村人A、精霊の御子になる
色々考えながら書くとやはり遅くなってしまいますね。
最近は忙しくもあり、遅筆気味なのが心苦しい。
ゼルファーの覚醒と共にすっかり健康になったアシュレー。既に半年ほどが経過していた。
村では収穫も間近となり、忙しない毎日が続いている。元気になったアシュレーも当然、大事な人手として毎日、畑に駆り出されている。荷車に収穫した麦を載せガラガラと引いていく。
「はぁ、疲れた。やってもやっても終わらないよぉ! ゼルファー、手伝ってよぉ!」
『うむ。残念ながら我には肉体がない故に、手伝うことなど出来ぬ。なので応援はしてやろう。頑張るが良い』
「魔王のくせに、役立たずだなぁ。もういいよ」
ブツブツと内心に文句を言いながらアシュレーは貯蔵庫へと荷車を向かわせた。
複数ある丘の上の貯蔵庫は、去年まではそのどれもが満杯になっていたものだが、今年はいささか空きがあった。
全ての麦を貯蔵庫へと収め、アシュレーは村を見下ろす。穂の成りがいささか悪いという話を聞いてはいたが、こうしてみるとはっきりと分かる。金色の絨毯の色が薄いのだ。
「あの辺、トッタ―さんの畑だ。あっちはハットルさんの。本当に実りが悪いみたいだ」
『ふむ。手が空いているならすまんが、あの辺りまで降りてくれるか?』
「いいけど……どうするの?」
『なに。役立たずと言われては癪なのでな。我にも出来る事があるやも知れぬ』
「……?」
ゼルファーの意図が分からなかったが、アシュレーはとりあえず言われた通りに降りてみることにした。
トッターの畑はアシュレーの家の畑とは反対方向にあり、余り来ることがない。なのでこうして近付いてみて初めて、アシュレーにも事の深刻さを理解できた。成りの薄さもそうだが、それ以上に穂が小さいのだ。
畑で穂の様子を見ている中年男性に気付き、アシュレーは声を掛けた。
「こんにちわ、トッタ―さん」
「おう、アシュレー坊か。手伝いサボってきたのか?」
「サボってないですよ。それより……随分と麦、小さいですね」
「――あぁ。去年よりもヒドイ。肥料も変えたりしたんだがなぁ……どうにもな」
トッターは二十年以上もの間、この土地で作物を育てている。年季も経験もアシュレーの両親とは比べ物にならない。そんなトッターですら、この状況はお手上げのようだ。
「これがもし来年も続くようなら……色々と考えんとな」
色々というのは土の総入れ替えなど、派手にテコ入れをするということだろうか。畑の土を入れ替えることは珍しいことではない。森の豊かな土を混ぜることで肥料の代わりにするのだ。
だが、土の総入れ替えともなれば話は別だ。手間も費用もべらぼうに掛かる。決して裕福とはいえない農家に、これは死活問題だ。
といっても、このまま手をこまねいている訳にも行かない。収穫期が終われば冬が来る。そうなれば土の入れ替えも容易には出来なくなるだろう。
(ゼルファー。何とか出来ない? 魔王なんでしょ?)
『ふむ……これは恐らく、土のマナが滞りを見せているせいだろう。アストラル・サイドを視てみよ』
ゼルファーの言葉が聞こえると、アシュレーの視界が何かを外されたかのようにクリアになった。その中に見える、無数の光。マナ、そして精霊の光だ。
「うわぁ……。すごい数だ」
マナの光は波打つように流れ、風と共に循環している。だが、その中にどうにも不自然な密度の違いがある。
『ここは不思議とマナの安定している場所だが……しかし、このところ、乱れが見え始めているようだな。恐らくは、その乱れの影響だろう』
密度の違い。それがマナの乱れということだろうと、アシュレーは無意識の内に理解できた。
『ねぇ。この乱れって……どうにか出来る?』
『さて、どうだろうな。見えるからといって、出来るとは限らん。これは我ではなく、お前の資質の問題だ』
『僕の資質?』
『道筋は我が創ってやろう。そこから先はお前次第だ。行くぞ』
「……っ」
ゼルファーの言葉にアシュレーは瞳を閉じた。そして意識を、マナの流れの方へと向ける。
「アシュレー坊……どうした?」
トッターはいきなり目を閉じたアシュレーを訝しんだ。だが、アシュレーは当然、それに気付かず、両手をスッと持ち上げた。
『そのまま意識を、マナの滞りの場所へ飛ばす』
『飛ばす……飛ばす……』
『頭で考えるな。自分ごと飛んで行くイメージだ』
『自分ごと……飛ぶ』
深く息を吐く。闇の世界にうっすらと光が見えてくる。それはやがて源流となり、大河となった。
物質の向こう。純粋なエネルギーの奔流を垣間見て、アシュレーは「はぁ」と溜め息を吐いた。
そしてその中をゆっくりと飛んだ。見えるのは流れの中で乱れている場所。そこを目指して。
『これが……滞り? まるで糸玉がこんがらがったみたいだ。これを解けば良いのかな?』
アシュレーは其処に触れ、ゆっくりと指を動かした。
一方、外ではアシュレーが微動だにしないので、トッターが肩を揺すったりしていた。だが、一切反応を返さないので、これはどうしたものかと考えていると、そこに通りかかったオババに気付いた。
「おーい、オババ! ちょっと来てくれー!」
「何台、やぶからぼうに。それと人の事、オババって呼ぶんじゃないよ。お前らが呼ぶせいで、子ども達までそう呼ぶようになっちゃったじゃないか」
「いや、それどころじゃないんだって。アシュレー坊がおかしんだ。いいから来てくれ!」
トッタ―の様子に、オババは何事かとやって来た。だが、直ぐに顔色を変えた。
「これは……まさか? アシュレー、アンタ何をやって……!?」
と、言葉はここで止まった。何の前触れもなく突然、突風が吹いた。その風は只の風ではない。触れる肌に、吸い込んだ鼻腔に、何かしらの力を嫌でも覚えさせる不可思議さを宿していた。
「オババ……これは何だ!?」
「マナの風……! アシュレー! ……アシュレーッ!!」
「っ……!?」
オババが声を荒らげて叫ぶと、ビクッと肩を震わせてアシュレーは振り返った。
「あ、あれ……? どうかしたの……?」
そうしてようやく、アシュレーは周りの異変に気付いた。皆の自分を見る視線。まるで得体の知れない物でも見るかのような、困惑と恐怖の色に染まった視線だ。
「アシュレー。アンタ今、何をしたんだい?」
「いや、その……なんだろう?」
オババの言葉に、アシュレーは言葉を濁す。まさか、魔王に言われるままにやったとは言えない。かといって、今のをどう誤魔化しながら説明すれば良いのか、アシュレーには分からない。
そうして言い淀んでいると、オババが神妙な面持ちで口を開いた。
「アシュレー。アンタもしかして……”見えている”んじゃないのかい?」
「え?」
「精霊様だよ。見えてるんじゃないのかい?」
再度、オババが問う。だが、アシュレーはどう答えていいか分からず、ただオロオロとするばかりだ。
『ぜ、ゼルファー! どうしたら良いの!?』
『ふむ……人間の中にはマナを感じ取る力が強かったり、精霊を見たり出来るものもいる。そう身構えず、聞かれたことだけに答えれば良いだろう』
『う、うん』
ゼルファーからのアドバイスを受けて、何とか答えようとアシュレーは緊張の息を呑んだ。
「っ……見える……と思うけど……これが精霊なのかとか……そういうのは全然わかんない。ただ、何となく、そう感じただけで」
途切れ途切れながら、何とかアシュレーは答えた。するとオババは何やら神妙な面持ちで、思案するように首をひねった。
「う~む……アシュレー。それが見えるようになったのはいつ頃からじゃ?」
「半年前ぐらい。最後に高熱を出した後から……だけど?」
「なるほど。……アシュレー。あとで家に行くと、二人に伝えといておくれ。アタシは村長のところに行ってくる」
そう言うなり、オババは返事も聞かず、踵を返して行ってしまった。その際に声を掛けられたトッターも、オババの後に続いて去っていった。
「……これ、どうなっちゃうの?」
『さて、な』
残されたアシュレーは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
「精霊の御子……? アシュレーが?」
その夜。アンネとドルゥはオババから昼間の話を聞いた。そしてオババが言い放った一言に驚きと困惑の色を隠せないでいた。
「あぁ。恐らくは今までの体調不良もそれが原因だろう。御子としての才が大きいせいでマナの影響を受け過ぎ、体に異常をきたす。何度か耳にしたことがある」
「オババ。精霊の御子って何?」
「ん? そうか。アシュレーは知らなんだか。精霊の御子とは――」
精霊の御子。
それは数多在る精霊と言葉を交わし、意志を通じ合わせ、マナの流れを御する力を有する者。その総称である。
御子となる素養を持つ者は、その頂に精霊王が棲んでいるとされる〈霊峰ヴェラヌス〉の麓に構えられた精霊教団統括地――〈精霊山〉で修業をする。
そこで精霊と深く結びつき、精霊の力を使役する〈精霊魔導師〉やマナの流れを正す〈精霊方士〉となる。
「御子の素養そのものは珍しいものの、そこまで少なくない。じゃが、アシュレーのように、修行もなしにマナを正する程の素養となればそれこそ、精霊王にお仕えする司教様ぐらいであろうよ」
「「………」」
司教という名を聞き、アンネとドルゥは驚きを超えて放心状態だ。
「ふーん」
だが、それが『凄い偉い人なんだろうな』程度の認識しか出来ず、ついでに言えば、期待してたほど面白い話でもなかったので、アシュレーは適当に返事をした。
そんなアシュレーを怒ることもせず、オババは続けた。
「精霊の御子といっても、そこまで気負うこともない。修行も本人の意志に拠るから、無理やり連れて行かれたりもせんよ。ただ、精霊山の所属となれば、その家族には一定の保証が約束されるから、貧しい家から出されることも多いというがね」
「それって、家族と離れ離れになっちゃうんじゃない? そんなのヒドくない?」
「まぁ、そうとも言えるかもしれんがね。実際、〈精霊山〉に入ればちゃんとした教育が受けられるし、所属している間は家族に一定の保証も約束される。試験に合格して方士や精霊魔導師になれれば、食い扶持に困ることはまず無いからねぇ」
と、オババは少し冷めたガバ茶をすすった。
精霊方士は各地のマナの流れを正す以外に、村や町の催事に呼ばれる事が多い。一種の神官職だ。
精霊魔導師ともなればその数は少なく、殆どが国お抱えか精霊山直属となる。
過去の戦傷未だ癒え切らぬ中、強力な力を誇る精霊魔導師は喉から手が出るほど欲しい人材なのだ。
国お抱えとなればその待遇も破格で、とある貧しい村から一人の精霊魔導師が輩出されるや、その村はその魔導師の給金だけで、貧困を脱したなどという逸話も在るぐらいだ。
二つに共通するのは国を超えての身分の保証だ。方士や精霊魔導師を騙る事は重罪で、即刻牢屋入りの上、まず極刑は免れない。それ故、身の証として方士、精霊魔導師はこれ以上ない物となる。
また、方士や魔導師になれずとも教師や事務員など、一定の知識を必要とする職にも就ける。これも、精霊山に行く人が多い理由でも在る。
「……ところで、オババ。なんでそんなに詳しいの?」
と、アシュレーは気になっていたことを聞いてみた。いくらオババが生き字引であろうと、ここまで色々知っているものだろうか。
アシュレーに聞かれたオババは懐に手を突っ込み、一枚のプレートを取り出す。アシュレーの小さな手にもぴったり収まる程度の大きさだ。それは金属製で、表面には不思議な文字が刻まれてある。
「アタシぁ、こう見えてもね精霊方士なんだよ」
「そうなの?」
「とはいえ、ランクは低いがね。これが精霊山で資格を得た証で、ここに書いてあるのが精霊山認可を認める印さ。こいつの素材は精霊銀で、これにマナで特殊な加工を掛けてあるのよ」
『ほう、精霊銀か。人工物のようだが、この程度の大きさならそれなりの値が付くだろうな』
その素材は精霊銀。もしくはミスリルと呼ばれる希少金属。エルフが住まう地――マナの濃度が濃い銀山にてのみ採取され、高い魔法媒体力を持つ。
精霊山で人工精霊銀が製造されている為、天然物の価格は多少落ちているものの、それでも希少であるが故に高価で取引がされている。
なお、天然精霊銀を〈ナル・ミスリル〉。人工精霊銀を〈アーテ・ミスリル〉という。
「こういうのって盗まれたりしないの?」
それなりの値が付く。というゼルファーの言葉に、アシュレーはふと思ったことを口にしていた。
「あはは! これを盗んで売りさばこうものなら、売った奴も買った奴も一纏めで極刑だよ。これは、そういうものなんだから。それにほれ、アタシが持った時にしか反応せんから盗品はすぐに分かる」
アシュレーから認可証を受け取ると、オババはマナを巡らせた。するとボワっと文字が淡い光をたたえた。
「ホントだ……文字が光った」
この認可証は所有者権限を備えており、権限を持たない者が持てば、一切の反応を示さない作りになっている。
つまり、認可証が本物か。そして持ち主が本人かは直ぐに判別が聞くようになっているのだ。
その上で、身分の詐称と共にこの〈精霊山認可証〉の売買は重罪となっている。
「……あの、オババ? アシュレーのことはすぐに決めないとダメ?」
アンネが恐る恐る尋ねる。彼女にとって、アシュレーと離ればなれになるというのはどうにも耐えられない事だった。
今まではすぐに体調を崩してばかりだった。やっとそれが治まってくて、家族の時間をやっと過ごせるようになったのだ。それがまた無くなってしまうなど、考えられないことだった。
勿論、アシュレーの未来を考えるなら、精霊山に行かせた方が良い。田舎の農家と較べても、教育を受けられるという面だけでも待遇は天地の差だ。
戸惑いを見せるアンネに、オババは首を振った。
「いいや、急いで結論を出す必要はないさ。まぁ、何にしても決めるのはアンタたちだ。よく話し合って、それから決めな。じゃ、話はこれまでだ。おやすみ」
オババは軽く手を振って家から出て行った。バタンと閉じられた音が、異様に室内に響いた。
「「………」」
アンネとドルゥは顔を見合わせた。そして、その視線がアシュレーに向いた。アシュレーは思わず、背を正してしまう。
「取り敢えず、今夜はもう寝ましょう。いま考えても、きっと冷静に考えられないと思うし」
「そうだな。アシュレー、お前も今日な寝なさい。明日も収穫が在るんだからな」
「はーい。それじゃ、おやすみなさーい」
アシュレーは小走りにベッドのある部屋へと向かった。残った二人はすっかり冷め切ったお茶を飲みながら、ふと零す。
「アシュレー、余り気にしていない風だったな」
「そうね。でも、分からないだけなんじゃないかしら?」
妙に冷静だったアシュレーに少しだけ違和感を覚えたが、それもすぐに消えた。
「……ねぇ、ゼルファー。精霊の御子ってそんなに珍しいのかな?」
ベッドに入ったアシュレーはゼルファーに尋ねた。
『さっきの人間も言っていたが、御子自体は数はそこそこにいる。だが、精霊魔導師となれるだけの素量となれば話は別だ』
「やっぱり、精霊山って所に行かないといけないのかな?」
『正直、行くべきではないな』
「何で?」
『お前は御子ではない。お前がアストラル・サイドを見、干渉できるのは我の存在があるからだ。精霊山に行けば否応なくそれがバレる。それは精霊王の存在が原因だ』
「どういうこと?」
『大戦の頃、精霊王を引きずり出してやろうと霊峰を攻めたことがあってな。だが、あやつの結界は魔族と相性が悪いからか、どうにも攻めあぐねてなぁ。まぁ、その辺りの事情もあるから、我が宿っている状態では霊峰はおろか、精霊山にも入れんだろう。仮に入れたとしても、精霊王が我を見逃そう筈もない。きっと、すぐに刺客が送り込まれるだろう』
「うわぁ……」
精霊王の刺客。きっととんでもない大軍勢か、とんでもない化け物が来るのだろうと想像し、体がブルっと震えた。
『まぁ、行かなければ精霊王も人畜無害よ。心配は要らぬ』
「するよ心配。命がかかってるんだよ?」
軽く言うゼルファーにふくれっ面で文句を返す。そもそもゼルファーが宿っているのも、自分の意志ではない。なのに命を狙われるなんて理不尽、納得出来る筈もない。
「そういえば、精霊王ってどんな人なの?」
『ふむ……精霊王か。どう説明すればいいか……』
アシュレーが何となく尋ねると、ゼルファーはしばし考える素振りを見せた。
『そうだな。まず……体躯がでかい。そして態度も輪をかけてでかい。最後に胸もでかい』
「胸? 精霊王って女の人なの?」
『見た目はな。精霊には基本、性別はない。というより自在だ。ただ、自分の気質に合った姿を取るのだ。精霊王の場合、それがたまたま女の姿だっただけだ』
「ふぅん。どっちにしても、行かなければいいんだよね? だったら、そんな危ないところ、行く気ないよ。怖いもん」
『それが懸命だ。では、そろそろ寝るぞ。明日も早いのだろう?』
「うん。――おやすみ」
アシュレーは深く一息吐いて、瞳を閉じた。世界が闇に染まろうとする中、一瞬だけ、精霊の光が見えた気がした。
◇ ◇ ◇
「………ん?」
頬を撫でる優しい風に、アシュレーは目を覚ました。目をこすりながら周りを見回せば、そこは見知らぬ場所。部屋で確かに寝ていた筈なのに、どうしてこんな処にいるのか、アシュレーは首を傾げた。
「ここ、どこだろう?」
体を起こして、自分が草むらに寝ていたことに気付く。空は雲一つ無い蒼穹。向こうには白い化粧を施した山脈。燦々と照る太陽はまばゆく、ぽかぽかとした熱が体をめぐる。
「ここは〈霊峰〉。人がそう呼ぶところだ、幼子よ」
「うわっ! ――てぇ!?」
いきなり後ろから声が掛けられ、アシュレーはビックリしてすっ転んでしまった。
「いてて……」
草まみれになった服をパタパタと払いながら、起き上がって振り向く。するとそこには一人の少女が立っていた。
見た目はアシュレーと同じぐらい。着ている服は細かな装飾の施された白いドレス。サイズが合っていないのか、随分と裾が余っている。
銀糸の如き髪は長く、足先近くまであるが、それが風もないのにフワフワと揺れている。
大きな切れ長の瞳は真っ直ぐにアシュレーを捉え、まるでこちらの動き全てを捉えるかのように揺るがない。
「フフフ。何を驚いておるか。それでも魔王の器か?」
「え?」
少女は瞳を細めてクツクツと嘲笑う。
「何を驚く? 魔王の力で我が領域に干渉をしておいて、わからぬとでも思うたか?」
「え? あの……君、誰?」
器。魔王の力。我が領域。アシュレーには殆ど理解できなかったが、一つだけ分かったことがある。それはこの場にいることが非常にマズイ、ということだ。
無意識に足が後ろに進む。目の前の少女が得体の知れない何かに見える。そもそも、家で寝ていた筈なのに、こんなひらけた場所にいることが変だ。
(ゼルファー! ……ゼルファー!!)
心の中で何度も呼ぶ。だが、返事は返ってこない。
「無駄だ。ここは主が夢の中。魔王を呼んでも届きはせぬ」
「えっ……!?」
まさか、心の声が聞こえた? そんな在り得ないことに動揺し、アシュレーは息を呑んだ。
「ここは主が夢。されど支配しているのは我。故に主が何をしようと聞くも知るも自在よ」
少女は口を弧月の如く歪める。が、すぐにそれは消えて、少女は眉をひそめる。
「――よもや、ここに来れようとは。ちと甘く見ていたか」
「甘く見てくれたお陰で、あっさり踏み込めたわ。詰めの緩きこと感謝しよう、精霊の王よ」
ドスン、と背中に何かが当たる。何かと振り返るとそこには壁がそびえていた。
いや、それは壁ではない。壁と見まごうほどの体躯の男であった。見たことのない顔。だが何故かアシュレーにはそれが誰であるのかが理解できた。
「ゼルファー!」
「うむ。お前が我を呼ばねば、もうしばらく時間がかかっていただろうな」
そう言って、ゼルファーはアシュレーの頭に大きな手を置いた。
「――さて、精霊王よ。噂をした途端の来訪……いかなる理由でここまで来たか、聞かせてもらおうか?」
「精霊王? この子が?」
ゼルファーの言葉に、アシュレーは改めて少女に視線を送る。確かに普通の少女とは違う、威圧感のようなものを感じていたが、まさか彼女が件の精霊王だなどとは思いもしなかった。なにより、ゼルファーの説明とは余りにも食い違いが多い。
「ゼルファー。色々大きくないよ?」
「ふうむ……随分と見た目が変わったな。何故、そんなチンチクリンなのだ?」
「どこかの誰かが好き勝手に暴れてくれたお陰で、アストラル・ラインが滅茶苦茶になっているのだ。それを直すのにだいぶ力を削いでしまった。とはいえ、無力同然の魔王を縊ることぐらいは容易いぞ?」
「ふん。我は確かに無力だが……お前とて変わらんだろう? アシュレーよ。こやつはこの場を支配しているなどとぬかしているが、それは違う。この世界はヤツの作った幻……ハリボテだ。それを使って自分が優位に立っているように見せかけているのだ。臆する必要はない」
「そ、そうなの?」
「あぁ。こいつはお前に害を与えられぬ。今も相当に無理をしている筈だからな」
ゼルファーが不敵に笑い、精霊王を見やる、アシュレーも視線を送れば、精霊王は尚、険しい顔を見せていた。
「……随分と口が回ることだ。講談師にでもなるつもりか?」
「ははは。図星を付かれて言うに困ったか?」
「――”黙れ”」
「ムグッ!?」
突然、ゼルファーが口をつぐんだ。本人は何故か口元をモゴモゴと動かしているが、開く気配はない。
「無力とて、口喧しい魔王を黙らせるぐらい造作も無い。――さて、幼子よ、汝に問わねばならぬ」
「な、なに……ですか?」
「まずは”近う寄れ”」
「うっ――!?」
くい、と精霊王が指を動かすと、アシュレーの体が強力な何かに引っ張られた。そのまま精霊王の眼前まで引き出される。
「っ……!」
目と鼻の先にして感じるその威圧に、アシュレーは息を詰まらせた。精霊王は囁くように言葉を発する。
「幼子よ。全てを”正直に発せよ”」
「は……はい」
自身の意志とは別に、口から言葉が溢れる。
「意図せずとはいえ、主は魔王の力を得た。それはこの世界において強大無比。何れは我や神にさえ匹敵するであろう。その力を以って……主は何を望む?」
精霊王の瞳が怪しい光を宿す。ゾクリと恐怖を感じたシュレーだったが、口だけが意志を離れて言葉を吐き出していく。
「のぞむ……あ、あ……!」
「あ………何だ?」
「明日の、収穫が楽になったらいいなぁとか、トッタ―さんの畑の実りが良くなったらいいな~って」
「………それ以外には?」
「ないよ」
「………」
きっぱりと言い切られ、精霊王は何とも言えない顔になった。
「あ、精霊王さん明日の収穫手伝ってよ! ゼルファーは実体ないから全然役立たずだし、でも精霊王さんは実体あるんでしょ!」
これは名案だと、目をキラキラさせながら精霊王に迫った。
「馬鹿な。何故、我がそのようなことをせねばならぬ。からかっておるのか?」
だが、精霊王はそれを一笑に伏した。”正直に発せよ”の言がある以上、それが本心であることを理解すれば尚更である。
「なんだよ、ケチ」
「なっ………!?」
アシュレーの思わぬ一言に、精霊王は呆気に取られた。王に対して収穫を手伝えと言ったかと思えばまさか、直ぐ様ケチ呼ばわりされるとは思いもよらなかった。
「ぷ……クク……アーッハッハッ!!」
ゼルファーは破顔した。これでもかと大口を開けて、涙まで浮かべての爆笑である。
「ククク……! よもや、精霊の王をケチ呼ばわりとはな! そんな人間など、長い年月を生きた我も初めて見たぞ。おい、精霊の王。どうだ、正しくケチを付けられた感想は?」
「我も驚いた。肝が座っているのか、それとも無知ゆえの愚行か……。ともあれ、よくよく考えれば我がゼルファーと同じにされるのは納得行かぬな。どれ、代わりに良い物をやろう」
そう言うと、精霊王は自身の親指を歯で軽く傷つけた。
「っ!? おい、精霊王! キサマ、まさか……!?」
「”黙っていろ、役立たず”」
「ムグッ!?」
「口を開けよ」
再び黙らされるゼルファー。精霊王はもう片方の手でアシュレーの顔を強引に上向かせ、更に顎を力尽くでこじ開けた。
「アガガ!?」
「これが我からの贈り物だ。ありがたく受け取るが良い」
そう言って指に滲んだ白に虹色を含んだ血のようなものをアシュレーの口に滴らせた。
でっかいけれど役立たず。
ちっちゃいけれど役立たず。
アシュレーの評価は酷評続きw