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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』46

 馬の背に揺られ私とグラヴィヴィスは城の外、水路沿いの一本道をゆっくりと進んで行く。

 比較的人通りが多いのは、城外から下働きに通う使用人の交代時間とかち合ったせいだろう。

 人気の無い道より馬や人の動きがあった方が気配がまぎれて都合が良い。


「どうしたわけか厩も兵舎も慌しい様子で……馬を二頭借り受けるのは気が引けたのです。窮屈でしょうがお許しください」


 二人乗り用の鞍の後部に跨り、私を抱え込むようにして手綱を持ったグラヴィヴィスが頭の後ろから私に詫びる。

 厩舎が慌しいのはエリルージュ捜索隊が出発する準備の為。


 大公城に馬はたくさんいるのだろうけれど、馬を引いて彼が戻ってきたあの早さ……誰かが使うつもりで厩舎から引き出した馬を、ごり押しに鞍を乗せ換え連れて来たのではないのかしら?

 もしかしたらエリルージュ捜索の為に大急ぎで出した馬かもしれないのに、厩番もさぞかし困ったことだろう。

 ……そうは言ってもこちらも緊急事態だったのだ。

 そう。緊急時でもなければ私だってこんな……二人乗りの鞍に『跨る』なんてはしたない真似は絶対にしなかった。


 馬と共にグラヴィヴィスは、私と自分の為に騎兵か誰かの私物と思しき地味な色のマントと黒い鍔広の帽子を拝借して来てくれた。

 男性の物と思しきマントの丈は十分に長い。ドレスのスカートはたっぷりの布を使っている。

 本当は両手でローブが風でめくれ上がらないよう押さえつけたいけれど、マントの中に握っている銀の杖を落としてしまっては大変だ。


 大丈夫……ボリュームのあるパニエも履いているのだもの、脚がむき出しになる事はない筈。

 いつもは婦人用の横座りの鞍しか使わないから、脚を広げて鞍に跨るなんて気持ちが悪いけれど、今はそんな事を言っている場合ではない。


 スティルハートは周囲の人間の歩く速度に合わせ、自然な足取りで淡々と道を行く。

 彼女が城外で捜索隊と合流するのでは……との淡い期待は、スティルハートが外にいた数騎の騎兵らの横を帽子の鍔を引き下げて通り過ぎたことで儚くも消え去った。


 どうしてあのスティルハートが……?


 そんな思いが脳裏に渦巻いていた。

 だって、彼女はもうプシュケーディア姫に一年以上も仕える侍女達の中では古参の侍女ではないか。

 自身の輿入れ仕度に興味を示さないプシュケーディア姫の為、カチュカとスティルハートの二人で選び誂えた衣装や身の回り品の数々は、流行や王女の体型、髪や目の色などを考慮してどれもプシュケーディア姫によく似合うよう作られていた。


 忍耐深く朗らかに、いつもきめ細やかな配慮の行き届いた誠実な仕事をしていた彼女が何故……?

 これは何かの間違いなのではないか……私の中にはそんな気持ちが残っていたのだけれど、暫く歩いた先の通り、彼女が物陰に停車されていた馬車に素早く乗り込むのを目にした瞬間、そんな甘い気持ちは私の中から吹き飛んだ。


 彼女の乗り込んだ一頭立ての小さな箱馬車は、辻馬車などではなく貸し馬車だ。

 リネの港の外れの大きな貸し馬車屋で同じ形の箱馬車がずらりと並んでいるのを私は見ているのだ、間違いない。

 貸し馬も貸し馬車も、こんな時期に飛び込みで借りられるわけがない。この時期週間……下手をすればもっと前から予約でも入れておかねば用意出来ないだろう馬車に、彼女は何の躊躇もなく乗り込んでいる。

 ……これは最初から計画された事。


 スティルハートを乗せた途端、御者代の男はぱちんと鞭をふるって馬を走らせ始める。

 馬車の進行は緩やかだ。

 人と馬車と馬とで往来はたいそうな賑わいを見せているのだから、急ぎようが無い。

 街灯と街頭の間をピンクや赤のリボン飾りが繋ぎ、通り沿いの店のショウウィンドウは華やかにフェスタンディ殿下とプシュケーディア姫の結婚を祝ってデコレートされていた。


 一体何時から彼女は?

 それに……どうして?


 この件がグラントの言ったとおりボルキナ国の元軍務大臣バズラール卿の計画だとしたら、スティルハートは彼と一体どういう繋がりがあるというの???

 ……スティルハートはこれまでに三度『侍女』として花嫁に同行していると言っていた……。

 だけどもし彼女の奉公の中にボルキナ国の名があったのなら、スティルハートが侍女として雇い入れられることは無かった筈……。


 これは私が後に聞いた話になるのだが、彼女の二度目の同行先はメジェール国の関白の屋敷。そこでは同行の花嫁に美貌のスティルハート疎まれたようだが、関白の亡き先妻の長女は彼女を気に入り、実質的には花嫁ではなく関白家の娘の侍女として彼女は勤めていたのだそう。

 ボルキナ国と彼女の係わりは、娘の留学。

 メイリー・ミーも国外の女学校で寄宿生活を送っていたが、裕福な上流家庭では子女を国外に留学させるのも珍しい話ではない。スティルハートは関白らと共に娘の就学準備の為、一時ボルキナ国に渡航していたのだ。


 モスフォリアやシズミュワレファ、メジェールなどのあるアリアラ海南岸からボルキナ国は遠い。

 アリアラ海を渡りホルツホルテ海を越え、十日……二十日の日数をかけて一国の関白位にある人間が渡航しておきながら、ただ娘の就学準備だけを目的にするわけが無い。

 彼は渡航後精力的にボルキナ国の要人らと外交的活動を行ったのだ。

 関白の外交相手の中には当時ボルキナ国で強い権力を持っていたバズラール卿の名前があったのは当然の事だろう……。


 だが、この時の私にはそんな過去の事情など知る由もない。

 スティルハートの過去に関する情報など持っていなかったのだ。いくら自分の中に答えを探しても解答など出てくるわけがないと言うのに愚かしいが、私は少しだけ答えの出ない疑問に気持ちを凝らしすぎたのだと思う。

 それに……彼女の行く先にもしや『あの』バズラール卿がいるのではないかとの恐怖心もあった。

 そんな緊張感と動揺の為か、私は杖を持つ手に気持ちを配るのを疎かにしてしまっていたらしい。

 しっかり握っていたはずの杖がマントの合わせからスルリと滑り出し、パニエの膨らみの上に転げ出た。


「……あっ」


 声を上げた時には銀色の杖はマントの下のローブのドレープやひだ飾り、リボン飾りの膨らみとへこみの上を滑りゆるゆると踊るように落ちて行く。


「フローティア殿……っ」


 慌てて杖に手を伸ばしたせいでバランスを崩しかけた私の体を、グラヴィヴィスが手綱を持ったままの右腕で咄嗟に捕まえてくれた。

 もう片方の手は手綱から離し、私の銀の杖を捕まえている。


「……っ……大丈夫ですかフローティア殿……?」


 鞍の上で変な風に身動きしたせいか、馬がに首を打ち振るい石畳を鳴らしてその場にバタバタと足踏みをした。

 グラヴィヴィスはバランスを立て直した私から手を離し、馴れた様子で馬をなだめにかかる。


「ご……ごめんなさい。ありがとう」


 私は素晴らしい手並みで馬をあっという間に落ち着かせた彼に礼の言葉を言って杖を受け取った。

 心臓が激しく煽っている。

 今の騒ぎで私達の事に気づかれたのではないかと気になったが、いつの間にかスティルハートの乗り込んだ馬車は左右の窓とも覆いが引かれて内部の様子が分からなくなってしまっていた。

 ……それは同時に内部からも外の様子は見えないということ。

 御者台の男がちらりとこちらを振り向いていたようだが、私の事を知っているのはスティルハートだけだ。


「もし宜しければその杖はお預かりいたしましょうか? ……この季節に戸外で金属の杖は女性の手を冷やしすぎます」


 そう気遣われて私は首を振った。手綱を手にしたグラヴィヴィスに杖まで持たせるわけには行かない。

 それに、金属の杖で手が冷えるのは私だけじゃなく彼だって同じ事。


 ……そんな心の中を見通してか、グラヴィヴィスは自身のマントの端を持ち上げて剣帯と剣とを私に示してみせた。


「ノルディアークで教訓を得ましたからこの通り……剣帯も装具して参りました。武器ではありませんけど杖もこちらに吊るせば……と思いまして」


 彼にそう言われ時ならず。私はノルディアークでグラヴィヴィスの襲撃者に杖を投げつけた事を思い出す。

 それに……ブルジリア王国で流布した彼と私との不名誉な噂の事も。


「いえ……その……杖はマントの上から布越しに、今度はしっかり掴んでおきますわ」


 今は緊急事態なのだから仕方がなかったとは言え、一頭の馬の背を分け合って異性と外出だなんて……品行方正な人妻のすることではない。

 考えてみれば私のしている事はとんでもないことなんじゃないかしら……?

 ここに来てやっと私は自分が今、どういうことをしているのかに気づき愕然とした。

 黙って大公城を抜け出したのは……一国どころか三つの国の今後の安定と平和が掛かる一大事なのだから仕方がないとして、一緒に出て出た相手が悪すぎる。

 彼と私とはその関係が『不適切』な物としてブルジリア王国内で噂された当の二人。しかも、グラヴィヴィスは不貞を許さぬ女神サリフォーを奉じる教会組織の主管枢機卿と言う立場の人間で……。


 グラヴィヴィスは何をどう間違ったのか私に想いを寄せている事を告白してきた相手。も……もちろん私にそんな気持ちはないけれど、そんな相手と二人きりで出歩くなんて世間にどんな誤解を受けるか分かりはしない。

 いえ、外聞の問題だけじゃなく彼は王位継承権の放棄はしているけれどブルジリア王国王弟なのに。

 もし彼に何かあったら……外交的にも問題になるのは必至。

 そもそも無関係な彼をこうして巻き込んでしまったこと事態がとんでもないこと……。


 あの場面で他にどうすれば良かったのかは分からないけれど、どうしてこんな馬鹿なことになってしまったのかと、私は自分のおかれた状況に眩暈を覚えた。

 杖の鏡面のように磨かれた丸い柄ににわかに加熱した額を押し当てると、そのひんやりした冷たさが心地よかった。


 私が託して来た手紙は既に設計図奪還の為の対策会議に集まった人の手に渡っている筈だ。

 タイミング的にはエリルージュ捜索の人々が出発してしまった後だったかもしれないけれど、それでもまさか全ての兵が出払い、大公ら責任者が一人残らず不在になっているなんて事はあるまい。


 スティルハートの乗る馬車は大通りを避けて裏道を選んで進んでいたが、夕方になりぼちぼち路上に現れた酔客らで混雑して来たせいでその進行は緩やか。……けれど、既にだいぶん大公城からは離れた場所まで来てしまっていた。銀の杖を握り締めたままそっと後ろの方を窺い見たのだが、私達を探してくれている誰かの姿は見受けられない。


 一体どうなっているのかしら?

 まさかあの手紙を受け取った人間が誰も無かったというの?


 私は膨らむ焦燥感を押さえ込み、冷静になろうと日の傾きと共に冷え始めた空気を胸いっぱいに吸い込んだのだが……。

 深呼吸したところで私は全く冷静になどなれていなかったのだ。だって、私もグラヴィヴィスも上等な貴族らしい衣装の上に借り物のマントを着込み、黒い鍔広帽子を被っているのに……。


 私は鍔広帽が風に飛ばぬよう肩から胸元を覆っていたシフォンスカーフで帽子を押さえ、顎の下にリボン結びで結わえ付けている。

 スティルハートや御者台の男に目立たぬよう彼らを追跡する必要があったからではあるが、今の私達の装いは酷く地味でありきたりな格好。いくら手紙を受け取った人間達が慌てて私達を探したとしても、なかなか見つけられぬのも当然ではないか。


 まあ、結果的には私の銀の杖が彼らが私達を追う目印になったのだけれど……。

 あの時私が杖を取り落としそうにならずマントの下に銀の杖を抱え込んだままだったら、どういうことになっていただろう……?


「……今の状況についてご説明を求めるわけには行きませんか、フローティア殿?」


 セ・セペンテスの繁華街を完全に抜けた頃、それまで沈黙していたグラヴィヴィスが口を開いた。口調にも声色にもイラついた様子や怒っている気配は感じられないが、彼の質問は尤もなこと。


「あの……ごめんなさい。詳しい事情について話していいことかどうか、私には判断出来ません。ただ……『彼女』が城外に持ち出してはならない物を持ち出したとしか……」


 これはアグナダ公国とリアトーマ国、それにモスフォリア国の問題であってグラヴィヴィスとは直接関係の無い事。彼を巻き込んでおいてこの言い種は酷いと我ながら思うのだが……。

 歯切れの悪い私にまんざら機嫌の悪そうじゃない様子でグラヴィヴィスが言う。


「まあ別にかまいません。あの『侍女』がアグナダ公国の国家機密を持ち出したにしろそうじゃないにしろ、私としてはフローティア殿とこうして遠乗りする機会を得ることが出来たわけですから」


 一瞬の思考の空白……。

 そして次の瞬間に襲ってくるのは激しい動揺。


「グ……グラヴィヴィス……貴方一体いつから……!?」


 きっとばかりに振り向いて見上げた顔にはいつもより楽しげな表情と、不思議な光と影の宿る明るい薄茶の瞳。


 渡り廊下をはずれて芝生に踏み出してすぐにスティルハートは外套を羽織り、帽子を目深に被っていた。プシュケーディア姫の侍女がどんなお仕着せを着ていたかを彼が知っていたとしても、スティルハートが外套を身につける前から見ていなければ、グラヴィヴィスが彼女を『侍女』と見抜けるわけが無い。

 それに国家機密だなんて……私はそんな事、一言も話してはいないのに。


「バランスを崩しますよ……フローティア殿。私としては危うくなった貴女を抱きとめるにやぶさかじゃありませんけれど……危険です。朗らかにお話をいたしませんか? 彼ら……海岸沿いの道を行くようですよ? こっちは港からセ・セペンテスに来る時に私も通った道ですね……」


 言われて慌てて顔を戻す私の視線の先、小さな箱馬車がリネの港町へ続く道へと曲がるのが見えた……。





 ***


 グラントが招じ入れられた城内の一室には、大公とフェスタンディの姿があった。

 小さな部屋の中には八角形のカードテーブルが一台とその周りを取り巻く八脚の椅子。グラントから見て正面の席に大公が腰を下ろし、左側には結婚の儀への出席の為に入城していた参議の一人レバイック卿と、大公の血縁でもある参議のエグザ公爵。

 右手の椅子にはフェスタンディの姿もある。


 こじんまりとしたカードルームには、テーブルの他は小さな暖炉とマントルピース。それから炉棚の上部に埋め込み式の飾り戸棚が一つだけ。

 室内全体の色調が明るいだけではなく。豪華な柄のタペストリーやクリスタル製シャンデリアなどに誤魔化されているが、部屋には小さな窓が一つだけしか無い事にグラントは気づいていた。

 これに分厚く頑丈な扉とくれば……ここがカードゲームを楽しむためだけの部屋でないのは瞭然。


 今回はたまたま城内にいた面子がこの部屋に集まっているのだろうが、恐らくアグナダ公国の政はこの部屋で大公と参議らの『カードゲーム』が行われるごとに大きく動いているのだろう……。


「……バルドリー卿。折角キミが忠告をくれたのに、どうやらそれを無駄にしてしまったようだ」


 茶がかった灰銀色の口ひげの端を捻りながら大公が言った。

 齢六十を数えようとしてなお大公には『老人』より『壮年男性』との表現の方が合っている。口調は偉ぶらず、いつも穏やかで打ち解けて静か……。

 戦時の君主であった先代大公と比べて現大公には凡庸との声もあるが、ただ穏やかなだけの人間がこの大国を数十年に渡って安定的に纏め上げてこれるわけが無い。


「いえ、こちらもどうやら手抜かりがあったようで」


 城の周囲で自由に動くことを黙認されながら、監視の網を張りきれなかった。

 苦々しげな表情のグラントにフェスタンディが口を開く。


「手抜かり? そんなものなかっただろう?」


 フェスタンディはシザー卿の横槍が入ったことを知っている口調だ。

 ……どうやらダイタルがグラントに手落ちが無かった事を弁明するため、協力者が配置につくのが遅れた理由を彼に話したらしい。

 それはフェスタンディや大公だけではなく、レバイック卿とエグザ卿にも周知の事のようだ。


「相変わらず『生え抜き』には毛嫌いされているようですな」


 自身も爵封から歴史の浅い家のレバイック卿が渋い表情で言うと、エグザ卿は小さく首をふって


「いやぁバルドリー卿を評価する人間も多いよ。だがねぇ……卿の功績と能力はあまり皆に知られていないから……」


 グラントはフドルツの金不正流出事件の真相を暴いただけではなく、大公の姉アリスマリナの嫁ぎ先であるブルジリア王国の内乱を防ぐ手助けをした事もある。

 今年に入ってから再びブルジリア王国内の宗教がらみの混乱が生じた時にも事態の収拾に一役買い、王国に大きな『恩』を売った。

 国内に鉄鉱山を持たないこの国にとって最大の鉄輸入先がブルジリア王国。

 グラントが『恩』と引き換えに向こうから引き出した対アグナダ公国貿易に於ける関税率引き下げは、アグナダ公国に大きな益を産むものだ。

 ことに、アグナダ公国とリアトーマ国の陸路を繋ぐ『黄金街道』延長工事が始まろうかと言うこれから先、工事の現場でもその後の宿場町の建設時にも鉄の需要は大きくなるのだから、彼の功績は今以上大きな意味を持ってくることだろう。


 まあ……他国であるブルジリア王国の件はさておき、フドルツ山金鉱脈の事件はあのまま事実が発覚せずにいれば、レグニシア大陸全体がボルキナ国に侵攻を受けた可能性もあったのだ。

 グラントの功績はリアトーマ国とアグナダ公国との戦争終結のきっかけを作った彼の祖父カゲンスト・バルドリーよりも大きいかも知れないのだが……。


 残念なことに、彼のその功績を知る者はそう多くは無い。

 ……『知らない』のではなく『知らせることが出来ない』のだ。


 フドルツ山の事件には、アグナダ公国にしてもリアトーマ国にしてもあまりにも多くの貴族階級の人間や上級官吏が関わってしまっている。しかも、それらが全てボルキナ国の陰謀だなどと知られては政情不安のもとにもなりかねない。

 それに……ブルジリア王国絡みではグラントはアグナダ公国の侯爵家当主である事を隠し、偽名を使い、あろうことか商人に身分を偽って……いや、偽るどころか実際に商人としての活動を行いながらの暗躍。

 こんなこと、公に出来よう筈もないではないか。


「功績は充分以上に充分。それを世間に知らせるのは難しいが……それでも能力のある人物なれば、やがて余人も納得することだろう。……バルドリー卿? そんなところで立っていないで、キミもいい加減に『こちら』に座らないかね?」


 口髭と同じ灰銀色の眉の下、大公の灰青色の目がフェスタンディの向こう側の椅子を指し示し、グラントに着席を勧めた。

 ……物理的にその椅子への着席を求められているわけでは無い。

 大公と次期大公位を継ぐフェスタンディの参議としてこの椅子に座れ……大公はそう言っているのだ。


「今は……立ったまま失礼させていただきます大公。急ぎ調べたいこともありますので。……それよりも『侍女』の件はどうなっているのですか?」


 こんな場所で暢気に顔を突き合わせて相談しているような余裕は無いはずだった。時間が経過すればするほどに、失踪した『侍女』の発見も身柄の確保は難しくなってしまうのだから。

 グラントの問いに答えを返したのはフェスタンディ。


「現在緊急招集を各所にかけている。今は会議室の準備待ち。……幸いと言っちゃおかしいが、街も周りの街道も、これ以上ないくらいに警備が行き届いているだろう? 押えどころさえ間違わなければかなりの精度での探索も……最悪、街の封鎖も可能だ。……探索にしても包囲にしても、彼女の顔を知っているモスフォリア側の人間の協力が必要だ。探索網はまず向こうが出せる人数を確定させてから……だな。グラント、お前何か意見か案はあるか?」

「いいや。でも俺に協力してくれている者の中にも彼女の顔を見知っているのが何人かいる。そちらに行くよう伝えておくから、上手く使ってやってくれ。ただ……俺もなんとなく王女の侍女の顔なら分かるが……動かすのが『軍』であれば、俺は直接関わらない方がスムースにことが運ぶだろうな……」


 一端言葉を切って、グラントはなにやら思案しながらフェスタンディに侍女の失踪と設計図盗難の件は王女側から直接申告されたことなのかの確認を取った。


「ああ……『彼女』が向こうにいるなら、恐らく今頃失踪した『侍女』の人相書きが何枚か用意されているはずだ」

「人相書き!? あ……! ……ああ……そうか。……なるほど」


 レレイス輿入れの介添え役として同行し、フローを妻として得るにあたって、彼はフェスタンディに協力を仰いでいた。


 ボルキナ国のフィフリシスからメイリー・ミーを救出し、老ラズロがメイリー・ミーに託していた金不正流出の証拠をアグナダ公国に持ち帰った際、フローは一度この国に来ている。だが、その事実をグラントは大公らへの報告から削除していた。

 アグナダとリアトーマが冷戦状態にあった当時、国境の町エドーニアで諜報員を発見・検挙する活動をしていた事を知られては彼女がどんな裁きを受けるかわからなかったからだ。


 協力を仰ぐにあたって学舎の頃からの友人であるフェスタンディにはある程度の事情を明かしたし、レシタルからフローについて色々と聞き出していたレレイスからの情報も、フェスタンディの耳には入っていたのだろう。

 どうやら彼は、レレイスがサザリドラム王子に贈ったあの肖像画の作者がフローであることを知っているらしい。

 事情を知らぬ大公らに配慮し言葉を濁してくれた事をありがたく思いながら、グラントは頷いた。


「彼女なら相当に素晴らしい精度で仕上げてくるはずだ。……有効に使って欲しい」

「もちろんありがたく使わせてもらうよ。……お、どうやら用意が整ったらしいな。……ところでお前はこれからどうするんだグラント?」


 カードテーブルの椅子から腰を持ち上げながらフェスタンディが聞いた。

 グラントの上着の隠しの中でジェイドからの手紙がカサリと鳴る。

 フェスタンディに向けていた目線を立ち上がった大公らに向けなおし、グラントは口を開く。


「セ・セペンテス周辺の情報を浚わせていたジェイドが、リネの港に不審な動きをする船舶があると報せてきました。……この季節に突然出航の準備を始めているとか」


 話を聞いて眉を顰める大公らを目線で扉の外へと誘い、グラントは話を続けた。

 設計図捜索の対策会議の準備が出来ているのなら、一刻も早くそちらに移動するべきだろう。


「……沿岸沿いに別の港へ移動するんじゃないのかね? 沖合いが荒れていてもそれならなんとか可能だろう?」

「リネの周囲の港では水深が浅すぎるのです……レバイック卿。出港準備を始めたのは、リネの桟橋にさえ入れない大きな船のようです」


 ジェイドの得た情報によれば、その船がリネに入港したのは夏になる前の事。

 積荷を降ろし、水や食料、乗船客や船員を入れ替え出航するのなら長い航海であってもそれほどの日数は不要だ。

 入港時にはある程度の積荷を下ろした記録もあるが、その後、船は空のままにリネの港湾内に停泊を続けた。


 他国では軍艦に転用されることもあるタイプの帆船で型も新しい。故障している様子もないのに長期の係留……。

 港湾使用料もけして安いわけではない。

 船は荷や人を積み、動かしてこそ利益を生む物。しかもけっして古くない大型の船ともなれば港湾関係者も気にかけて当然だ。


 港湾使用の延長の為に事務局を訪れた停泊船舶の関係者の男によれば、船はリネの港で所有者のもとから売却され、現在は新しい船主との間の譲渡契約でなにやら条件が折り合わずに折衝中であるとの話。

 それ自体さほど珍しい話ではないのだが、不自然な点がいくつか。


 ……船が長期係留されているのに、乗員が一人も解雇されていないのだ。


 船長や航海士や整備士などの操船の根幹を担う船員が船とセットで契約されているのはままあること。でも、雑役夫にいたるまでそのまま空の船に雇い続けると言うのはあり得ない。

 ……そこへ来てこの季節、突然船に食料や水などの航海に必要な品々が積み込まれ始めたともなれば不審さもいや増しに増す。


 武器や禁止薬物などの密輸入、奴隷売買など船舶を使った犯罪もあるにはあるが、船の喫水線を見れば積荷を積み込んだ形跡がない。

 これでは口実をつけて船内の立ち入り調査は不可能だ。


「彼に船の情報が届いた時点から、船舶所有者や船の譲渡に関する書類などリネの港湾事務局に届けられている内容を調べてはいるんですが……登録地が海を越えた遠隔地で裏を取るにはかなりの時間がかかるし……」


 そうこうするうちにもし船が出港……なんてことにでもなれば、調査結果など無意味になってしまう。


「……ホルツホルテ海がこの季節、酷い荒天こうてんで航行が出来無い事を知らない……なんてことは……ないよな。グラント、お前その船が今回の件とどう関係していると考えているんだ?」

「……もしも俺がバズラール卿なら……失敗出来ない作戦の指揮は遂行地からあまり離れていないところで自分自身が取ると思う。それに、戦利品を得たならその場で確認して自らの管理下に……。追い詰められた人間は時として無謀な賭けに出る事もあるとは思わないかフェスタンディ?」


 グラントの言葉に、会議室へ向けて歩いていた皆の足が止まる。


「まさか……バズラール卿本人が……!?」

「もし自分が追い詰められて起死回生を狙っていたならそうする『かも』しれないと言う想像……まあ……聞く人間にとっては妄想です。……ですからどうぞ会議室へお進みを、大公」

「うむ……。しかし……」


 歩き淀む大公にグラントは


「根拠の無い妄想で軍を動かすわけには行きますまい……大公。いざ茶番であったとなっても動いたのが私なら、失笑を買うだけで済みます。ただ……もし万が一の時には、リネで私や私兵……それに私に協力してくれている騎士や兵が暴れることになりますが、それはお見逃し下さい」


 と言う。


「グラント、お前……本当に自分の身分を考えたらどうだ。侯爵様は普通自分自身そんな危険な場所に出向いたりしないものだろう」

「そうなんだろうが……『傭兵上がり』がたった二~三代で『侯爵様』になるのは難しいみたいだな……」


 フェスタンディの言葉にグラントは彼らしい笑みを閃かせ、軽く肩を竦めると会議室には入らずに城外……リネの港さして出発していったのだった。



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