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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』54

「俺も今ちょうど、それについて考えていたんだが……」


 数秒の『間』の後にグラントが口を開いた。

 眉間にはうっすらと縦の皺が寄っているけれど、眉の角度は怒りと言うよりは困惑を表しているし口元にはぴくぴくと笑いを我慢しているような引きつりがあった。

 なんとはなし、複雑そうではあるけれどやはり彼には別段不機嫌そうな様子はない。


「まあ……なんと言うか、フローお嬢さんがそこいらの淑女とは違うんだって事を再認識したと言うか……」


 無精ひげの浮いた左頬に微かなエクボを刻み、グラントが肩を竦めた。


「……なによそれ?」


 確かにちょっとだけ私の行動はお淑やかなモノとは言えないかも知れないけれど、私だって必死だったのだ。

 それにそんな言葉では質問への答えになどならないではないか。


「褒め言葉のつもりだよ。それからキミが気にしている事だけど……俺が動いた場合よりも実は、よっぽど『いい塩梅』に決着がつけられるかも知れない」


 つい睨みつけた私の視線の先、グラントの目元と頬に笑い皺が刻まれた。

 時ならず。彼があまりに良い表情をするものだから……ついどきどきしてしまったではないか……。


 なんだか褒め言葉に聞こえない褒め言葉に関してはぐらかされたような気もするけれど、一体どういうことかと問う私に答えず、彼はグラヴィヴィスに暗色の瞳を向けた。

 瞳と瞳、余人には伺えない話し合いと納得がその数秒にはあったのかもしれない。

 私に視線を戻し、グラントは話を再開した。


「例のあの人物……と言うのも桟橋でも散々名前が出ていた後に馬鹿馬鹿しいな……。アレだ、バズラール卿。確かにキミ……いや、シザー卿が『大暴れ』せずにいてくれたなら、彼を捕縛することは出来たかも知れないんだけどね。捕縛したらしたでまた……面倒なことになるんだ」

「だって、彼が全ての黒幕なのに」

「そう。確実に全ての糸を裏から操っていたのはバズラール卿なんだけどね」


 だけど、難しいのだ……と彼は言う。

 そりゃあ単純な話ではないとは思う。相手は失脚したとは言っても大国の軍務大臣と言う要職を務めていた大立者なのだもの。

 だけど、大公城から設計図が盗まれたのは事実ではないか。こちらにはスティルハートと言う生き証人だっている。

 花嫁行列襲撃事件に関して言えば物証はないようだけれど……ああ……そうだ、スマルーの砦に花嫁行列襲撃事件の犯人の一人として捕らえられた男がいるではないか。彼に証言を求めればあるいは……と、勢い込む私にグラントが首を振ってみせた。


「それでも難しい。……いや、バズラール卿を『バズラール卿』としてこの国の中で裁くことは出来るんだ。だけどそれに意味があるか無いかが問題で」

「意味って……」


 唐突に投げかけられたその問いに、私は驚いて目の前の暗色の瞳を覗き込む。


 ……バズラール卿を『バズラール卿』として裁くことの意味??

 罪人と罪人として裁く事の意味を問われるなんて思ってもみなかったけど……でも。


「……これもまた、フド……あの、前の時みたいに『玉虫色の決着』が望ましいって言うこと?」


 アグナダ公国やリアトーマ国の対外的な面子もある。

 罪を裁くにはまず『犯罪』があった事を認めなければならない。しかしそこを明らかにしてしまえば、アグナダやリアトーマが他国の諜報機関に懐の奥深くへと潜入を赦し、いいように操られていたあのフドルツ山の金鉱脈事件を、公のものにしなければならなくなってしまう。


 そこまで遡ることなく、ただ単にバズラール卿がプシュケーディア姫の持参金代わりの新造船設計図を奪った部分のみに焦点を合わせるとしても、大公城の最奥にあり厳重な警備の元にある筈の書類が持ち出された事実を公表する結果になる。


 罪を犯した人間を裁く事自体は世の秩序を護る行為としては正しい。

 だけど今回の件に関しては事件を公表した時点で対外的に面子を保てず、また国内に対しても示しがつかない。

 極端な言い方だけれど……『メリット』が無いのだ。


 それどころか


「もしもバズラール卿をこの事件の首謀者として処断しても、ボルキナ国はそれを、『バズラール卿』だとは絶対に認めないだろうな。証人を立て声高に本人だと主張しようものなら、アグナダ公国がボルキナ国を陥れる為に事件を捏造しているとまで言われかねない。……それをきっかけにボルキナ国が周辺のシンパの国々を纏め上げ、対レグニシア大陸連合が結成される……なんて、最悪なシナリオだとは思わないか?

「……まさか」


 いくらなんでもそこまで……と口に出しかけ、私は言葉を失った。

 現実としてボルキナ国はアグナダ・リアトーマを噛み合わせ、両国が弱ったところでレグニシア大陸へと強襲しようと画策していた前科があるのだ。

 『いくらなんでも』なんて考えは甘すぎる。


「……グラント、貴方が周辺諸国の情勢にもっと敏感になるべきだと主張する気持ちが私、本当に良くわかったわ。……だけど、だったらねえ? 貴方は一体どうするつもりであの場所にいたの??」


 バズラール卿を『バズラール卿』として裁く事が出来ぬのであれば、グラントは一体バズラール卿をどう扱うつもりだったのか。この流れからすれば私の質問は、至極自然且つ当たり前のモノだったと思う。

 ……それなのに、どうしてグラントは間の悪そうな様子で目を泳がせ、この話とは関係ないはずのグラヴィヴィスが口元を隠すようにして笑ったりするんだろう?

 私は思わずグラヴィヴィスへと顔を向けた。

 感情がそのまま表情に表れ、とても怪訝そうな顔をしていたと思う。


「ああ……失礼。でも、言い難いこともあるのですよ……フローティア殿。車内の会話は車内だけに留める事はお約束したので話しますが、ブルジリア国もボルキナ国の隣国。しかも一応陸続きの同じ大陸です。私も件のバズラール卿については色々な逸話や人となりなど耳にしております。ですから……バルドリー卿のなさろうとした事に異を唱えるつもりはさらさらありませんし、むしろ私が同じ立場でも、恐らくは同様の行動を取ったかと。……バルドリー卿……言いづらいのでしたら私からフローティア殿にご説明差し上げましょうか?」

「──────いや結構。なんて言ったらいいか……最初からそれを狙ったわけじゃあ勿論ないんだが、最終的には『後顧の憂い』を絶てればと……ね」

「……それって……」


 ああ……もう。私はなんて余計なことを聞いてしまったんだろう。


 桟橋でグラントが弓兵にバズラール卿を狙わせていた時、グラントはバズラール卿を盗人の元締めだと言っていたけれど、それはただの煽り言葉ではなかったのだ。

 あそこにいたのはバズラール卿であってバズラール卿ではない。

 大公城から重要書類を盗み出すようスティルハートを操った『盗人の元締め』。


 盗み出したの物の価値を考えれば、それを盗み出すように指示した人間に与えられる刑は恐らく死罪となる。

 バズラール卿を『バズラール卿』として裁けぬのであれば、後はもう盗人の元締めである一人の男として裁くしかない。

 だけど一国の軍務大臣まで務めた人間であることを知りながら、それを窃盗のかどで縛り首にと命ずるのは、大公としてもやり難いに違いない。

 そもそも卿本人がそれを受け入れるだろうか?


 ……たぶんバズラール卿は戦って討ち死にするか、捕縛された後に自死を選ぶことになっていたのだ。

 そうすればグラントの言うとおり、バズラール卿が再びレグニシア大陸に野望を抱き暗躍する『後顧の憂い』は絶たれることになっていただろう。


 ……もしそうなったとしても、私は彼へ同情などしない。バズラール卿がいなければメイリー・ミーのお父上は死なずに済んだのだもの。

 それに、もしも彼の抱く野望が現実のものとなっていたのなら今頃、このアグナダ公国とリアトーマ国は互いに憎しみを燃やし戦い合っている最中だったかもしれない。


 戦になれば数え切れないほどの多くの人間の血が流されていた筈だ。

 二つの国が相戦い、疲弊しきったところでボルキナ国はレグニシア大陸を襲い、更にまた大量の血が流される筈だった。

 そんな血みどろの構想を現実にしようとしていた人に同情を寄せるほど、私は優しい女ではない。

 ……私よりも寧ろグラントの方がバズラール卿に対して……なんと言うのだろう?

 尊厳を尊重しているような気がする。


 こんなことを考えているとグラントにだけは絶対言えないが、同じく『後顧の憂いを断つ』のであれば、私ならきっと弓兵に毒の矢を使わせたか……それとも射手の数を増やして卿を逃げようもなく矢ぶすまにでもしてしまったのではないかと思う。なぜなら私はバズラール卿に対して恐怖を抱いているから……。


 グラントもバズラール卿の能力に畏怖を抱いているからその動向に注意を払い、これまで情報を収集して来ていたのだろうけれど、バズラール卿と対等の土俵で対等に戦って来た彼は私のような恐怖ではなく……たぶんその能力に対して敬意を抱いているのだ。

 だからこそ、リネの港へもグラント自らが出向き、己の刃を持って相戦うつもりでいた。


「……結局、バズラール卿には逃げられてしまったわ」


 卿の捕縛ではなく設計図回収を優先するのは、重要度からしても的確な判断だったとは思うけれど……。


「この季節のホルツホルテ海渡航なんて、自殺行為以外の何物でもないよ」

「それはそうだけど……もしも万が一と言うこともあるじゃない」

「万が一卿が故郷に帰着することが出来たとして、今回の設計図奪取が権勢回復の為の起死回生の一手だったんだ。それを遣り損ねた今、もうバズラール卿が故国で復権することはないさ。それに……大公の事だ、この件が落ち着いて北の海が穏やかになった頃にでもボルキナにバズラール卿の事で一筆書き送るだろう」

「何を? だって、バズラール卿の行動の事で苦言を呈したりしたら……」


 事実無根の捏造だとでも騒がれて、アグナダの足元を掬う材料にされでもしたら大変ではないか。

 首を傾げる私にグラントは『伝え方ひとつ』なのだと言った。


 バズラール卿がアグナダ公国から重要書類を持ち出そうとした……などと言えば反発されるだろうが、バズラール卿である事を断定せず言い回しを変えれば向こうも反論し辛いと言うのだ。

 例えば、バズラール卿を名乗る人物がアグナダ公国内に現れて問題を起こした。

 まさか卿本人のはずはないが、一応こういう偽者騒動があったのはお知らせした方が良いと思った……とでも言えば、ボルキナ国がこちらに突っかかってくる隙は無い。

 それに、バズラール卿がボルキナ国に無事帰国した場合もこれをボルキナ国に知らせておくことにより、国内の反バズラール勢力が卿へ対する監視と牽制を強める材料となるだろう。


「バズラール卿はじゃあ、今現在あらゆる意味においても『死にてい』だってこと?」


 グラントはなぜ私がそこにそれほどこだわるか……と、少し不思議そうにしながら頷いた。


「都合がいいことに……と言ってしまったらシザー卿に気の毒だが、面倒なバズラール卿の身柄や、場合によっては遺骸の取り扱いに大公は煩わされること無く、卿の逃亡の責をシザー卿に負わせることが出来るからね。そういう意味においては本当に塩梅良く事が運んだと言ってもいい」


 ……彼の言葉を聞いて俄かに、私は自分の胸がドキドキと高鳴ってくるのを感じた。


 私が大公城からスティルハートを追わねば、シザー卿は桟橋に乱入してきたりはしなかった。

 シザー卿さえ来なければ、グラントは本当の意味でバズラール卿を『後顧の憂い』のないようにすることが出来た筈。

 当然彼の事だもの、設計図だって無事奪還出来ていただろう。


 だけど現実はバズラール卿に逃亡を許し、更には二枚の設計図のうち一枚は焼失。一枚は私が記憶しているからなんとかなるだろうけれど、バズラール卿逃亡がどれくらいのマイナス要素を持っているのか……どうしても私は確認したかったのだ。

 だって……。


「──────グラント。貴方が奪い返した図面はアグナダ公国にとって、とても重要な品物なのよね?」

「ああ」

「……本当に本当に重要なものなのよね?」

「? ……一体どうしたって言うんだ、フロー?」


 私の拘りぶりに、グラントが怪訝そうに眉を顰めた。


 国家の平和安定、それに国としての威信を守ることが出来たのだもの。大公は感謝する筈だ。

 古から君主制社会において、功績を立てた臣下に対してその功に報いる褒賞を与えるのが慣例となっている。


 グラントは軍人ではないのだから『褒章』ではなく『褒賞』だ。

 五十と余年前のアグナダ・リアトーマ間の戦争で功績を立てたグラントの曽祖父様は、その功によって爵位を与えられ貴族名簿に名を連ねることとなったけれど、あの頃は長きに渡る戦によって多くの貴族家の家系が途絶え、あちこちの地方で所有者を失った土地があり、貴族名簿にたくさんの空席が出来ていたのだ。褒賞として与える土地にも困らなかっただろう。


 だけど今は違う。

 封爵を受けた彼の曽祖父様、そして祖父様であるカゲンスト・バルドリー卿の才覚によってバルドリー家は『侯爵』に封じられ、もはやこれ以上の官爵など望めないし望む必要もない。……と言うか、グラントはそれを望まないと思う。


 彼は胸にピカピカ光る勲章など喜びはしない。

 権威や権勢よりも大事なもの、愛しているものがあるのだもの……。


「設計図の一枚は現物があるけれど、もう一枚は私の頭の中にしか存在しないでしょう?」


 設計図は二枚揃って意味を成す代物。これが二枚とも奪われていればアグナダ公国は……いや、アグナダ公国だけではなく、リアトーマ国を含むレグニシア大陸全体がボルキナ国からの侵略の危険にさらされる事となっていた。

 バズラール卿が逃亡して去った今、国家の危機は回避されたけれど二枚の設計図が正しく揃った状態にならねば『国家の威信』は保てない。

 アグナダ公国はリアトーマ国からの信頼を無くす事となる。


 なんだか気が高ぶって来ているせいか、喉が干上がるように張り付いた。


「……ねえグラント。貴方が止めるのであれば黙って頭の中の設計図を大公に差し出すけれど、その……私、これを『交渉』の材料に使ってはいけないかしら?」


 ずっとずっと……彼に対して申し訳なく思いながら、どうする手立てもないままになっていたけれど。


「交渉??」


 怪訝そうに眉を顰めたグラント。


「そうよ」


 この『設計図』と言うカードは今後望むべくも無い強力なカード。

 グラントは土地や官職ではなく大公から引き出したい『褒賞』について彼なりの考えがあるだろうけれど、その上にちょっとだけ要求の上乗せをしたところで罰は当たるまい。

 レグニシア大陸の平和安定と、アグナダ公国の国家としての威信を守った功労者の要求なのだ。フェスタンディ殿下も大公も絶対に断ることなんて出来やしない筈。


 私は口中の唾を飲み込んで、言葉を続けた。




「ねえグラント、貴方……この先も時々は『グラント・バーリー』になりたくはなくて……?」


 ……と。



 目を剥いて口をぽっかり開けた間抜け顔のグラントと言う、珍しいものを見た。


「フローお嬢さん……キミ……」


 絶句の中から言葉を搾り出した彼の表情が、パシパシと二つの瞬きを挟む間に驚きから苦笑いへ変化を遂げる。

 最終的にグラントがどういう顔をしていたのか、私には確認出来なかった。

 何故なら私の体は彼の両腕の中にしっかりと抱き込まれてしまったからだ。


 でも、見えなくたって分かる。クツクツと揺れる彼の肩で、グラントがお腹の底から笑っている事は。


「まったく……さすがだよフローお嬢さん。キミ以上に立派な商人の妻はいないね……!」


 少し焦げ臭いグラントの胸の中、私も自然、笑顔になる。

 こんなに心の底から一点の曇りなく笑顔になれたのは、一体何時以来のことだろう?


「貴方は少したるんでいてよ。また修行しなおさなくてはね」


 笑いながらの憎まれ口。

 だけどグラントがそれを許してくれることを私は知っている。

 フェスタンディ殿下らに大きな借りを作ってまで私のような出来損ない女を望んでくれたこの人は、本当に本当に懐の大きな人なのだもの。

 大好きな彼の胸の中、笑いに揺れる肩口に額を乗せて、私は減らず口を更に追加した。


「とりあえずお礼は、私とグラヴィヴィスが駄目にしたマントと帽子の代金の弁済でよくってよ」


 ……と。


 

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