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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
91/97

『顔の無い花嫁』60

 明けて翌朝。

 その一日は、眩い夜明けから始まった。

 この場合の『眩い』とは象徴的な意味ではなく本当に『光量』が多かったと言うこと。

 冬枯れにくすんだ景色が夜の間に雪化粧を施され、それが朝日に照らされて反射増幅し、目に痛いほどの輝きに満ち満ちていたのだ。


 前夜リネの港で海から陸へ向けて吹いていた冷たい風が、ホルツホルテ海上から雪雲を運んで来ていたようだ。

 ……なるほど、昨夜のあの酷い手足の冷えは空腹の為だけではなく実際に気温が下がっていたせいでもあったと言うことか。


 朝になる前に雪雲は再び沖合いへと押し戻され、セ・セペンテスは雲ひとつ無い快晴。

 冬場の乾燥のため塵や埃に濁っていた空気は降雪によって浄化され、青く澄み切った空が次代の大公と大公妃の門出を祝福するような一日の幕開けだった。


 波乱に満ちた前日が嘘のように晴れ渡ったこの日の朝、モスフォリア国の王女プシュケーディアはフェスタンディ殿下の皇太子妃とならせられた。

 そして彼女がモスフォリア国から持参した新造船設計図はリアトーマ国の使者により検分され、アグナダ公国リアトーマ国の新造船に関する秘密協定は無事調印締結と言う運びとなったのである。



***


 初冬の太陽はホルツホルテ海の西の果てへと落ち、殿下とプシュケーディア姫の結婚を披露する宴の開始から暫しの時が経過していた。

 今現在は宴への招待客が歓談を楽しみ食事や飲み物を摂るために割り振られた時間であり、楽師らによって演奏される音楽は耳に障らぬゆったりとしたもの。

 もう暫くすれば踊りのための楽曲が流れ出すだろう舞踏室で私は一人、休憩用の椅子に腰を下ろして極上の白ワインを満たした硝子の杯に口をつけている。


 バルドリー家で今日登城したのはグラントとサラ夫人と私の三人。

 私がここに一人でいるのは、サラ夫人とグラントがバルドリー侯爵家の代表としてこれから始まる踊りの輪に加わるべく舞踏室のフロア横に待機しに行ったからだ。

 親しい友人達との交友は好んでもサラ夫人は社交界自体には興味が無い方。

 それを自分の脚のせいでこういう場に駆り出して申し訳ないと恐縮する私に


「まぁ……ね。堅苦しいのは正直苦手だけど、たまにこうして公の場に出ると、アクシがいた昔を思い出して若やいだ気持ちになるのですよ。それに……介添え役に食事も出さず屋敷に帰らせたと言う大公城が無事であることもどうやら確認出来ましたしね」


 などと片方の唇を引き上げるような……グラントに少し似た人の悪い笑みを浮かべてサラ夫人は仰った。

 彼女はいつも率直な方だ。私は悪戯を見つかった子供のように軽く身を縮め、夕べの帰宅について説明出来ない事への謝意を込めて瞳を瞬かせた。

 彼女はグラントの行動を詮索するような事はなさらない。

 たぶん自分の息子を信用しているからだろう。

 サラ夫人は私とグラントをしばし無言で眺めた後


「まあ、怪我も無く帰ってきたのだもの貴方たちがどこで何をしていても構わないのよ。……一度きりの人生ですもの、思うように……ね」


 ふ……と微笑みを浮かべてそう仰られたのだった。


 白ワインのグラスから目を上げれば、美々しく盛装した紳士淑女が徐々に集まりだした大公城の巨大な舞踏室。緑青色と白銀、黄金、朱金色が綾なす植物文様の金襴貼りの壁。

 明るい色調の大理石が規則正しいモザイク模様を描くフロアの天井は、頭上遥かに高く、金彩の唐草文様と天井画が優美に装飾する緩やかなアーチ型をしている。

 葉アザミに似た植物が彩る柱頭を持つ真っ白な柱が湾曲した天井を支え、舞踏室の壁面近くに等間隔に林立する。

 天井には巨大なクリスタルのシャンデリアが何基となくぶら下がり、壁面と柱にも数え切れぬ灯火が夜の闇を圧してきらめき揺れる。


 ──────夢のような光景にため息が零れる。

 今年一年だけで私はブルジリア王国のノルディアークアークの王城へ招かれ、リアトーマの王都フルロギの王宮を訪れ、モスフォリア国のスフォール王宮に滞在し……そしてこのアグナダ公国大公城へと招待された。

 あちこちの城や宮殿へと行っておきながら未だコレはどうかと思うのが、エドーニアの街外れの小さな館に暮らし、酔客が歌い騒ぐ気軽な居酒屋での飲食を楽しんでいた自分が、何故に今こんな場所にいるのか……との気持ちをどうしても拭い去ることが出来ないのだ。


 華やかな周囲から視線を落とすと、白い長手袋に包まれた自分の手と膝の横に立てかけられた文字通りの『不夜城』の灯火を映し輝く銀色の杖。

 羊歯しだの葉と若芽が萌える様を金糸で刺繍した青林檎色の衣装の裾から覗くのは、金錦きんしゅうに青の濃淡のガラスのビーズと金のリボンで飾られた華奢で可愛い靴の先。

 ローブは肩口まで大きく開いたオフショルダー。

 グラントにアグナダへ連れてこられるまでこんなに大きくデコルテを露出する衣装を着けたことは一度とて無く、エドーニアの田舎町で暮らす私がここまで豪華な衣服を持つなど有り得ないことだった。


 フェイスが器用な手で結い上げてくれた髪を留める何本ものヘアピンは、一本一本花形の金の台座にアクアマリンが嵌め込まれた芸術的な工芸品。

 耳を飾るイヤリングもヘアピンとお揃いで、ローズカットのアクアマリンが花の形の金の台座で幾つも揺れるシャンデリアの形。

 首元にもグラントが揃いで誂えたネックレスをつけるつもりでいたのだけれど、その……なんと言うか……ちょっとばかり都合が悪くなり、幅広の金のリボンへと変更となった。

 リボンの上には実家からの嫁入り道具として持たせてもらったブローチが留められている。

 茨と月桂樹に取り巻かれた森と草花、それから数頭の鹿が立体的に透かし彫りされた象牙細工──────カーブ・ド・アイボリーのブローチは、下部の金具に大粒のドロップカットのアクアマリン揺れる意匠だ。


 考えてみればエドーニアの館で暮らしていた頃は、宝飾品自体殆ど持ったことが無かった。

 家の名も名乗れぬ胡散臭い女にはそんなの不必要だったのもあるが、私の館にはシェムスや庭師などの男手は一応あっても所詮は女所帯。変に貴金属などひけらかしては防犯上の問題もでる。

 だけど、今の自分はグラントの……バルドリー侯爵の妻として、彼に恥をかかさぬように身を飾り彼の妻として相応しく振舞わねばならない。


 美しく装うと言う行為が嫌いだとは言わない。

 飾り応えのあるなしは別として、私だって女なのだもの美しいものが嫌いなどとは絶対に言わない。

 ただ、サラ夫人ではないけど正直私も堅苦しい席には窮屈を感じてしまうのは事実。

 社交界に出るような機会に恵まれず大人になった私には、華やかな席が時に息苦しく思えるのだ。


 でも、私はグラントの妻だから、窮屈なことくらいは『平気』。

 彼のそばにいられるのなら、未だ見知らぬ人だらけのこの国の貴族社会でも私は笑顔を浮かべていられる。

 そのつもりでいたのだけど……。


「……」


 唇を引っ張り上げて笑みを取り繕っていた筋肉から力が抜けた。

 ……まぁ構うまい。

 舞踏室のフロアの周りにはダンスに参加する為の人垣が幾重にも出来ていて、彼らの視線も意識も大階段を下りてきた大公とセルシールド夫人らへと向けられているのだ。

 誰も私の表情など気にしないだろう。


 人垣の内側の一部が緩やかに崩れ、大公夫妻の周囲に雅やかに盛装した紳士淑女が移動している。今日と言う目出度い日への寿ぎを大公夫妻へ伝えようとしているのだろう。


 一通りの挨拶や祝辞を伝え終えた頃、今日の主役である皇太子と皇太子妃が舞踏室に現れることになっていた。

 緩やかに流れる音楽が舞踏曲へ変わった後、最初に大理石のフロアへ踏み出すのはフェスタンディ殿下とプシュケーディア姫の二人。

 続いて大公と大公妃夫妻が加わり、一曲が終わるまでにこの場に招待を受けている貴族たちが公・候・伯の順にフロアへ音楽に乗せ足を踏み出すのだ。


 その後は無礼講。深夜まで舞踏室に踊りの為の音楽が止むことなく演奏され続け、また大公城内の大小の広間では寿ぎの譚詩が招かれた吟遊詩人によって吟詠されたり、宮廷楽師らによる小演奏会やフドルツ山への女神降臨からアグナダ興国へいたる出来事を演じる劇などが行われ、人々はそれぞれこの祝祭の宴を楽しむこととなる。

 

 崩れた人垣の隙間から大公夫妻とその子供たち──────フェスタンディ殿下やレレイスにとっての異母兄弟らの姿がちらり垣間見えた。

 たぶん……彼らのそばにはフェスタンディ殿下にとって従兄弟にあたるグラヴィヴィスもいる事だろう。

 どうにも彼のことを思い出すと落ち着かぬ心持になるが、今は考えまい。


 笑みが消えただけに留まらず、唇がへの字を描いてしまっているような気がした。

 周囲の意識はこちらへ向いていない限り問題ないのだろうけど、腕に引っ掛けた繻子しゅすのバックから扇子を取り出し口元を隠してしまった方がいいだろうか?

 しかし扇子で口元を隠しながらじゃワインが飲みにくい……。

 ああ……眉間に縦皺までが寄って来たみたいだ。

 口元を隠しながらワインのグラスを傾けるのは難しいが、顔全体を隠しながらグラスを傾けるのは難しい上にたぶん……とても、変。


 私の仏頂面は華やかな席に身を置く緊張の為でもなければグラヴィヴィスのせいでもないし、ましてや疲れている為でも無かった。

 だいたい夕べは予定外に速やかに眠ってしまったから、私の身体に疲れなど殆ど残ってはいないのだ。


 はぁ……と、口をついたのは大きなため息。

 けれど音楽とざわめきに紛れこの……脱力感の漂う様子は誰にも見咎められることはない筈だった。

 ……『だった』のだけれど。


「どうしたフローお嬢さん?」


 至近から、突然かかった声に私はぎょっとする。


「グラント!?」


 フェスタンディ殿下とプシュケーディア姫、それから大公夫妻に続き舞踏室のフロアに踏み出すのは公爵位を持つ人々、それに続くのが侯爵位の人間で、その後が伯爵位。

 伯爵位は『公』や『候』に比べ遥かに人数が多いから、踊りに参加する順番を考えればグラントは彼らの人垣の内側にいなければならない。

 それなのに、なぜ彼はここに?

 葡萄酒色に錦繍の縁飾り付きのウールの三つ揃いに身を包んだグラントが、顎でフロア方向を示しながら肩を竦めた。


「ダンスのパートナーを奪われたんだよ」


 との彼の言葉に、私は思わずぱちぱちと瞬きをしてしまう。


 サラ夫人が?


「……一体、誰に??」


 驚き首を傾げる私にグラントは、嫌そうに唇を曲げて


「グラヴィヴィス」


 と、その名を答えた。


 空になったグラスを私から取り上げたグラントが、給仕から新しいグラスを二つ受け取って鼻からふー……と息を吐きながら横にドスンと腰を降ろした。

 私はグラスを一つ受け取ると、グラントの視線を追って人垣の向こうに目をさまよわす。

 女性にしてはかなり長身でおられるサラ夫人を人々の中に見つけるのは比較的容易なこと。

 彼女が今日着ていたのは瑠璃色に青藤色、月白色までの濃淡の繚乱に桔梗の花が刺繍されたローブだ。

 朝露を受けた蜘蛛の巣のようなレースのケープを身につけた彼女の姿は氷の女王のように凛々しく、人目を惹く。

 サラ夫人はすぐに私達の視線に気がついたようだ。

 ロッククリスタルの耳飾りを煌かせ白鼈甲しろべっこうの扇子を軽く掲げる丈高い彼女のその隣り、笑みを湛えてこちらに目礼を送るグラヴィヴィスには悪びれた様子は見当たらない。


「……いいのかしら……?」


 最初の一曲目の舞踏曲に踊り手として参加するのは、フェスタンディ殿下らのご成婚への祝意を表す意味がある。

 そこにバルドリー家の当主が参加しなくても大丈夫なのか……と気にする私にグラントは


「大公公認のパートナー交代だ。問題は無いだろう。……自分もフェスタンディらの結婚を祝いたいんだとか」


 と肩を竦め、ワインを口中へと流し込んだ。


 ……グラヴィヴィスは大公らの許可を得た上でサラ夫人に一曲目のダンスの相手を申し込んだらしい。

 身を固めるまで『ブルジリア王国へ帰国することあたわず』と宣告された彼だ。アグナダ公国内でグラヴィヴィスが故国を出された理由を知る者の有無は知らないが、下手に未婚の女性など誘って後々余計な噂になる事を避けたいと言うことかしら。

 その点グラントの母であるサラ夫人なら余計な誤解をされることもないだろうし、彼女もバルドリー家の直系。

 大公の許可があるのであれば、サラ夫人の踊りへの参加でバルドリー侯爵家からの祝意は認められるのだろう。

 リネへ向かう街道で聞いた話によれば彼は私達のリアトーマ行きと入れ違いにアグナダへ入っているようだ。

 秋の半ばの滞在なら既に社交の場へ何度も顔を出しているだろうし、それなりに知己も出来たはず。

 グラヴィヴィスが問題さえ抱えていなかったなら、当たり障りの無いご令嬢を踊りの相手として紹介して貰うことだって可能だっただろうに……。

 一番良いのは彼が私への好意などと言う幻想を捨て、自分に相応しい女性とさっくり結ばれることなのだけど。


「そうよね……今のグラヴィヴィスは下手な相手を誘うわけには行かないものね……」


 私はグラスの中身にため息のさざなみを立てながら、楽しげに語らう二人の様子から視線をはずし隣の暗色の瞳に困惑の色を見つけ……ハッとする。


「……『今のグラヴィヴィス』……?」


 ああ……もう。

 グラントが訝しそうな顔をするのも当然だ。

 彼はグラヴィヴィスが殆ど放逐されるように国を出されたことを知らないのだもの。


「ええと……ね。なんだか彼、国を出る時に早く妻帯しろってフォンティウス王に言われたみたいで……」


 たとえグラヴィヴィスの気持ちがどこにあろうと疚しいところの無い私に慌てる理由はないのだが、なんとなしこれを説明するのは気が重く、つい言葉を途切れさせてしまったのだけれど……杞憂。

 相手は人並みはずれた頭脳と鋭い勘を持つグラントだ。

 ブルジリア王国内でこの夏に伝播していたあの『噂』。

 それにホルツホルテ海が使えぬこの季節にグラヴィヴィスがこの国に来たと言う事実だけで事情を把握するには充分だったらしい。


「……そういう事か」


 呟いた彼の眉間には、これ以上ないほど深い縦のシワが入っていた。

 グラヴィヴィスはブルジリアでは主管枢機卿として多忙を極め、更には立場上行動への制約も厳しかったことだろう。

 だがこのアグナダでは『ただのグラヴィヴィス』で居られる……と、昨日彼自身の口から聞いている。

 あのとおり彼は押し出しの良い人間だし、『王弟』との高い身分もある。

 行動制約の少ない環境であればすぐに良い相手とめぐり合えるだろう……との私の見解は、どういうわけかグラントの呆れ顔での一笑のもと、あっさり否定されてしまった。


「アレは暫くアグナダに居座るつもりなんだろう? しかもここに居る間フローお嬢さんに付きまとうつもり満々の奴がすんなり他に目を向ける理由がない」


 などと彼は言う。


「つきまとうって……グラント。今日は私、たったの一言もグラヴィヴィスと言葉を交わしてもいなくてよ?」


 他国の王族を『アレ』呼ばわりなのは……まあとりあえず置くとして、結婚の儀式にはグラヴィヴィスも大公の親族の一人として出席していた。

 結婚契約書の署名の場は出席者が歓談出来る雰囲気になかったから、話しかけられなかったのも不思議じゃないけど、宴開始の後だって大公城に逗留している彼には私への接触の機会はあった筈なのに、それが無かったのだもの。

 グラントの考えすぎじゃないかと思うのだけど……。


「下手な手出しをすれば俺に蹴散らされるのがわかってたんだろう。外堀から埋めてくるあたり可愛気がない。祝意を示したいなんて殊勝なことを言っても、目的なんて見え見えだろ」


 グラスの中身をごくり飲み干し忌々しげに呟く彼の見解は、グラヴィヴィスが私に近づく為にサラ夫人と友誼を結ぶ作戦に出た……と言うもの。

 確かにここから見た限りグラヴィヴィスとサラ夫人は話が弾んでいる様子。

 だけど、そんなのやっぱり考えすぎではないのかしら。

 盆の上の飲み物を補充した先ほどの給仕が通りがかり、空のグラスと中身のあるグラスとを取り替えた。

 冷たいワインに再び口をつけたグラントの眉間のシワは先刻よりは薄くなり、口元に漂うのは諦めたような苦笑い。


「……いくら足掻いても、俺がお嬢さんを渡すわけが無い」


 大きな手が扇子を掴む私の手に重ねられた。

 渡すだの渡さないだの、私の意志を無視しているようで少し不愉快だ。


「……なによ。私には自分の『心』があるのよ。物みたいに言わないで」


 重ねた手に微かに力が込められる。


「だからこそ……だ」


 今度は朗らかな笑み。


「──────ところでお嬢さん、合流してからずっとご機嫌斜めだったようだけど、モスフォリアの王女と何か?」


 どういうことかと問いの口を開きかけた途端の話題転換。

 なんだかうまく話を逸らされた気がするけど、表すつもりのなかった不機嫌さを隠し損ねていた事実に、動揺するなと言われても無理な話。


「私、仏頂面をしていて?」


 人にそうとわかる程の仏頂面をして過ごしていたか……と不安になったが、そうじゃないと否定された。

 では何故彼は気づいただろうかと首を傾げる私に返えされたのは


「わかるさ俺には、キミのことならね」


 などと言う……彼らしいと言えばこれ以上ないくらいに彼らしい台詞。


「母上はお嬢さんは疲れてると思ってそれを俺のせいと決め付けているんだ。けど、フローお嬢さん……キミがそんなに疲れているはずはないよな?」


 と、少し意地悪な流し目でこちらを見るグラントに怒り……と言うか、もっぱら羞恥で耳朶が熱くなった。

 こんなところでそんなコトを言い出すのはやめてと言いたいところなのだけど、後ろめたさがあるから言葉が出ない。


 ざわ。

 と、舞踏室に集まった人々の空気が変わったのはその時の事。

 大階段からフェスタンディ殿下にエスコートされたプシュケーディア姫が降りて来たのだ。


 ツヤとした光沢と張りを持つ純白の練り絹に金糸で編んだレースを貼ったローブは、白金のプシュケーディア姫の髪と良く似合う。

 あくまでも細いウエストと、パニエで大きく膨らませたスカート。

 華奢に過ぎる胸元はきらめくビジューと大きなリボン飾りでさりげなく補われている。

 子供のような丈の短いローブばかり身に着けていたプシュケーディア姫は、未だローブの裾裁きには慣れているとは言いがたい。

 階段を降りてくる足元が危うく見えて、つい腰を浮かせかけた私の目にフェスタンディ殿下が彼女の手を握りなおし、しっかりとその細い腰に腕を回すのが見えた。


 ……自分の唇が歪むのがわかった。


「何があったんだ、お嬢さん?」


 重ねられた手指にそっと力を込めたグラントの労わるような声色。

 彼からの問いはこれで三度目。……あまり言いたくはないけれど……これでは言わないわけにも行かないかも知れない。


 私はそっと諦念の息を吐いて口を開いた。


 

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