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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』28

 『新造船』の図面やその模型を見に行った後も、相変わらずプシュケーディア姫は暇をもてあました様子でいた。

 しかしどうやら彼女は退屈な時間の何割かを勉強に充て、ドルスデル卿夫人の講義で私に差をつけることに楽しみを見出したようで、あの日以来時間に厭かせて無茶な行動をすることはなくなった。

 ドルスデル卿夫人も、王女がやる気を出したお陰でセ・セペンテスに到着するまでにカリキュラムを終える目途が立ったことを喜んでおられる。


 ……割と負けず嫌いな性格をしているらしい私的には業腹ごうはらではあるが、夫人への質問で王女が横から口を出し話しの腰を折られることも、また、私への質問を口を開く隙も有らばこそ問答無用で返答してしまうことも、現在では諦めとともに容認している。

 ……実際、講義自体がもともとプシュケーディア姫のためのモノなのだ。

 『私のお陰で王女への教育の進度が格段と上がった』……と、ドルスデル卿夫人から感謝の言葉をいただいたのを心の慰めにするしかあるまい。


 多少時間を潰すことが出来るようになったとは言え、それでも王女は一日に一度は私を部屋に『招待』してくださる。

 自室で絵を描いたりテティの実家やその周辺のことを色々教えてもらいたいのだが、王女の部屋に行きたくないからと仮病を使うわけにも行かない。

 それに、彼女が自室に誰かを呼びたがる気持ちも分からぬでは無いのだ。

 ……プシュケーディア姫の侍女達は、どうにも主人に安らぎを与えてはくれないのだもの。


 六人もいる『侍女』のうち、全うに機能しているはカチュカとスティルハートだけ。

 残りの四人はまともに動くことが出来ない。

 彼女達四人はドルスデル卿の愛人であるレイナリッタ嬢と同じなのだ。

 万が一フェスタンディ殿下がプシュケーディア姫をお気に召さなかった時、モスフォリア国に対する殿下の不満を逸らし、その穴埋めをするために付けられた『愛人候補』。

 フェスタンディ殿下の妻となるプシュケーディア姫付きの侍女ともなれば、当然二人の寝室にも出入りして王女の世話をする。殿下の目に触れる機会も多い立場にこれだけの美女を揃えおくのだから、『侍女』なんて取り繕ったところでその存在意義は推して知るべし……。


 今回の結婚に大げさではなく『国の存亡』が掛かっているモスフォリア国の状況を思えば、なりふり構わぬご機嫌取りも仕方のないことかもしれない。

 モスフォリア国は必死だ。

 それは分かっている。


 ただ……侍女達の思惑はそれとはまた別のところにあるだろうことは、レイナリッタさんとの交流から私も学んでいた。

 六人のうちの二人はプシュケーディア姫の学友だったと聞いている。彼女らの詳しい素性は尋ねてはいないが、国許ではそれなりの裕福な家庭に生れ育ったお嬢さん達であることは間違いないだろう。

 フェスタンディ殿下は将来アグナダ公国の大公位を継ぐ方。

 そんな方に、立場は『愛人』と言う日陰のモノであるにしろ、教育や教養の無い女性を勧めるわけには行かないのだ。

 それに、侍女としても社交界や上流社会を理解していない人間は失格だ。

 良い生まれである事が災いして、未だどう『働く』べきかを把握出来ない彼女達ではあるけれど、本来、侍女の職分は女主人にとって非常に重要なもの。生活する上での身の回りの世話から衣装や靴、宝飾品や身につける一切の選択や、ちょっとした身の回りの品。……例えば簡単な帽子やその飾りの作成なども侍女の仕事になるのだから。

 社交の集まりにおいて余人からの女主人の衣装好み評価の大半が、侍女のセンスや腕に掛かっていると言っても過言ではない。


 しかし先に述べた通り、侍女としての機能を全う出来るのはカチュカとスティルハートのみ。

 カチュカは年齢こそ王女とさほど変わらぬ若い娘であるけれど、十五の歳からプシュケーディア姫に侍女として仕えていると言う、六人の中の最古参だ。


 スティルハートの方は、三十歳に手が届いていると思しき年嵩の女性。

 落ち着きと気品があって、侍女としても優秀。

 しかも、非常に美しい。

 彼女もエリルージュ嬢らのような意味合いで『侍女』に選出されたのかと思いきや、どうやら彼女は不慣れな四人の教育係的立場での登用であるらしい。

 王女がたまたま席をはずした時に少し話をしただけだから詳細を聞くことは出来なかったけれど、あまりに彼女が美しく……こういうと妙なことになるだろうが


「教育係としては勿体無い気がする」


 事を私が口にすると、スティルハートは口元に控えめな笑みが浮かべ、困ったように眉根を寄せた。


「……実は、侍女として他国へ行くのはこれで四度目になるのでございます……」


 と、彼女は言った。

 王女が座に戻りそれ以上話をすることは無かったけれど、後から私は彼女が何度か『出戻り』をしている侍女である事に思い至った。


 以前グラントがモスフォリア国の主要な輸出品は二種類の乗り物、『船』と『女性』だ。

 ……なんて下品な言い方があると教えてくれたけれど、あの国は王の娘達だけではなくその縁戚関係の女性も周辺国へ嫁ぐ事が多い。

 戦乱や動乱の多いアリアラ海南岸にあって、モスフォリア国の結婚外交は自国を守る為に必要な政略だろう。


 しかし、それだけ多くの女性が他国に嫁ついでいると言う事は……それも、失敗出来ない結婚として国外に出されているのなら、エリルージュのような『侍女』がその分たくさん必要になると言うことでもある。

 美しくある程度以上育ちが良く、他国の権力者の『愛人』と言う立場を甘受出来る美女が大量に存在するかと言えば、それはなかなかに難しい話。

 国許の思惑通りに主人の『お手つき』にならぬ侍女もあるだろうし、『お手つき』になってもレイナリッタさんの例のように女主人に追い出されてしまうことだってある。

 スティルハートが三度まで国許に返されることになった理由は分からぬが、運が無い女性ならそういうこともあるのかもしれない。


 しかし……彼女が他国に嫁ぐ女主人の侍女としての習熟を見込まれ、王女の侍女達の『教育』を任されたと言うのなら、スティルハートが幾ら侍女として有能であってもプシュケーディア姫が気を許せる存在かどうかは微妙になってくる。

 今のところあまり機能していない四人を、一般的意味合いでの『侍女』として働けるように指導するだけなら良いが、彼女が経歴を見込まれて登用されたなら……モスフォリア国が求める意味での『侍女』としての教育も彼女の仕事と看做すべきではないだろうか……。


 言葉を濁しても仕方が無い。

 要は、スティルハートは侍女達を王女の『寝所仇しんじょがたき』としても教育しているだろう……と言うことだ。

 それに、彼女自身だって年齢は若くないけれど今だって充分以上に美しい。


 サザリドラム王子とこの上なく愛情溢れる結婚生活を送るレレイスや、大公の継母にあたられるセルシールド夫人らに感化を受けたフェスタンディ殿下は、ずいぶんと華やかだったらしい女性関係を結婚前にきれいに清算された。

 歳若く立場的に苦しいプシュケーディア姫に同情を示し、他国からアグナダ公国へ嫁ついで来たと言う共通点を持つ私を自ら介添え役に選ぶなど、王女に対して気を使う殿下が今さら侍女らの色香に迷う……なんて事はない筈だ。

 ……そう、思いたい。

 でも、こればかりは殿方の『さが』と言うものもあろうから分からないが……。


 カチャカチャと音を立て、覚束ない手つきで王女の侍女……グリーナと言う名の娘がティーテーブルに茶器の準備をしていた。

 同じく『侍女』のミナリとセリアーテは両手に茶菓子の乗った銀の盆を捧げ持ち、すり足で部屋をよぎって行く。

 カチュカとスティルハートはもしも何かあった時にすかさず手を貸せるよう、壁際の定位置に待機して彼女達の様子を見守っていた。

 王女の従兄弟の元婚約者エリルージュは、この二人の横に真っ白な顔を俯かせて立っている。


 グリーナもミナリもセリアーテも非常に美しい娘たちだ。

 まだ仕事に不慣れなせいで動きはぎこちないが、侍女としての仕事を覚えようと言う努力のあとはきちんと見えている。

 ……ただ、その努力は侍女として仕事を全う出来なければ王女の不興を買い、フェスタンディ殿下の愛人の座を得ることなく本国へ返されてしまうかもしれないから……と言うのが透けて見える辺り、なんとも言えぬ居心地の悪さを感じさせる。


 彼女達は自分の美貌や魅力に自信を持っているのだろう。

 それは悪いことではないと思う。

 レイナリッタさんだってそれを武器にして自分の人生を切り開いたのだもの。

 でも、もし私が王女の立場ならこんな他人事な気持ちでいられるわけが無い……。


 プシュケーディア姫の従兄弟の元婚約者であるというエリルージュは、スフォールの王宮で初めて会った頃より幾分痩せ、心なし顔色も優れない。

 国や家族の事を考え侍女として王女に随行することを引き受けはしたが、気持ちは未だに元婚約者のもとに残したままなのだろう。

 グラントへの想いを胸に抱きながらシバル伯爵との縁談話を受けようとしていたあの頃の気持ちが蘇り、私は彼女のことを見ているのが辛い……。

 誰かを心から人を愛した経験の無いプシュケーディア姫も、エリルージュの様子に何か感じるものがあるのだろう。グリーナやミナリらに対して時々発するような小言や叱責の言葉を彼女にぶつけることは無いようだった。


 船内での王女の置かれた環境は、安らぎ溢れる素晴らしいものとは言えない。

 不慣れな使用人が周囲にいるだけでも疲れるものなのに、あろうことか……その使用人達は自分にとっての寝所仇にもなりうるのだもの。


 けれど、この環境が王女に齎したある意味『良い変化』も、あることはある。

 プシュケーディア姫は随分と女性らしく身形に気を配るようになった。


 最初は私に対する対抗心から始まった変化だったかも知れないけれど、自分の周りが殿下に対する対抗者だらけである事が刺激になっているのだろう。

 カチュカにカスタードクリームのように艶やかな白金の髪を結わせ、涙型のアクアマリンを組み合わせた小さな花の髪飾りをつけた様は、なかなかに可憐だ。

 それに、ほったらかしだった爪も今は桜貝のようにピカピカに磨かれている。


 スティルハートの助言で行われているらしい蜂蜜やキューカンバーの肌美容が功を奏してか、王女の頬や鼻の上に盛大に散っていた雀斑そばかすは薄くなり、船旅の数日間殆ど日に当たっていないのもあって、日焼けした肌も幾分色が醒めて本来の肌に戻りつつあるようだ。


 ただ……相変わらずあの中途半端な切り下げ前髪は鬱陶しく額に掛かっている。

 度々私はそれを幅広のリボンで額の上に押さえ込むか、カチュカの器用な手で編み込んで貰えばいいのにと思うのだけれど、私が下手に口を出そうものなら自ら再びぱっつりと断髪しかねないので、何も言わぬ方が良いだろう……。

 そのうち今以上に髪が伸びれば、王女本人がその鬱陶しさに耐えかねて何とかするのでは……と期待している。



 なんだかんだと小さな事はありつつも、天候に恵まれ船は順調にアグナダ公国タフテロッサへと海の上を走って行った。

 同じくタフテロッサさして航行していたグラントの方も、大筋で言えば大過無く、彼らしいやり方で周囲を自分の動きやすいように取り込みながら、この先万が一の事態が起きた場合に備えていたらしい。


 後に聞いた話によれば、ボルキナ国の元軍務大臣バズラール卿は依然その行く先が分からぬままであるようだ。

 グラントに先んじてモスフォリア入りし情報を収集していたダイダルさんの調べでは、ボルキナ国の野望が潰えて以降『里帰り』と称してモスフォリア国へ帰郷し、そのままスフォールへ住み着いたモスフォリア王の縁戚に当たるバズラール卿夫人(……当人は既に『元バズラール卿夫人』と名乗っているようだが)や子供達のもとへも、モスフォリア入り以来一度もバズラール卿からは連絡が来てはいないのだとか。


 もちろん、何も起きなければそれに越したことは無い。

 アグナダ公国とリアトーマ国のあるレグニシア大陸への侵攻を何十年と言う長い時間温め続け、それを実行に移す行動力と、アグナダやリアトーマにそれを悟られず十年もの間フドルツ金鉱の金を不正に流出させ続ける慎重さ、それに、時を待つ忍耐力を持つバズラール卿だ。

 そんな厄介そうな人間が出てこないでくれるのなら、それに越したことは無いではないか。


 ボルキナ国の政治中枢を追われて都落ちした卿は、権力闘争に疲れ、存外にどこか人知れぬ場所で静かな暮らしをしているかもしれない。

 ただでさえ私には荷が勝ちすぎるプシュケーディア姫の介添え役に加え、そんな恐ろしげな人物まで絡んできては堪らない。

 私はとにかくタフテロッサからセ・セペンテスまでの道中の無事を心に祈り続けていたのだけれど……。


 そう、思うようには行かないのが人生なのだろうか。


 『事件』が起きたのは、私達の乗った船が今まさにタフテロッサの港へと入港しようとしている時のことだった。

 船の中で何かが起きたわけではない。

 そういう意味では『事件』と呼ぶのは大げさかもしれないが、ここに端を発してプシュケーディア姫の花嫁道中は波乱に満ちたものになるのだから、少なくとも『事件の予兆』との表現は許されるだろう。




 タフテロッサの港はプシュケーディア姫を歓迎する人々に溢れ、グラントと私がこの港からスフォールへと出立した時には無かった華やかな様相を呈していた。


 普段は石組みの無骨な倉庫が立ち並ぶ港周辺は色とりどりのリボンや花で飾られ、アグナダ公国の旗とモスフォリアの旗がアチコチにはためき、桟橋からは数え切れないほどの横断幕がプシュケーディア姫歓迎の言葉をこちらに向けて吊るされている。


 王女と私達を乗せた船が桟橋へ近づくと、それまで華やかに桟橋を彩るだけで何が書かれているのか分からなかった横断幕に記された文字が徐々にはっきりと読み取れるようになっていった。


『新たなる国母来たれり!』

『ようこそ、モスフォリアの王女』

『プシュケーディア姫のアグナダ公国入りを臣民上げて歓迎いたします』

『フェスタンディ殿下の若き花嫁殿、ようこそアグナダ公国へ』


 ……など。

 殆どの横断幕にはプシュケーディア姫を歓迎し、フェスタンディ殿下との結婚を祝う言葉が書かれていた。


 大きなタフテロッサの桟橋の殆ど全面を埋める勢いでおろされた無数の横断幕の中、その不穏な一枚に最初に気がついたのは一体誰だったのだろう?

 歓迎と寿ぎの言葉の群れの中にただ一つ、それは怒りを込めた言葉を刻んで風に揺れていた。


『裏切りの国を赦すな! 王女に大公城の門を潜らすべからず!』


 どこからか連絡を受けた港湾関係者が慌てて桟橋から引き上げる横断幕の文言に、私は胃の腑がしくしくと痛み出すのを感じた。


 話だけで現状実態が見えぬバズラール卿の影に怯えている場合ではない。

 モスフォリア国がボルキナ国と通じ、レグニシア大陸侵攻の為の船を作っていた事はアグナダ公国でもリアトーマ国でも限られたごく一部の人間しか知らない事実だ。

 そもそもフドルツ山金鉱から金が不正に流出していた事も、本当に一握りの人間にしか知らされていないコト。

 当然ながらその『金』の流出先がボルキナ国とモスフォリア国であることも、それを周知している人間は一握りだけ。

 今回モスフォリア国へ出向き、造船所や『新造船』開発資料の処分作業に当たった軍人達も、一部指揮官以外はその作業の背景に何があったのかを知らされてはいないはずだ。


 モスフォリア国がフドルツ山金鉱から流出した『きん』を資金として船を開発していた件に関しては、アグナダ、リアトーマ両国が慎重な協議を行い、双方納得した上で今回のプシュケーディア姫のフェスタンディ殿下への輿入れが決定している。

 しかし……あの横断幕の文句から推察するに、あれを掲げた人間達はその協議結果に不服を抱いている……と言うことになる。


 一体誰があの横断幕をタフテロッサの桟橋に……?

 いいえ。

 誰が……も問題だけれども、どのくらいの規模でプシュケーディア姫とフェスタンディ殿下の結婚を反対する……つまり、反モスフォリア国思想の人が存在しているのかも大きな問題だ……。


 モスフォリア国がボルキナ国と結びつき、レグニシア大陸侵攻への協力体制を敷いていた過去がある事は紛うことない事実ではある。

 しかし、既にその件についてはアグナダ公国もリアトーマ国も姿勢を決めているのだ。

 それなのに、もし今国内にモスフォリアの所業が流布してしまったら……。

 一体……どうなってしまうのだろうか……?




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