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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』44

「……『設計図』が無い? 無いってなんでよ、一体何時から無いって言うの!?」


 侍女エリルージュの失踪だけであれば何とか対応出来たプシュケーディア姫も、今度ばかりはさすがに限界を越えたのだと思う。

 驚愕に大きく見開かれた灰色の瞳に震える唇。

 危険を察知したカチュカが彼女を椅子に誘導しなければ、その場に昏倒してもおかしくないくらいに王女の顔からは血の気が失せていた。


 衛士の隊長ボードナム卿の報告によると、『設計図』はプシュケーディア姫に同行して来ているエムリア公爵の指示で、アズロー家出発の前に確認されている。

 その後公爵夫妻の馬車に積み込まれ、大公城に到着した。


 エムリア公爵はプシュケーディア姫やモスフォリア王とは縁戚関係にある方で、国政にも深く関わる人物。

 アグナダ公国及びリアトーマ国との和平の為の重要な役割を任された人物が、『設計図』盗難に絡む可能性について考える必要はないだろう。

 大公城の大門を潜った『設計図』は衛士の隊長であるこのボードナム卿に渡され、周囲の目のある中貴重品の部屋へ納められている。


 部屋の前には警備の衛士が常時二名。部屋は二階で窓も内側からしっかり施錠されていた。しかも貴重品室へ行くためには衛士の詰め所の前を通らねばならない。

 扉の鍵はボードナム卿個人ではなく詰め所の鍵付きの小箱の中に入れられていて、スティルハートとエリルージュが王女の衣装を持ち出す為に開錠の申請をするまで一度も開かれることはなかったそうだ。

 開錠後も衛士らは扉の外で警備しており……そうなると『設計図』の搬入後室内に出入りしたのはスティルハートとエリルージュだけと言うことになる。


「まさか……エリルージュが……どうしてそんな大それたこと……」


 エリルージュとずっと同室だったスティルハートは、王女と同じくらい動揺した様子で信じられない……と呟きながら床の上に膝から崩折れ座り込んだ。

 長椅子の背もたれにぐったりと体を凭せ掛けた王女が私の方を見ながら


「『設計図』と言うのは……売ればお金になるものなの?」


 と呟く。


「……価値の分からぬ者には一文の価値もございませんが、その真価を知る者には一生掛かってもつかいきれない程の金と代えても惜しくない品物である事は間違いございませんな」


 恐らくそれは私への問いだったのだろうけれど、答えたのはボードナム卿。

 そう。

 彼の言うとおり、あれは価値を知らぬ人間にとってはただの紙切れでも、その価値を知る人間にとってはどんな手段を使ってでも手に入れたい物。


 タフテロッサに渡る途中の船内で見た『設計図』は箱に収められた皮カバー付きの二本の巻物だったが、箱や皮のカバーはそのままに、無くなっていたのは中身だけだったのだそう。

 家を出るにあたって持ち出せる『金』には重さや『嵩』もあり、一生暮らす分と考えれば無理が出るけれど、小さく折りたたむことも可能な『設計図』なら、持ち出すのも容易い。だが幾ら持ち出しが容易くとも価値が無ければ持ち出す意味がない。

 王女の呟きはスフォールの王宮での私との会話を思い出しての単純な疑問だったのだろう。

 しかし答えを返したボードナム卿は、エリルージュの恋人ゲオルギがモスフォリア王の義弟……国政と造船に関わる一族の出身である事を知っていたようだ。

 エリルージュの恋人が『設計図』の価値を理解していた可能性について、ボードナム卿は思い巡らせたことだろう。


「プシュケーディア姫……一刻も早く大公にお報せを。これはもはやこの部屋での話し合いで収まる問題ではございませんわ」


 冷たい銀の杖の柄をきゅっと握り締め、私は腰を持ち上げた。

 プシュケーディア姫の灰色の瞳が不安気に揺れる。

 立ち上がった私の前、ボードナム卿が威圧するように扉との動線をふさいだ。

 私は一瞬彼の行動に虚を突かれたけれど、そうか……。馬車と『模型』の焼失の時、結局シザー卿もジョルト卿も、すべての責任を彼らモスフォリア国側の衛士に押しつけたのだ。

 今回もまた……と、彼が警戒するのは当然か。

 ……だけど……今は責任の所在以上に火急に動くべき場面なのに……。


「王女。モスフォリアからご同行の衛士には、セ・セペンテスで人を探すことは出来ません。事は既にモスフォリア側の問題ではなくアグナダ公国……いいえ、レグニシア大陸全体の安全に係わる問題になっております」


 私の訴えにボードナム卿もはっとしたようだった。



 王女の指示により大公への連絡の為ボードナム卿は慌しく部屋を退出して行った。

 お直しのため婚礼衣装に身を包んでいたプシュケーディア姫に、カチュカが着替えを促す。


「……どうなるの……これから……?」


 ミナリとカチュカに両側から支えられるように立ち上がりながら王女が私に問うけれど、そんなの……私だって分かりはしない。


 でも、そう。

 少なくともアグナダ公国側ではまずはエリルージュの行方の捜索をしなければ……。


「まずはエリルージュの行方を捜すことからですわね」


 言いながら私はグルリと部屋の中を見渡した。

 ペンと紙が欲しいのだが、この部屋には見当たらない。でもレターセットくらいどこかにある筈。


「誰か、ペンと紙を持ってきてくれない?」

「あ……はい。ただいま」


 青い顔で呆然としていたスティルハートが寝室の方に入り、文箱を持ち出してきた。

 続いてグリーナが羽ペンとインクの壷を私によこす。


「セ・セペンテスは大きな街だわ。スフォールよりも全然広い。それに溢れるくらい人間だってたくさんいるんだもの……どうやってエリルージュを見つけだすって言うの? ……そんなの無理に決まっているじゃないのよ……」


 衝立の陰で着替えをしながらの、プシュケーディア姫の泣き言。

 彼女の言うとおり、確かに街は今フェスタンディ殿下とプシュケーディア姫の婚儀を祝う人々に溢れ、普段に無い活況を呈してはいる。


「でも、エリルージュにはこの街の土地勘がございませんわ。……だったら上手く行けばなんとかなるのではないかと……」


 文箱から便箋を取り出し、私はそれを裏返した。

 本当は罫線つきの便箋ではなく無地の紙、羽ペンよりも細い線を引ける硬い鉄ペンの方が良いのだけれど、この際文句を言ってはいられまい。

 文箱は遥か東の国から渡ってきたと思しき豪華な丹塗りに金と螺鈿の蒔絵。表面はかすかにアーチ型に湾曲していて模様の部分がでこぼこしているけれど、裏を返してみれば真っ直ぐに滑らかな面があってお誂え向き。


 私は手近にあった椅子に腰を下ろし、裏返した文箱を膝の上に載せ、その上に便箋を裏返して広げると羽ペンの先をインクに浸した。

 人の似顔絵を描くのは久しぶりではあっても、私にとっては馴れた作業。

 だってかつての私はそれを……自分の生業としていたのだもの。


「スティルハート。貴女の荷物から無くなった帽子はどんな形だったの? それからレッドフォックスの襟巻きは?」


 真っ白な紙の上にエリルージュの顔を記憶から引っ張り出し、その場に貼り付けるようにイメージした。

 何度も見ている顔だから苦も無くその顔は紙面に浮かび上がる。


「流行の……背の高い山高帽型の物でございます。頭に載せた時にこう……右側にこれくらい噴水のように駝鳥の羽がついていて、後ろの内側から帽子と同色のチュールが垂れておりました。襟巻きは狐の頭部の形のクリップで留める一般的なものでございましたけれど……」


 スティルハートのわかり易い説明を聞きながら、私は紙の上にペンを走らせた。

 エリルージュのように造作の整った美人顔は似顔絵にすると特徴が無さ過ぎて少し苦手だ。こういう手配書は実際の顔よりも垂れた目は更に垂らし、大きな鼻は更に大きく描いた方が見る者にわかり易いのだけれど……彼女の顔にはそう言った『歪み』の部分が少なく、パーツの配置もそのサイズも平均しすぎている。

 実際のエリルージュよりも二重の幅を広めに、気弱に寄せられた眉を更に寄せ気味にするくらいしか手を加える部分はなさそうだ。


 小さくて薄いほくろが顔の右半分にだけいくつか。顔だけではなく手の甲にもほくろがあった。

 これも右の小指側に一つ。左の手首の内側の二つ並んだ小さなほくろはお茶を淹れてくれた時に見かけている。

 華やかな装いの美人なら人目を惹くはずだもの、きっと誰かが覚えているはず。

 衣服の色や形は正確に描くべきだろう。

 顔に特徴が薄いのなら、それを補足する情報こそが重要。


「……まあ……! 本当になんてそっくりに……」


 気づくと、王女の着替えの手伝いをしていたカチュカとミナリ以外の侍女達が、周囲から私の手元を覗き込んでいた。


「誰かエリルージュの背丈がどれだけあったか知っていて?」

「いえ……私より背が高いのは分かりますが……セリアーテよりちょっと小さかった?」

「分からないわ。同じくらいだった気もするんだけれど」


 首を傾げる侍女達。

 私は彼女達の中に、記憶の中から引っ張り出したエリルージュを立たせてみた。


「……巻尺を持って来て。お仕着せの靴は皆同じ高さよね?」


 王女と手伝いを終えたミナリも部屋に戻り、不審気な表情で侍女らが集まる私の傍まで来るとエリルージュの似姿に驚きの声を上げた。


「フロー……あなたの絵……本当になんて……。エリルージュそのまんまじゃないの」


 衣装のお直しに使った裁縫道具からカチュカが巻尺を持ち出し、私の指示に従ってセリアーテの足元に当てる。


「グリーナ……もう少し上、セリアーテの眉の上……指三本分の……そう、その辺り。大体どれだけあって?」


 グリーナの申告する背丈に上下若干幅を持たせた数字を私は似姿の横に備考として書き入れた。


「フローの絵が本人そっくりなのは認めるわ。だけど、いくら顔が分かったって……」


 大勢の人間の中に紛れたエリルージュを見つけるのは困難だ。

 王女がそう言いたいのは分かるけれど、私は自分に出来ることをするしかないのだもの。


「……でも、王女。エリルージュも恋人のゲオルギ? ……彼もこのセ・セペンテスに来た事はないのですよね?」


 つまり、ゲオルギにもエリルージュにもセ・セペンテスの土地勘は無いと言うこと。

 悪事を働いた自覚のある人間であれば、城を出て直ぐの場所で落ち合うことは考えないはず。それに、自分の恋人を知らぬ土地の治安の悪い裏路地やすさんだ場所へ呼び出すようなこともするまい。


 二人は交通の便の良いわかり易い場所で待ち合わせ、すぐに街道方面へ移動すると思われる。

 もしも季節が違っていたのなら、セ・セペンテスから小一時間も行けば港町リネから直ぐに船に乗られてしまっただろうけれど、今は初冬。

 この時期、ホルツホルテ海の航路を行く船はまず存在しない。


 一番心配なのはゲオルギと言う青年とバズラール卿が繋がっている事。

 彼らがエリルージュの逃亡の手助けに噛んでいるとすれば少し厄介なことになるけれど、私は少なくとも彼女と『設計図』が恋人のもとへ行くまで彼らは関わってこないのではないかと思っている。

 いくら彼女の目が恋人への想いに眩んでいたとしても、きな臭い第三者が絡んで来たらエリルージュだって警戒するはずだもの。


「さっき王女が仰ったとおりにセ・セペンテスは大きな街ですわ。道も碌に知らない人間が待ち合わせするに相応しい場所は限られてます。それに……結婚式の祝典目当てに大勢の人でごった返していて……そんな中街に不慣れな人間がそういった場所にたどり着くのは大変だとは思いませんか?」


 ともかく肝要なのは一刻も早く彼女の身柄と『設計図』を確保すること。


 幸いプシュケーディア姫とフェスタンディ殿下との婚礼を祝う人々に街は賑わい、どの道もかなり混雑しているようだ。

 辻馬車だって平常どおりには運行していないだろう。

 それにこの日の為に地方から出てくる富裕層も多いのだもの、貸し馬車や貸し馬も何ヶ月も前から予約しなければ借りられはしまい。

 もしかしたらエリルージュと恋人とは未だ合流できずにいるかもしれない。


 私は自分の手の速度が許す限り大急ぎに急ぎ、何枚かのエリルージュの似姿を描く。

 恐らく彼女の探索はモスフォリア側の人間とアグナダ公国の人間とが組んで出かけることになるだろうが、全員が持ち場を離れるわけには行かない。

 花嫁道中に参加した人間の中には彼女の顔を見知った人だっているけれど、似顔絵があれば彼女の顔を知らない人間もエリルージュ捜索に加わることが出来る。

 私は少しでも自分の出来ることをしたいのだ。


 私は描き終えた似姿を捜索隊の人間に渡すため部屋を一端出ようとしたのだけれど、ソファの上に力なく腰掛けたプシュケーディア姫のそのあまりにも心細気な蒼白な顔に気づいて足を止めた。


 私がちょっとだけ部屋を空けようとしただけで、まるで置いてきぼりを食う子供のような目でこちらを見つめてきている。

 ……王女はまだ二十歳にもならぬ少女なのだ。

 しかもこれまでずっと父王の過剰な庇護のもとで甘やかされ暮らしてきた子供なのだもの、こんな状況到底耐えられるものではない筈だ……。


 だけど……。


 私はプシュケーディア姫から侍女らの表情に目を向け、胸の中の憐憫の気持ちを振り払う。


「プシュケーディア姫。鏡をご覧になってください……酷い顔でしてよ」


 優しい言葉を掛けられて当然の場面に容赦ない言葉を聞かされて、王女はむっと唇を歪めた。


「あ……当たり前でしょう……誰がこんな時にへらへら笑ってられるのよ」

「笑う必要はありませんが、せめてもう少し背筋を伸ばしてしゃんとしておいでになって。王女がそんな情け無い様子では皆が不安がりますわ」


 暗く翳っていたプシュケーディア姫の灰色の瞳に怒りの光が宿る。


「人事だと思って簡単にそんな事言わないでよ……っ!」


 背もたれにぐったり預けていた体を起こし、プシュケーディア姫は蒼白だった顔に怒りの朱を上らせていた。


「人事ですもの。だけど……確かに簡単なことじゃございませんようですわね……特に貴女には」


 あまりの言葉に今にも倒れ伏しそうな様を見せていた彼女の周囲に、活気ある怒りのオーラが燃え広がるのが見えた気がする。


「そう、そのようにしゃんとしていらして。それが上の立場にいるものの務めです。……絶望は人の意力を殺ぎますわ。みな今必死なのです。お辛いでしょうけれど、自分が『王女』であることをお忘れなきよう……」


 私に『乗せられた』事に気づいたプシュケーディア姫の唇から、言葉にならない唸り声が零れた。

 グラントは私がわりと『交渉』に向いていると言ってくれたけれど、やっぱりそれは間違いだと思う。

 だって……いくら王女にしゃんとしてもらいたかったからと言って、こんなやり方をしてしまっては今後彼女との仲はやはり修復出来そうもないもの。本当の交渉上手であればもっとスマートなやり方をしたに違いない……。

 心の中に苦笑いと溜息。

 部屋を出るため歩き出した私の背後では、スティルハートが王女に自分もエリルージュ捜索に加わりたいと申し出る声が聞こえていた。

 ずっとエリルージュと行動を共にしていただけに彼女は責任を感じているのだろう……。


 こんな時だ。この問題の協議がどこかで行われているに違いない。

 普通に考えて……会議室か小会議室の辺りだろうか?


 賓客用の客室棟から私は渡り廊下を抜け、蔓草模様の大窓から傾きかけの日差しが明るいオレンジ色に広々とした廊下を染め上げる棟へと来ていた。

 幸い……と言ってはおかしいかも知れないが、都合の良いことに、向こうから王女らのいる棟の方向へと戻ってくるモスフォリアの衛士隊長ボードナム卿と行きあうことが出来た。


「なんと、これはエリルージュの似姿……! いや、これは凄い。……これがあれば人に尋ねることも出来ます故、助かります。……バルドリー侯爵夫人……先ほどは失礼な振る舞いをしたと言うのにこのような協力を……心から感謝いたします!」


 エリルージュ探索に向かう人員を選ぶため渡り廊下へ向かっていた彼に似姿を手渡すと、卿は酷く驚きながらも大げさなほどの感謝の言葉を私にくれた。

 走るように奥へと歩くボードナム卿の背中を見送った私は彼が出てきた扉へと目を向けた。慌しく伝令が出入りする扉の前には二人の衛士。恐らくあそこで会議が行われている。


 私は会議室でどんな話し合いがなされ、どのような対策が取られることになっているのかが気になっていた。

 それに、グラントが今どこで何をしているのかも……。

 だけどまさか私があの扉を潜ることは許されまい。

 女は政治や軍事に口を出すものではないのだから。



 ……それにしても……先夜、せっかく彼が大公宛に手紙を託したのに何の対策も講じられなかったのかと思うと、腹立たしい。

 まあ……だけど、良く考えてみれば衛士らが護っていた貴重品の部屋には何の不備も無かった。

 私だってまさかこんな形でエリルージュがそれを持ち出すなんて想像だにしなかったの。この苛立ちを大公らに向けるのは間違っているかも知れない。


 もしもグラント本人、または彼の部下として働いてきた人達がお城の出入りを見張っていたのだったら、きっとエリルージュが出て行くのを見逃したりはしなかったと思う。

 だがセ・セペンテスのお城は巨大な城だ。

 出入り口だって一つや二つではない上に、こういった活動に慣れているのは、グラントの他はダイタルさんだけだったのだもの……。


 この時点で私は知らなかったのだけれども、今回グラントに協力してくれた花嫁行列参加の騎士や兵らは確かに諜報活動に不慣れな素人ではあったのだが、もし前もってグラントから指示されていた通りに動けていたのなら、エリルージュが抜け出すのを見逃さずに済んだかもしれなかったそうだ。

 彼らはグラントの指示に従おうとしていた。

 それが出来なかったのは、シザー卿とジョルト卿の横槍があったせい。


 モスフォリアのエムリア公爵に『設計図』確認の事で嫌味を言われていたシザー卿は、グラントの行動が腹に据えかねていたのだろうと思う。

 ……彼の立場を考えればそれも分からないわけではない。シザー卿やジョルト卿らの目から見れば、グラントは突然強引に隊列を抜け出した身勝手な行動をする人間だもの。

 それだけでも隊の総指揮官であるジョルト卿や軍人であるシザー卿にとって度し難い振る舞いに思えただろうに、彼は騎士や兵の一部になにやら指示を与えて出かけているのだ。


 ……その行動のよりどころだってシザー卿曰く、グラントの『悪夢』にしか過ぎないのだから。……彼らが納得行かないと思ったとて仕方が無いのだ……。


 花嫁行列が大公城に入場し、行列参加の騎士や兵は指揮官や同行の軍高官シザー卿の労いの言葉を受けて解散する予定になっていた。

 その解散式で、両卿……特にシザー卿が随分と長い訓示を垂れてくれたらしい。

 ……それも、グラントと懇意にしていた騎士や兵をあからさまに標的にして。


 強引にそれを打ち切って飛び出さなければ、夕刻まで皆が『訓示』と言う名の嫌味を聞かされ続けたのではないか……そんな勢いだったそうだ。

 諜報活動に対して素人だっただけではなく、バタバタと時間の押した中で配置についたのだもの……それでは見逃しも出ると言うモノ。


 そんな事があったとも知らず、私は王女らのいる部屋へ向け自分に何が出来るか考えながら歩いていた。

 ……もっとエリルージュの似姿を描くか、それとも自分も彼女の探索に同行したいと願い出てエリルージュの顔を知る人間の一人として捜索隊に参加するか……。

 そんな事を思っていた時、前からスティルハートが歩いてくるのが目に入った。

 外套を腕に掛け手に帽子を持っているところを見れば、プシュケーディア姫の許可が出て彼女もエリルージュの捜索に加わることになったようだ。


 私の姿に気づいたスティルハートがこちらに向けて会釈する。

 気をつけて……と言う気持ちを込めて小さく手を振る私に向け再び会釈を返し、彼女は渡り廊下の途中を馬事訓練施設がある方向へと芝を過ぎって歩き出す。

 訓練施設だけではなく兵舎や厩舎も恐らくは向こう側、私から見て左の方向に集中してあるのだろう。

 とすれば、騎馬や兵の出入り口も左側と言うことだ。


 歩きながら腕に掛けた外套を着込み、帽子を被るスティルハート。

 王女の『侍女』のお仕着せは渋い色味の外套の下にすっぽり隠され、ありきたりな形の帽子を被ってしまうと彼女の美しい顔が半分隠されてしまった。


 この季節は日が暮れれば寒くなるし……それに、いかにも高貴な人間付きの『侍女』のなりの彼女が軍人と組んで人探しなどしては、後々変な噂の元になってしまうだろう。

 だからスティルハートの姿におかしなトコロなどない。

 ないのだけれど……なんだろう……このなんとも言えない胸のもやもやと焦燥感は……。

 私は何か大切なことを見落としているんじゃないのかしら……と。突然、そんな考えが頭の中に閃いた。


 ……でも、一体何を?


 どんどん遠のいて行くスティルハートの姿を見つめながら、はっとした。


 本当にエリルージュが『設計図』を持って行った犯人なの?

 だって、婚礼衣装を取りに行ったスティルハートとエリルージュは最初、二人であの宝石だらけの衣装を持って帰って来たではないか。

 その次は……靴の箱を抱えてエリルージュが先に部屋へ入り、その後をスティルハートが披露宴用の衣装を持って戻ってきた。

 ……エリルージュの姿を見たのはそこで最後。

 真珠のローブを部屋に運び込んだのはスティルハート。扇子と靴の箱を持ち込んだのもまた彼女。


 エリルージュは気分が悪くて部屋で休んでいる……スティルハートはそう言ったけれど、一体いつ貴重品保管室から彼女が出て行ったの?

 スティルハートの証言を信じるとするなら、エリルージュは靴の箱を部屋に持って来た後に具合が悪いと部屋に戻った筈だ。だったら、いったいいつエリルージュが『設計図』を盗み出す暇があったと言うのか……。


 エリルージュは貴重品室ではずっとスティルハートと一緒。一度も一人きりになどなっていない。

 あの部屋で一人出入りをしていたのは、スティルハートだけではないか。


 だいたい貴重品室を確認するべきだと言い出したのもスティルハートだし、『設計図』持ち出しがエリルージュであるのが確定した事実であるかのように言い出したのも彼女だった。

 それは本当に『真実』なの?

 もしかしてそれらは全て彼女の誘導によるものではなかったのか……。


 杖を握り締める手が震えていた。

 震えの源は激しく呷る胸の鼓動だ。


 私は馬事訓練施設の向こうへと姿を消して行くスティルハートを追うため、モザイクタイルの渡り廊下から外の芝へと足を踏み出した……。



 

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