悪魔の赤い月1
トオノは帝国の王剣である。
帝国なのに王の剣なのは変じゃないかと、トオノは思っているが、誰もそう思っていないようなので、特に何も言わないでいる。
だが、過去に一度だけ、この世界に召還されて間もなかった頃に、この話題を話したことがあった。
猫の耳を持つ少女があいてだった。
トオノはいつも思い出す。
猫の耳を見たとき、あるいは、犬の耳でも。
かつて、自分と同じ価値観を持った人物がこの世界に居たことに驚きつつも喜び、そして自らの手で殺さざるを得なかった彼女を思い出す。
獣の耳を持つ者を狩る。その任務の途中だった。
襲撃した村の、民家のひとつに入ったトオノは、猫の耳を持つ少女に出会った。そして問いかけられた。
「帝国なのに、『王の剣』と呼ぶのはなんでなんだろうにゃ?」
剣を持って襲撃していたトオノに、獣の耳を持つ者たちを狩り、奴隷としようとしている最中で、なんでもない日常の一幕であるかのように、彼女は問うたのだ。
場違いだと思ったが、質問されたので、トオノは答えた。
「帝国を治めているのもやはり『王』だからだろう。王の中の王、帝王だ」
トオノは王命に従って、抵抗するものや逆らう者を斬らなければならなかったが、会話を試みられて切って捨てるような人間ではなかった。
状況こそまともではなかったが、それでも、トオノにとって久しぶりに言葉が通じると思った会話だった。
「帝王は王の中の王なのにゃ? なら、その下には王が従っているのにゃ?」
「そういうことになるな……」
「それなら、王に王剣があるように、帝王には帝剣があるべきじゃないのかにゃ?」
中身のありそうで、まったく何の意味もない会話だった。
「王剣に格をつけたくなかったんだろう。帝剣は特別でえらいと思われると、帝王が困るとか……」
「おかしいはなしだにゃ」
「おかしなはなしだな」
ふたりはどちらからともなく笑った。ニヤリ、と。
「王は力を恐れているのにゃ。それでいて、便利に使いたいと思っているのにゃ」
「そうかもしれないな……」
「そのくせ、扱いは雑で、安全や保全のためにはコストを使いたがらないのにゃ」
「そうだな……」
王剣に与えられるのは、苦しむ義務くらいのものだ。死ぬことも、逆らうことも許されてはいない。奴隷と、この世界の奴隷と同じである。彼女、目の前の彼女が、まもなく狩られてそうなるのだ。
「王達はいつか、報いを受けるにゃ」
彼女ははっきりとそう言った。
「そのときが来たら、王剣も解放されるにゃ」
トオノはそんなことが起きるのだろうかと思った。
王剣が解き放たれ、魔剣と成るなどという噂も耳にしたことがあったが、信じられるものではなかった。
「いつか、必ず、行動の報いを受けるにゃ。
配慮してこなかったことに、
踏みにじってきたことに、
いつか必ず裁かれるにゃ」
猫耳の少女はトオノに言った。そして笑った。ニンマリとした笑みだった。
「必ず、この報いを受けさせてやるのにゃ」
少女の声は底冷えがした。
民家の外からは、狩りの喧騒が消えていた。
「そうだな」
トオノは、そう答えた。
そして、襲撃者である自分も、報いを受けるのだろうと、漠然と思った。
そうなればいい、と。
「おい! 狩りはおわりだ!」
唐突に、男の声がした。
民家の入り口に、男が立っている。トオノを狩りに使っている辺境貴族だった。
ちらり、と猫耳の少女を見ると、抵抗する様子がないのがわかったのか、すぐに視線をトオノに戻した。
「そのケモノも連れて来い!」
見た目だけは麗しい、醜い貴族の男は、そう言ってずかずかと立ち去った。
トオノは、少女を見た。少女はおとなしく従うようだった。ゆっくりと立ち上がる。
それを見て、トオノはほっとしていた。たとえその目が冷え切っていたとしても、今はそれでよかった。
従わなければ、トオノはこの少女を斬らなければならなかったのだから、よかったと思うのも仕方がなかった。
この後で、彼女に待っているものがどんなものなのかを、トオノはすっかり忘れていたのだ。隷属することがどういうことなのか、誰よりもわかっているはずのトオノの、痛恨のミスだった。




