第5話 講義ー猫と悪魔と人形とー
店の二階は、クリスの自室兼応接室になっているようだが、分厚い本がギッシリと詰まった本棚が、壁一面に配置されていたが、本棚に入りきらない本が、机や椅子、床にまで積み上げられている状況で、応接室として使えるとは思えない部屋になっていた。
「ま、適当に座るが良い。」
クリスは部屋の奥に向かい、積み上がった本の中から何かを探しながらケニーに声をかける。
ケニーは「はーい」と返事をしながら、近くの椅子に乗っていた本を床に置き、空いた椅子に座る。
座ることで一息ついたケニーに、後ろに立っていたマリーが声をかける。
「ケニー様、こちらのお荷物は如何なさいますか?」
「あ、持たせちゃってすみません、受け取りますー」
「では、こちらを…」
ケニーがマリーからカバンを受け取り、自分の足元に置いた時、クリスが一冊の本を持ってケニーに話しかけた
「待たせたの、では早速講義を始めよう…先ずは魔人形とは何かということじゃが、ただの人形ではないことは分かるな?」
「それは分かりますー、マリーさんとかみたいに動ける人形ですよねー?」
「(動ける人形ってことなら、オレもそうかな?…え?あの美女も人形だったの?)」
ケニーは、マリーを見ながら応える。
「半分正解じゃ、魔人形とはただの人形ではなく、魔人形使役者が魔力を宿すように作り上げた人形を使い、あるものと契約を結ぶことでできるものなのじゃ」
「(へぇー)」
「へぇー、じゃあマリーさんやサリーさんもクリスさんが作られたんですかー?」
クリスは、ケニーの問いに言葉ではなく頷く。
それを見たぬいぐるみは、この世界で何度目か分からない驚きを味わう。
「(まじか!てか、マリーさんとか人間にしか見え無かったぞ…腕良すぎだろ、この爺さん…)」
先ほど見たマリーの姿は、人間そのものであったし、人形だと言われても簡単には信じられないものであった。
そんな風にぬいぐるみが考えている事など、知る由も無いため、クリスの講義は続いていく。
「そして、魔力を持つ人形は魔人形以外にもあるが、それらと魔人形の違いは、あるものと契約することじゃが…ケニー坊よ、なにと契約するか分かるかの?」
ケニーは少しだけ思案したが、首を横に振り分からないことを伝える。
「ふむ、まぁ良かろう…契約するものとは…」
「(契約するものとは?)」
「…俗に悪魔と呼ばれる者達じゃ」
「(!!)」
「あ、悪魔ですか!?」
ケニーの足元で、カバンがビクッと跳ねたが、誰も気がつかなかったようだった。
「そうじゃ、ただしこちらの世界で悪魔と呼ばれるだけであり、自分の肉体を持たない精神生命体が、そう呼ばれておるのじゃ。
悪魔と呼ばれるのは、その大半が邪悪であり、危険だからじゃの。」
「危険…なんですよねー?そんな悪魔と、契約なんかして大丈夫なんですかー?」
ケニーの問いに、クリス老は少し脅す様に話を続ける。
「勿論、何の知識もなく召喚すれば大変危険じゃ。
昔の話じゃが、とある魔導師が力量に合わない悪魔を召喚した為に、滅んだ都市もあったからの…じゃからわしら魔人形使役者や召喚を行える魔導師は、自分が契約できる悪魔を管理する為に、独自の悪魔契約書を持ち、きちんとした召喚手順を踏むことで安全を確保しておるのじゃよ。」
「へぇー、で、それがクリスさんのグリモワなんですかー?」
「(やばい、情報多すぎるな…グリモワってなんだ?)」
ニヤリと笑うクリスは、持っていた本をケニーに見せる。
「いや、これは模造品じゃよ、本物はわししか触れんようにしまっておるからの」
「何でですー?」
「…それはの、悪魔契約書には、自らが友好を結んだ悪魔達の全てが記載されておるからじゃ、悪魔達は悪魔契約書を持つものの命令に原則として、逆らえんのじゃよ。
つまり、魔人形使役者にとって本を奪われるのは、自らの家族ともいえる魔人形を、奪われるも同じなのじゃ。
わしでいうなら、マリーやサリーを奪われることと同義じゃの。」
「へぇー」
クリスは、模造品の本をケニーの前に置き、話を続ける。
「しかし模造品とはいえ、これにも力はあるのじゃよ…ケニー坊、この本に右手を置いてみよ。」
「え?…大丈夫なんですかー?」
クリス老は頷きながら、ケニーのすぐ前まで本を押すと、戸惑っていたケニーも恐る恐るではあるが、右手を本の上に乗せる。
「うわ!な、なんですかこれー!?」
ケニーは驚き本から手を離すと、クリスはニヤニヤしながら問いかける。
「何が見えた?言ってみよ。」
「…なんか怖い顔した猫みたいな顔が見えました、目の前に突然浮かんだから驚きましたよー…」
クリスは、ケニーの答えを聞くと、笑いながら続ける。
「ふぉっふぉっふぉっ、そうか猫か、その顔じゃがの…お前さんもよく知っとる者なんじゃよ?」
ケニーは思い当たらなかったようで、首を傾げる。
「(猫みたいな顔?…猫とは違うのかな?)」
ぬいぐるみは会話を聞くだけで、周りが見えないが、カバンの中で考えていた、
「ふむ…まぁ分からんでも無理はないの、あの顔はな…」
ケニー(ぬいぐるみもだが)が言葉を待つ様子を見て、少し勿体ぶりながらクリスは続けた
「…マリーなんじゃよ」
「え?」
「(え?マリーさんが猫?)」
困惑するケニーがマリーの方を見るが、マリーは先程までと変わらない、美しい女性の顔をしていた。
「今見ても分からんよ、正確にはマリーの本来の顔じゃからの。
まぁ、言われても分からんじゃろうし…マリーよ、見せてあげなさい。」
「畏まりました、マイマスター」
言い終わると同時に、マリーの体から黒い煙のようなものが湧き出し、ケニーの視界を遮る。
「わ、え?煙?」
暫く経つと徐々に煙は薄くなり、視界が晴れる…そこでケニーの目に映ったのは、漆黒の鎧を纏う、獰猛な肉食獣の頭を持つ大男だった。
「ふえ!?マ、マリーさんがいなくな…って!だ、誰ですかこの…人なんですか!?」
「ご安心下さいケニー様、マリーで御座います。」
肉食獣のような顔から、聞き覚えのある声がかけられるが、その姿は似ても似つかずケニーはますます混乱する。
「え?マリーさ、え?え?あ、さっきの顔!え?な、え!?」
「(さっきの顔?猫のやつか?マリーさんが猫ってこと?)」
「ふぉっふぉっふぉっ、ケニー坊よ、それがマリーの真の姿、真体と呼ばれとる状態じゃ。」
「真の姿?アライズ?え?マリーさんて…男だったんですか!?」
「(え?マリーさん男だったの?しかも猫?やばい、もう意味が分からない…)」
ケニーは驚きすぎて混乱し始めていたが、カバンの中で音声しか聞こえない状態のぬいぐるみの方が、深刻な状態だった。
そもそも、マリーの真体は豹頭鷲翼の大男であり、メイド服もこの状態では、胸の部分に豹の顔を模った、漆黒の全身鎧に変わる為、同一人物だと言われても納得する方が難しいのは確かだろう。
「マリーよ、すまんが戻ってもらえるかの?ケニー坊には刺激が強いようじゃて…」
「畏まりました、マイマスター」
今度は煙は出ず、豹頭の大男の体を空間の揺らぎのようなものが覆い、すぐに元のメイド服の女性が現れた。
「…本当にさっきの…マリーさんなんですね…」
ケニーは受け入れるしかない状況に、ため息交じりで呟く。
「じゃからそう言っとるじゃろ?…と、ここまでで魔人形がどんなものかは、分かったじゃろ?」
「まぁ、なんとかですけどー…」
「(オレは分からん!)」
クリスは、頷き話を続ける。
「よろしい、本来はもっと複雑じゃが…別によかろう…では、なぜ魔人形使役者の側に魔力を宿す人形を置いておくのが危険かは、分かったかの?」
「…え?いや…危険なんですか?」
ケニーは、マリーの変身による衝撃からまだ立ち直れず、質問の意図を理解できていない様子だったが、そんなケニーの様子に呆れたクリスは、首を横にふり溜息を吐く。
「はぁ…ケニー坊は相変わらずじゃの…まぁ良い…おさらいじゃ、魔人形は魔人形使役者が、魔力を宿した人形に悪魔契約書で呼び出した悪魔を宿すことでできる、そうじゃの?」
「…はい」
「うむ、では魔人形として契約を行っていない魔力を持った人形はどうなると思う?」
「(オレみたいに…はならないか…)」
ぬいぐるみが一人で突っ込んでいるなか、ケニーも暫く考えるが答えは出ず、考え込むだけで唸りを上げてはじめた。
「事件になったし、結構騒がれてたんじゃが…赤帽子と聞けば思い出せるかの?」
「赤帽子って、あの赤帽子ですか?子供を怖がらせるための御伽噺だと思ってました…」
「(…赤帽子?なんのことだ?)」
ケニーは赤帽子という言葉に覚えがあったようだが、話し方からすると、あまりいいものではないようだった。
「御伽噺のう…まぁ古い話ではあるが、歳はとりたく無いものじゃ…」
クリスは、自分の髭を撫でながら続ける。
「その赤帽子が、契約していない魔力を持った人形の成れの果てよ…放置しておけば、その人形も赤帽子になるかもしれんの…」
突然ケニーは立ち上がり、後ずさる様にカバンから離れる。
「これが赤帽子になるんですか…」
「(え?あ、オレ…か?帽子被ってない…よな?)」
「ふぉっふぉっふぉっ…そう警戒せんでもよい、それはマリーに解析させておるから、今すぐどうこうは無いからの、それに魔力を持った人形全てが赤帽子になるとは限らんのよ。」
クリスはカラカラと笑うが、ケニーの警戒は解けなかった。
「まぁ、契約して魔人形にしてしまえば、そんな心配もなくなるしの…よし、マーヤへのプレゼントじゃったようじゃし…良い機会じゃ、マーヤの魔人形にするかの。
マリー、マーヤを呼んでおくれ。」
「畏まりました、マイマスター」
「え?マーヤが悪魔と契約するんですか!?」
「(いや、オレがパペッターとかいうのになるのか?…いやいや、オレ、意識ありますけど?)」
マリーが階下に呼びに行くが、妹が悪魔と契約することにケニーは動揺する。
ぬいぐるみも、カバンの中で誰にも気がつかれないが動揺していた。
「慌てるでない、マーヤはわしの弟子、それにきちんと手順を踏めば危険はないと言うたであろう?」
「そうですけど…うーん…」
「(危険とかじゃなくて…え?これ、まずくなってきてないか?)」
ケニーは、まだ納得できていないようだったが、クリス老は続ける。
「マーヤには才能もあるでの、何よりもわしが側におるのじゃ、危険はないから安心せい、それにマーヤも何時までも子供ではない、大丈夫じゃて」
クリスは笑いながら話すが、ケニーの顔が晴れることはなかった。
「はぁ…」
「(うーん…どうするかな…いっそ逃げるか?いや、うーん…)」
ぬいぐるみが人知れず苦悩し、ケニーが諦めの入った声を出した時、階段を上がる足音が聞こえてきた。