表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金の杖 銀の杖  作者: jorotama
番外編群・アダムの林檎
96/97

不実な果実

時系列的には『顔の無い花嫁』最終話辺り。大公城での披露宴のお話。

 ブルジリア王国国王の王弟にしてサリフォー教会の主管枢機卿グラヴィヴィスが国許くにもとを放逐されたのは、滞在先のアグナダ公国大公嫡男フェスタンディとモスフォリア国王女プシュケーディアの婚儀の年の秋半ば。

 彼がホルツホルテ海を渡った頃、アグナダ公国内にバルドリー侯爵と侯爵夫人フローティアの姿はなかったが、グラヴィヴィスにとってそれは承知の事だった。


 仮にも一国の王弟。彼もそれなりに国外の情報を手にする伝手つてを持つ……のだが、フローティアのスケジュールをグラヴィヴィスが知ったのは、彼の従姉いとこであるレレイスと彼の間でやりとりしていた書簡に由るところ。

 レレイス皇太子妃も彼がフローティアに命を救われた事による感謝以上の気持ちを抱いている気配を察していたが、フローティアへの懸想が原因で故国を追われるように出奔しアグナダ公国へ渡航するまでは想定していなかった。


 さておき、アグナダ公国に到着時の侯爵夫妻国内不在はグラヴィヴィスにとって都合が良いことであった。

 バルドリー侯爵は非常に頭の切れる人間であり、しかも自分の妻を溺愛している。彼女へ恋慕も明らかな男を容易に接近させる間抜けはしない。

 グラヴィヴィスとしても事を荒立てるような動きを取る心積りは無かったが、それでもバルドリー卿の能力を考えれば最悪公子フェスタンディの婚儀前に国内から追いやられる可能性の想定も必要だった。

 だが彼らが不在であればその間アグナダ公国で知己を作り、自分の立ち位置、居場所の確保が出来る。

 夫妻が帰国する婚儀直前にもなれば、如何にグラントであってもブルジリア王国祝賀使節の肩書きを持ち渡航している彼を追い払う事はもう出来ない。

 しかもホルツホルテ海の荒天を言い訳にすれば、最低でも冬の間はアグナダに居ることが出来る。


 陰謀渦巻く旧サリフォー教会勢力のただ中で鍛えられ、謙謀術数は得意とするところ。

 実際にグラヴィヴィスは渡航後、花嫁探し中の魅力的な王族貴公子との評判を得て、あちらこちらの夜会や舞踏会など社交的集まりから引きも切らずの招待状を送られるようになっていた。

 それもこれも出来うることならフローティアの傍近くにありたいとの気持ちがあればこそ。その為の布石として彼が最初に意識したのは、バルドリー侯爵の生母サラフィナへと近づく事だ。


 前バルドリー侯爵夫人サラフィナは夫アレクシフォスの亡き後、社交の場へ積極的な参加はせず、当代バルドリー侯爵がフローティアと婚姻して後には仲の良いご婦人達や趣味の狩猟仲間らとの付き合いだけにサロン活動を縮小している。


 人心掌握術に長けるグラヴィヴィスのこと。一度会う機会さえ得られたならその懐に入り込む自信があった。だがそれにはまず相手と会う機会を得ねば始まらない。

 だから彼は外堀を埋める事から開始した。

 具体的に言えば、サラフィナと交流がある年輩のご婦人や彼女の狩猟仲間であるその夫らとの知己と信用とを得ることにしたのだ。

 これに関しては何の問題も無く運んだが、狩猟シーズン以外は女性同士の少人数の行動を好むサラフィナと出会う機会は訪れず、地道な顔つなぎが功を奏したのはようやくフローティア・バルドリーとのアグナダ国内での再会を果たしたその翌日───大公公子フェスタンディの成婚披露の宴席での事。


 前もって親しくなっていたアズロー公爵夫妻からの紹介と言う体裁のもと、グラヴィヴィスとサラフィナ・バルドリーはここに邂逅を果たした。


 女性にしては長身で、総白の髪に意志の強い暗青色の瞳。

 場に相応しく美々しく装い嫣然たる笑みを浮かべておりながら、グラヴィヴィスは引き締まった体躯のその立ち姿に、強者の気配とでも言うべき武威を感じ取っていた。

 社交の場に於いてのサラフィナ・バルドリーの評判は


『成り上がり家系の女らしからぬ乱暴者』


 そして


『凛々しく美しい憧れの君』


 との二つにはっきりと割れる。

 この辺の評価の理由について彼はまだ把握していなかったが、後者を親サラフィナ派、前者を反サラフィナ派と呼ぶのなら、後者寄りの立ち位置が自身の目的に適うと既にグラヴィヴィスの判断済みだ。


 彼の目的はサラフィナとの友誼を結び、不自然なくバルドリー侯爵家へ出入りする事。

 公子フェスタンディの祝いの席での初対面はまずまず上々だっただろう。

 予め調べ置いた彼女の趣味や興味の方向に合わせ、会話は初対面とは思えぬくらいに弾んだし、フェスタンディと花嫁への寿ぎを意味するホールでのダンスでは、フローティアに代わってグラント・バルドリーのパートナーを務めるべく来たサラフィナの手を大公の口添えのもありバルドリー卿から奪う事も出来た。


 サラフィナ・バルドリーは心の中まで見透かしそうな理知的な瞳と、その鋭利な輝きを隠すように柔らかな笑みを持つ女性……と言うのがグラヴィヴィスの第一印象。

 それは彼女の一子グラントとよく似ているが、彼に対する程の警戒と慎重までは要さない。そうグラヴィヴィスは評価した。いや、してしまった(・・・・・・)と言うべきだろうか。


 踊りが終わり、サラフィナやその友人らと共に彼は広間を歓談しながらに移動した。

 グラント侯爵とは知己であり彼には恩義を持っている。またその妻フローティアにも少なからぬ恩と縁があったのだとは、前もってサラフィナの周囲の人々へ漏らしていた情報だ。


『彼は恩人であるバルドリー夫妻と余人を交えず話をしたいだろう』


 そんな気遣いの喚起は心理操作と言う程もない行動の誘導。

 その甲斐あって彼がバルドリー夫妻のもとへ辿りついた時、彼を取り巻いていた人々はある程度の距離を開けて離れ、残っていたのはグラヴィヴィスと彼がエスコートするサラフィナだけ。


 この場で妙な会話をする心積つもりは彼に無かった。ただ祝いの席に装いを凝らしたフローティアの姿を目に楽しみ、嫌がらせとからかい半分、グラント・バルドリーに恋敵としての隠喩的に圧力でも……と、そう思っていたに過ぎないし、実際彼は傍らにすっかり打ち解けた様子のサラフィナを伴う事でこの目的の大半を達していたのだ。

 あとはただ和やかに挨拶を交わし、この場に相応しい当たり障りのない会話を少々楽しめばそれでいい……その、筈だった。

 

 ダンスの最中さなかやその後、さりげなさを装い窺い見たフローティアは、幾度となく給仕からワインのグラスのサーブを受けているようだった。祝宴の雰囲気に幾分酒量を過ごしたのか、淡緑に金の刺繍のローブに装った彼女の顔は耳朶となく頬となく仄かに朱の色を昇らせて、どことなし彼の目に可憐な色香を感じさせた。

 その彼女が宴席をそっと抜け出し夫グラント・バルドリーと共に家路についたのは、グラヴィヴィスとの歓談直後。サラフィナ・バルドリーの勧めによってだった。


「フロー、それにグラント。貴方達、モスフォリアからずっとお役目でまともに二人で過ごせていないのでしょう? 昨日も夜遅く帰って来たのにフローなど早朝の登城では、横になって休む間もなくの支度だったのでしょうから……今日はそろそろ屋敷へ戻って、今夜は二人でゆっくりしていてはどうです?」


 深く意味を考えれば明け透けな内容にも取れる彼女の示唆に、フローティアは赤らめていた頬をますます赤く染め、グラント・バルドリーは表情の常態を崩すことなく同意の頷きを返し、彼らはサラフィナの勧め通りほどなく大公城を去って行った。


 フローティアはバルドリー侯爵が溺愛して止まない妻であるとはグラヴィヴィスも承知。二人の間に割り込んでその関係をかき乱したり、ましてやフローティアを略奪しようなどとはもともと彼も思っていない。だから(・・・)睦まじく目の前から去る二人を見送るグラヴィヴィスの顔は、この場に相応しい穏当な表情を浮かべていた筈だった。

 そもそも彼は幼少時代から感情に振り回される性質たちではなく、しかも少年期から教会の権力闘争の渦中に身を投じこの若さにして大望であるサリフォー教会の徹底的弱体化を果たすに至るには、感情を表面に出さぬ程度は出来て当然の芸当。

 ただほんの少し普段よりもそれを難しく感じたのは、彼がそれまで殆ど持たずに来た他者への執着を「恋慕」と言う形で抱くようになっていたからだろう。

 ほろ苦い気持ちが彼の胸に湧いていた。そしてそれを興味深く味わい、観察する自分がグラヴィヴィスの心の中に存在した。

 いや、若しくは興味深く味わい、観察しようとするグラヴィヴィスだったかもしれない。


 だが残念な事にそこに水を差されてしまった。


「フローの為なら身の危険も省みない横恋慕の恋敵だと聞いていましたけど……若いのに存外と顔に出さないのですね」


 とは、グラヴィヴィスに向けて発せられたサラフィナの言葉。


 政略結婚が大勢。貴族社会の一部では夫婦としての務めを果たした後の婚外恋愛も珍しくはない。だが表向きには当然、不倫は読んで字の如く倫理に悖ると判じられる。

 だからグラヴィヴィスはサラフィナの言葉に、それは一体何の話かと惚けて言い逃れる事も出来たし、それが正しい反応だっただろう。

 しかしバルドリー夫妻は既に彼の思いを知るところであるのだ。その家族であるサラフィナがそれを知っていても可笑しくはない。今更の韜晦は、あまりにも空々しい。


 相手がもし噂好きのただのご婦人ならフローティアに迷惑をかける事にもなり兼ねないが、噂の流出はバルドリー家にとって不名誉な事。目の前の理性的な瞳を持つ女性がそんな事態を望むとは思えない。

 では一体どういう心積り(・・・・・・・)での言葉なのか……。

 彼にとって権謀も策謀も得意な分野ではあったが、どうしたことか、不意にそれらの事がグラヴィヴィスには『面倒』に感じられた。


 ここはブルジリア王国ではなく、今の自分はサリフォー教会の主管枢機卿の肩書きでこの国に来たわけではない。

 国王の座を巡る権力闘争の駒にされるのも、きな臭くなりつつある教会の状況に命を狙われる立場でいるのも、何もかも面倒になり彼はこのアグナダ公国へとやって来た。

 命には係わらず、フローティアにも迷惑は掛からない。ならば何かを取り繕う必要もない、と、そうグラヴィヴィスの中の判断は働いた。


「分かっていた上で今のなさりようは、随分と残酷ではありませんか?」


 穏やかに笑いながら肩を竦めて言うグラヴィヴィスを、サラフィナは鼻で笑う。 


「曲げようも無い見たままの現実に傷つくぐらいなら、そんな脆弱な想い(・・)になど見切りをつければいいのです」


 バルドリー夫妻との会話のため一旦は彼の側を離れていた人々が動く気配を周囲に感じ、グラヴィヴィスは止まることなく奏でられ続ける演舞曲を聴きながらフロアをちらりと視線で示し、胸に手を当てての一礼の後、サラフィナの手を取るべくその手を差し出した。

 この場で不自然なく人々の包囲から逃れて話を続けるのなら、踊りの輪に加わるのが手っ取り早い。それを理解しているサラフィナもある程度の年輩の淑女らしい落ち着きを持って彼の手を取り、二人はスイ……とフロアへ踏み出した。


「……人生の先達らしい助言、恐れ入ります」


 広間のモザイク大理石の上をクルリクルリと緩やかに踊る華やかな人の群れの中、二人は音楽に合わせて近づいては離れ、言葉と視線を交わす。


「まさか。綺麗ごとにも親切心など一切含んでいませんよ」

「では……家族愛に満ちた害虫(・・)の駆除と仰いますか」


 痛痒を受けた様子など一切見せず、皮肉の色無く淡々と言葉を紡ぐグラヴィヴィスに対してサラフィナは思わず……と言った態で笑みを零した。


「ふふふ……そんな手を差し伸べなければならないような可愛げがアレにあるものですか。必要なら害虫駆除など自分でアレは済まします。……それをしないのなら、貴方が指を咥えて見ているしか出来ないと判断したからでしょう」


 楽しそうにそんな容赦のない言葉を語るサラフィナに対し、グラヴィヴィスの顔にも苦い笑いが浮かんだ。


「なかなかに手厳しいですね……」

「ええ、そう。これは私からの純然たる悪意の嫌がらせですから、そうでなければね」


 小さく肩を竦めるブルジリア王国王弟の姿を見る暗青色の目が、機嫌良さげに細められる。さすがに二の句を継ぐ事の出来ないグラヴィヴィスの様子など置き去りに、サラフィナは言葉を続けた。


「残念ながら貴方とは気の合う友人になれる気がするのですよ。……だったらワタクシをフローに近づく道具にしようと虚仮こけにした分の憂さは、今のうちにさっさと晴らしておかねば将来さきに遺恨が残るでしょう?」


 にっこりと笑う年上の貴婦人に、老獪な海千山千の聖職者らとの暗闘を続けて来たグラヴィヴィスは虚を突かれ、一瞬踊りの足を止めた。

 同じ動作でくるくると踊る人々が静止した彼と接触しかけ、グラヴィヴィスは再び流れに合わせて動き出した。……彼にとってサラフィナの発言は完全に予想の範囲外だったのだ。


「さすがに……バルドリー卿のご母堂だと言うべきでしょうか」


 いささか茫然自失の気配を引きずりながらの呟きに、サラフィナは片方の眉を僅かに上げながら気配だけで肩を竦めた。


「まあ、どう思っても貴方の自由です。……けれど、そうですね。ワタクシの事は皆と同じように今後は『サラ夫人』とでも」

「では、今後ともよしなに───サラ夫人」


 折り良く二人が加わった演舞曲が終了し、グラヴィヴィスはサラフィナ・バルドリーの前に貴公子然と優雅に一礼すると、彼女の手を取って人々の輪に戻るべくフロアを降りた。

 カットグラスのきらめく幾灯ものシャンデリアに照らされた大公城の祝いの広間、取り巻く人々との歓談の場を新しく出来た友人(・・)と共に歩きながら、グラヴィヴィスは胸の中、フローティア・バルドリーへの『求婚プロポーザル』を決意していた。

 それは、嫌がらせの為の求婚だ。

 もちろん嫌がらせと言ってもフローティアに対するものではなく、彼女の夫、グラント・バルドリー侯爵とそれから新しく友人となったサラフィナ・バルドリーに対してのモノである。


 グラントに対しては単純に自分の目の前で愛妻が口説かれる不愉快を味わってもらう為。

 サラフィナ・バルドリーに対しては、将来的に仕掛ける……かも知れない『離間工作』の仕込みの意味を込めて。


 指を咥えて見ているだけ……などと言われての発奮だと言えば、ある意味、彼女がグラヴィヴィスをけしかけたとの言い訳がたつ。それは(・・・)息子の嫁を嫌っての言動だとの方向へフローティアを誘導出来れば、立派な離間工作となるだろう。


 家族間の交流の親密度が高い現状、実現の目は非常に薄い嫌がらせであることは彼も重々承知。実質的にはただグラントへの嫌がらせにしかなっていないと知りながら、その上でフローティアへの『求婚プロポーザル』を決行したのは如何なる心の動きからか……。


 それをブルジリア王国王弟グラヴィヴィスが自覚したのは、幾度かのフローティアへの求婚を繰り返して後の事だった。






もう少しだけ番外編続きあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ