第6話 雷鳴ー悪魔が住む本ー
道具屋の階段を、マリーは音を立てずに降りると、店舗へと続く扉をゆっくりと開ける。
店内に客の姿がないことを確認し、椅子に座り本を読んでいる少女に声をかけた。
「マーヤ様、マスターがお呼びで御座います。二階へお願い致します。」
マーヤと呼ばれた少女は、ゆっくりと顔を上げ、声の主がメイド服の女性、マリーであることを確認すると、読んでいた本に栞を挟み、マリーに返答する。
「師匠がまた何か始めたんですか?用があるなら自分で来ればいいのに…わざわざマリーさんを使わなくてもいいと思いません?」
「マスターは、私を奉仕者としてお造りになりましたので、問題は御座いません。」
マリーは、右目にはめた片眼鏡を光らせながら応える。
「マリーさんがいいなら、私は別にいいですけどね…」
マーヤは、本を椅子に置き立ち上がると、一度伸びをしてからマリーに話しかける。
「では、二階行ってくるので店番お願いできますか?」
「畏まりました」
マリーに店番をお願いすると、マーヤは二階へ向かうため、扉を開ける。
扉のすぐ傍に二階への階段があったが、下まで来ても二階からは物音一つ聞こえない。
音が聞こえないのには理由がある、クリスの部屋には多重に結界が張られており、室内からは勿論、外からの音も全て遮断する、そのため階段下であっても、物音一つ聞こえることはないのであった。
当然マーヤにも二階の部屋から、何も聞こえることはなかった。
「いつもより厳重に結界を張るなんて、今度は何を始めたんだろ…」
マーヤは、面倒な事じゃなければいいなと考えながら、階段を上る。
数段上ると、結界を抜けたのか、話し声が聞こえてきた…
「…マーヤも何時までも子供ではない、大丈夫じゃて」
クリスが誰かに話しかけているようだが、相手の声は聞こえなかった。
自分の事を話しているようだが、内容は分からず、マーヤは首を傾げながら階段を上る。
階段を上りきる直前、手摺の隙間から部屋の様子が見えてきたところで、マーヤはクリスに話しかけた。
「師匠ー、何の用で…あれ?兄さん?」
マーヤは、クリスと話しているのが、兄のケニーであることに驚いた。
「や…やー、マーヤ、久しぶりだねー」
「確かに久しぶりだけど…どうしたの?」
「いやー、色々あって…」
久しぶりの兄妹再開であり、挨拶や色々な話がしたかったようだが、クリスは話を遮る。
「挨拶など後にせよ…マーヤ、悪魔契約書を出しなさい。」
「え?今、ここでですか?」
マーヤはケニーとの会話が止められた事よりも、この状況で悪魔契約書を出すことに躊躇し、クリスに聞き返す。
「そうじゃ…そろそろお前も、魔人形使役者を名乗れるようにしてやろうと思うての…」
「(うわー…やっぱりオレがパペッターとかいうのにされるのかな…?)」
ぬいぐるみが漠然とした不安に駆られる中、マーヤは目を見開き、口をパクパクと魚のように動かしながらクリスを見る。
そんなマーヤを見たクリスは、ため息混じりに続ける。
「まぁ、無理にとは言わ…」
「やります!」
マーヤはクリスの言葉にかぶる様に応えると、両手を空中に突き出し言葉を紡ぐ。
「おいで、私の悪魔契約書テリオン・クラーベ!」
マーヤが呼ぶと、突き出した手の上に、空間の揺らぎが発生し、そこから紅い靄が現れる。
それは徐々に形を変えてゆき、やがて一冊の本を形作った。
その本は、表紙に銀糸で幾何学模様が描かれた夕陽色の本であった。
「ふむ…呼び出しはスムーズになったようじゃが、その本の名はテリュリオン・クリーヴァレじゃ、正式な名前で呼びだすようにいつも言っておろ…」
マーヤはクリスの言葉など聞こえていないかのように、呼び出した自分の悪魔契約書をうっとりと眺めており、その様子を見たクリスは、それ以上喋るのを諦め問い掛けた。
「お前にやったものじゃが…魅了され過…いや…それも悪魔契約書との付き合い方なのかの…
マーヤよ、お主契約できる悪魔は何がおる?」
マーヤは、名残惜しそうに悪魔契約書から目線を外すと、クリスに異界への渡航許可がない為、低級悪魔が数体だけしかいないことを告げる。
ケニーは、妹が平然と魔法を行使していることに対する驚きと、既に悪魔との関わりがある事の衝撃で、額に指を当て俯いていた。
「ふむ…あまり低級なものに使わせるのは惜しいんじゃがのう…」
クリスはケニーのカバンを見ながら呟き、目を閉じ考える。
そんな姿を見たマーヤは、クリスが兄の方を見たことを少し不審に思うが、自分の魔人形ができることへの喜びが強く、すぐにクリスが話し始めたことため、思考が切り替わった。
「よし、わしの悪魔契約書から一体移動させるかの。」
マーヤは突然の申し出に、目を瞬かせながらクリスに聞く。
「し、師匠のからですか!?いや、そもそも移動できるんですか!?」
「お前も勉強が足りんの…悪魔契約書の持ち主同士の同意と、移動する者が望むのであれば可能じゃろうに…
問題は、わしの使役する者に、マーヤの元に行きたい者がおるかじゃが…まぁ適合できるか調べてみれば分かるかの…」
クリスはケニーをちらりと見るが、問題無いと判断したのか、誰にも聞こえない程小さな声で悪魔契約書を呼び出す。
「現れよ、我が半身、ヴィルイオ・テクスリプト…」
クリスが唱えると、静かな室内に突然雷鳴が轟き、天井を突き抜け眩い光が落ちる。
突然のことに、クリスを除く全員が悲鳴を上げるが、落雷の衝撃音にかき消され、誰の声も聞こえる事は無かった。
光も音も一瞬のことで、誰も怪我をすることは無かったが、クリスの前には落雷と共に現れたと思われる、パチパチと放電している分厚い本が浮かんでいた。
クリスがその本に手を伸ばすと、触れていないにも関わらず、浮かんだ状態の本が真ん中辺りで開いた。
「さて、ではマーヤの元に移動してくれるものを探すかの…」
クリスが何かを唱えると、本のページがひとりでに捲られてゆく…しばらく経つと動きが止まる。
開いたページを見たクリスは、微妙な表情を浮かべ呟く。
「こやつか…素材からすればこやつに文句は無かろうが…マーヤに御せるのか…?」
マーヤが先程の衝撃から立ち直り、どうだったのかと、目で問いかけると、その視線に気がついたクリスは、苦笑交じりに話し始める。
「お前のもとに行っても良い、と答えたものはおる、おるが…かなり位が高いものでな…」
そこまで話したクリスは、喋りながら首を振り、そのまま話を続けた。
「いや、何事も経験じゃな、マーヤよ、其方の悪魔契約書を渡すが良い。」
マーヤは素直に悪魔契約書を手渡した。
クリスは受け取った悪魔契約書を開き、まだ何も書き込まれていないページにすると、自身の悪魔契約書の上に重なる様に置いた。
すると、マーヤの悪魔契約書が少し浮き上がり、向かい合う形で浮かぶ二つの悪魔契約書のページが、同時に捲られてゆき、マーヤの悪魔契約書のページが残り半分を切ったあたりで同時に止まる。
二つの悪魔契約書は、ほぼ同時にパタンと閉じられると、お互いの持ち主の手元に飛んで戻る。
マーヤは戻ってきた自身の悪魔契約書を愛おしく眺めるが、クリス老の悪魔契約書から移動した悪魔を確認するため本を開き、そして困惑することになる。
「おかえり私のテリオン…。
え?これって…え?本当に?」
クリスは困惑するマーヤの様子と、幾分か厚みの薄くなった様に感じる自身の悪魔契約書から、移動が終わったことを確信した。
「移動は完了したようじゃの、では、これから魔化の儀式を始めるが…念のため警護できるものを呼んでおくかの、そろそろ戻っておるじゃろうし…
ケニー坊、下からサリー…もし戻っとらんかったらマリーを呼んでくるんじゃ。」
ケニーは、自分に振られると思っていなかったようで、キョロキョロと辺りを見回し、自分を指差す。
それを見たクリスが「早うせい!」と語気を強めて言うと、ケニーは大急ぎで階下に走り降りていき、直ぐにマリーを連れ戻ってきた。
「サ、サリーさん戻って無かったんで、マリーさんをよ、呼んできました。」
マリーはスカートの前で手を合わせ一礼するとクリスの指示を待つ。
「うむ、マリーよ、これから暫くこの部屋での警護を任せる、場合によっては真体化も許可する、危険だと判断したらそなたの意思で動いて構わん。」
「畏まりました、マイマスター」
マリーは、ベルトに付けたポーチからおもちゃのような小さな剣を取り出し軽く振ると、一瞬でショートソードと呼べる大きさになった。
その剣を、マリーは胸の前に両手持ちで構える。
その様子を見て、クリスは頷くと、ケニーのカバンに近づき持ち上げる。
クリスがカバンを持った瞬間、マリーは剣を握る手に力を込め、ゆらりと空気が揺れる様な殺気を放出するが、そんな状況に慣れていないケニーは、床にへたりこんでしまうのだった。
「(あー…やばいよなー…失敗したかなー…んー…逃げ…無理だよなー…あー…)」
ぬいぐるみは、持ち上げられ揺れるカバンの中で、逃げ出すタイミングを完全に失ったことを後悔しながら、これからどうするべきかを考えていた…