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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』36

 翌日から、私とプシュケーディア姫の乗る馬車に『新造船』の設計図の箱が積み込まれることになった。

 この花嫁行列に於いて現在最も重要なのは、フェスタンディ殿下の『花嫁』と『新造船設計図』の二つ。

 花嫁にもしもの事があっては『新造船設計図』が持参金としてこの国に持ち込まれるコトの体裁が取れないし、設計図の方に万が一があればこの輿入れは意味を失う。


 まあ……設計図の方は技術者がこちらに来ているのだから時間はかかっても最終的にはなんとかなるのだけれど、そんな見苦しいドタバタがあってはリアトーマ国に対する面子が立たないのだ。

 王女と設計図以外の嫁入り道具は、高価なものではあっても代替の利く品物。

 ……そういう判断の下に警備のポイントを一点に集中化させたのだろう。


 アングタール伯爵家に続く宿泊地、ロディス伯爵の邸宅で私がグラントから聞いたところによれば、結局彼の言ったとおり昨日の『新造船模型』焼失の責任はモスフォリア側と言うコトで決着したようだ。

 それを下敷きに行われた『対策会議』で決まったのは、セ・セペンテス到着後の『婚姻の儀式』及び『引き渡し』の終了までのプシュケーディア姫と『新造船設計図』の安全管理の責任はモスフォリア側と言うこと。

 襲撃事件の時に露呈した指揮系統の乱れについても協議が執り行われ、見直しと確認がなされた。

 アグナダ公国軍の仕事は、主に花嫁行列全体の安全確保。

 ジョルト卿は滞りない花嫁の行列の進行を指揮し、シザー卿は昨日のような襲撃があった場合、応戦の為の指示と襲撃者の追跡指示を受け持つ。

 グラントはジョルト卿の補佐役として行列進行の為のサポートを引き受けながら、数騎の騎士らとともに不測の事態時には独自の判断で動く……なんと言うのか、遊軍的な行動を取る許可を得たのだそう。


 もちろん彼の取れる行動はジョルト卿やシザー卿の邪魔をしない範囲で……との但し書きがついてはいる。

 それを聞いて私は、彼が私を護ると言った言葉がその場限りの慰めではない本心からの物だと知って嬉しくもあったのだが、同時に少しばかり不安にもなった。

 何事もなければ問題はない。

 でも……事態によっては妙な具合に責任を押し付けられたりはしはないだろうか?

 グラントがあくまでも『ジョルト卿の補佐役』に徹するならそんな危険はないのだろうが、彼が勝手な行動を取ったせいで……とでも言いがかりをつけられそうでではないか……。


 口にした危惧に返されたのは、苦笑いでの肯定の頷き。


「多分何かコトが起きたらここぞとばかりにそれを材料に叩いてくるだろうね。……でも、そういう『隙』があればこそ、軍人でも無い俺が自由に動く許可がとれたんだから……文句は言えないな。まあ、大丈夫。お嬢さんに笑われるようなヘマましないさ」


 気障に肩を竦めるグラントの表情には気負ったところは無い。

 ダイタルさんなど協力者達から受けた報告にも、大掛かりな武力が動いている痕跡は見られず、つまり仮に襲撃があってもごく小規模なものに限定されると言うこと。

 それにもし何かあったとして、指揮系統の混乱が是正された今なら昨日のような見苦しい事態には陥るまい。


「何かあっては笑い事じゃなくてよグラント」


 一応私らしくそう文句を言いはしたけれど、彼の様子から考えて心配するようなことは起きないと思う。

 ……それにしても気になるのはグラントの立場だ。


「夕べの『対策会議』とやらは随分と殺伐とした会議だったのね」


 隙あらば彼の非をあげつらい糾弾しようと待ち構える人間がいるだなんて、どれだけ嫌われているのかしら……。

 自分を『餌』に緊急時の自由行動をもぎ取る彼も強かだけれど、それが『餌』になる状況自体が尋常じゃない。


 ジョルト卿もシザー卿もアグナダ公国の旧家の出。新興の『成り上がり』であるバルドリー家にはあまり良い感情を抱かぬ人物であるようだ。

 ジョルト卿は積極的にグラントに対しての敵意を表明することはないが、シザー卿の方はわかりやすいくらいに彼を毛嫌いしているそうだ。


「……シザー家が古くからアグナダ公国軍仕官を多く輩出している家の人間で、傭兵出身のバルドリー家を認めないってのもあるけど、それ以上に彼の生家……いや、彼だけじゃないな。ジョルト卿の領地とユーシズは色々と摩擦があってね……」

「……ちょっと待って。……そう……そうだわ。テティに教えてもらったことがあってよ。ユーシズが貴方のお祖父様に統治されるようになって以来、周辺の領地から随分と領民が流入してきたんだって……」


 ノルディアークの王城でのフォンティウス王の結婚披露の宴の席でのことだった。

 グラヴィヴィスとの間に有り得ない『噂』が立ちつつあることを知った私は、あの披露宴に付き添い娘としてテティを伴い出席していた。

 慣れぬ華やかな場にガチガチに緊張してしまっていたテティを見かね、話し易い話題を……と私は彼女の生家とも関係あるユーシズの主要農産物『亜麻』の話を持ち出した。

 頭の良い彼女の話は聞き取り易い上に興味深く、テティのおかげで私は作物としての『亜麻』の栽培やその加工、商品として出荷されるまでにかかわる人々の状況まで教わることが出来た。

 その話の中、『亜麻』で成功したユーシズへと流れ込む周辺領地の流入民についても耳にした覚えがある。


「そう。それでユーシズ近隣に領地を持つ貴族の一部に、ちょっとばかりウチは受けが悪いんだ。近年じゃ随分和解も進んできたんだけど、ジョルト卿とデュグクフ卿のトコロがね……。シザー卿と言うのが実は……デュグクフ卿の甥に当たるんだ……」


 嘆息まじり。

 話をするグラントの表情に苦いものが混ざるのもこれでは仕方があるまい。

 モスフォリアで軍の働きに対する『監視役』を引き受けたグラントを、『軍人』としてシザー卿が快く思わないのは仕方が無い。

 だけど、血族の私怨まで向けらるなんて冗談じゃない。


「頑固な一族なんだデュグクフ家は」


 グラントのこの『ぼやき』で私は初めて知ったのだが、ユーシズでは現在亜麻の栽培技術について他領からの技術研修生を受け入れているのだそう。

 この研修生の受け入れのお陰で、かつて相当に悪化した周辺領地との関係も現在では随分と良好になったとか

 研修生が亜麻の栽培技術を習得し自領にそれを広めることに成功すれば、亜麻の生産量自体が増える。

 その時点で既に研修生を送り込む側にメリットがあるのだし、高品質の生糸に限ってはユーシズは他地方より引き取り額が若干高値に設定されている。

 亜麻布の製造体制が整備されているユーシズ側からすれば、この技術研修生の受け入れによって製品の原価率は若干上がるものの、自領の生産だけでは賄いきれぬ品質の高い亜麻糸の確保がより容易なものになるのだ。


 研修生の受け入れは、グラントが家督を継いでから始まった事業だとか。

 ……さすがは転んでもただでは起きぬ素晴らしい商魂と感嘆せずにいられない。


 しかし、せっかくの研修生受け入れも相手がその気にならなければ意味が無い。

 合理的な農法や生産性を上げる為の努力を、ジョルト卿やデュグクフ卿は新興の家の金儲けの為の下種な行為と冷ややかに見下す。

 農作物の収穫が上がればその分彼らの懐も潤うし、収入が増えれば領民の生活水準も底上げされるだろう。

 そうすれば他領へ流出する領民だって減ると思うのだが、ジョルト卿もデュグクフ卿も古来からのやり方にこだわっているらしい。

 それは私からみればくだらぬ己の矜持を大事にするあまり、出来る努力を怠って領民らを……消極的にではあるが虐げているようなものだと思うのだが……。

 まあ……他領の領主に私が憤ったところでどうにもなるまい。


「ジョルト家に関しては頭領息子が進取の気性に富んだ青年だから、彼の意見に感化されて現ジョルト卿の態度も随分和らいできているんだけどね。デュグクフ家の方は……天変地異でも起きてくれなくちゃあどうにもならんな。なにせ頭の固い一族だから……」


 グラントのコト。これまでだって何の方策も立てずデュグクフ家との軋轢を放置して来たとは思われない。

 その彼をしてこんな嘆きが出るくらいなのだから、相当に手ごわい相手なのだろう。


 彼が困惑するのはシザー卿からの嫌味ではなく、彼の存在や発言への『無視』であるようだ。

 そういえばタフテロッサのビヒテール邸を出発する時、グラントがなにかをジョルト卿やシザー卿らに訴えているのを私は見かけている。

 どうやらあの場面は有事に備えて指揮体制を明確にするべきだとグラントが二卿に対して提言したトコロであったらしいのだが、ジョルト卿は軍人でもない自分にはその決定権は無いと言い、シザー卿には滞りなく行進するべき花嫁行列の出発に際し『有事に備える』との発言自体が縁起でもないし、指揮官の補佐役に過ぎぬ人間が指揮体制に差し出口は遠慮いただきたい……と、爵位で勝るグラントに、口調こそ丁寧ながら取りつくしまもない慇懃無礼な対応だったようだ。


 バルドリー家が大公より爵封を賜って五十と余年。

 五十余年前のアグナダ・リアトーマのフドルツ山を巡る戦いによって多くの家系が途絶え、同時に勲功を立て新しい貴族家系が生まれている。

 兄の妻になられたポメリアさんの生家、エリンシュート家もこのアグナダリアトーマの戦争の時に爵碌を受けている。


 ……シザー卿が自分の生家の歴史に誇りを持つのは構わない。

 私の家もそれこそリアトーマ国建国時に遡るほど古い家だもの。家に対する誇りが分からないでもないけれど、彼の言動は自分の功績でもない家の『歴史』を嵩(かsa)に懸けた公私混同。

 護るべき物を護るべくの提言を『差し出口』と退け、その果てに新造船模型の焼失……。

 しかもそんな顛末がありながら、過失は全てモスフォリア側になすりつけ知らん顔……なんて、厚顔無恥もいいところではないか。

 自分の背負った『家名』に恥じぬよう己を律するよすがとしてこその名じゃないのか。

 旧家としての矜持が前面で中身が伴わず、寧ろ家の名を貶めるようなことをしている自分を恥ずかしくは思わないのかしら……と。

 私はただ、ただ、むやみやたらと腹立たしかった。

 『実』の無い、ただそこに縋るためだけの矜持なら豚の餌にでもくれてやればいいのに。


 憤慨する私に対し、グラントはと言えばいたって冷静。

 彼に言わせれば、いま憂えるべきは襲撃への対応態勢を整える事が遅れた事実に対してであり、憤るべきは暴力的行為を働いた、または画策した人間に対してなのだそう。


 ……確かに言うとおりだなのだが、私は彼ほど精神的に大人になりきれないのかどうにももやもやとしたものが胸にわだかまってしまう。

 人間、そう簡単に私情を切り離して最善、次善の行動をとれる生き物ではないのだ。

 だからジョルト卿もシザー卿もグラントに対して非協力的な言動をとったではないか。

 でも……そう。

 『だからこそ』、私情を捨て自分の故国を護る姿勢をとったプシュケーディア姫の覚悟は美しく気高く思えるのだろう。



***


 アングタール伯爵邸を出立して数日。

 プシュケーディア姫の花嫁行列一行は、アグナダ公国最重要街道である黄金街道へと差し掛かっていた。

 幸いなことにここまでの道程で馬車を焼いたあの襲撃のような大きな妨害に遭うことはなかった。

 しかし、大過は無いが小さな『難』には度々見舞われている。


 アングタール伯爵邸を出たその当日、民家の途絶えた岩と低木の荒地を行く花嫁行列は、雲ひとつ無い晴れた空と乾燥した周辺の光景を眺めながら不自然に湿った石畳の上を通過した。

 どうやらその場にまたも豚の屠殺体とモスフォリア国旗が放置されていたらしく、石畳が濡れていたのは穢れを洗い流した痕跡だったようだ。


 その他にも類似の嫌がらせは何件か発生している。

 ミンディバーグでは王女を歓迎するべくアグナダ公国旗とモスフォリア旗が市中へ入る大門の石のアーチに飾られていたのだけれど、アグナダ公国の物は泥水で汚され、モスフォリア国旗には火が掛けられた。

 バルテンでは早朝、街道の見回りに出た兵士が街道の石畳にあいた大穴を発見し、近隣の石工や人夫を動員して私達が通過するまでに突貫作業で街道を復旧させたのだそう。


 花嫁行列の通る街道は全てその地方を統治する領主の管理となっており、もとより普段以上の整備と警備が敷かれている。

 アングタール邸へと至るまでの道で襲撃を受けて以降は、今以上の更なる厳戒態勢を……との通達も済んでいた。花嫁行列の進行ルートや日程への変更は結局行われていない。

 そもそも今更警備も整備も整っていない別の道を行くなど、無理な話なのだ。


 同じ道を辿りタフテロッサからセ・セペンテスへ普通に向かえば、花嫁行列よりも最低でも二日。馬を次々取り替えて急ぎ足で向かうなら、四日は短縮出来る。

 道筋を変更出来ないのならせめてもう少し急ぎ足で向かっても良いのでは……と、私は当初不満を抱いていた。

 だけど、国の行事、しかも婚儀などと言う一大行事には整えるべき『威儀』と言うものがあるのだろう。

 確かに美々しい馬具で装われた馬や綺羅を飾った花嫁行列は、それに相応しい進行速度があり、歓迎の花を撒こうと待ち構える観衆の前、土煙を蹴立てて走り去る馬車の列など唖然とするほど面妖でしかない。


 フェスタンディ殿下とプシュケーディア姫の結婚は、アグナダ公国の一大行事。

 エドーニアもそうだったが、花嫁行列が通過する街道を領地内に持つ地方領主は、街道とその周辺の状態に神経を尖らせる。

 道筋が決定して直ぐ道路は徹底的に補修され整備されるし、花嫁行列通過の前には万が一があっては大変と総力を挙げる勢いで厳重な警備体制を敷く。

 街道を管理する領主らの努力によって花嫁行列の通過自体には影響を殆ど与えなかったとは言え、道路に穴を開けたり市中に飾られた国旗を損傷させたり……あの厳重な警備の中、普通であればそんな事到底出来ないように思うのだが……。


 妨害行為を繰り返す相手には、どうやら相当に頭の回る首領と恐ろしく訓練された実行部隊があるようだ。

 本当に、彼らは一体何者なんだろう?

 何の訓練もない一般の人間に、こんな行動が取れるとは思えない。

 商館の情報網に掛からないと言うことは、よっぽど一般人への偽装が完璧なのか、それともごく少人数の部隊なのか。

 反モスフォリア勢力の存在はやはりグラントの耳には聞こえてきていないらしい。

 妨害行動をしている人々の正体は相変わらず不明だけれど、厳重な警備を掻い潜りこれまでもう十分すぎるくらいの妨害活動はしてきている。

 だけど、今もって彼らの『要求』は聞こえてこない。


 どれだけ彼らが危険な事をしているのか考えればわかるだろうが、妨害活動をしている人間が捕縛されれば相当に重い罰が科せられる。

 その危険を押しての妨害行動。


 だけどただやりっぱなしでは意味がないではないか。

 道程の半分以上を消化した辺りで、グラントは眉を顰めて首を傾げた。

 犯行声明や要求文など、セ・セペンテスの大公へ向けての働きかけが行われていないことを報告により知ったからだ。


 グラントはこの時点……いいえ。

 恐らくはもっと前から襲撃事件や妨害活動に疑念を抱いていたのではないだろうか?

 大公やフェスタンディ殿下をして公国のブレインとして麾下に……と求められる人間の考えは、私には及びもつかない次元で全体を見ているのだ。

 まあ……それはまた後の話。


 馬車を焼かれた時のような緊急事態は起きていないまでも、小さな問題が頻発する道中は、いつもどこかピリピリとした緊張感を含んだ空気に包まれていた。


 アングタール伯爵邸から出発した当日の汚された街道の事も、バルテンの街道に開けられた大穴も、王女の耳には入れられなかったが、場の雰囲気に聡い人間であればなんらかの異変を察することは出来たと思う。

 ミンディバーグに掲揚されたアグナダ・モスフォリア国旗に関しては、花嫁行列が街を囲む外壁の大門をくぐって少し経った時に汚され燃やされてしまった為、私達も衛兵や街の住民が騒ぐ声を聞いている。

 いくら王女の不安を煽らぬように配慮を……とは言っても、さすがにこれはプシュケーディア姫に報告しないわけには行かず、ミンディバーグの市長が衛兵隊長を伴って騒動の『報告』と言う名の謝罪に訪れている。


 アグナダ公国に上陸してからのプシュケーディア姫は……殊に、襲撃事件の後の彼女は、スフォールで私を振り回したあの我が侭王女とはまるきり別人のようだった。

 子供のようななりを止め、年齢相応の衣装で身を飾っているのも彼女の印象を変えた一因ではあるけれど、それ以上にプシュケーディア姫は『王女』としての自覚を持った大人の女性になったのだ……と、私はそう思っていた。


 もともと私は人の心の機微を解するのが不得意な人間なのだ。

 王女はあの襲撃事件の後すっかり口数も減っており、確かに何か心に思うところがあるのだろうとは感じていた。

 ……けれど、私とカチュカ、三人だけの馬車の中、生真面目な表情で彼女は私に


「モスフォリアの王女として、私には何が出来ると思うフロー?」


 と聞いたのだもの。

 こんな質問が出てくるようになったプシュケーディア姫を、見直すなと言われても無理ではないか。


 王女の灰色の瞳に浮かぶ真剣な光に打たれ、私は真っ直ぐ背筋を伸ばす。

 アグナダ公国の人間……貴族も含めて殆どの人間はモスフォリア国がこの国にどんな裏切りをしたのかを知らない。


 だけど、全ての人間が何も知らぬわけではない。

 特に、国政に深く係わる重要な位置の貴族はこの件を把握している可能性が高いだろう。


 花嫁行列の行進は婚儀の為の威儀を正す目的でゆっくりと進行しているのだが、それだけでなくこの進行速度は色々な意味を持つ。

 一つに、お披露目。

 公国の人民への花嫁のお披露目は、ある意味国民の中にくすぶる不満を祝賀の雰囲気の中へと逸らす効果を期待してのものでもある。


 花嫁の通る街道の整備は街道を領地に持つ領主の仕事だ。

 それに、花嫁の投宿する場所はただ利便性をみて選出される訳ではなく、アグナダ公国内でも力のある貴族の屋敷が選ばれる。

 アグナダ公国南岸の一大港湾都市であるタフテロッサを領地に持つビヒテール卿然り。

 公国内でも古い歴史と伝統を持つ旧家のアングタール伯爵然り。

 エギゾ公爵は大公とも血縁のあるお方だし、レバイック卿は歴史こそ浅い家だが大公のブレインの一人。投宿地は相応の負担も負うが、それに見合った名誉も得るのだ。


 レバイック卿は確実にモスフォリアの行為を知っているだろう。

 ……が、あの方は国の犯した罪を一人の王女に償わせる事を是とするような方ではない。

 普段は口数も少なく若い娘と気安く話しをする事など無い方なのに、歳若い王女が礼儀正しく歓待への礼を述べると寧ろ王女の長旅をねぎらうような言葉を掛けて彼女の事を気遣っていた。

 卿にはプシュケーディア姫と同年代のお孫さんがおられるから、お孫さんと彼女を重ねていたのかもしれない。


 プシュケーディア姫は実際良くやっていた。

 我が侭さも尊大さも鳴りを潜め、なんとか愛想良く振舞おうとするその健気なぎこちなさが初々しく、人に好印象を与えているように見える。

 後は、このアグナダ公国社交界に広く深い交友関係をお持ちのドルスデル卿夫人の助言と後ろ盾があれば、いずれはプシュケーディア姫もしっかりこの国に根を張る事が出来るだろう。

 そうすれば、今は彼女を『あのモスフォリアの』……との色硝子を通して見ている人間だって、モスフォリアの咎を過去のものと忘れてくれるのではないかと思う。

 だから私はプシュケーディア姫に


「ドルスデル卿夫人にお頼りになるのが良いかと思いますわ。ドルスデル卿夫人は王女の教育係として優秀なだけでなく、人間としても立派な方です。……今以上、彼女との絆を深められてはいかがでしょうか」


 ……と。

 そう進言したのだ。


 それはただ、ひとえに王女の為になると思っての言葉だった。

 それ以外の他意なんてさし挟みようもなく、それがプシュケーディア姫の希望……彼女が故国のために出来ることだと考えたからこその発言だったと言うのに。


 ……確かに私は人の心の機微に敏い人間ではないけれど、なぜこれが彼女によって捻くれた受け取り方をされるなんて思えるのだ。

 でも……そうだ……。

 人間、そう急激に変われるものではないのだ。

 彼女は努力をしている。

 それは認めよう。

 ……だけど、私が所詮私でしかないように、プシュケーディア姫もやっぱりプシュケーディア姫なのだと言う事を私は失念してしまっていた。


 頑張って立派に振舞っている王女の姿に、彼女は大人になった……だなどと油断した私が馬鹿なのだ。

 だからやっぱり、あのような情け無くも腹立たしい思いをしなければならなくなったのは、少しは私にも責任があったに違いない……。





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