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自分の名前を正しく呼ばせようとしているアレフの真後ろから、大きな影がふっと現れるが本人は気がついていない。


「目をさましたんですか。それなら丁度良い。」


「っわぁ?!」


奇妙な渾名(あだな)を付けられて、ご立腹なアレフの真後ろから洗濯をしてきたのであろう、セイがのっそりと現れた。

驚きの余り声にならない悲鳴をあげるアレフを綺麗に無視したセイは、姉へ声を掛けた。


「姉さん、引き取る事にしたんでしょう。子供の衣類はどうします?」

「こんなに細っこいからねえ、私がちょっと古着で身繕ってやるにしてもねえ。」


流石に現代で着物を着ている子供等珍しく、目立つ事この上ない事くらい彼女達にも判る。


「ああ、でも下帯だけは作ってやった方がいいかね。男児とはいえ、必要だろうしねぇ。」

「ちょっと、姉さん……何を言い出すんですか、今時褌なんて締めませんよ!?自分のいた頃じゃあるまいし。もっと着脱楽な下着があるでしょう。お金下さい、自分が買ってきますから。」


下着事情が大分昔から進歩していない姉に、セイは頭が痛くなる思いだった。

流石に今から300年以上前に生を受けただけはあり、身に付ける物は自分で作ることが常識であるサキ。対して文明開化を過ぎ、モガ・モボ(モダンガール・モダンボーイ)なるものが流行した時代を経たセイ。セイもかなり現代社会でも時代遅れな観があるのを自覚しているが、彼女よりは大分マシである。

それはサキも解っているのか、大人しく財布の入った巾着をセイに手渡した。


「全く、なんでも買って済んじまうなんて……。時代も変わっちまったもんだ。」

「目立つのを避けるなら、時代の波に上手く乗らないと。お願いします、外見を裏切るような言動は避けてください。」


胃が痛くなる……と、渋面しつつ巾着を受け取り玄関へと急ぐ。現在の時間は18時、この辺りの店は19時半には閉まってしまうため、急がないと子供達の衣服が褌と女用の衣になってしまう。流石に子供嫌いを自負しているとはいえ、可哀想になったセイは、足早に店へと出掛けた。

蚊帳の外で会話に入れなかったアレフだったが、判らないなりに今の会話に違和感を覚えた。

それはまるで、長い期間を生き続けている老人のような表現。しかし目の前にいる2人はそんな年には見えず、自分で「おばさん」と表現したが「お姉さん」といってもおかしくない程度の外見。

目の前でマークを抱えてあやしながら、土鍋を片付ける彼女を見てアレフは首を傾げた。しかし本人に尋ねることはしない。何となくだが、聞いてはいけないことのような気がしたのだ。


「さて、ある坊や。まだお前さん、腹が満たされてないだろう?スイカか何か切ってやろうね。」


やっと寝付いたのか、マークを先ほどの布団に寝かしつけてから、たらいを持ち上げて土間へと消えたサキ。

今まで自分がいた「家」という概念からしても奇妙なその家に興味が沸いたアレフは、彼女の後ろを付いて歩いた。

草を編みこんでいる床に、板張りの床。天井は高く、壁は薄い紙がガラスの替わりに貼り付けてある。見れば見るほど奇妙な家。

アレフの常識で考えると家の中は石畳が普通だし、裸足で家の中を歩くことすらあり得ないことだった。

彼女が消えた方向へ行くと、家の中だというのに土が剥き出しになっていて、丸い暖炉のような、ものが備え付けてあった。


「竈を見るのは初めてかい?」

「かまど?これが?」

「そう。これで火を熾して煮炊きするのさ。まあ、今じゃ珍しいかもしれないねぇ。私ゃ、竈のほうがやり易いが。」


そう言いながらスイカを切り分けると、1切れを土間に降りる為の段差に座り込んだアレフへ差し出す。

井戸水で程よく冷やされたそれを、もう疑うことを止めたのか素直に受け取って種を気にせず噛り付けば、果肉から甘い汁が口の中に広がる。

今更ながら喉が乾いていたと気がついたアレフが夢中で食べていると、サキが気が付いたように子供に振り返って言った。


「食べるのはいいけど、種は出しな。そんな形だ、胃腸だって弱ってるだろうからね。腹壊すよ。」


小皿に種を出すようにと渡せば、今度はおとなしく種を出しながら食べ始める。

その様子に、子供は好きなだけ食べてたっぷり寝て遊ぶのが一番と、昨夜から砂抜きをしていた浅利の剥き身で味噌汁を作り始める。

ふつふつと煮える其処に、粗く刻んだ葱を入れて溶き卵を回せば、ぶっかけの準備は完了。

本来なら卵は入れないのだが、栄養が足りていない子供がいるために卵を追加したようだった。


「ある坊や、まだ食べられるかい?」

「くえる」

「腹いっぱいになったら、風呂に入って垢を落とさないとねぇ。明日からはあんたらにも動いてもらうからね。子供ってぇのはよく食べてよく寝てよく動くに限る。」


深めのどんぶりにご飯を敷き詰めて上から浅利を汁ごと掛けまわし、レンゲと一緒に渡してやる。

暫く味噌の香りが珍しいのかアレフは警戒心丸出しにした猫のように匂いを嗅いでいたが、恐る恐る一口食べだすと止まらない。あっという間に平らげてしまう。其処に先ほどより少ない量で同じように用意してやればそれもぺろり。

育ち盛りの子供であるアレフの衰えることのない食欲に、サキは眼を細めて微笑んだ。


「一気に食ったら腹がびっくりしちまうよ、その辺でよしときな。また腹が減ったら食べりゃいいさ。食い物は逃げやしないんだから。」


カラカラと笑いながらどんぶりを片付けて、風呂に火を入れるべく、風呂用の竈の前に腰を下ろす。この季節は水風呂が多いのだが、子供には良くはないだろうし、熱くしなくてもぬるま湯でなければ垢は落ちまい。

薪を中に入れて、竈から持ってきた火種を放り込めば火が爆ぜる音が聞こえる。

本当はまだ食べられるような気がしていたアレフも、それを眺めているうちに腹が満たされたせいなのか眠気が襲ってくる。

うとうとと幼い頭が船をこぎ始めた頃、またしてもアレフの後ろから白い何かが現れて、その首根っこを捕まえ引っ張ってきた。


「わぁ?!」

「あえふ!!」

「おや、ジャン…と坊や。坊やは起きちまったみたいだねぇ?」


驚いたアレフが振り返れば其処には、先ほどの大きい犬。ふさふさとした尻尾がうれしげに揺れていて、その背中にはマークが乗っていた。

その顔はジャンの背中に乗っているせいか、とても楽しげで。足元には若菜さんも一緒にこちらを眺めていた。

アレフもジャンにいつの間にか懐いてしまったのか、くわえられた襟首を正す。そしてジャンの首元に抱き付き、少々硬いながらも白く柔らかな毛並に顔を埋める。

超大型犬に分類される犬種故か、子供を二人ぶら下げたままでも、その体躯が揺らぐ事はない。

そうして湯を沸かしながらじゃれ合う子供達を眺めていれば、その向こう側からセイが帰宅したのが見えた。


「お帰り。いい塩梅に買えたかい?」

「ええ。丁度入れ替え時だったらしく、良い買い物が出来ましたよ。」


丁度湯も沸いた事だしと、子供達を風呂に入れようとした所でちょっとした騒動が起きた。


「いやだ!おばさんと、はいりたくねえっ!」

「おばさんとは何だ。この餓鬼。」


サキが纏めて子供達を風呂に入れようとするのを、アレフが拒んだまでは良かった。しかしサキに対する呼称がセイの燗に障ったようだった。

それを聞いたセイがアレフに拳骨をお見舞いした挙句、自分が入れると引き摺って行ったのだ。勿論マークはサキにベッタリなので異論などない。


「いいか。姉さんをそんな風に呼ぶんじゃない。ちゃんと梅吉姐さんとよべ。」

「うめきちねえさん?」

「そうだ。例え血の繋がりが無くとも、自分の保護者たる相手へは、必ず敬意を持って接しろ。暴言を吐くな。子供だろうと年寄りであろうと驕ることなく、礼節を持って接しろ。それが此処で暮らす上での規律だ。」

「けーい……?」

「相手を尊敬しろってことだ。守れないなら、自分がこうやって拳骨を落とすから、その心算でいろ。自分は常識や礼儀のなっていない子供が何より嫌いだ。」


元々セイは刀鍛治など継ぐ心算もなく、近くの道場で寝泊まりをしていた。上下関係や礼節に重きを置く道場であった為か、セイは殊更そういった事に厳しかった。現在では肉体の性別を違えてしまったとはいえ、鍛練は変わらず続けていたし、鍛え上げられた体躯は現代でも珍しく180センチ近くもある。相貌も端正といえば聞こえは良いが、鋭い目付きのせいでそれも霞んでしまう。

その為女性には見えないし、本来の性別である男性と認識される事が常であった。

勿論本人はどちらであっても、「本質」は変わらないとして意に介さない。こんな言い方をされて、アレフはすっかり「セイは男である。」と認識してしまったのが、それも風呂場で覆された。


「……にいちゃん…?…え?」

「…………気にするな。」


有るはずのものが無いと認識するなり、アレフは驚いてしまったのだが、セイは「気にするな」の一言で終わらせた。

今まで理不尽な環境で生きてきたアレフも、なんとなく「これもきいちゃいけないことなんだ」と無理矢理納得してしまった。

余談だが、セイの存在が、アレフの中で女性というものは怖い生き物であるという、ある種のトラウマを植え付けていた。その為かその後の彼の未来において、女性の尻に敷かれてしまうようになるのだが…それ以上に女性を大切にするようになった。


その後、サキがマークを抱えて入浴をしたのだが、その時にマークが言い放った問題発言に、遠い未来に彼女等が呆れながら爆笑することになる。

さて、ぬるま湯を使いながら丁寧に洗いこまれ、すっかり垢を落とした子供達は、縁側で水分補給にとスイカを食べていた。

種をどちらが遠くまで飛ばせるか等と、遊んでいる辺り微笑ましい限りだ。

その横で、子供達を寝かせる為に蚊帳の準備をするサキ。初めて見る蚊帳に遊んでいた子供達も、興味深げに眺めていた。


「ねーちゃ!こえなに?」

「あみなんかぶらさげて、なにするんだ?」


「姐さん」と、まだちゃんと発音できないマークは「ねーちゃ」と呼ぶことにしたらしく、垂れ下がる蚊帳を触っては握ったり引っ張ってみたりしていた。


「これかい?坊や達が寝ている間に、虫が悪さしないようにしてんのさ。この中で寝てれば、そういった悪さする虫は入ってこれやしないからねぇ。」


現代社会において蚊帳を使う家など珍しい事この上ないのだが、古き良き時代のまま暮らす彼女達しかしらない彼等にわかる筈もない。


子供用甚平を着せられた二人を布団へ寝かせると、ペット達もその足元で丸くなり、寝る体勢に入る。

明かりを消せば、開け放たれた障子戸から入ってくる月明かりが寝室を柔らかく照らした。


隣で子守歌を聞きながら眠ってしまったマークの体温は温かく、時折部屋にそよぐ夜風は寒くなくて丁度良いせいか、アレフはうつらうつらとしながら一日を振り返っていた。


初めてが沢山あった1日。見たこと無い場所で、不可思議な人たちに拾われた。


元々、孤児であったアレフとマークは孤児院にいたものの、奴隷商人へと売られてしまい、その馬車の中で出逢った。


そんな折りある災害に見舞われて、海へと投げ出された二人は、彼女たちと出逢ったのだった。


ぶら下げられた網は「かや」と言って、マークや自分を悪い虫から守ってくれると教わった。

足元には大きな犬や猫も一緒だから、悪いやつが来てもきっと大丈夫だと思えた。


(あんなにおっきいから、きっとジャンが、あたまからわるいやつをぱくりってたべちゃうんだ。)


生まれて始めてお腹いっぱいになるまでご飯も食べたし、珍しい甘いスイカという果物も貰えた。



(それに、まーくがおもいっきり、だきついて、あまえても、あきれてたけどわらってゆるしてくれた。)


川の水のように冷たい水ではなく、温かいお湯で身体も洗って貰って気持ち良いし、パジャマも見たこと無いものだけど新しい物。


初めて布団というものに横になったなら、木岳のベッドと毛布だけの一条とは違い、ふかふかで日向の匂いがした。


時おり落とされる拳骨はとても恐ろしいものの、ちゃんと怒る理由を言ってくれる人ができたことにアレフは、口元を緩める。もちろん起こられたり暴力を振るわれるのは、痛いし怖いから嫌なのだが、それはあくまでアレフが悪いことをしたときのみで……それでも頭を撫でてくれた手は暖かく、兄さんと言うのはこういうヒとを言うのだろうかと漠然に思った。


(ごはんたべさせてくれて、こどもはたくさんたべて、あそんでねるのがいいんだと、ほんとはおばあちゃんなのかとおもうくらいふしぎなおばさん……

あ……おばさんっていうと…にいちゃんが…おこる、から……ちゃん、と……うめきちねえさんって……よばない…と…)


今日起こった事、思った事を反芻しながら、アレフは襲ってくる睡魔に抗えず、いつの間にか寝息を立てていた。

それでも、互いの手をしっかり握って眠る子供達の姿に、子守唄を歌いながらサキは静かに微笑み見守っていた。



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