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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』42

 グラントは『自分の目で』捕縛された犯人を確認したいと言い出した。そのためにこれから直ぐにスマルーへ向けて出発するつもりだ……とも。

 私には正直なぜ彼がそこまでしようとしているのか分からなかった。だって、捕縛された人物はいずれセ・セペンテスに護送されてくることになるのだ。

 それなのにどうしてグラントがわざわざ日も暮れたこんな時刻に出かける必要があるの?


「今から出発するって……花嫁行列はどうするの? 夜通し馬を飛ばしてもスマルーの宿場……いいえ砦まで出かけたら、明日の出発には間に合わないんじゃなくて?」

「セ・セペンテスまでは目と鼻の先だ。街道沿いの見物人も多いから警備も相当厳重になってる。……ジョルト卿ももう天幕設営の指示出しをする必要がないから、俺一人いなくとも問題無いはずだ。フェスタンディ殿下……いや、大公に手紙を書いておくよ。……ダイタル。屋敷に着いて早々だがひとっ走りセ・セペンテスまで手紙を届けてもらいたい。……お前じゃなきゃこの時間に城へ着いても門前払いされかねないからな。悪いが頼む」


 元はレレイスの護衛だったレシタルさんと同じく、ダイタルさんも大公一家の護衛をしていたのだと聞いたことがある。

 グラントの言うとおり、城内に知己のある彼でなければ連絡を速やかに取り次いでもらえない可能性があった。


 部屋の中からインク壷と公爵家のレターセットを見繕うと、壊れた象牙の杖が載せられた窓辺のティーテーブルの隅でペンを走らせ始めるグラント。

 確かにここからならセ・セペンテスはすぐそこ。彼がいなくとも私達は無事に大公の城へ到着できるだろうけれど……。


「どうしてそうまでして……?」


 との私の疑問は当然のものじゃないだろうか。


「……キミも分かるだろう? 馬車を燃やしたり警備のいる中に掲揚されていた旗を汚したりを、『ならず者』なんかが出来ると思うか?」


 まあ……その通りかもしれない……。だって『新造船模型』を焼いた襲撃者達は非常に統率のとれた行動をとっていたのだ。

 そんな集団の中に『ならず者』として名が知れる人間を参加させるなんて、私なら絶対にしたくないことだもの。


 プシュケーディア姫の輿入れはモスフォリアにとってだけでなくアグナダ公国側にとっても国を挙げての大行事。

 花嫁行列への襲撃は『国家の決定』に対する反逆に他ならない。

 万が一そのとがにより捕らえられたなら、苛烈な尋問と重科が待ち受けているのは火を見るよりあきらかだ。

 向こうとしても逮捕されるリスクはなるべく避けた方が良いに決まっている。

 しかも、グラントの情報網にも全く正体が掴めぬほど情報漏えいの無い結束の固い組織なのに、あろうことか『密告』で……しかもたった一人が捕縛されるなど、考えれば考えるほどに不自然が過ぎる。


「人に恨まれての冤罪と言うのはありそうな話しだが……今このタイミングでってのがどうにも気に入らないんだ……」

「タイミング?」

「そう」


 彼が危惧するのはこの一連の襲撃事件がそもそも『陽動』である可能性。


「陽動……って……一体どういうこと?」


 まるで戦の最中ででもあるような剣呑な用語を使うグラントに、私は驚いてしまった。


「今のように『犯人』が捕縛されるなら、俺はもう何日か前じゃないかと思っていたんだ。犯人が捕まればいくら気を引き締めていても、どこからか油断が生じるだろう?」

「まさか……船の模型が焼けた時よりも大掛かりな襲撃を疑っていたって言うこと?」

「まあ、そうだったんだけどね」


 だけど今日の今日まで犯人の捕縛の一報は無く、それどころかプシュケーディア姫らを守る体制は徐々に厚みを増して行った。


 ……と言うことは、彼はこれからセ・セペンテスへ向かう道中に大きな襲撃があると考えているのだろうか?

 でも……それを疑っているのならグラントがスマルーの町へ今から出かけるなんて言い出す筈が無い。

 だいたい彼の言葉は過去形だったではないか。


 街道沿いには万全の警備が敷かれている上、ここからセ・セペンテスまでは本当に間近。もし万が一億が一何事か起きたとしても、あっという間に大きな戦力の手配が可能。

 では花嫁行列が大公の城へ到着するまでの道中が安全だと考えているのなら、一体いつ彼の言う『陽動』は発動すると……?


 そこまで考えて私は自分の眉間に深い皺が寄るのを感じた。

 セ・セペンテスへ至るまでの道が安全だと言うのなら、まさか、その先の……大公の城……?


 グラントは文面を書き終えた便箋にざっと目を通し、乾ききらぬ表面のインクをブロッターで吸い取ると封筒に署名した。


「……届けた後は向こうで待機していてもらいたい」


 グラントが差し出す手紙を受け取り、一礼の後で部屋を出て行くダイタルさん。

 戸口へ消えて行く大きな背中を見送る彼の横顔を見つめながら、私は俄かには信じ難いその『可能性』を口にした。


「ねえグラント……もしかして貴方……大公の城で何か起きるのではないかと……?」


 言葉にしてみると余計にその現実感の無さが浮き彫りになる。

 だって……まさか。


「一体誰がそんな……」


 モスフォリアへの対応に不満を抱く大公の政敵?

 それが『犯人捕縛』の一報で油断を誘い、プシュケーディア姫を城内で襲うとでも?


 でもそんな事が出来るほどの人数が城内に入り込んでいるのであれば、王女を襲うよりも大公を狙った方が遥かに手っ取り早いではないか。

 大公を殺いし奉り、自分がこの国の支配者を名乗るのだ。

 大公の政治に不満を抱く人々ならそのくらいしても可笑しくはない。


 ……でも、そんなのありえない。だって誰がそんな野蛮な反逆者に従うものか。

 そんな馬鹿な行動を取る人間などあっと言う間に支配者の座を追われ捕縛され、処刑されるのがいいところだ。

 今の安定したアグナダ公国の政治体制でそのような愚行を行えばどうなるか……周到な作戦を立案実行できる人間に想像出来ない筈がない。


 じゃあ一体『誰』が、『何』を狙って……?

 脳内に疑問符渦巻く私にグラントは静かに暗色の瞳を向けた。


「バズラール卿だよ」


 突然持ち出されたその名前に私は驚いて目を見開いた。


「バズラール卿って……ボルキナ国の?」


 レグニシア大陸に野望を抱き、グラントらの働きによって今は軍務大臣の座を失脚した……あの……?



 ***


 五十と余年前。

 フドルツ山金鉱脈をめぐり相戦ってきたアグナダ公国とリアトーマ国は、グラントの祖父カゲンスト・バルドリー卿が発案した『フドルツにおける紳士的聖職者的協定』締結をきっかけに、長きに渡る戦争を終結させた。

 聖職者のように清廉な心でフドルツ山金鉱脈から採掘される金を等分し、紳士的な態度で互いを信用し合う事を宣誓するこの協定は、フドルツ閉鎖地区内の採掘精製施設にアグナダ・リアトーマそれぞれ選出委員会により選ばれた監査委員を置くことでその公正さが保たれてきた。

 戦争後のわだかまりが残る冷ややかな関係ではあったものの、以来数十年、両国は互いに干渉することなく過ごすことが出来たのだけれど……。


 十数年前、フドルツ金鉱の採金量が急激に減少してきた。

 潤沢な富なら分かち合うことに紳士的な態度で臨めた二国であるが、得られるものが減ればその残りの全てを独占したいと望む強欲は、人の性。


 アグナダ公国リアトーマ国の国境付近には戦の幕開けを見越してか、互いの懐を探りあう間諜が跋扈ばっこし、いつ戦端が開かれておかしくない緊張状態となっていた。


 しかし、このフドルツ山金鉱の採金量の減少こそが件の国軍務大臣、バズラール卿の仕掛けた策略によるものだったとは……全てを知ることとなった今でさえ信じ難い思いがする。

 金鉱の監査を行う監査員選出委員会への人員送り込みに、監査委員への買収……。フドルツ閉鎖地区滞在の任期中であった監査委員ラズロ・ボルディラマ……メイリー・ミーの父親の例にもあるとおり、家族を人質にした脅迫なども行った。


 手段を選ばぬ圧力をもって金鉱の採金量を改竄かいざんし、ボルキナ国本国やモスフォリアへ不正な『金』横流しが行われた。

 事件発覚後、アグナダ公国とリアトーマ国では市民層のみならず、官僚や貴族階級の人間にまで逮捕拘束者が続出したのだ。

 他国の、それもある程度の権力を持つ階層にまで己が意を浸潤させるには一体どれだけの時と労力が注ぎ込まれたことか。


 周到な計略とそれを可能にする頭脳。

 胆力。

 行動力……。

 バズラール卿と言う人物はそのすべてを兼ね備えた人間だったのだ。




「もしもこれが本当に『陽動』であるならば……の但し書きつきだが、俺にはバズラール卿以外にこんな迂遠にも見える周到なやり方をする人間に思い当たらないんだ」


 盛大に寄せられた眉間の皺。険しいグラントの表情が彼が心に抱く危機感を表していた。

 もし本当に今までの一連の事件がバズラール卿の仕掛けた『陽動』であるとすれば、この先に待ち受けているものを考えた時、真っ先に私の頭に浮かぶのは……新造船の『設計図』。


「……設計図が……卿の目的?」


 彼が少しでも失地回復を図ろうとするのなら、最も手に入れたいのはモスフォリアへ開発を依頼していた新造船の設計図。この入手を画策するだろうとはグラントが以前から危惧していたことだ。

 私の問いに頷きを返すグラント。


 でも……。


「だったら……どうして貴方は私達に同行してくれないの……!?」


 セ・セペンテスが危険ならばグラントから大公なりフェスタンディ殿下へなりそれを進言、それなりの備えをするべきではないのか?


「全部、俺の想像に過ぎないんだ……フロー」


 グラントは苦々し気に首を振った。


 ああ……そうだ。


 確かにバズラール卿がこの件に噛んでいる証拠など、今のところ一つも無い。

 ただ、政治に不満を持つと思しき集団が見事な手際で花嫁道中に襲撃や妨害工作を繰り返し、身元を示す痕跡も残さず逃走しおおせたと言うだけのこと。

 そしてセ・セペンテスを目の前にした今日、その組織の一人として『ならず者』が捕縛された。

 端的に言ってしまえばただ『それだけ』の話……。


「ダイタルが捕縛された人物を直接確認出来たら良かったんだが」


 ダイタルさんは大公の衛士を勤めた人間ではあっても、本人は爵位持ちではない。

 相手がただの『犯罪者』であれば拘留されている砦の担当者に袖の下を……と言う手段も使えただろうが、花嫁行列襲撃の重罪犯に対してその手段は無理。


「……今は、自分で動くしかないんだ」


 そう本人が言うとおり、グラントの身分を使ったごり押しでもしなければ、犯人と会う事など到底無理。

 ダイタルさんに渡した手紙にはバズラール卿の名や犯人捕縛が陽動である可能性についての示唆もあったようだけれど、大公がグラントを信用するしないにかかわらず、今は花嫁行列迎え入れの為にあまりにも多くの人員が街道や周辺の警備に割かれている。これはタフテロッサ上陸後からの妨害や襲撃事件によって当初の予定より以上に警備体制を強化した結果だが、この状況ではよっぽどの確証が無い限り警備計画の変更など出来るものではない。


 もとよりグラントには軍に対する権限は無いのだ。

 更には一部の軍上層部に受けの悪い傭兵出の貴族と言う悪条件まで重なって、彼が自分の考えを確認したいのなら自ら動く以外の選択肢はなかった……。



 ***


 グラントはスマルーの砦に向け昨日の夜、馬を駆って出発した。

 出発直前再び私の部屋まで来た彼の言によれば、どんな丸め込み方をしたのかは分からないが、グラントの行動は非常時に認められていた『遊軍的行動』として、ジョルト卿やシザー卿からの許可を得ることが出来たらしい。

 まあ……セ・セペンテスへ向けての出発時にシザー卿から嫌味を言われた事から、相当に強引なやり方をしたのは間違いなさそうだ。


 シザー卿の嫌味は、グラントがスマルー向けて出発前に王女と同行して来ている公爵に新造船設計図の管理についてを念押しして行った件についてだった。


「バルドリー卿は随分と想像力が豊かな御仁らしいですな。……悪夢を見たからと言ってそれを現実と混同される奇癖については、バルドリー夫人も心を痛めておいででしょう。ただ……まさかモスフォリアからの客人にまで夢の話をされるとはさすがに思いませなんだ。……この国では時に夫をいさめる事も賢妻の務めですが、隣国ではそうじゃないのでしょうか? それとも……」


 言われたことは失礼だと思ったけれど、コメカミに青筋を浮かせるシザー卿の様子からして、彼もモスフォリアの公爵に何か言われていたのかもしれない。


 シザー卿は軍内である程度の地位にある高官ではあるが、大公の側近ではない。

 今までにグラントがあげた幾つもの功績に詳しい立場にはないシザー卿にとって、彼が言い出したことは私への嫌味の通り『悪い夢』か『妄想』のようにしか聞こえなかったのじゃないかと思う。

 私だってバズラール卿なんて恐ろしい人物が裏で糸を引いている可能性など、出来る事なら信じたくはないもの……。


 恐らくスマルーで捕縛された人物と面会を果たしたグラントは、今頃はもうこの近くまで……いいえ、場合によっては既にセ・セペンテスに戻ってきている筈。

 私はドルスデル卿夫人と共にシュケーディア姫の傍にはべり、大公の城に用意された王女の為の部屋へと案内されて行った。


 リアトーマ国王都フルロギの華美で豪奢な王宮とは違いセ・セペンテスの大公城は古い。

 廊下は今風の建築にない狭さで、その代わり天井が高い造り。いかつい灰色と白二色の石組みの壁に等間隔に勇壮な姿のブロンズの戦士像が立ち並ぶ。

 かつては冷たい石床がむき出しのまま続いていたようだけれど、現在は西洋唐草の模様の絨毯が分厚く敷き詰められていた。

 近年になって大きく開口した硝子窓が取り付けられたのだが、グラントが小さい頃は、ところどころに明り取りがついているだけのそれはとても暗い廊下だったらしい。

 そんな中にこの……それぞれ斧や大剣などの獲物を持った像がずらり並ぶなんて、昔のこの廊下はどれほど気味の悪い眺めだったことか。


 南国らしく明るく心楽しい色調で構成されるスフォール王宮に生れ育った王女の目には、現在の大公城も十分に恐ろしげに映るのか、先刻のフェスタンディ殿下との初対面時に上っていた頬の美しい紅潮が、今はすっかり消えうせている。

 昨日の今日なのにチラリすがる様な目線をこちらに送ってくるくらいだもの、きっと相当に心細いに違いない。


 儀礼だかなんだか分からないけれど、堅苦しいことなど言わずにフェスタンディ殿下が部屋まで案内してくれたなら王女の不安ももう少し消えるだろうに……。


 まあ、だけど必要以上に古めかしいのはこの城の前面部分だけ。この奥……アーチ型の石組みの向こう側はもう少し後の時代に増築したここよりもう少し広々とした廊下が続く。

 つる植物の曲線を思わせる優美な装飾が施された大窓が並ぶ明るい廊下と部屋の立派な設えは国外からの評価も高いのだとか。

 華麗だが抑制の効いた装飾の謁見の間や大広間、遥か東国の大伽藍を思わせる舞踏室など風格のある部屋部屋が連なっている。

 そこここに飾られている絵画や彫刻、あでやかな色絵の壷などもついぞ見かけないくらい程の気品に溢れる。


 私が大公の城へ訪問するのはグラントとの結婚に際してのご挨拶以来、まだ二度目。

 こんな状況でないのなら、大公城の興味深い建築様式にゆっくり目を楽しませたいところだけれど、今日のところはそうも行くまい。


 一行が城内を奥へ奥へと進んでゆくと、視界に映る衛士の姿が多くなって行った。

 最奥の建築物は一番新しい年代に建てられたモノと聞いているのだが、私はまだ一度も足を踏み入れたことが無い場所だ。

 なぜならこの先……渡り廊下を渡った向こう側は大公一家が居住している空間だからだ。

 

 磨き上げられた石柱に支えられるアーチ型天井と、花形に組まれたモザイクタイルの床を持つ明るい渡り廊下から見てシンメトリーになる配置で、右左に光踊る泉水と白い乙女の像がある。


 右手の泉水の上に立つのは山百合と泉水を噴出させる壷を手にした乙女像。

 花の季節にはとりどりの花が咲き乱れる園庭が泉水の向こうに広がる。

 左手の像は月桂樹の冠を頭に獅子に跨る白い乙女像……こちらは獅子の口が泉水の噴出口となっている。

 左の泉水の向こうの常緑樹の生垣越しに垣間見えるのは、馬事訓練用の屋内施設だろうか。

 もしかしたら馬事訓練施設だけではなく近辺に武器庫や衛士らの為の施設もあるのかもしれない。


 この廊下を渡った先に行くことが出来るのは重要な海外からの来賓と大公の血に連なる一握りの人々だけ。プシュケーディア姫も明日の結婚の儀が終了するまでは来賓用の棟に泊まることになる。

 彼女の花嫁道具……衣装や宝飾品の他、新造船の設計図等は同じ棟の一室に運び入れられるそうだけれど、公国の衛士らが直ぐに駆けつけられる場所であるなら有事の際には心強い……。


 グラントは万が一自分の予想が当たっていたとしても、派手な戦闘などは起きないだろうと推測していた。

 何しろ向こうは少人数。しかも『元』ではあってもバズラール卿は一国の軍務大臣を任されていた人間。彼の存在が表沙汰になるような真似はできまいと言う考えだ。

 もっとも心配されるのは……モスフォリア側にバズラール卿の協力者が紛れ込んでいる可能性だと言う。


 ……グラントは私に王女の傍にいて周囲に目を配るようにと言っていた。

 王女の周りの人間を疑っていると言うより、もしもバズラール卿の計画が上手くゆかなかった場合、プシュケーディア姫が『嫌がらせ』に命を狙われるかもしれないから……と、彼は言ったけれど、本当のところ王女の傍が一番警護の層が厚い安全な場所だからじゃないかと私は思っている。


 モスフォリア国から同行して来た衛士は二十と数名。その他に騎士以上の爵位を持つものは従者を伴っている場合もある。

 だが、怪しむべきは大公城の最奥に入ることを許可されている人間に限って良いのではないだろうか。

 そうじゃなければ設計図の保管された部屋に近づくことが出来ないもの。


 スマルーの町から帰着したら、グラントはダイタルさんやいつの間にか花嫁行列参加者の中から取り込んで『協力者』となることを確約した兵や騎士らと一緒に、大公城から出てくる人間を見張る心算であることを教えてくれた

 彼がモスフォリア国からの同行者に疑惑の目を向けている現状、グラントが花嫁行列に同道していたのはある意味役立つ要素だったと思う。

 だって誰がその同行者であったのか、彼はちゃんと知っていると言う事だもの。

 顔も分からぬ人間ではこの……フェスタンディ殿下とプシュケーディア姫の結婚の儀とその後に続く結婚披露の宴の準備にいつも以上人の出入りの激しい中、気をつけようがないではないか。


 グラント以外にも今回協力を申し出てくれたのは皆、花嫁行列に参加していた人間ばかり。彼らも人数が少ないモスフォリア側の人間の顔は覚え知っている筈だ。

 むさ苦しい兵らを相手に剣術の指南など……と随分こぼしていたグラントだけど、結局こんな風に協力してくれる人材の確保が出来ている辺りが彼の抜け目……老獪ろうかい……いえ、その……ええと。

 ……そう、『周到』さだと私は感心してしまう。


 しかし『上手の手から水が漏れる』と言う言葉の通り、幾ら失敗しないための条件が整っていたところで人間のすることに完璧は無い。

 いくら彼の協力者が怪しむべきモスフォリア側の人間の顔を知った人間ばかりだったとは言っても……そこは以前のグラントの言の通り。彼らは普段、男ばかりの世界に生きているむくつけき男性達なのだ。人間……特に『女性』と言うのが化ける生き物である事を、彼らはあまり考えていなかったのだと思う。


 たぶんグラント本人が『彼女』の姿を見ていたのなら、普段との違いに惑わされることは無かった筈。

 ……いいえ。

 私の贔屓目でグラントを庇っているわけではなく、彼やダイタルさんはある程度の場数を踏んだ人間なのだからそもそも同列に比べること自体が間違っていると言うこと。

 何しろ彼らは軍人としては優秀であっても、こんな諜報めいた活動は初めての素人なのだから。


 ……大公城には使用人用の裏廊下や歩哨の為の通路、王侯貴族らの出入りする表門など幾つもの出入り口がある。

 人間が出入りする為の通路だけではなく、上下水道だって人間が出入りしようとすれば出来無い事もない。

 恐らくは余人の知らぬ緊急時の避難用通路と言うものだって存在している。見張るべきポイントが分散してしまっていたのだ。

 しかもグラントは自身が馬を飛ばして捕縛された『ならず者』との面談を済まし、夜通しセ・セペンテスに戻ったばかり。皆と相談するような時間的な余裕もあまり無かったことと思う。

 まあ、そもそもグラント自身がとある確認の為に城の周辺にいなかったこともあるのだが……まあ、これは後の話。


 とにかく、『彼女』の行動は私達の予想よりも迅速だったと言うことだけは事実だ。


 ……『彼女』は、正面出入り口から堂々と歩き大公城を出て行った。

 若い軍人二人組が『彼女』を自分達が見知った人間だったと気づけなかったのも無理からぬ話。だって彼らはお仕着せ姿の『彼女』しか知らないのだもの……。


 美しい色に染め付けた駝鳥羽の帽子を頭に、レッドフォックスの襟巻きを身につけてしゃなりしゃなりと歩く派手めの貴族女が王女の『侍女』の一人、ましてや人目を忍ぶ逃亡者だなどと思うわけが無い。


 プシュケーディア姫がセ・セペンテスの大公城に到着しほんの暫く。……王女が遅めの昼食を気持ちばかり摂り、明日の結婚の儀についてドルスデル卿夫人の最終講義を受けるうちに『彼女』がいなくなった事は、私達だって言われるまで気づかなかったのだもの……。



 

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