魔王、村人Aの中で目覚める。
全開がバトル全開だった反動か、今回はとてもほのぼの。
(くらい……クライ……昏い……何処だ、ここは? どれだけの時が流れた?)
光一つ無い世界。我が身の姿さえ見えない程の暗黒。いつから、そして何時までこうしているのか。決める権利の全てを、”それ”は持っていなかった。
永劫と思われた闇は唐突に終わりを迎えた。闇の向こうに見えた。光だ。強い。とても強い光だ。
(ヒカリ……光! あれは……何だ!?)
”それ”は手を伸ばしていた。そして光は闇を切り裂いて、世界を満たした。
(なんという偶然……! いや、これは神の皮肉か?)
”それ”は感嘆した。おのれという存在を受け止めて尚、そこにはそれ以外の魂が在った。人間の魂など、”それ”の前には塵芥にさえ満たないというのにだ。
(何であろうと構わん。ならば……ここで、我が力を戻るをゆるり待とうか)
”それ”――紅い石は、ただ静かに佇んでいた。
◇ ◇ ◇
大陸西端にヤムーク村という場所がある。三方を山と森に囲まれた広大な農地を持つ、田舎の村だ。
冬を超え雪が溶けて春となった今日、大地に種を蒔く。農村ならばどこでも見られる光景だ。
だが、ヤムーク村では少しばかり違う光景が見られた。
農作業が行われる筈の畑の前には簡素な祭壇が築かれ、その上には山や森から摘まれてきた季節の花で飾り付けられ、中央には磨き上げられた鏡がある。
村人たちが神妙な面持ちで祈る中、祭壇の前に白い装束を身に付けた八人ばかりの集団が進み出る。その背丈から全員子供のようだ。八人は祭壇を左右で挟むように分かれると、手にした棒を地面に立てて膝を折った。
そしてそこにもう一人、装束を纏った少年が進み出る。年の頃は10になったぐらい。手には先端に金属の輪をはめ込んだ杖。祭壇の前まで来ると、杖を空に振り上げた。
「天と地におわします精霊に願い奉ります。穏やかなる日と健やかなる大地の加護を以ちまして、畑に豊穣の実りをお与え下さい。空より降る雨が大地を潤し、枯れ落ちた葉が大地を満たし、穏やかなる風が雲を流し、天より陽の光が降り注ぎ、全ての命が大いなる輪の中を巡り、また大地に還りますよう、我が願いを聞き届け下さい」
少年は杖を返し、大きく横へと振るう。風がサァ、と吹き抜けて森の木々がザワザワと揺れる。
何の事はない当たり前の流れ。しかしそこには確かに、人の目には見えない何かの存在が強く在った。
(見える……精霊が。まるで、マナの流れの中で踊っているみたいだ)
『事実、そうなのだろう。精霊というのは兎角、自由なものだからな』
少年の頭に声がした。威厳と尊大さを有した力持つ響きに、少年は小さく頷いた。
「………我らの願い、しかと聞き届けられました。これにて豊穣祈願の儀を終わります。ありがとうございました」
振り返り、村人達に深く頭を下げる。村人達もそれに頭を下げて礼を返した。
「よーし、早速作業するぞ! これで今年も安泰だな!」
「ははは! 我が村の御子様々だな!」
思い思いを口にしながら、村人達は畑へと入っていく。これより種を蒔き、秋の収穫まで長い時間が始まるのだ。
「さぁて、僕らも着替えたら手伝いだ。がんばろう!」
少年は装束を脱いで畳みながら、小走りに駆ける。
『おぉ。頑張れ頑張れ。我には応援することしか出来ぬ故な。我の分までしっかりと働け』
「うっさいよ、ゼルファー」
少年は呆れ気味に、内なる存在――魔王ゼルファーに返した。
魔王ぜルファー。百年大戦と呼ばれた大戦争を引き起こした張本人。およそ50年前に勇者によって倒された者。絶命する間際に往生際悪く、聖女に呪いを掛け、その魂を穢した者だと伝えられている。
魔王自身、伝承に関しては『概ねその通りだ。だが、往生際悪くとはどういうことだ』と憤ってみせていた。
悪名高き魔王が何故、田舎に住まう少年の中に存在するのか。全ては10年ほど前に遡る。
◇ ◇ ◇
少年の母――アンネと父がまだ夫婦になっていない頃。アンネが山へと入った時の出来事だ。
「――あら、何かしら?」
畑仕事ばかりはで食うに困らずも、収入は足りない。と、彼女は狩りの獲物を求めて河原までやって来た。その時、川の中でキラリと光る物を見つけた。一体なんだろうかと、足が濡れるのも構わずに冷たい水の中へと入っていく。見失わないよう気をつけながら進み、そして川底の物を拾い上げた。
「これ、何かしら? 紅い……宝石?」
それは掌に収まるぐらいの石だった。深い紅の宝石。怪しい色気を醸し出す、不思議な石だった。
指で摘み上げ、空に掲げる。明度の低い紅の石が陽光を受けて緩やかに煌めいた。
「凄く綺麗。でも、どうしてこんな所に落ちているのかしら?」
彼女は辺りを見回してみた。ここは山の中でもそれなりに入った処で、街にも村にも繋がっていないから、とても宝石が落ちているような場所ではない。
そして川の上流に宝石の鉱脈など無いし、そもそもこれは原石ですら無い。
「もしかして、相当にヤバい物なのかしら?」
後、考えられる可能性は盗賊などが落とした盗品か。となれば、さっさと石を捨ててしまうべきだ。
「でも……なんて綺麗なのかしら」
まるで、この世の全ての赫を塗り固めて創られたかの様な石から、目が離せない。魂が、心が、その小さな鉱石に吸い込まれてしまいそうだ。
「………え?」
突然、石が煌めいた。それはさっきまでとは違う――石そのものが光っている。
「何!? なになに!? 何がどうなってるの!?」
動揺する彼女を置き去りにして、石は更に輝きを増す。その光が石を呑み込み、そして弾けた。
「ウソ! 石が体の中に……ああっ!」
光――石は腹へと飛び込んできた。その瞬間、体中に稲妻が奔る。そして、視界が真っ暗に染まった。
意識が戻った時、アンネは自宅のベッドで寝ていた。
「……あれ? 私、どうして?」
「お前、河原で倒れてたんだよ。で、急いで連れて戻って、オババの診察が終わったところだ」
「あ、ドルゥ。……そっか。いやぁ、ごめんね心配かけて?」
部屋の端に座る男――ドルゥに気付く。普段から表情を出さないその顔は、心配の色を浮かべていた。
「一体何があったんだ。丸一日、意識が戻らなかったんだぞ?」
「丸一日も? そっかぁ。せっかく仕掛けた罠、無駄になっちゃったかなぁ?」
「心配するのはそこか?」
「――おや、目が覚めたかい」
ドアが開き、小柄な老婆が入ってくる。手には小瓶。それをテーブルの上に置くと、老婆はアンネの額に触れた。
「ふむ……熱は出ておらんようじゃな。それで、体調はどうじゃ? ダルさや吐き気は無いかえ?」
「ないけど……ちょっとまだダルいかも」
「そうか。しばらくは安静にしておれ。腹の子にもふれるでな」
「うん………ん?」
今、何を言われた? とアンネは首を傾げた。ドルゥも僅かに目を見開いている。
「腹の子って……私に? 子供?」
「まさか、身に覚えがない。などと言うまいね? ドルゥ、あんたも男ならちゃんと責任は取るんだよ」
「あ、あぁ……うん」
呆けた様子の二人に、オババは「はぁ、やれやれ」と呆れながら部屋を出て行った。
部屋に残された二人は、何方からか顔を見合わせ、そして俯いた。二人共、耳まで真っ赤になっている。
「あぁ~、最悪だぁ~」
「何よ……私だって最悪よ」
「なんだよ。俺との子供が最悪だってのか?」
「そっちこそ、私が孕んだのが最悪だっていうの?」
「そんな訳ないだろう。ただ――」
「私だって……でも――」
「「オババが知ってるってことは、村中が知ってるって事が最悪!」」
この日から一ヶ月後。アンネとドルゥの二人は結婚することになる。式の最中は散々友人たちに誂われたりもしたが、ちゃんと祝福された。
その頃には、アンネは紅い石の出来事を白昼夢のようなものだったのだと思うようになっていた。石が腹に入ってきたのも、子供が出来たという啓示だったのだろうと。
そして更に時が流れ――二人の間に出来た子供が生まれる。体重も申し分なく確りとしていて、きっと健やかに育つ。皆がそう思われた。
しかし――。
「また熱を出したのか?」
「えぇ。昼間は普通だったのに……どうしてかしら? アシュレー、大丈夫? 苦しくない?」
アンネはベッドで苦しそうに息をする我が子――アシュレーの額の汗を拭いながら、その頬を優しく撫でる。
「はぁ……はぁ………お母さん、苦しいよ……」
「大丈夫。すぐに良くなるから……ほら、お水飲みなさい」
アシュレーの身体を起こし、水差しを口元に添えてやった。腕に汗の湿りと火が点いたように熱い体の感触が伝わってくる。
オババにも何度と無く見せたが、原因不明。子供が熱を出すことは珍しい事ではないが、アシュレーの発熱は他の子どもとは一線を画している。
他の子どもが一日程度で治まるものが、数日に渡る。酷い時は意識さえ失くすのだ。
風邪や流行病――ククル熱とも違う。しかも、熱が治まれば今までの苦しみが嘘のように元気になるのだ。
しかし、今回の熱はいつもとは訳が違った。熱を出してから数日、アシュレーはついに意識までも失ってしまったのだ。
「あぁ、神様。この子はまだ8つになったばかりなのです。どうか慈悲をお与え下さい」
原因不明に加えて意識喪失。最早、都の医療法士に見せるしかないか。だが、村から一番近い都まで数日を要する。その間、アシュレーは持つのか。最悪の展開に何時もは気丈なアンネも泣き崩れた。どうして我が子がこんな不憫な目に遭うのかと。どうして神は、彼に健やかなる体を与えてくれなかったのかと。
誰もが悲観にくれる中――変化は水面下で起きていた。
◇ ◇ ◇
「……ん? ここ、どこ?」
目を覚ましたアシュレーは辺りを見回した。そこは彼が住んでいるヤムーク村ではない、何とも不思議な場所だった。
半透明な光の玉がキラキラとして、フワフワと浮いている。それはどこまでも続くその場所の至る所にある。
「ふわぁ……すごいなぁ」
アシュレーはその幻想的な光景に、感嘆の溜め息を吐いた。そうして暫くすると、自分が何故こんな場所にいるのかという疑問が浮かんだ。こういう時は、覚えていることを一つ一つ思い出していく事が大切だ。という母の言葉を思い出し、指折り数えてみる。
「えっと……熱が出て、ベッドで寝てて……頭がボーっとして………で、さっき変な夢を見て………なんでだろ?」
しかし、訳が分からなかった。
「これも……夢なのかな?」
「――ふむ。随分と困惑しておるようだな?」
「だれ?」
いきなり声がした。見ればいつの間にか、目の前には紅い石が在った。声はこれから聞こえているようだった。
「石がしゃべってるの?」
「石ではない。これは我が魔核だ」
「まかく……?」
「存在の根源にして、力の源。人間で言うならば心と魂に相当するか……ともかく、それが魔核だ。理解できたか?」
「う~ん……石はマカクで、マカクはマゾクなの?」
「………うむ。まぁ、ニュアンスが掴めていればそれで良い」
小首を傾げるアシュレーの反応を見て、大事なのはそこではないと、”それ”は話を続ける事を選んだ。
「お前は度々、体調を崩すだろう? それは我の影響が原因だ」
「どういうこと?」
「我はお前が生まれる前、まだ母の腹の中にいた頃に宿った。本来ならば、我の存在がお前の魂を塗り潰していた……その筈だった。だが、そうはならなかった」
「なんで?」
「この世には天賦の才を持つ者が在る。それらは修行、求道の末に”聖人”、”賢者”、”英傑”などと呼ばれる存在に至る。共通するのは、其の身には強大なる能力と、それを受け止める”器”を有しているという点だ」
紅い石はピカピカと輝きながら言葉を紡ぐ。が、幼いアシュレーにはイマイチ理解できず、先刻から首を傾げたままだ。
余り細かく話しても無駄かと、”それ”は掻い摘んで説明することにした。
「つまりだ。お前には、不完全とはいえ我を受け入れられるだけの”器”があったということだ。だが、本来ならば修練の末に至るであろう領域に生まれる前に至ってしまったせいで、我とのラインが不安定になり、肉体に悪影響を与えている。度重なる不調はそれが原因だ」
「ライン……不安定ってどういうこと?」
「例えるなら、本来は均された平坦な道となるべき筈が、デコボコの畦道になってしまっているのだ。これを正さねば、肉体が耐えられず、我もお前も……死ぬ」
「そんな……どうしたら良いの?」
「我に触れよ。不安定なラインを直しさえすれば、不調が起こることも無くなるだろう」
「触るだけでいいの?」
「うむ。それだけでいい。後はこちらがする故、安心しろ」
アシュレーはまだ戸惑いを抱いていた。それは紅い石の言葉の真偽を疑っている――訳ではない。
(触るって……指でチョンってすれば良いのかな? それともギュッて握った方が良いのかな?)
などと、触り方に頭を捻っていた。
「じゃあ、触るよ?」
ペタリ。と、指先で触った。すると石がいきなり強く輝きだした。あまりの事にビックリして、アシュレーは飛び退いてしまう。
「こら、手を離すな!」
「ビックリした! いきなり何で光ったの!?」
「いや、光ったぐらいで驚くな。いいか、もう一度だ」
アシュレーは、今度は驚かないぞと決意を固め、ついでにまぶたもしっかりと閉じ固めてから再度、石に触れた。
閉じられたまぶた越しにも、まばゆい輝きが感じられる。触れる指先からはビリビリとする何かが体の内側に走り、全身に浸透していく感覚があった。
それが体中くまなく周る頃、閉じられた視界の向こうから光が漏れ出し、アシュレーは意識を失った。
◇ ◇ ◇
閉じられていた瞼が再び開くと、ぼやけた視界には見慣れた天井が映った。アシュレーは体を起こすと辺りを見回した。そこはやはり彼の寝室であった。家の中が静かなのは恐らく、両親が畑に出ているからだろう。
アシュレーはベッドから降りると、水差しの水を飲んだ。カラカラに乾いていた口内に潤いが還る。
ふう。と一息吐くと、ベッドに上がって窓から外の様子を覗いてみる。空は雲一つない快晴で、窓を開けると初夏の空気をはらんだ風が部屋に飛び込んできた。
「あれ……?」
と、アシュレーは何やら見慣れないモノが宙を漂っているのに気が付いた。フワフワとしながら、時折滑るようにして動いている。周りの人間は誰一人として気付いていないらしく、ひたすら農作業に汗を流していた。
「あれは……何?」
目を凝らしてみるが、消えない。幻覚などではないようだ。
『あれは精霊だ』
「うわっ! だ、だれ!?」
いきなり聞こえた声にアシュレーは振り返る。しかし、部屋には誰も居ない。しかし、謎の声は尚も聞こえた。
『精霊とは〈マナ〉と呼ばれる自然エネルギーの中に生まれる存在で、普通の人間には見えないのだが……ふむ、どうやら〈ライン〉が安定したことで〈アストラル・サイド〉を視認出来るようになったか』
「だれ!? どこにいるの!?」
『そう驚くな。我はお前の中にいる。先にそう言っただろう?』
「ぼくの中……もしかして、さっきの夢の石さん?」
『石にさん付けをするのかお前は……まぁいい。我の名はゼルファー。お前の内に宿りし、かつて魔王と呼ばれた者だ』
「石さん……ゼルファーは『まおう』なの?」
『かつてはな。だが今は、己が身一つままならぬ。あぁ、一応言うておくが、我のことは他言無用だぞ?』
「どうして?」
事の深刻さを理解できないアシュレーは首を傾げた。
『我の悪名は人間共の間でも響き渡っているだろう。そんな我がお前の内側にて生きていると知れれば……』
「知れれば?」
「確実に我を滅しに掛かるだろうな。当然、お前ごとだ」
「えー!? 何でぼくまで!?」
好きで宿した訳でもない。なのに巻き添えで殺されるとは余りにも理不尽だと、アシュレーはブーたれた声を出した。
『そりゃ、無力な子供の内に居ると分かれば、誰でも魔王討伐に来るだろうさ。まぁ、我の名を口にせず、我が内にいることを誰にも打ち明けなければ、問題はない。そう、むくれるな。ハッハッハ』
「……笑ってごまかしてる」
どっちにしても、魔王が自分の中にいるだなんて言ったところで信じてもらえないだろうなぁ。と、漠然と思いながらアシュレーは着替えて外へ出ることにした。
ドアを開けると、ビュウ。と風が吹き付ける。それに合わせて精霊がアシュレーの顔めがけて飛んできた。
「うわっ!?」
『落ち着け。幾ら精霊が見えても、お前には触れられはしない』
「そうは言うけどさぁ……やっぱり、見えると落ち着かないよ。何とか出来ないの?」
『出来ないこともない。――ほれ』
ぜルファーが何事かをすると、さっきまで見えていた精霊が全て消えてしまった。パチパチと瞬きするが、やはり消えたままだ。
「うわっ。本当に見えなくなった」
『アストラル・サイドが見えたのは我の影響だ。故に影響範囲を変えてやれば、見えなくするも容易い。ただし、見えなくなっただけだ。気配は感じるだろう?』
「……うん。何かいるっぽい感じがする。これって、向こうからも分かるのかな?」
青々とした畑を縫い合わせるかのように広がる畦道を歩きながら、アシュレーはゼルファーに尋ねた。知らないことは聞くのが早い。分からないままは一番良くないことだと常々、母から言われてきたからだった。
『見えるということは、向こうも直感的に分かる。先程、こちらに向かって精霊が飛んできたのはそういう意味だ』
「ふ~ん。じゃあ、今は分からないの?」
『そもそも、大半の精霊に知性が在る訳ではない。大概は本能的に存在しているだけだからな。とは言え、何となく気になるらしく、今も周りを飛んでいるぞ』
ゼルファーの言葉に、アシュレーはつい周りを見回した。視界に飛び込んでくる羽虫を払い落とす。この時期は何処にも虫が飛んでおり、山から降りてくる風に流されて顔にぶつかるなどよくある事だ。とはいえ、その中に精霊が混じるとなると羽虫も気になってしまう。
しばらく歩いていると、見慣れた背中が見えてきた。思わず駆け出すアシュレーだったが、路傍の石に蹴躓いて転んでしまった。
「痛っ!」
「っ……! アシュレー!?」
声に驚いて振り返ったアンネは、アシュレーの姿を見やってまた驚いた。慌てた様子ですぐに畑から出て駆け寄ってきた。
「アシュレー、何をやってるの!? 寝てなきゃダメじゃないの!」
転んだアシュレーをアンナは抱き上げ、服の土を叩き落とす。そうして、改めてアシュレーの顔を見てから後、額に手を伸ばした。
「熱が引いてる……アシュレー、体は大丈夫なの?」
「うん、もう平気。ゼル……じゃなくて、ずっと寝てたから良くなったよ」
思わず口を突いて出そうになった『ゼルファー』という言葉を呑みこんで、アシュレーはごまかすように勢い良くバンザイする。
「ダメよ、まだ寝ていなさい。昨日まであんなに苦しそうにしていたのに……でも、顔色はたしかに良さそうね。でも、無理しちゃダメよ?」
「う、うん。ところでお父さんは?」
「そうだったわ! あの人、都に行くって! 急いで呼び止めないと!」
アンナは大慌てで駆け出した。その途中振り返り、大声で叫ぶ。
「アシュレー、いいこと!? すぐに家に帰りなさい! それで、おとなしく寝ていなさい!!」
「はーい!」
アシュレーの返事に大きく頷いて、アンナは走りだした。その背が見えなくなるまで見送ってから、アシュレーはクルリと踵を返した。
「それにしても、なんだか大事になってるなぁ」
『ふむ。人間というのはなかなか忙しない日常を送っているようだな。いかんなぁ。もう少し心にゆとりを持たねば』
「これって、そういうことなの?」
などとズレた話をしながら、アシュレーは家に向かうのだった。
空はとても青く、今までにない程に澄んで、アシュレーには見えた。
魔王、意外とフレンドリー。