月下の憩い1
グランド王国王都の北には森がある。
魔獣さえ出なければ、林業はもちろん、キノコや木の実の豊富なこの森に入る人間は多かった。
王都で魔獣を斬り伏せたミツルギはそのまま王都を出、北の森に入っていた。
もう日も落ちようという時、ミツルギは、『空間把握』魔法に誰かが引っかかったことに気がついた。
害意を探っていた『察知』を掻い潜っているということは、害意は持っていない。
「誰だ……」
ミツルギは正確に相手の居場所に向かって声を掛けた。
こちらには知り合いなど独りも居ない。
相手の意図を測りたかったのだ。
世界への復讐に燃えながら、誰彼かまわず斬りかかることを躊躇している。
木々の陰からゆっくりと男が姿を現した。
その姿は筋骨隆々である。
レスターだ。
ミツルギは記憶を探ると、どこであった相手かすぐに思い出した。
レスターはそっと腰の剣に手を伸ばすと、そのまま鞘ごと外し、地面に置いた。
「敵意はねぇよ」
そういって地面にどかりと座った。
「この前の礼をしに来ただけだ」
レスターからはいつもの粗野な雰囲気がない。
「そんな筋合いはない……俺はただ壊しただけだ……お前も……」
ミツルギは呟きながら、小さく震える。
心の奥でこの男を斬れと叫んでいる声がする。
不意に、レスターは銀色の腕輪を取り出した。
それをミツルギに放る。
ミツルギは回避した。
「偽装の魔具だ。姿はあんまり変えられねぇが、色くらいはごまかせる」
レスターはそう言って、地面に落ちた腕輪を指差した。
ミツルギは目を細めた。
「罠じゃねぇよ。俺のことはレスターと呼べ」
レスターの情報が鑑定された。『メイを名乗れ』魔法だ。王城でミズノを斬ったとき、流れ込んできたものだ。
「……ミツルギ」
ミツルギは油断なくレスターを見ているが、名乗った。
日本人的感性か、名乗られたら自然と名乗り返している。
「憎いか……?」
レスターがミツルギの目を見ながら言った。
ミツルギの瞳にあった憎悪を見抜いたのだろうか。
「憎いだろうな。お前に何があったのかは、俺にはわからねぇ……だが、憎しみで動いているやつは分かる」
レスターはまっすぐにミツルギを見る。
ミツルギは後ずさった。
「何しに来た……」
ミツルギは既に右手を刀に掛けている。一秒も掛けず、レスターを斬れる。
レスターは動じなかった。
「言ったろ。礼をしに来た」
奇妙な沈黙が二人の間に漂った。
沈黙を破ったのはレスターだ。
「あのときは助かった。もう少しであいつを死なせるところだった」
そういって頭を下げた。
あいつ、といわれて、ミツルギの脳裏に、一人の女が写る。
レスターと出会ったとき、彼の前で魔獣に殺され掛かっていた女だ。
「……恋人か?」
ミツルギは気付けば問いかけていた。
もう右手も刀から離れている。
「いや、そんなんじゃねぇ……恩人さ」
レスターは答えた。
ミツルギから視線を外し、空を見ている。既に日は沈み、月が昇りつつあった。
明るい月明かりが二人を照らしている。
「俺は復讐に燃えていた」
レスターは語りだした。
「ミスレイ、あいつに出会わなければ、俺は冒険者なんぞやっていなかっただろうな……」
レスターはどこか懐かしむように、ミツルギを見た。
「まぁ、その話はいい。とりあえず飯だ」
レスターは背負っていた袋を下ろすと、中からおにぎりを取り出してミツルギに放った。
ミツルギは今度は受け取った。
「おにぎり……」
異世界に来てから何も食べていない。空腹さえ復讐心に変わっていたことに、ミツルギは気がついた。
レスターを殺したい衝動に駆られながら、異世界でみた故郷の料理に惹かれている。
不思議な気分だった。
ミツルギはおにぎりをほおばっているレスターを眺めた。
レスターはミツルギの方を見ていない。
隙だらけだった。
今斬れば簡単に殺せる。
しかし、レスターはまったく構うことなく次のおにぎりを取り出した。
まったく警戒していない。いや、危険を承知であえて無防備を晒している。
「何を考えている……?」
ミツルギはたずねた。人間、無防備に構えられるとかえって手が出せなくなるものだ。
ということは、おお、ミツルギはまだ人間だったのだ!
「飯を食うときは何も考えねぇ」
レスターはミツルギを見てそう言った。
おかしな男だ、とミツルギは思った。
手元のおにぎりを見下ろす。
罠かもしれない。このおにぎりに毒があるのかもしれない。
だが、ミツルギには『銀の食器』魔法によって毒が効かない。
本当に怖れているのは毒ではないのだ。
一口かじった。
故郷の味だ。
これだけは得意なんだから、と胸を張っていた彼女の姿が思い起こされた。
「どうだ、こいつはなかなかいけるだろ」
レスターが言った
「塩を掛けすぎだ……」
ミツルギの声は震えていた。