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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』45

 私は彼女への疑惑が自分の考えすぎであるように……と、祈らずにはいられなかった。

 このまま彼女がエリルージュ捜索の人達と合流してくれれば、私は自分の酷い猜疑心さいぎしんを恥じ入り、心の中で彼女に詫びるだけで済むのだけど……。


 獅子に跨った乙女像の横を行くスティルハートの足取りは妙に確信めいて迷いが無く、まるで前もって城内の様子を知っていたかのように思えるのは気のせいか。


 それにしても、私はなんて『尾行』に向かない人間なのだろう。

 派手な銀の杖をついて歩くだけでも目立ちそうなのに、このゴソゴソと広がるドレスの裾……。

 今日の主役はプシュケーディア姫だから色こそ栗茶で目立たない物を選んだが、ひだ縁やレースリボンが植え込みの低木に引っかかり、がさがさと鳴るのだもの。

 肩から胸元に掛けてを覆うシフォンのスカーフもすぐに小枝に引っかかるし、邪魔で仕方無い。


 幸いスティルハートは歩きながら自身の身形の乱れを整えるのに気持ちが行っているのか、後ろを歩く私には気がついていないようだった。

 彼女がやけに胸の下辺りを気にしているような素振りを見せているのは何故だろう?

 もしかしてコルセットの中に何か大事な物を隠している?

 『設計図』は箱と皮製のカバーを取り去れば、ただの極薄の紙。折りたたんでコルセットの中にでも入れれば、貴重品室を警備していた衛士らに気づかれることも無かっただろう。


 芝生の庭を横切ったスティルハートは常緑樹の生垣の間を通り、馬事訓練施設の横を歩いて行く。

 周囲に建ち並ぶのは兵舎や厩舎建物のようだ。

 恐らくこの近辺に衛士や兵士、騎馬の為の出入り口があるのだと思うのだが……スティルハートの歩みはなぜか止まらない。


 見た感じでは、この先は下働きの使用人らの区域。

 スティルハートの現在の身じまいを考えると、エリルージュのように正面出入り口から出てゆくとは思えない。


 使用人用の出入り口の方へ向かっているのかしら?

 もしかしてそちら側で捜索隊の人達と合流することになっているとか……?

 どうしよう……今すぐにスティルハートを呼び止めるべきか、それとも外へ出たのを確認してから衛士にでも彼女の身柄を確保してもらうべきか……。ああ……グラントなら一体どう判断しただろう?

 彼の事だものたぶん彼女をこのまま泳がせ、この事件の黒幕が誰か暴くくらいはやってのけそうな気がする。

 でも、今この場にはグラントはいないし……私はどうしたらいいのかしら……。


 いくら今現在の彼女の身分が『侍女』ではあっても、国許に帰ればスティルハートもそれなりの家格ある家の出の人間のはず。

 幾分年嵩だが未婚の女性にコルセットの中を見せろだなんて……彼女が『設計図』窃盗の犯人である確証がなければとてもじゃないが言い出せない。

 無実の疑いでそんなはずかしめを受けるなんてこと、私なら絶対に耐えられないもの。

 私が馬事訓練場の陰から顔だけ出し、スティルハートの動向を窺いながら懊悩おうのうしていた時の事。


「何をしていらっしゃるのです……?」


 そんな言葉と共に何者かの手が私の肩にポンと載せられた。

 突然だ。飛び上がるほど驚愕しながらも私が悲鳴を上げなかったのは、単純に驚きの度合いが大きすぎて声が『出なかった』だけの話。

 心の臓を激しく呷らせながら振り向いた先には明るい茶色の瞳。


「グ、グラヴィヴィス……」


 動転する私の前に現れたのは、先刻正面入り口前で出逢ったままの彼の姿。


「これは申し訳ありませんフローティア殿。……なんだか酷く驚かせてしまったようで……」


 驚愕に目を剥き唇を震わせる私を見る彼の目が、面白いモノを見る人間のソレだと言うのは被害妄想か。

 謝罪の言葉を口にしているくせに、ほんの少しも申し訳なさそうに見えないのも気のせい?


「……諜報活動中でしょうか?」


 にこやかに言われ、私ははっと慌てて馬事訓練場の向こう側に視線を戻した。


「……ああっ…………!?」


 なんてことだろう、スティルハートの後姿が見当たらない。


「大丈夫。帽子を目深に被った女性でしたら、建物の角を右に曲がって行きましたよ。ほら、あの赤いレンガの建物の脇。……彼女が追跡ターゲットのようですね」


 愕然とする私の背後、私の顔の脇から建物を指差してグラヴィヴィスが言った。一体何時から彼はスティルハートを尾行する私に気づいていたのだろう。

 なんだか馬鹿にされている気がして腹立たしいが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 一刻も早くスティルハートを追わなくては。


「……お待ちくださいフローティア殿」


 彼女の消えた建物の方へ慌てて足を踏み出そうとした私の両肩を、グラヴィヴィスは一体どういうつもりなのか、はっし掴んで引き止める。


「……お願い。邪魔をしないでくださらない?」


「邪魔なんてとんでもない。もし宜しければお手伝いしようと思ったからこそ声をおかけしたのですよ? 彼女の曲がった先は遮る物のない長い通路。……向こうは勿論こちらにも隠れる場所はありません」


 最初は肩を掴むグラヴィヴィスを睨みつけていた私だが、彼の言葉を聞くうちに眉間から力が抜けた。


「なぜそんな城の裏側を……?」


 使用人用の出入り口なんて……館の主すら知悉ちしつしない事もあると言うのに、どうして他国からの来賓である彼が知っているのか。


「セ・セペンテスに逗留して結構日数が経つのですよ。どうにも暇に耐えられない性分でして、大公の親族である事を盾にアチコチ探索させていただきました。……この先の廊下は防犯上の理由から頻繁に歩哨も来るし、隠密裏に誰かを追うには向かないと思います。なによりも使用人の通路に貴女のような貴族がうろついては無駄に人目に付く」


 確かに……そんなところに私が飛び出しては悪目立ちしてしまうだろうけれど、だったらどうすれば……。

 このままではスティルハートをみすみすこの大公城から逃がしてしまうことになってしまう。

 やはり急いで取って返し、誰かに助けを求めた方が……??

 だけど、そうするうちにもスティルハートはどんどん歩いて行ってしまう。どうしよう……このままでは彼女を見失ってしまうかもしれない。もしかしたら彼女の向かう先にあのバズラール卿がいるかも知れないのに……!


 表面上はどうか分からないけれど、私は半ば恐慌状態に陥っていたのだと思う。だって、そうでもなければおかしいではないか。

 まともに頭が働いてさえいれば私だって、グラヴィヴィスの


「慌てることはありません。外に出ても暫くは水路沿いで横道なしの一本道。もしも外へ今の女性を追われるのでしたら、私がそこからすぐに馬を借りてきます」


 なんて言葉に飛びつくように頷いたりはしなかったはずなのだもの……。



 本当に後から思い返してもどうしてそんな事になったのか、自分の判断力のお粗末さには呆れて言葉もない。

 グラヴィヴィスが馬を借りに厩舎へ入っている間、私は馬事訓練場の管理人室に駆け込んでペンと紙を借り、現在の状況を走り書きしたモノを城の小会議室へ至急届けるように……と、訓練場の管理人に託してきた。

 確かに私は酷く動転していたけれど、だからと言って人に何も報せずスティルハートを追跡しようなんて考えはハナからない。

 相手方がどれほどの戦力を持ち、どんな出方をするかも分からないのに誰がそんな無謀なことをするものか。

 だいたい他国の王弟を同行しながら危険を冒すなんて出来よう筈がない。きっと私達を追ってすぐにも援軍が……もしかしたらグラント達が来てくれて、事態を速やかに収拾してくれるものと信じていたのだ。


 かくして私は何故かグラヴィヴィスと二人で一頭の馬の上に揺られ、祝いの空気と人で溢れるセ・セペンテスの街にスティルハートの姿を追跡することとなった。

 まさか私達の行動が最終局面で混乱を呼ぶきっかけになってしまうとは……私は勿論のこと誰も考えもしなかったに違いない……。



 ***


 机上の空論と言う言葉があるが、実際に即した計画を立てたところで、不測の事態が発生することもあるのが現実だ。不測と言うほどではないにしろ想定以上の何事かが計画を阻害し、予定が狂うことだってある。

 グラントは自分への協力を申し出てくれた面子の戦闘力の過小評価はしないが、彼らが諜報員としては全くの素人である事を重々承知していた。

 彼らとの付き合いはレレイスのリアトーマ国輿入れ以来。

 前回もそして今回も、寝食を共にしある程度その能力のほどは理解できていた。


 彼らにも人を『見る』……その素養はあるとグラントは思う。

 だいたい剣を手にした戦いと言うモノ自体、視覚聴覚皮膚感……五感とその上の感覚まで動員しての駆け引きなのだから、そういった部分を伸ばしさえすればいいのだ……とグラントは考えている。

 ただ……残念なことに現時点、彼らは素人に過ぎない。

 観察眼にしろ鋭敏な感覚にしろフローお嬢さんとは比べるべくもないレベル。そういった条件を織り込んだ上で、大公城の出入り口には二人一組での配置を計画した。


 ジョルト卿やシザー卿には妄想妄言とくさされる程、自分の推論の根拠が薄いことは承知している。

 前夜グラントが大公に書き送った手紙は彼の行動への許可を求める意図もあったが、制止がないと言うことは自分の行動は黙認されている……と判断した。

 実際ガタイの良い騎士や兵の二人組……しかも、諜報の技術など身につけていない彼らでは必要以上人目を引く恐れもあるが、もし危惧が杞憂に終わっても、正規の警備の邪魔さえしなければ御の字との考えだ。

 フドルツ山金鉱の金不正流出事件からこの件に関わっているだけに、バズラール卿の恐ろしさは胸に刻まれている。そんな人物に出てこられるよりも、自分の行動が空騒ぎの茶番で終わるならそれはそれで良いではないか……。

 

 だが……彼の予想以上にジョルト卿やシザー卿の危機感は薄く、それに反比例する形でグラントへの反感が強くなっていたのだろう。

 シザー卿による思わぬ足止めを食った協力者が打ち合わせの配置に付くのがかなり遅れ、結果、大公城の出入りを見張る警戒の網に、暫しの間不備が生じてしまった。

 彼がプシュケーディア姫の侍女が失踪したとの報告を受けたのは『設計図盗難』と言う最悪の事態が発覚した後の事。


 夜の闇をついて向かったスマルーの砦、到着したのは深夜。

 だが尋問は夜っぴて行われる予定だったらしく、グラントは自分の身分と賄賂を使って強引にその男への直接尋問の機会を得ることに成功した。

 男と話して分かったのは、接見した人物がダイタルの報告に違わぬ『ならず者』だと言うこと……。


 王女の馬車を鮮やかな手並みで襲撃し、身元判明に繋がる痕跡を残すことなく逃げ去った組織の一員が彼だとは到底考えられない。

 しかしグラントが抱いた違和感と危機感は、あの襲撃現場に遭遇し、尚且つ捕縛された犯人に実際会った人間でなければ理解し辛いモノであるに違いなかった。

 特に今は大公城だけではなくセ・セペンテスの街とその周辺の街道にも警備の手が必要な時。

 言葉を尽くして説明したところではっきりとした根拠……物証が無い状態の今、グラントが動かすことが出来る戦力は、自分とその周辺に限られてしまう。


 自分はこの国の軍属でもなければ今はまだ国政に関わる要職についているわけでもない。侯爵などと言う高位に爵封を受けはしているが、貴族となってたったの三代。別に今以上の称号が欲しいわけではないが、彼には歯がゆさもある。


 隣国リアトーマ国との戦争終結から五十と余年。

 周囲を海に囲まれたレグニシア大陸は暢気に平和を貪りすぎた。

 生き馬の目を抜く情報戦を戦う商業の世界を見ているグラントからすれば、この国はあまりにも『情報』と言うモノを軽視しすぎる。

 大公の求めに応じ、国政に参加するようになればアグナダ公国におけるグラントの発言力が増すことは確かだが、二律背反。

 ……そうなればもう、彼は自由に海を渡り他国を歩き回ることも出来なくなってしまうのだ。


 とまれ。

 今は今出来うる限りの事をするだけの事……と、グラントは胸の中で溜息を押し殺した。

 大公やフェスタンディには既に昨夜の段階、一連の件へのバズラール卿の関与を疑っている旨は伝えてある。フローは大公城の最奥にモスフォリア王女プシュケーディア姫と共にいる限り、その身に危険は無いだろう。


 城の周辺は甚だ心もとなくはあるが、協力者の手を借り見張っているし、ジェイドが秋以降ブルジリア王国から一時的にこちらに戻ってグラントの留守中の情報収集やその分析などを行っていた。

 ことに、ボルキナ国やバズラール卿に関係しそうな何かがあればすぐにも報せてくる筈……。


 初冬の空は晴れて青く陽光は午後を過ぎて徐々に弱々しくなりつつあるが、風も無くこの時期にしては温かい日だった。

 大公城周辺は衛士らによって厳重に護られており、セ・セペンテスはフェスタンディとモスフォリアの王女との結婚を祝う人々に溢れ、街の喧騒の届くはず無い城の至近にまで、賑やかで楽しげな空気が気配として漂う。


 大公城外周を取り巻く葉の落ちた灰色の林間から見晴るかす北北東……小春日和の午後の空の向こう、港町リネの沖合いには遠く渦巻く暗雲が見える。


 ……グラントは胸騒ぎを覚えていた。

 得てしてこう言った『嫌な予感』と言うものは、望む望まざるに関わらず的中してしまうのが常。

 ほどなく彼はジェイドから一つの情報と、大公城内部とグラントとの連絡係をするダイタルから城内で起きた異変……王女の侍女の一人が設計図を持ち失踪したとの凶報を耳にすることになる。



 だがグラントは自分が大公城内にいる間も、そして入手した情報によって城を出立することになった後も、安全な場所にいると信じていたフローが、たまさか他国の王弟を伴って真の『設計図』窃盗犯を追う事になっているとは夢にも思いはしなかった……。




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