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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』39

「失礼いたします」


 と一言。

 この部屋の仮の主プシュケーディア姫の事など一顧だにせず、メイリー・ミーは私のもとへ真っ直ぐに歩いてきた。

 思いもかけぬ彼女の登場に声もなくただ瞬きを繰り返す私に、メイリー・ミーは両手で胸元に抱きしめるようにして持っていた物を、そっとこちらに差し出した。

 それは、鏡のように美しく輝く私の銀の杖……。


「どうして……?」


 彼女の思いがけぬ突然の登場には驚いたけれど、サラ夫人の伝でメイリー・ミーがこのお屋敷に来ることに不自然はない。

 だからこの疑問は『なぜ彼女がこの屋敷にいるのか?』ではなく、『どうしてこのタイミングで私の杖を持ってこの場に現れることになったのか』に対するもの。


「部屋にお邪魔したら窓の外に杖が降ってくるのが見えて……」


 ……ああ……そうだわ。

 メイリー・ミーに言われて初めて気がついたけれど、考えてみれば私が使わせていただいている部屋はこの部屋の殆ど真下辺りなのだと思う。


「アズロー公爵家でお世話になっている事を貴女に秘密にして下さいって、私からヘンリッタ様にお願いしていたの。あとで突然部屋を訪ねて驚かそうと思って……」


 突然の訪問で私を驚かせようと言うのは、いかにもメイリー・ミーのしそうなこと。

 実際はプシュケーディア姫が『事実』を知った……との連絡と、今後の対応についてを皆で相談すべく私の呼び出し役をメイリー・ミーが引き受けてくれたからこそ、彼女は私の部屋の前で落ちてくる杖を目撃し、何が起きたかを推察した。

 だけど王女の事を不必要に刺激することを避けようとメイリー・ミーは判断したのだろう。

 プシュケーディア姫は現時点、誤解が解けて以降の私との関係を危惧されていた事や、それをドルスデル卿夫人がアズロー公爵夫人に相談していたなんて事は知らないのだもの。

 彼女が機転を利かせて事情を承知しているのを伏せてくれたのだと言う事は、すぐに分かった。

 ……ただ私を驚かせたい……との茶目っ気だけで何も知らずいたのなら、杖が落ちてくるのを見たとしてもこんな風に部屋へ飛び込むような無礼な真似をするわけがない。


「……ありがとう。落ちた杖はどうなって?」


 私の質問に琥珀色の瞳が微かに曇る。


「この杖を受け取ってすぐにここに向かってきたからはっきりとは見ていないんだけど……たぶん……もう使えないと思うの。窓から見た感じだと、柄の部分が馬の鼻先からぽっきり折れていたようだったもの。テティに回収を頼んだから、部屋に戻ればどんなか見られると思うわ……」


 あの象牙の柄の杖は、随分と長い間私のこの左脚を助けて働いてくれたものだった。

 堅木の部分は一度付け替えをしたけれど、馬の頭部を刻んだ柄の部分は作った時のまま。

 杖職人はもっと一般的な『にぎり』のデザインを勧めてくれたけれど、私がこまかな注文をつけてあの形で作らせたのだ。

 いつでも私と共にあったあの杖が、壊れてもう使えないだなんてまだ信じることが出来ない。


「あれを見て私、何か酷いことになっているんじゃないかって……心配だったわ、フロー……」


 椅子に腰を下ろしたままの私にメイリー・ミーの腕が柔らかく、暖かな抱擁をくれた。

 彼女の優しさが心に沁みる。


 もしかしたら……彼女に『フローティアさん』では無く『フロー』と呼んで貰えたのはこれが初めてじゃないかしら……?


 私の事をまるで姉のように慕ってくれるメイリー・ミーには、今までも何度かフローティアではなく『フロー』と呼んでくれるようお願いしていたのだけれど、切欠がないせいか、なかなかそう呼んでもらえずにいたのだ。

 一度確定してしまった人の呼び名はそうそう変えられるものではない。

 少なくとも私はそう。レレイスの事だって本人からの希望があったのに、敬称なしで名を呼ぶまでには随分時間が掛かってしまったもの。


 私は若い娘らしくふっくらとしたメイリー・ミーの頬に手を伸ばし、微笑んで彼女の両の目を覗き込んだ。

 曇りの無い明るい琥珀色の瞳は、優しさと強さ、そして誠実な光を宿している。

 きっと彼女を救わんがため、自らの手で命を絶ったメイリー・ミーの父『老ラズロ』ことラズロ・ボルディラマも、こんな目を持っている方だったのではないだろうか。


 ……メイリー・ミーも貴族の娘。爵位や家格、身分の上下に無頓着ではいられぬ立場。

 いずれは大公妃となるプシュケーディア姫の部屋にこんな風に飛び込んでくるような事、普通であればするわけがないのに……。

 それでも、彼女は私の事を案じてこうして銀の杖を手にやって来てくれたのだ。

 さっきまではムカムカと言葉にしがたい気持ち悪さに満たされていた胸が、ふんわり温かなもので満たされるようだ。

 ……レレイスと言いメイリー・ミーと言い、私は考えられぬほど素晴らしい友人達に恵まれている。


「……なんなのよ、あんた……!」


 メイリー・ミーの肩越し、私の『オトモダチ』が椅子の上で、眉間にどころか鼻梁にまでクシャクシャとシワを寄せて癇癪を起こしていた。

 私は銀の杖の助けを借りて立ち上がると、メイリー・ミーに隙を見て部屋を出るように耳打ちしながら彼女の前、プシュケーディア姫の視線を遮る位置にさりげなく回りこんだ。


 今の彼女はアズロー家の侍女姿。

 さっきは驚きのあまり迂闊にも彼女の名を口にしてしまったけれど、幸い大きな声は出していなかったからプシュケーディア姫の耳には入っていなかったことと思う。

 お願いすればアズロー公爵夫人ヘンリッタ様は彼女の素性を明かすことはないだろうし、プシュケーディア姫としても自分の悪事が露呈するのを恐れて必要以上の詮索は出来ないと思う。


 ……それにしても、プシュケーディア姫の今の振る舞いはあんまりだ。

 椅子に腰をおろしたままダンダンと足を踏み鳴らし、房飾りのついたクッションに爪を立てて引っかいている。

 その様はまるきり駄々をこねる子供。

 故国の為に懸命に努力していた彼女は一体何処へいってしまったんだろう?


「……みっとものうございますわよ。プシュケーディア姫」


 振り向いてみたわけではないけれど、メイリー・ミーが私の言葉に息を飲む気配を背後に感じた。

 我ながら随分と容赦のない言葉が飛び出したものだと呆れたけれど、もはや我慢の限界だった。

 王女は私の口から零れた台詞に一瞬虚を突かれたのか、クッションにあしらわれた手刺繍の牡丹の色糸を引きむしる手を止め、唇を半開きにしたまま目を丸く開いてこちらを呆然と見つめていた。

 しかし、沈黙も数秒間の事。


「ば……っ……馬鹿にしてっ馬鹿にして、馬鹿にして……!」


 紅潮していた王女の顔は興奮の度合いが過ぎたのか、いまや斑に染まっている。


「誰も馬鹿になどしておりませんわ」

「馬鹿にしているじゃないの。…………嘘つき!」


 プシュケーディア姫が投げつけたクッションが、床に叩きつけられ転がった。


「私が? 一体どんな嘘をついたと仰るのですか?」

「私を騙して……っ同情を引いて!」


 プシュケーディア姫は私が彼女を騙したと言うけれど、私には彼女を『騙した』覚えなどない。

 ……そりゃあ……痛くもない脚を「痛い」と言ったことはあるけれど、時に痛みがあるのは本当の事。

 それに、スフォールの王宮にいた頃の王女の状態を考えれば、あの程度の方便ほうべんは許される範囲だと思う。


「王女が私のどこに同情なさったかは存じませんけれど、脚の事であれば見てのとおり……杖無しに立ち上がるのや歩くのが困難な程度には不自由でしてよ。もしもご希望とあれば、パニエの下の素足をご覧入れましょうか? 雨上がりの花壇から這い出るミミズのように盛り上がった傷跡が、この……左の膝や腿の上を這い回っておりましてよ」


 パニエの裾を軽く持ち上げる私に、王女が怯えたように一瞬身を竦める。

 もとより。素足を人前に晒すなんて下品な真似をするつもりなど有りはしなかったが、まあ……誰だってそんな気味の悪い傷跡など見たいとは思うまい。


「一体私がどのような嘘をプシュケーディア姫様についたと仰るのか、お教え願えませんか?」


 私は銀の杖をつき、ゆっくりと王女に歩み寄る。


「この脚を痛めた事故のおり、目の前の父の死を見守るしか出来なかった事も本当ですし、その後丸二日誰にも見つけてられずに死に掛けたのも本当の事ですわ。……王女もお分かりになるでしょうけれど、生家では私のような人間はお荷物でしかございませんもの。居場所がなくて逃げるように屋敷を出たことも事実」


 一体、何をさして貴女は私を嘘つき呼ばわりしているのか……と、私は王女に問うた。


 いささか意地の悪い言い種である自覚はある。

 杖を捨てさせるような悪質な嫌がらせの動機が、私とグラントとの関係を誤解していた彼女の……身勝手な逆切れである事は疑う余地がない。

 だけどその『誤解』については私の口からもドルスデル卿夫人の口からも何度も訂正されている。

 さすがのプシュケーディア姫だって、これを『嘘』と言うことなど出来まい。

 それを承知の上こうして彼女を逃げ場なく追い込む私を見たら、グラントは呆れるだろうか?


 ……私とグラントに対する彼女の『誤解』が解けた時、プシュケーディア姫が私を嫌うかも知れないという事は随分前から予想されていた。

 そうなったなら、殿下や周囲の人々の協力をいただき時間をかけて少しずつ関係を修復して行けたら……と、私は今までそう考えていたのだけれど……。


「不幸面しないで、フロー! あなたなんて大嫌いよ。なによ、馬鹿にして!!」


 私からほんの二~三歩の距離。

 やおら立ち上がり、口を開く王女。


「私の事をみっともないなんて言わないでよ! みっともないのは自分でしょう? だっておかしいじゃないのよ。びっこ引きで美人でもないカタワ女が、どうしてまともな恋愛の対象になるなんて思うのよ。普通あなたみたいな女と結婚しようなんて誰も思わないでしょう!? ……なのに、なんでフローが愛されてるの!? どうして公爵夫妻やバルドリー侯爵の母親にまで気に入られてるのよ!」


 気持ちが追い込まれ逆上している分を差し引くとしても、これが彼女の本音なんだと思う。

 リアトーマ国であれば私はその存在自体を生家によって隠蔽される立場だったのだ。

 体に欠陥のある人間に対する価値観がリアトーマと似たモスフォリアで生れ育った彼女からすれば、私のような人間にまともな結婚が出来るとは信じられまい。

 ただでさえそうした下地があった上に、王女自身が自分の為に『可哀想なフローティア』を必要としていたのだもの。私が何度本当の事を言ったところでどうにもならなかったのだ。


「だから、私が本当は不幸な結婚をしたわけじゃないと知って、貴女は腹を立てたんですの?」


 私は私より背の高いプシュケーディア姫の灰色の瞳を静かに……真っ直ぐに覗き込み、言葉を続けた。


「それで……私が困るのを承知で杖を侍女らに捨てさせたのですか?」


 言葉を重ねるにつれ、私の視線を受け止めていた灰色の瞳が震えて揺れた。


「私が杖の事を人に言っても王女である貴女がそんな事をするわけがない……世間に信じてもらえるわけが無いと脅したのも、その腹立ちが原因なんですの?」


 やったことは悪質だし、やり方は妙な具合に周到。

 だけどこの嫌がらせはある意味衝動的なもので、彼女は自分の行動に対する覚悟などありはしなかった。

 挙動の定まらなかったプシュケーディア姫の瞳が完全に私の目から逸らされたのを見た瞬間、無意識の手が閃いた。


 パチンと鳴ったのは王女の頬。

 自分でもまさか手が出るとは思わなかったから驚いたけれど……まあ、やってしまったものは仕方が無い。

 どうせ、すでに取り返しのつかないことになっているのだもの。


「……恥を知りなさい!」


 恐らく今まで人に手を上げられたことなど無いだろうプシュケーディア姫の呆然とした顔を見ながら、私は厳しく叱り付けた。


「情け無いにも程があってよ。それが一国の王女のすることですの!?」


 ……と。


 私の事を案ずるあまり、部屋から退出する潮を失っていたメイリー・ミーは、後にこの時の事を冗談交じり。


「あれを見ては恐ろしくて、絶対にフローとは敵対出来ないと思ったわ」


 などと笑ったけれど、私とて別に好きであんなことになったわけではないのだ。

 甘やかされ、我が侭な部分も多いけれど、私はプシュケーディア姫の事が嫌いではなかった。

 いいえ。嫌いじゃないどころか……寧ろ好きだからこそ、彼女の行いが情けなくて腹立たしくて……。

 ああせずにはいられなかったのだ。


「……な、なにをするのよ!?」


 自分の頬を押さえ、驚愕もあらわにこちらを見る王女に私は小首を傾げた。


「私が何をしたというのです?」

「何じゃないわよ、わた……私の事をぶって……っ」

「私が王女をぶった証拠などございませんわ。……介添え役の私がプシュケーディア姫をぶつなんてこと、誰も信じたりしないのではないですか?」


 平坦な口調で受け答える私の言葉を聞くプシュケーディア姫の顔からは、見る見るうちに赤味が引いていく。

 たぶん……この時になってようやくプシュケーディア姫は、自分がどんなに恥ずべきことをしたのか気づいたのではないだろうか。


 彼女はこの年齢になるまで誰にも正しく『躾』されなかった子供だ。

 間違った優しさと愛情は、時に子供を不幸にするのだと思う。

 プシュケーディア姫は馬鹿な娘ではないし、心根の腐った悪人でもない。ただ、ただ……ものの道理を教えてもらうことが出来ずにこれまで来てしまっていただけの少女。


「私に不満があるのなら、あんなやり方をなさってはいけませんわ。……私に貴女を軽蔑させないでください。王女」


 今にも泣きそうに唇を震わせるせるプシュケーディア姫に、私は彼女を打った手を再び伸ばし、私より高い位置にある肩にまわした。

 背は高いけれど肉が薄くて華奢な骨格。

 子供と言うには育ちすぎ、大人と言うには未熟すぎるこの体が彼女の精神そのままを表している気がした。

 背後ではメイリー・ミーがそっと部屋を出て行く気配。


「……フローばかり幸せなんて、ズルイじゃない。私だって……好きな人と幸せな結婚をしたかったのに」


 涙を堪えようとしてか、それとも激しようとする感情を抑えるためか、王女は薄い背を震わせながら長くか細い呼吸の合間に私への恨み言を零した。


「私なんて所詮『顔の無い花嫁』だわ。贖罪しょくざいとして差し出した船のおまけ。死んだルナの身代わり。ただの体裁を保つ為の道具じゃない。……あなたと違って『私だから』求められたんじゃないなんて……惨めじゃないのよ……」


 無念そうな呟きは、恐らくこの結婚に最後まで抵抗しようとしていたプシュケーディア姫の心の真相。


 ……確かに今の彼女はただの『花嫁』と言う記号に過ぎない。

 求められているのは『モスフォリアの王女』と言う身分だけであり、己の人格ではないのだと考えるのはどれだけ情け無いことか……。

 例えば……母様は結局、私と言う人間の『人格』など見ていなかったのかも知れない。……そう気づいた時のあの砂を噛むような気持ち……。


 王女に優しい慰めの言葉をかけることも出来ないではないけれど、彼女にとっての私が先に口にした本音の通りの存在であるのなら、そんな綺麗事には意味がない。


「国同士の決めた結婚では幸せになれないと最初から諦めているなんて、随分と後ろ向きですのね」

「人事だと思って……っ簡単に言わないで」


 素気無すげない私の言葉に、プシュケーディア姫が苛々と答える。


「レレイス公女とリアトーマの皇太子は、人も羨む相愛ぶりでしてよ。二人の結婚の経緯はドルスデル卿夫人から聞いていらっしゃるのでしょう?」


 肩にまわしていた私の腕を軽く振り払い、こちらを見る王女の眉間にははっきりと縦のシワ。


「見て来たかのような知ったかぶりで適当なことを言うのね。大体、レレイス公女は近隣諸国に知れ渡るほどの美姫じゃないのよ」

「あら? レレイスが美女だからリアトーマの皇太子と上手く行っている……そう仰るのですか? 王女が腹を立てたのは私が『カタワ』で不美人なのに夫に好かれているからじゃありませんでしたかしら? それに、モスフォリアへ渡航する前に私、リアトーマの宮殿を訪問しておりましたの。ご存知ないかも知れませんけれど……貴女の介添え役を私にと、最初に推挙してくださったのは他でもないレレイス公女ですのよ」


 正直……私は未だにレレイスとの友人関係を口にすることに気が引ける部分があるのだけれど、これまでの経験上プシュケーディア姫に対してなんらかの説得を試みるのであれば、具体的な『例』を持ち出した方が有効である事を私は学んでいる。

 だから私は自分がレレイスと仲の良い友人同士である事を王女に話し、レレイスがサザリドラム王子との結婚に際してどれほど前向きな気持ちで臨んだのか、それを直接見聞きした人間として彼女に伝えるべきだと思ったのだ。

 それに……。


「私を推したのはレレイス公女ですけれど、選んだのは他でもないフェスタンディ殿下。前にも申し上げましたが殿下はプシュケーディア姫の立場をとても案じていたからこそ、私やドルスデル卿夫人をスフォールに向かわせたのですよ」

「それ……結婚に乗り気じゃない私を懐柔するためのおべんちゃらだと思っていたわ」


 そう。

 しかも、彼女はプシュケーディア姫への配慮を賞賛する私を、殿下の愛人呼ばわりまでしたのだった。

 私はことさら冷ややかに王女を見上げた。

 もっと王女が私に対して腹を立てればいい……そう思いながら。


「物事を後ろ向きにしか捉えられない上に、努力も放棄して泣き言三昧。しかも殿下が真心をもって貴女の事を気遣っている事実すら自分の不幸に酔っ払うあまり無視ですの? そんなの愚かな子供のすることにしか見えませんことよ。今は確かに王女は『顔の無い花嫁』かもしれませんが、十年後にもアグナダ公国でプシュケーディア姫にお顔が無いのなら、それは誰のせいでもなく貴女ご自身が何もなさらずにいた結果と言う事になりますわね」

「ど……どうしてそういちいち人を馬鹿にした物言いをするのよ!」

「嘘つき呼ばわりは心外でしたから、出来うる限り率直に心配を口にしただけですわ。……耳障りのいい言葉以外聴きたくないのなら、私は口を閉じているしかありませんわね」

「よくもそこまで感じの悪い性格を今まで隠しおおせてきたもんだわ。……そりゃああなたは幸せなんでしょうよ、フロー! アズロー公爵夫妻にも気に入られているみたいだし、バルドリー侯爵の母親とも仲がいい。それにさっきみたいに杖を持って飛び込んできてくれる人間もいる。レレイス公女とも友達同士。はっきり見たわけじゃないけど、バルドリー卿も年齢の割りにさほどおじさんっぽくはないみたいだし」

「グラントは『おじさん』呼ばわりされるような年齢じゃありませんわ。それに──────」


 ──────フェスタンディ殿下だって。

 言いかけて、私はそれを声に出すのを止めた。


 『おじさん』どころか殿下の姿をご覧になった人間が百人いたなら、九十九人は彼の事を眉目秀麗な殿方であると評価するだろう。


 レレイスのあまりにも華やかな美貌の陰になり彼女ほどの評判は近隣国には聞こえていないようだけれど、殿下が美しい殿方であることは間違いようがない事実。

 その気になれば私には彼の似姿を描きプシュケーディア姫に見せることもできる。

 だけど、ここまでプシュケーディア姫はフェスタンディ殿下の事を知らずに来たのだ。

 どうせならこのまま一切の先入観なしで殿下と出会うのも良いのかもしれない。


 ……それにしても……プシュケーディア姫は自分の不満の『矛盾』に気がついていないのだろうか?

 自分の事を顔の無い花嫁だと嘆きながら、彼女だってフェスタンディ殿下をその姿にすら興味を持たぬ『結婚相手』と言うただの記号として扱っていることに。



「あんたなんて大嫌いだわ、フロー。初めて会った時から大嫌だったわよ。もう顔も見たくないの、いますぐ部屋から出て行ってちょうだい!!」


 どうやら私に浴びせかけられる言葉に我慢できなくなったらしいプシュケーディア姫が、なんとも心温まる台詞で私に室外への退去をせまってくれた。

 私は白金の髪を振り乱して怒り狂う王女に苦笑いを浮かべた。


「残念ながら貴女の介添え役としての任を解かれるまでは顔を見せないわけには行きませんわ。だけど……そうですわね、そろそろ部屋からはお暇させていただきます。……だけど、その前に一言……」


 私は乱暴にパニエの両側を握り締める王女の姿を、つま先から頭の上までじろじろと無遠慮にねめまわす。


「王女のその中途半端な切り下げ前髪、そのままでは不恰好ですわね。綺麗になで上げた方がお似合いになると思いますわ。……尤も、プシュケーディア姫さまの事ですから『私が』申し上げたと言う理由だけで意固地になって……まともな判断をなさらないのではないかと存じますけれど」


 失礼な言い種にあんぐりと開いた彼女の口から怒りの声が飛び出すのを待たず、私は速やかに一礼すると王女の部屋を後にした。



 部屋を出て廊下を歩き、階段を降りはじめたところで酷い疲労感に襲われ立ち止まる。

 受け答えに冷静を装いはしたけれど、私は酷く興奮した精神状態にあったのだろう。

 手摺にかけた手指がカタカタと小刻みに震えていた。

 出来ることならこのまま部屋に引きこもってぐったりとしていたいのだが、ドルスデル卿夫人やアズロー公爵夫人のところに今の一幕についての報告をしないわけにも行くまい。

 私の話しを聞いたら、きっとお二人とも酷く呆れられるに違いないわ。


 プシュケーディア姫にあのような嫌がらせをされたとしても、もう少し穏当な対処の仕方があったろうとは私も思う。

 もう少しこう……将来的に王女との関係を修復をしやすい方法が。

 例えば私は脚を引きずりながらでもいいからあの部屋を黙って出るべきだったのだ。

 そうじゃなければ無理にでも侍女の誰かの手と肩を借りるとか、嘘でもいいからしくしくと涙するとか……。

 メイリー・ミーが現れたことは予想外だったけれど、彼女に渡された杖を手にそのまま部屋を出る選択肢だってあったと言うのに……。


 私は、あろうことか王女に平手打ちをした。

 それからお説教と、プシュケーディア姫の反発心をこれでもかと煽る事も。


 馬鹿なことをしたものだ……そう思われても仕方が無いけれど、不思議と私の心に後悔の念は無かった。

 ……将来の関係修復を優先してプシュケーディア姫のあんな情け無い行いを諌めずにいるなんて、私には出来ない。

 あんな悪質な……卑怯な嫌がらせをしてしまったのも、もとはと言えば過剰すぎる私への対抗意識が原因にの一つではないかと思うのだもの。


 私は、どうしてだかあの困った王女の事が好きなのだ。

 本当に自分でもどうかしているとは思う。

 けど、私に対する反発心や対抗意識を理由にしてでもいいから……私の事をとことん嫌ってもいいから、彼女にはしっかりと背筋を伸ばして顔を上げ、誇りを持った生き方をして欲しかった。

 嫌がらせをして、それを己の地位や立場を利用してもみ消すような情け無い真似などもう二度として欲しくない。

 運命を拗ねて自分を不幸の中に押し込めたりしないで、私への対抗意識からでもいいから……彼女には幸せになる道を見つける努力をしてもらいたかった。


 ただ……あれだけ彼女の感情を煽りたてたのだもの、きっとこの先私とプシュケーディア姫とが和やかに仲良く時を過ごすことは出来ない。

 仕方の無い事とは言えそれが少し寂しくて、私の胸の底から大きな溜息が一つ零れ出た。




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