帝国の王剣4
サカノウエの宣言は慈悲だ。
彼は宣言する必要などなく、標的を認めた瞬間から攻撃してもよかったのだから。
しかし、行われたその宣言によって冒険者ギルドの二階、その廊下は明確に戦場となった。
サカノウエは懐から一本のナイフを取り出すと、これを投擲した。
投擲音とナイフが競うようにミスレイに迫る。
恐るべき速度である。
投擲したナイフにも、彼の魔法『高速機動』は働くのだ!
ミスレイは抜剣と同時に飛来したナイフを弾いた。
偶然である。
ミスレイは剣の達人だ。
しかし、たかだか廊下ひとつ分の距離で放たれた、音速で飛来するナイフを打ち落とせるほどの技はない。
いや、人間にはそもそも不可能だ。
ここでミスレイの技のないことを責めるのは筋違いである。
「恐ろしく早いな。『雷鳴』かな……?」
ミスレイは偶然に感謝しつつも、なんでもない風を装って相対する男、サカノウエに声を掛けた。
「そう呼ばれることもある」
サカノウエはこれに答えた。
露骨な時間稼ぎである。しかし、時間を稼いだところで無意味であることも、彼は知っていたのだ。
「そうか、『雷鳴』のサカノウエか……」
ミスレイは口元をにやりとゆがめた。
もはや生きられぬと悟った自分を自嘲した笑みである。
「雷が鳴るよりも早く……か。最後の相手として光栄極まるね……」
サカノウエは無言でナイフを投擲した。
このナイフは先ほど投擲したものと同一のものだ。
投擲されたナイフはすぐさまその手に複製されるという恐ろしい魔具なのだ。
音と競うようにミスレイを目指したナイフはしかし、その命を奪わなかった。
ナイフはミスレイの右足に刺さっている。
頭や、一撃で命を奪える急所は、ミスレイの剣が射線を塞いでいる。まずは防御を崩すのだ。
ミスレイは膝を突いた。
三本目のナイフが投擲される。
右肩に刺さる。
ミスレイの剣がブレ始めた。
剣を支える力を失いつつあるのだ。
もはや次はない。
一思いに殺さないサカノウエを残虐だなどと批判する読者の方はいるだろうか?
しかし、これも彼の慈悲である。
サカノウエは本心のどこかで殺しを阻止してくれる存在を願っているのだ。
願わくば、その者が間に合うように……。彼は格下相手には常に正面から、こうしてゆっくり防御を崩してから殺すのである。むごい。
しかし、願いが叶った例などない。すごくむごい。
サカノウエは感動を失った瞳でミスレイを見つめるとナイフを構えた。
だが、四本目のナイフはミスレイに向かわずに投擲された。
その先はサカノウエの背後。
「チッ……」
サカノウエの後ろ、階段を昇りきったばかりのところに、左肩にナイフを生やしたレスターが立っていた。
ぼろぼろの外套は雨に濡れ、無精ひげを生やした筋骨隆々の男が、ミスレイにはただ、勇者に見えた。
「気をつけろ、レスター。そいつは『雷鳴』だ!」
ミスレイが声をあげた。
「チッ……やっぱ王剣か……」
レスターは構えた剣がただの棒切れのような心もとなさを感じた。
王剣は人間の勝てる相手ではない。
必ず魔法保有者であり、適正を見て専用の魔具を与えられることなど当たり前だ。
国家級の戦略兵器。それが王剣という存在なのだ。
それが七本同時に倒されることなど常軌を逸しているどころか天変地異である。しかし、この話は余談だ。
状況はミスレイとレスターが挟み撃ちを仕掛けているようなものである。だが、この狭い廊下を支配しているのはサカノウエだ。
「お前はグランド王国冒険者ギルド所属、『網の目』のレスターだな?」
サカノウエはミスレイなど居ないかのようにレスターに向き直ると言った。
「ずいぶん詳しいじゃねぇか……」
レスターは吐き気を押さえ込んで言った。標的が自分に移ったことを感じ、そして死の気配を感じたのだ。
「お前も殺す」
サカノウエは宣言した。
王都を打ち据える雨は、その歴史に幕を閉じるかのようにすべてを黒く覆い尽くそうとしていた。