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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』27

 スフォール王宮での花嫁行列出発式典で私は久しぶりにグラントの姿を垣間見ることが出来たが、彼と同じ船に乗ることは出来なかった。


 満艦飾に飾られた花嫁の船に乗ったのは、プシュケーディア姫とその六人の侍女達。

 それにドルスデル卿夫人と私。

 モスフォリア国側のプシュケーディア姫の介添え役と言う名目で、王の縁戚に当たる中老の公爵とそのご夫人。

 ……恐らく彼は、『新造船』の受け渡しの見届けの任を帯びて同行した人物だと思われる。

 それから、アグナダ公国とモスフォリア国それぞれの国軍のそれなりの立場の方が数名。

 後は船の乗務員や料理人、乗船した人々のお付きの人間と……それから王女と『積荷』の警備兵達だ。


 モスフォリア国内で『新造船』の資料や試作艦の処分に当たったアグナダ公国軍人らの大半は、別の船に分乗して同じ航路を北に……アグナダ公国のタフテロッサを目指して航行していた。

 それから、アグナダ公国やリアトーマ国の海軍に『新造船』が行き渡り、その船の造船技術を二国の技術者や船大工らが習得するまでの数年間モスフォリアから派遣されることになっている船の設計士や造船の専門家、その家族たちも軍人に『警護』されて別の船に乗り同じ航路を北に向かった。


 技術者のみならずその家族まで同行させたのは、フドルツ金鉱山の事件を受けてのこと。

 あの時はアグナダ公国とリアトーマ国の監査委員本人だけではなく、家族までが監査委員の弱みをボルキナ国が握るための『駒』として使われた。

 たとえば、ボルキナ国に人質にとられたメイリー・ミーのように。

 家族の動向はそのような事態への対策だ。


 ……プシュケーディア姫が私を『人でなしの夫』から引き離すよう親切にも根回しをしてくれたお陰で、当然のようにグラントは私とは別の船に振り分けられてしまった。

 彼にはスフォールでのプシュケーディア姫とのあれこれのエピソードを話し意見を求めたいと思っていたのだけれど、あともう少なくとも数日間はそれも適わない……と言うことになる。


 彼の顔をまともに見たり話したり出来るのが一体何日後になるのか、まったく先行きが見えず憂鬱な気持ちになる。

 それに、グラントが気にしていたボルキナ国の元軍務大臣と言う人物は、一体どうなったのだろう?

 なにか気になることがあるのなら……そして、それが現実的に差し迫った危惧であるならば、プシュケーディア姫とその『嫁入り道具』を警備・警護する軍の担当にそのことは話しているだろうけれど、出来れば私も情報は得たいのだ。

 何も知らずに何らかの事態に巻き込まれるよりは、もしかしたら……との心構えが有った方が対処がしやすいではないか。


 もはや王女の乗った船はアグナダ目指して出発してしまっているのだから、今から彼女がどこかに逃げようとしたりはないだろうか、無駄に彼女の心を乱すような真似も出来ない。

 グラントと連絡を取るにしても王女にはそれを知られない方が良いだろう。

 船上にある限り彼との連絡は無理だけれど、タフテロッサ上陸後であればそういう機会に恵まれることもあるかもしれない。

 彼が一体何処にいるのか正確な位置を知ることが出来なかったスフォールでの数日間とは違い、タフテロッサ上陸後彼に与えられる予定の『役目上』、セ・セペンテスへと向かう道中グラントは私やプシュケーディア姫と離れる事はない筈だった。

 最悪の場合テティの手を借りて、手紙でもなんでも……どうにかして彼と連絡を取るようにしようと私は心に決めた。



 船旅は基本『退屈』なものだ。

 出航してすぐならば陸地が遠ざかって行く様も見えるけれど、そのうちには海と空しか船の周囲に存在しなくなる。

 大型の船と言えども城や屋敷、王宮のように広いスペースがあるわけではない。

 早春にブルジリア王国に渡った時に私は二等船室を取ったから分かるのだけれど、貴人や王族が歩き回り生活できるようなちゃんとした空間はごく限られた部分なのだ。


 甲板には船員らが走り回ってセルの操作を行い、頭上にいつ何が通過するか分からず危険だし、足元も良くない。私達がのんびり出来るような場所は多くは無い。

 船倉は暗くて狭く、鼠もいるし、正直……臭いだってきつい。

 王宮や屋外であれば退屈になれば散歩に出かける事も出来るが、船の中ではそうは行かないのだ。


 ……私はそれほどこの『退屈』な船の旅が嫌いではない。

 時折甲板で外の空気を吸うことさえ出来るのなら、後は部屋で本を読んだり絵を描いたり、グラントとの旅であれば彼と話しをするのはとても楽しいものだ。


 グラントは今までに色々な国へ行き、色々なモノを見ている。

 話題も豊富で話しが上手く、私は彼と話しをしていて一度だって退屈を感じたことがない。

 ……時々、お喋りじゃなく日の高いうちから善からぬことをしようとするのが難なのだけど……。

 テティやフェイスが同行していれば彼女達とお喋りをしたりお茶を飲んだり、船窓から風に雲の形が変わってゆく様を見たり……海鳥が飛ぶのをみるのだって私は好きだ。

 海上ならではの揺れを感じながらのんびり転寝うたたねするのも悪くない。


 船の上でも相変わらずドルスデル卿夫人のアグナダ公国史の講義は続いているし、それは王女も真面目に学んでいたのだが、性格的なものか、どうにも彼女は船旅が退屈で仕方が無いようだった。

 まあ……他国の軍人も同乗している船の中、若い娘である王女が暇に飽かしてブラブラとほっつき歩きをするなんてこと、さすがの彼女もしたくは無いだろう。


 プシュケーディア姫の出歩けるのは船内の限られた場所だけだ。

 王女の部屋とその前の廊下。

 講義が行われる小さな一室。

 これらの部屋と廊下は一枚の分厚い扉で区切られている。

 胡桃材にモスフォリア国の国旗の意匠にも使用されている海馬がレリーフされた扉の外は、板張りの床。

 扉の前には常時帯剣した衛士が立ち、赤い絨毯敷きの廊下へ続く内部を護っていた。


  私の使っている部屋は板張りの廊下の部分。

 ……衛士の護るこの扉のすぐ横だ。

 王女は一度私の部屋に顔を出した事があるけれど、船内で一番広く調度も立派な自室に比べ『窮屈』に思ったのか、二度と彼女がここに来ることは無かった。


 アリアラ海を航行すること数日。

 暇をもてあました王女は、私からアグナダ公国やリアトーマ国、それから音楽室でのシェンバル演奏をきっかけに行ったことを知られてしまったブルジリア王国の話を聞きたがった。

 春、商人夫婦に扮してのブルジリア王国行を語るのは嘘や誤魔化し無しに語れず面倒だが、フォンティウス王とミストヴィネ王妃の結婚披露の宴に招かれた夏の渡航については、ドルスデル卿夫人も知っているし……隠す方が不自然だ。

 ブルジリア王国へ私が行ったことを知った王女の表情と


「どうしてフローがそんなトコロへ行くのよ……?」


 との言葉に込められていた『あんたなんかが』……としか聞き取れないニュアンスは、私の被害妄想では無い気がしてる……。


 王女が私を嫌いなら嫌いでそれは仕方の無いことだ。

 誰しも全ての人間に好かれるなんてことは出来ないのだから。

 どうしても苦手な人間は存在するし、好きになろうと努力したところで『そり』が合わないのだからどうにもなるまい。

 それならそれで相手となるべく接触を持たぬようにするのが常道だと思うのだけれど……。


「ねえフロー。あなたに面白いものを見せてあげる」


 私に一言の質問もさせずに終わった講義の後、濃緑色のローブを身につけたプシュケーディア姫が、私の腕に自分の腕を絡めながら言う。


「面白いもの……ですか?」

「面白いかどうか分からないけど、珍しいものである事は確かよ。アグナダの人間でこれを見た人間はまだそんなに居ないから、面白いかどうかはまあ……おいて。見て損はないと思うの」


 赤い絨毯敷きの廊下へ、王女は私の腕を取ったまま半ば強引に引っ張って行く。

 講義の行われる部屋を過ぎ、侍女らの控える小部屋の前も抜け、プシュケーディア姫の部屋の向こうへと足を止めずに……。


 侍女の控え室の並びに衛士の控え室があり、廊下の尽きる先……板張りと赤絨毯の廊下の境を区切っているのと同じ胡桃材の分厚い扉の前に、二人のモスフォリア兵が厳しい表情で立ちふさがるその前で彼女は足を止める。


「……王女……そちらは……」


 プシュケーディア姫が何処へ行こうとしているのか気がつき、私は驚いて腕を引く王女の横顔を見上げるが、王女はこちらの表情になど気づかぬように衛士に向かって声をかけた。


「中を見たいの。そこを開けて」


 ……と。


 いきなりそんなことを言い出すなんて予想だにせず、私は愕然としたのだが……。

 プシュケーディア姫は扉の前の衛士や衛士の控え室から出てきた彼らの指揮官に、部屋の中にあるのは自分が嫁入りするために用意されたものであり、それを見るのを禁止する権限などない筈である事。

 また、自分も、そして『バルドリー卿夫人』も中のモノを壊したりする理由が無いこと。

 更には、もしそれでも自分に扉の中のモノを見せないと言うのなら、王女である自分やバルドリー卿夫人が扉の中身を盗むか壊すかすることを疑っていると看做みなす……などと無体な理屈をこね、入室の許可をもぎ取ってしまった。


「お父さまがいれば、もっとすぐに入れたのに……」


 唇を尖らせる王女には悪びれたトコロはないけれど、もしかして……私は暇をもてあましたプシュケーディア姫の行動に巻き込まれ……まんまと『利用』されてしまったのではないだろうか?


 部屋の中には宝飾品や名工の作による器物や家具、宝石の嵌った立派な婚礼衣装や絵画など高価な品が大量に収められている。

 小国とは言えさすがに一国の王女。

 ……それも父王からもっとも溺愛されていた姫が他国に嫁ぐのだ。

 ざっと見ただけでも、相当に立派な仕度が整えられている事が分かる。

 百歩譲ってここにあるのがただの『花嫁の仕度』であるのなら、こうして本人が介添え人とともにそれを眺めるのも許されるかもしれない。


 でも……そうじゃない。

 それだけではないのだ。


 『新造船』は彼女が嫁ぐに当たっての『持参金』『嫁入り道具』……と言う体裁のもと扱われていた。だから、便宜的にそれらもすべてこの部屋に収蔵されている。王女と言う護るべき者と、彼女の持ち込む高価な嫁入り仕度。それから、国と国との取引に使用する重要な品々を一箇所にかためておくのは、警護を一点に集中出来ると言う利点がある。

 だから、それは間違っているとは思わないのだが。


 王女の『暇つぶし』とか『好奇心』などと言う理由から彼女が気まぐれに動いた結果、こんな簡単に厳重だった警備が解かれても良いものなのか……と、納得しがたいものを私は感じてしまう。

 モスフォリア王の王女に対する甘さを知っていた人間達は少し……王の甘さに毒され、感覚が麻痺しているんじゃないだろうか。


 重要なものを警備しており、しかもそれが自国の命運を握るものである事は、平の衛士は知らなくともその上に立つ人間であれば重々承知している筈なのに。


 ……でも、これは王女の知略勝ちかもしれない。

 王女一人でここに来たのなら、衛士の指揮官も扉を開けるのを許可しなかったかもしれない。

 それを、モスフォリアが今最も神経の逆撫でを避けたい相手である『アグナダ公国』の、王女の介添え人でもある上位貴族の私をダシに使うのだもの……。


 室内の光源は小さな船窓が一つきり。

 薄暗い室内をぐるり見渡し、王女はどうやら目当てのモノを見つけたようだ。


 金と赤との錦で出来た覆いが被された大きな長方形の箱型の物体と、その上に乗せられた細長いビロード張りの立派な二つの箱めがけ、彼女はスタスタと歩み寄る。

 私の腕に絡めていた腕は部屋への入室が許可された途端、とうにはずされている。


「プシュケーディア姫……あまりこのような軽はずみなことをなさるのはどうかと思いますわ……」


 ひとこと言わずにいられずつい口を開いた私だが、苦言は王女の耳を素通りしてしまったらしい。


「私、どうしても一度見て見たくてたまらなかったのよ。ねえ、フロー分かるでしょう? だって、これが今回の結婚式の主役なのよ?」


 邪魔そうにつまみ上げていた長いローブのスカート部分から手を離し、プシュケーディア姫は針金のように長く華奢な手指で錦の被せ布に乗った細長いビロード張りの箱を手に取った。


「たぶん、これが『設計図』よ。ほらフローもこっちに来て、私と一緒に見物しましょうよ」


 こちらを振り向いた王女の唇には少し歪んだ笑みが宿っていた。

 ……これが結婚式の主役だ……と言う彼女の言葉が胸に引っかかる。

 まさかいきなりこれらの品物を破壊はしないだろうが、万が一のことを考え、私は王女の傍に急ぐ。


 『設計図』の箱には鍵などはついていないようだ。

 まあ……船の中には逃げ場も無く、赤い絨毯敷きの領域に入る為の扉には衛士がおり、その最奥のこの部屋の前にも衛士とその交代要員が待機する部屋があるのだ。

 そう滅多なことは起こるわけがない。


 王女の手がビロードの箱に掛かり、銀色の蝶番を中心にぱっかりと上蓋が開かれた。

 白い絹が貼られた内部が外気にさらされる。

 箱の中には緑色に染めた皮革でクルクルと巻かれた紙の束が入っていた。

 皮革製のカバーを留める茶色い皮紐を王女の手が無造作に解くと、中には綺麗に巻かれた薄い……ごく薄い巻紙が収められている。

 私がエドーニアに館を構えていた頃、アグナダ公国の間諜と思しき人間の人相風体を描き、夜来鳥の足環につけた筒に入れて兄上のもとへ送る為に使ったのも、こんな風に透けそうなほど薄い紙だった。


「王女、それはモスフォリア国にとって大事なものですわ。むやみと触らぬ方が……」

「ちょっと見るだけよ」


 紙の端を指でつまみ、王女は無頓着にそれを引く。

 するりと引き出されて広がった紙の上に、精密な船の『図面』が描かれていた。


「ふ~ん……専門家じゃないからなんだか良くわからないわね? フロー……これ、しまっておいて」


 一目で興味を失ったらしいプシュケーディア姫は図面が半分引き出されて垂れ下がる箱を私の手に押し付け、同じ仕様のもう一つの箱へ探索の手を伸ばした。


「お、王女。こんな乱暴に扱っては折れ曲がってしまいますわ……!」


 細長い図面の箱を押し付けられて慌てる私など目に入ってはいないのだろう。

 こちらへ押し付けたのと同じ赤いビロードの箱がぱっかりと目の前で開かれた。


「なんだ。こっちも同じようなものみたい……」


 箱の中には、同じ仕様の緑に染めた皮革で包まれ茶色の紐で括られた一巻の巻物。


 脆そうな紙なのに向こうの図面まで乱暴に扱われては堪らない……と思った私だけれど、王女はあまりそれに興味がないようだった。

 王女はパタンと勢い良く蓋を閉じた箱を床に放り出し、今度は錦の覆い布を引き剥がすべく細い指で布を掴む。

 箱は大きく、分厚い錦の布は重そうで、プシュケーディア姫は悪戦苦闘している。


 ……箱の縁からいつまでも脆そうな図面の紙を垂れ下がらせて置くわけにも行くまい。

 私は近くにあった東洋趣味の螺鈿らでんのサイドボードの上にそっと箱を乗せ、図面を元のように巻き直そうと、捩れ広がった紙をとりあえず真っ直ぐに整え直した。


 ……船の図面など見たのは初めてだけれども、酷く細い線で描かれたその図は芸術的なほど精巧で細密で……。

 こんな時であるにもかかわらず私はその素晴らしさに思わず感嘆してしまう。

 船の図は正面からのものとそれぞれ前後から見たもの、それに俯瞰ふかんからの物が一枚の紙に描かれ、船内の断面図などを記したものと二枚が一緒に重ねられ巻かれていた。


 それにしても……なんて美しく正確な線でこの図面は記されているのかしら。

 私はこの『図面』を記憶することは出来るけれど、こんな精密な線を引く技術は持っていない……。


 極められた技術は『芸術』へと昇華するのかもしれない……などと思いながら、私は慎重に薄い紙を巻き戻していった。

 王女が乱暴に引っ張ったせいで端の方に薄く皺がついてしまっているが、目立つほどではなさそうだ。

 紙を殆ど巻き終わろうという頃、ふと……今目にした図面には一つの数字も記されていなかったことに私は気づく。

 ……船の図面と言うのはそういうものなのだろうか……?

 そんな疑問が脳裏に浮かびかけたけれど、それは明確な形をとる前に王女の口から零れた感嘆の声で瞬時に掻き消された。


「まあ、すごい……!」


 その声に誘われ図面の箱から目を上げた私の視界に、薄暗い室内にありながらキラキラと輝きを放つ美しい帆船模型が飛び込んできた。

 丹色にいろに塗られた船底と漆黒の漆で塗られた船体上部。丹と黒とのあわいを優美に銀の蔓模様が這う美々しい青の帯が区切り、甲板上には真っ白な帆を広げた帆柱が並ぶ。


 錦の布を手にしたプシュケーディア姫の前、銀の枠組みで組まれた大きな硝子のケースの中、いままで一度も見たことがないくらいに美しく……そして精巧過ぎるほどに精巧な帆船の模型が、アグナダ公国とリアトーマ国そしてモスフォリア国の国旗をそれぞれマストの上に掲げて鎮座していた……。


「思っていたより立派で驚いたわ」


 プシュケーディア姫はその場にしゃがみ込み、硝子ケースに顔をぺったりと寄せて模型を仔細に観察しだす。

 引き剥がした錦の布が王女に踏まれそうになるのを見て、私はそれを自分の方へと引き寄せた。


「モスフォリア・アグナダ・リアトーマ……ふぅん。最初はこの国旗もモスフォリアとボルキナ国のだったんだろうけど、大きな帆柱は三本あるんだから三つ旗を掲げた方がおさまりがよさそうね。……船首飾りは銀の『海馬』か……」

「海馬はモスフォリアの象徴ですわね。海を駆ける馬。嵐をついて海を行く船には相応しゅうございましょう。……王女……それ以上お顔をつけては硝子に跡がついてしまいますよ。……美しい船ですわね」

「本当……。実物にはこんなに綺麗な色を塗ったり模様をつけたりはしないんだろうけど、綺麗で……王宮から海に浮かぶ船を見てるみたいに凄く本物っぽい……」

 

 さっきまで王女の口元にあった歪んだ笑みは綺麗さっぱり消え失せていた。

 今は、無邪気な好奇心で彼女の灰色の瞳がキラキラと輝いている。

 もしかしたら王女が模型や図面をどうにかするのでは……との心配は、どうやら杞憂に過ぎなかったらしい。

 私は肩から力を抜き、手元の図面を元の通りに直し蓋を閉めた。


 プシュケーディア姫は父王に甘やかされて育ったせいか、少し我侭なところがある。

 それに、ちょっとばかり行動が衝動的だ。


「王女。出る前にきちんと元通りに戻さなければ。泥棒でも入った後のようで見苦しゅうございますわよ……」


 模型の造形美をたっぷり堪能したらしいプシュケーディア姫が張り付いていた硝子の前から立ち上がるのを見て、私は彼女が引き剥がした錦の布を持ち上げて示しながら言う。


「ああ……そうね。確かにこのままじゃ笑われるわ」


 王女は素直に頷くと私の手から布を受け取り、不器用にそれを硝子ケースの上に掛け始める。


 王女はこうして『何故』それをしなければならないのかを説き、それに納得ゆけば妙な我を通すような真似はしない。

 この部屋への入室を衛士に断り難くさせるために私を同行させる計算高さもあるが、これは無意識でやっている事ではないかと思われる。

 基本的には世の中を知らないだけで悪い人間ではないのだろう。

 もう少し彼女が落ち着いた大人になってくれたら良いのだが……と、心の裡にため息しつつ、私は王女を手伝い硝子ケースと図面の箱を元通りに戻した。


 プシュケーディア姫は困った人だ。

 だけど、彼女が退屈から気まぐれを起こしここに私を連れて来てくれて良かった……と、心の底からしみじみ感じることになるだなんて……当然ながらこの時の私は予想だにしなかった。


 もしもここで『あれ』を目にしていなかったなら、怒号と剣戟の音が飛び交うあの場所で私はどんな行動を取ることになっていただろうか……。




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