悪魔の赤い月2
猫耳の少女はトオノのあとを着いてくる。おとなしい。
意気消沈し、あきらめているようではない。
だが、トオノはこの少女を斬らずに済みそうなことにすっかり安堵していて、少女の様子に気がつかなかった。
トオノは、襲撃によってすっかり廃村と成り果てた村の、中心部にある広場へと向かった。
そこが、いわば、醜悪な狩人たちの拠点となっていたのである。
「撤収だ! はやくしろ!」
トオノが広場に入ると、すぐに声が掛かった。
この辺境を治める貴族の男だ。
「ケモノ臭くてかなわんわ! さっさとしろ!」
トオノは何も言わず従った。従わされている。
それがトオノに下された王命であった。
トオノは、この辺境貴族に貸与されている、ということらしい。王命によって、この貴族の命令を聞くようにされているのである。
王命さえなければ斬り殺してやるものを、と何度思ったか知れない。
トオノはせめてもの反抗として、返事を返さないのだ。
だが。
猫耳の少女はまだ、隷属してはいなかった。
貴族の男がトオノの後ろから声をかけた時、誰がこの狩人たちのリーダーであるのかを、猫耳の少女は察した。そして待ったのだ。もう一度、手の届く距離に来るタイミング、殺せる状況を、待った。待っていた。
猫耳の少女はトオノの影から躍り出るなり、背中を見せる貴族の男に迫った。
彼女を敵として認識していなかったトオノは、反応が遅れた。
跳躍。
そして少女は貴族の男を斬りつけた。驚くほどの身のこなし。どこに隠し持っていたのか、ちいさな刃物がその手に握られていた。
斬りつけられた貴族は、飛び掛ってくる気配を感じたか、正面から少女を捉えていた。左目に縦に赤い線が引かれている。
「このクソ猫が!!」
貴族の男は腕をふるって少女の手から刃物を弾いた。
少女にとって、痛恨のミスだった。
貴族の男はそのまま少女を蹴り上げる。
意外に鍛えられているらしい貴族の男の脚力は、恐ろしい威力で少女の身を打った。
「かはっ……」
少女の小さな体が完全に宙に浮く。そして地面に落ちる。
「【動くな】!」
手を剣にかけ、すでに前傾姿勢となっていたトオノはそこで止まった。
動くことができない。
「貴様はそこで待機しておれ……!」
貴族はトオノのほうを見ずに言い放った。その顔は憤怒に染まっている。
「この! クソ! 猫が!!」
貴族の男は執拗に少女を蹴った。
死んでしまっても構わないと思っているような蹴りが、何度も少女を襲う。
しばらく蹴り続け、息が上がってくると、貴族の男は蹴るを止めた。そして少女に唾を吐きかける。
「ケモノ風情が……!」
少女はすでに、助からないほどの傷を負っていた。
折れていない骨があるのかどうかも疑問である。むしろ、まだ生きていることがむごいとすら、トオノは思った。
「トオノ、これは廃棄していく」
貴族の男はかんだガムを捨てるように言った。
こいつは人の形をした邪悪だと、トオノは思った。正義感の強い男でなくとも、必ずや除かねばならぬと決意するだろう。だが、決意したところで、トオノには行動に移す術がなかった。
どん底に落ちたものは、どうあがいても無駄なのだ……。
「【撤退する】!」
貴族の男は全体に叫ぶと、さっさと豪奢な馬車に乗り込んでしまった。
トオノは動けるようになった。
トオノは少女を見た。目が合った。
奇妙な呼吸音だけが、あたりに響いているようだった。
トオノは何も言わず、剣を抜いた。
「すまない……」
トオノは少女に言った。なにを許してほしいのか、トオノにもわからなかった。
だが、少女は笑った。指の一本も動かせない体で、確かに笑った。
ニンマリとした笑みだった。
トオノは少女を殺した。
王命ではなく、自らの意思で、トオノは初めて、誰かを斬った。
「もう、苦しむことはない……」
必ず、報いは受ける。
トオノは、昇り始めた月にそう誓ったのだった。
赤い赤い月だった。




