帝国の王剣1
グランド王国王都の裏路地で、一人の男がぶつぶつと呟いている。
黒い髪をフードで隠し、夜に溶け込む装束に無数のナイフを装備している。その腰には長剣が二振り。
その姿は異様である。
街の不良達が彼を発見しても遠巻きに避けるだろう。
この男の名はサカノウエ。
王都崩壊の知らせを受けた帝国が放った王剣である!
サカノウエは左耳に当てていた手を下ろすと、呟くのをやめた。
通話の魔具を使っていたのだ。
「ミツルギか……」
小さく息を吐くと、静かに呟いた。
誰も聞くものはいなかったが、確かにミツルギの名を呟いたのだ。
帝国はミツルギの存在を知り、彼を送り込んだのだろうか……?
サカノウエは跳躍すると、手近な建物の屋根へと飛び乗った。
その速度は常人のものではない。
サカノウエの魔法『高速機動』である。
この魔法によってサカノウエは極めて短時間でグランド王国の国境を越え、王都にまで至ったのだ。
そのまま王都をぐるりと見渡すと、彼は走り出した。
屋根の上を伝っての移動である。
やや火勢が弱まってきた王城を背後に、彼は跳ぶ。
月見の客でなければ、彼を見つけることはできないだろう。
しかし、王城が燃え上がり、魔獣の襲撃を受けたばかりの王都で、風流にも月見を行うような余裕のある者はそう居ない。
あるいは、見えあげていた者でも気がつかなかったかも知れない。
サカノウエは恐るべき速度で移動しているのだ。
その向かう先にあるのは、冒険者ギルド。
おお、なんということだ。
彼の狙いはミツルギではない。
狙いはグランド王国冒険者ギルドのギルド長。ミスレイだ!
冒険者ギルドは夜中だというのに活気に満ちていた。
血にまみれてうずくまる冒険者のうめき声や、あわただしく走り回る職員の足音を活気と呼べるのであればだが。
少なくとも、静かな夜に異様な騒がしさであることには違いがなかった。
そんな騒がしさを下階に聞きながら、二階の応接室に二人の人物が居た。
一人は女だ。
冒険者ギルドのギルド長、ミスレイである。
もう一人は男だ。
豪奢な衣装をまとっている。その服装から、この男がかなりの財力を持っていることが伺えた。
室内はなにやら深刻な雰囲気である。
「王城に生存者はいませんでした。我々は統治者を失ったのです」
男が言った。
「このままでは王都はすぐに廃墟と化すでしょう。現に、スラム周辺の犯罪が激増しています。取り締まれる人手も、統治機関もないのです」
「そうでしょうね……」
ミスレイはため息を吐きながら同意した。
「それで、冒険者ギルドに何をお求めで?」
ミスレイは男を見据える。
「わかっているでしょう? 冒険者ギルドの設立理念は常識です。もっとも、最近は知られていないようですが……」
男は目をそらさずに続けた。
「王剣は居なくなりました。王権もです。『現世界人による魔獣対策、王剣の全面廃止』……冒険者ギルドの設立理念が達成できるチャンスですよ」
男はにやり、と口元をゆがめた。
この男はエントランスホールでうずくまっていた冒険者達を見なかったのだろうか?
もうこのギルドには王都をどうこうする力など残ってはいない。
捨て駒か。ミスレイは内心で呟いた。
矢面に立てて、必要なくなったら斬り捨てるのだろう。
ふいに、ミスレイはソファから立ち上がって窓に寄った。
明るい月が夜を照らしている。
「……その話はレスターが帰って来てからにしましょう」
ミスレイは応接室のソファに身を任せている男に言った。
見上げた月はどこか不吉であった。
「ええ、彼も無関係ではありませんからね……」
男は何度も頷くとにやりとした笑みのままミスレイを眺めていた。
彼の頭の中にはその財力で王都を支配する計画が進行しているのだろうか。
ああ、しかし、どうなることか。
この場には今、恐るべき王剣が向かっているのだ……。