやく、まともに話ができる。
「はぁ………ではまず、各国の報告をお聞かせ願いますわ。ダグラス様、どうぞ。」
チッ!とダグラスは舌打ちをすると、イライラした様子でぶっきらぼうに話し始めた。
「今期は、管轄区域周辺の沿岸沿いの街で二体、内地のいくつかの州で五体、
合わせて七体の怨鬼の出現を確認した。無論全て処理済みだ。残念ながら生け捕りは
叶わなかったがな……。何せ捕まえる前にうっかり殺しちまうもんでよ。まぁ、
それ以外に目立った案件は無かったが………其方はどうだ? 先月、妙な事件が
あったと耳に挟んだぞ。」
ダグラスがベラドーナに向かって尋ねると、彼女は眉をひそめ、急に真剣な面持ちになった。
「ええ、今日は正にそれについて話そうと思って来たのよ。
…先月の初めに、ロシアのとある山奥で、三体の鬼が同じ場所に同時出現したという記事が
出回ったのはご存知よね?それについて結論から言うと…………
聖団は、甚大な被害を被ったと言わざるを得ないわ。」
彼女以外の全員が、不審そうな、そして険しい表情を顔に浮かべた。
砲轟は、その当時に受け取った報告書の内容を思い出そうとした。
「………どういうことだ? 書面には確か、死傷者は十数名だと記されていた筈だが。
怨鬼による事件にしては、大分被害は少ない方だろう。」
「なら、事件の場所はご存知?」
「北西部の ”コミ” だとは聞いたが、詳しくは知らん。どこだ?」
「ペチョラ川という、ウラル山脈あたりに流れる川の近くよ。それも、原生林のど真ん中のね。
一般国民は立入を禁止されているわ。」
「………………何だと?」
砲轟の顔に、明らかに緊張でこわばったような、不安と嫌悪の色が走った。
ベラドーナと意味ありげな視線を交わす。
椿とダグラスには、何がそんなに変なのかがイマイチ理解できなかった。
話に置いていかれていることに腹を立てたダグラスが、不機嫌そうに言った。
「おい、そんなちまちま細けぇこと言うんじゃなくて、もっと分かりやすくまとめやがれ!
つまり、どういうことだ?! 」
「…つまり、鬼のせいで負傷したのは、奴らの始末に駆けつけた聖団の兵士だけだった、
ということだ。この意味が分かるか?……おかしいんだよ、何もかも。何故ならそれが
本当ならーーー」
「ーーー兵士たちが到着するまでの約数十分の間、怨鬼は誰もいない森の中で
ただ暴れまくっていただけ、ということになる………。」
ベラドーナが、砲轟の後を引き継いで言った。
椿はそれを聞いてハッとした。確かにおかしい。人間を喰うことを目的とする鬼が、人が一人もいない山奥で、それもこんなに長時間、そこに留まるということがあり得るだろうか?
ダグラスもそれに気が付いたらしい。傷跡だらけの強面を更にしかめて考え込んでいる。
ベラドーナは話を続けた。
「私が連絡を受けて現場に到着した時には、先に出動した先遣班が既に一体仕留めた後だったわ。
残りは私が片付けたけれど、その時奴らが何をしていたのかが分かったの。目を疑ったわ。
奴らが暴れ回ったその場所……………………一体何があったと思う?」
ここで一旦、彼女は話を途切らせた。
椿たちはじれったいのを我慢しながら、彼女がその答えを言うのをじっと待った。
「………聖団の特別科学研究所、及び技術課の専門研究所。
どちらも壊滅状態よ。しばらくは使い物にならない。」
「………………………………………は? 」
椿たちは愕然とした。
ロシアにある研究所といえば、聖団が所有する武器や精密機械などを製造する工場として、必要不可欠な施設だった筈だ。それだけではない。あの石の研究も、そこで行われていたのだ。
しかしそこを潰された。つまりそれは、聖団が鬼を倒すための武力を、生産することができなくなってしまったということを意味していた。一時的な時間稼ぎのための攻撃であったようだが、それでもこちらの動きはかなり制限されてくる。
聖戦に大幅に遅れをとることになったのだ。
(いや、その前に………ちょっと待て。)
ふと、椿の頭に一つのある疑問が浮かび上がった。それも、かなり重要な疑問が。
彼は放心したように一点を凝視していたが、ほとんど独り言のように呟いた。
「たまたまじゃないのなら………何でその鬼たちは………そこに研究所があると、しかもそれが
俺たちにとって大事なものであると……………知ってたんだ?」
重苦しい沈黙の後、ベラドーナが苦い顔をして答えた。
「そう、そこが問題なの。現在調査中だけど、何も手がかりは発見されていないわ。
でも一つだけ、言えることがある………。私たちはついに、新たなる脅威と対峙することに
なってしまった。
………………知性を、持った、怨鬼に。」
ーーーーーーーー カツーー……ン。
泉の手からペンが抜け落ち、床の上に落下した。その乾いた音だけが室内に響く。
誰も、何も言えなかった。予想外の事実に、その場の全員が衝撃と絶望とを胸に抱いていた。
知性のある鬼が存在する可能性なんて、冗談でも笑えない。ただでさえ劣勢にある人類は、
これでまた更に一歩、 ”負け” に近づいたというわけだ。
椿は、みぞおちにナイフを突き立てられたような心地がした。
すると砲轟が、ゆっくりと目を閉じて深く息を吸い込むと、
静かに、そして長く長く、その息を再び吐き出した。
「………………そうか………………ならば我々人類は、諦める他無いということか………?」
その瞬間、砲轟が放ったその一言で、椿の中の何かが破裂した。
ビリビリと痺れるような憤りが全身を貫く。腹の中が煮えたぎるのが自分でも分かった。
諦める、だと? 闘うことを放棄するというのか? そんな、そんなことーーー
ない
「「「 冗談じゃ ねぇ !!!!!! 」」」
ないわ
ガタンッ!と椅子から立ち上がり、椿とダグラス、そしてベラドーナが、三人同時に叫んだ。
彼らはぎょっとして互いに顔を見合わせた。泉も、あっけに取られたように彼らを見つめている。
その時、フッと砲轟が笑みをこぼした。
彼が目を開けると、そこにはいつもと同じ、堂々たる威厳に満ちた闘志が、
煌煌と赤い光を放っていた。
「その通りだ。我々は諦めるわけにはいかない。決して負けてはならない!
確かに現状は厳しく、楽観視できるものではないだろう。だがしかし、これ以上
怨鬼が人々の命を、夢を、平和を、好き勝手荒らして回るようなことなど、
この私が断固として許さん。
ーー知性を兼ね備えた鬼? 面白い、受けて立とうじゃないか。そして証明してやる、
人間の怒りと闘う意志は、絶対に奴らに屈しないということを!!!」
ーーーーー ああ、やっぱりこの人は ーーーーーー凄い人だ。
椿は、砲轟がたったの一言で、仲間の戦意を再び燃え上がらせてしまったことに対し、悔しいような誇らしいような感情を抱いた。また、してやられた。いつもそうだ。決して揺るがない強い信念。そして彼の人としての器と人望。
”砲轟大雅”は団員たちにとって、絶対不屈の勝利の象徴なのだ。
「ーーではこれからの動きについて指示を出そう。
まず、ベラドーナ嬢。君は引き続き、例の件について捜査を進めてくれ。
破壊された研究所の修理などの管理も任せる。最短で立て直せ。」
「MHe noHRTHoーーー了解、隊長。」
「ダグラス卿には、通常任務と並行してロシアの支援にあたってもらいたい。後で明細書を
送らせるから、詳しいことはそれにて。」
「ーーあァ。」
「そして最後に……椿。」
砲轟が椿の方に向き直った。
「お前はこの件については、ひとまず頭に入れておくだけでいい。
代わりに、怨鬼についての依頼が来ているから、そっちにまわれ。私と共同だ。」
「了解。日時は?」
「明日だ。すぐに出発できるようにしておけよ。ーー泉! 記録は済んだか?」
「ええ、完了してますわ。書類の発送も手配済みです。ーー良ろしいですか?」
「ああ、問題ない。終了してくれ。」
すると泉は、持っている書類の束をテーブルの上に置くと、コホンと咳払いをして言った。
「ーーーではこれにて、第五回特別会議を議了致します。皆様、ご武運を。」
* * * * * * * * * *
会議が終わったのは夜だった。
椿は食堂で手短に夕食を済ませると(ちなみに砲轟は、まだやることがあるからと言って泉と執務室へ行ってしまった)、本部の寮の高官用棟にある、自分の部屋へと戻った。
三十畳という、高校生が一人で住むには贅沢すぎる程広いこの一室には、リビングと寝室、そして書斎まで間取られており、簡素ではあるがキッチンやバスタブも完備されている。地上でいうなら、まるで芸能人が暮らすような高級マンションの部屋のようだ。
物欲のない椿の部屋は物が少ないため、余計に広く感じられた。
椿は、甲板がガラスでできたローテーブルの前のソファに深く腰掛けると、声を出して長いため息をついた。一気に全身の力が抜ける。このままどこまでも沈んでいけるような気さえした。
(はあ………長い一日だったな。…………疲れた。)
そう、あれだけ色々なことがあったのに、全てたったの一日の間での出来事なのだ。
椿は高校生活の先が思いやられたが、ふと、学校の鞄からはみ出ている一枚の白い紙に目を留めた。引き抜いて見てみると、年間の行事予定表だった。
「…あ。」
おもむろに間延びした声を上げる。彼の視線は、四月の最初あたりの『入学式』という文字の下に書かれた言葉に注がれていた。
「俺、新入生合宿だった………。明日から。」
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