『顔の無い花嫁』26
プシュケーディア姫が王宮の外へ逃亡を試み、失敗した日から数日が経過し、いよいよ明日はアグナダ公国へ向けて出発と言う日の午後。
スフォールの周囲を取り巻く内湾の向こう。小さな島が点在する西方で白煙が上がった。
小島同士が折り重なるように島影を連ねる一角で、王宮からは火の手がどの島で上がっているのか正確な位置を把握するのは難しかったが、その炎が『新造船』開発に携わった造船施設と内部資料類を抹消するためのものだと言うことは、私にも分かった。
この日は朝から王宮内に、一種異様な雰囲気が漂っていた。
プシュケーディア姫のアグナダ公国への出立を翌日に控えているのだ普段と違うのは当然だが、それだけではなく、王宮の外、スフォールの街に戒厳令が敷かれていたのもこの異様な雰囲気の一因。
港には王女の船が満艦飾に飾り立てられ待機していたし、王宮の入り口から港までを大量の花やリボン、王女の結婚を寿ぐ横断幕などが整備された道の両側を華やかに彩っていたのだから、街の人々はこの日に発布された外出禁止令を王女の輿入れに係わる何かと理解したに違いない。
スフォールの港とスフォール近隣の港は、その規模の大小にかかわらず全てが封鎖された。
海上ではモスフォリア国とアグナダ公国から派遣された艦が海上を見張り、船舶の航行を監視している。
この日と翌未明まで船舶の海上航行を禁じられたのも、モスフォリア王の秘蔵っ子であるプシュケーディア姫の安全確保のための過剰な警備の一端だと国民が考えたとしても、王のプシュケーディア姫への溺愛振りを考えて不自然は無いと思う。
午後になり島影から煙が上りはじめるのを目撃したスフォールの住民達は、何事が起きたのかと不安になったことだろう。
しかし海へと漕ぎ出すことを禁止されている彼らにその原因を知る術はなく、翌日まで外出を制限されている中、『それ』が一体なんなのかについて情報の交換をする事は出来ないのだ。
夜が明けて翌日になればプシュケーディア姫の花嫁行列が王宮から港へと向かう。
前日の火の手について、行列を見るため集まった人々は取りざたするだろうが、真実が公にされることが無い以上なんの差しさわりもありはしない。
たとえ、『噂』の中に真実が混入していたところで……だ。
『新造船』の開発に携わった技術者とその家族が数年間の期限付きでアグナダ公国へ行く事になっていることだって、それが『持参金』の体裁を保っている為にモスフォリア王の王女のための過剰な手回しくらいにしか国内で見られていないらしい。
……アグナダ公国へ渡る技術者らがどのような事に携わっていたか、国内でも最高機密となっていたのだから、当然と言えば当然か……。
***
あの日以降、王女は私のことを『フロー』と呼ぶ。
別にそれは構わない。
どちらかと言えば『フローティア』と言う名前よりも、そちらの方が今では自分の名前らしいと感じているほどだもの。
……プシュケーディア姫はあれから随分と雰囲気が変わったように思われる。
私との約束を守り、それまで以上アグナダ公国の歴史や慣習に関する勉強に身を入れているし、ドルスデル卿夫人への質問も増えた。
質問が増えたと言うことはそれだけ勉強に対して前向きでいると言うことだろう。
ただ、私がちょっとしたことを訊ねようと口を開きかけた時に限り、それを遮るように発せられているように思うのは考え過ぎか……。
いや、なんと言うのか……その、ドルスデル卿夫人の講義一点だけではなく、プシュケーディア姫が色々な面でやたらと私に張り合って来ているような気がするのだ。
彼女が私を『フロー』と言う名で呼び出したあの日、エドーニアでの暮らしぶりを話したことがきっかけのような気がする。
エドーニアでの私は一人で館にいるか、一人、もしくはシェムスを伴い出かける以外の選択肢が無い生活をしていた。
出かける先は馬で行ける場所か馬車で出かけられる場所と馬車や馬から降り、杖を突いて歩いて行ける範囲内に限られていた。
田舎街ではあったけれど一応乗合馬車はあった。だけど、私がそれに乗った事は一度もない。
街の人間は私のことを胡散臭い人間だと思っていただろうし、私としても身元を知られるような真似は出来ない以上、少しでも人々との距離をとりたかったからだ。
シェムスも、私が庶民的な場所に出入りすることや街の人たちと気安く交流を持つことに良い顔はしなかったし、私も身分の違いで人々に線を引くのを当然のことと思っていた。
だからこそ翡翠亭でのラウラの結婚式でシェンバル弾きが演奏を土壇場で投げ出し逃げてしまった時も、自分がステージに上がって代理でシェンバル演奏をするなんてこと、私は微塵も考えつかなかったのだ。
シェンバルを弾くのは趣味に過ぎず、ステージに乗って演奏するだなんて『芸人』のすること。
私がそんなことをするなんてとんでもない話。
エドーニアの街で生活する中、同年代の娘の中で殆ど唯一私に優しく友好的に接してくれたラウラの大事な場面なのに、私は無駄な矜持に囚われラウラの結婚式が駄目になるのを手をこまねいて見てるだけだったのだ……。
あの時私を強引にステージの上に……文字通り『運び上げた』グラントには、今でも感謝している。
エドーニアに暮らした数年間、街の人間とは殆ど話もしない孤独な生活だったことを彼女に伝えるエピソードとして、翡翠亭での結婚式の出来事をプシュケーディア姫に私は話した。
エドーニアで何も楽しいことは無かったのか?
との問いの『こたえ』として。
しかし楽しかったとは言えあの夜一晩で街の人達に掛けられた言葉は、私が街外れで暮らした何年間かに交わした『挨拶』や、必要で発っせられた言葉の数よりも多かったと言えば、エドーニアでの暮らしが決して面白おかしいものではなかったと理解してもらえるだろうと思って私はその話を彼女にしたのだけれど……。
プシュケーディア姫が、ここで何故か私に
「シェンバルを弾くくらい、私だって出来るのよ」
と、突っかかってきたのだ。
正直……これには少し驚いた。
だって、どうしてその流れでそこに噛み付かれるのか理解できないではないか。
どう返答して良いか……私だって迷う。
「それはすごいですわ……。さぞかし練習されたのでしょう」
と、平静を装ってなんとか答えはしたけれど、プシュケーディア姫は不服そうに下唇を噛み
「絵だって色彩感覚が素晴らしいと小さい頃に褒められたことがあるのよ」
とさらに言う。
しかも翌日、ドルスデル卿夫人の講義が終わった後でプシュケーディア姫は私に王宮の楽器室について来いと言い出した。
楽器室と言うのはこの国お抱えの楽師や作曲家が曲を作ったり楽器の練習をする場所のようだ。
ユーシズやセ・セペンテスにある『蝶の部屋』と同じく、室内には何種類もの楽器が板張りの床の上そちこちに置かれているが、向こうがグラントの父『アレクシフォス』が個人的に使用していた部屋であるのと比べ、こちらは複数の楽師が使用し、更には小規模な演奏会なども行うようで、設備も整っていて規模も大きい。
活人画やちょっとした出し物をする為一段高くなった舞台の上、美しいドレープたっぷりに引き上げられた緞帳に縁取られるよう一台のシェンバルが設置されており、ウードとフェタ、竪琴の一種であるキリルなどを手にした楽師らが待ち構えていた。
王女が私に自分の演奏を聴けと言うのだ……。
私は商人とその妻のふりで旅したルルディアス・レイへの道中、何度か居酒屋や酒場で拙い腕ながらシェンバルの演奏をしたことがあるけれど、こんな立派な舞台での演奏など聴いたことが無い。
幼少時から王宮の楽師に師事していたのだ。プシュケーディア姫は相当な腕前に違いない。
そう期待したのだけれど、私はスフォールで彼女の演奏を耳にすることは無かった。
楽器を持った楽師らを侍らせ、王女がシェンバルの前に座り、今まさに黒と銀の鍵盤の上に指を踊らせようと言う瞬間に、急に気が変わったかのようにこちらを向いた彼女が
「フローも弾いてみてよ」
と言い出したからだ。
「あの……王女……。私、殆ど誰かに師事した事もなくて……自己流でしか弾けませんわよ……?」
突然の申し出に面食らう私に、プシュケーディア姫は少し左右に長い唇を笑みの形にして
「いいじゃない別に。私以外誰が聞いているわけじゃないし」
と言う。
……まあ、確かにそれもそうだ。
ここは酒場のようにノリの悪い演奏をした時には容赦なく悪罵の飛ぶ場所じゃない。
聴衆といってもプシュケーディア姫だけ。下手糞な演奏をしても、楽師はまさか私を笑わないだろう。
納得した私は、杖を手に舞台袖の小さな階段を上る。
席につき黒い鍵盤を一つ叩くと、とても澄んだ音がした。
楽器自体が良いものであるのは勿論、この部屋の音響が本当に素晴らしいのだ。
メイリー・ミーが留学していたフィフリシスの僧院の礼拝堂も音響が素晴らしかったけれど、とんでもないあの曲を見知らぬ聴衆の前で弾かねばならなかったあの時のように緊張せずに済む分、今日は音を楽しむことが出来る。
「子供用の教則本に載っていた曲以外は『結婚行進曲』くらいしかちゃんとした曲は存じませんけど」
ここのところ暫くまともに指を動かしていない。
指鳴らしに鍵盤を叩いたけれど、やはりちょっと動きが鈍く引っかかる部分がある。
あまり早いテンポのモノは無理かもしれない。
「教則本のでも、フローが知っている曲ならなんでもいいわよ」
舞台袖近くの椅子に腰を下ろした王女が笑って言うのに安心し、私はブルジリア王国の酒場で覚え知った短めの舞踏曲を弾かせてもらった。
曲を知っていたらしいフェタの奏者が途中から私のシェンバルに乗せ、本来は歌い手が入る部分の旋律を奏でてくれた。
ウードとキリルは即興的にそこに絡む。
……さすがに王宮に所属するような楽師だけあって、本当に素晴らしい奏者だ……。
彼らのお陰で私は気持ちよく曲を弾き終えることが出来た。
「お耳汚しいたしましたわ。プシュケーディア姫」
楽しさの余韻から、私は笑いながら王女にそう言った。
席を立とうとするとすかさずフェタの奏者が私の手を取り、助けてくれる。
「あら、ありがとう」
「……いいえ。わたくしは北の国の出身なので、懐かしい曲を思い出させていただき感謝しております。奥様」
キリルとウードの奏者は、私が他楽器と合わせることに慣れている事を褒めてくれた。
たしかに酒場でも何度か他の楽器とあわせたこともあるけれど、彼らこそ私の拙い演奏に合わせる技術を持っているのだから、少し『よいしょ』のし過ぎだと思う。
それに……サラ夫人のウードとの合奏のことを思えば、たいていの場合なんとかなるのではないだろうか……。
素晴らしい舞台で素晴らしいシェンバルを前に、私はちょっとばかり浮かれてしまっていた。
『しまった』……と思ったのは、私に替わりプシュケーディア姫がシェンバルの前に座り、鍵盤を幾つか叩いた後のこと。
後悔と言うのはどうしてこう……するべきではない行動をとった後でなければ出来ないモノなのか……。
王女が弾きはじめたのは、教則本で見たことのある練習曲の一つだった。
シェンバルが単純で単調な旋律を奏で、そこに他楽器が高い技術を要する演奏を絡め進行する。
曲全体を聴けば非常に美しく複雑なのだけれど、シェンバルの演奏は習い始めの子供でも出来ると言う……。
練習を始めて間もない人間を飽きさせず、自分が素晴らしい演奏をしていると錯覚させ、練習を継続させる意図を含んだ曲目。
それまでの彼女はどうであれ、この時のプシュケーディア姫はこの曲目の持つ意味に気がついてしまったのだと思う。
「……気が乗らないわ」
と不機嫌に言い捨て、彼女は最初の数小節でシェンバルの前を立ってしまった。
……私は、馬鹿だ。
きっとグラントが私の立場にいたのならきっと彼のこと、最初に演奏を勧められた時点で適当な言い訳をしてそれを遠慮したことだろう。
それなのに私ときたら……。
シェンバルの失敗を教訓に、もし王女が私が趣味にしている『絵』で何か言い出して来たとしても、自分は本当に趣味で絵を描くだけで人前では到底描けないのだ……とでも断るつもりでいたのだけれど、使用人を通じ、王女はテティに探りを入れていたらしい。
まるで写し取ったように人物の絵を描く……との話を、彼女はカチュカに話てしまったそうだ。
もちろん事情を知らぬテティに落ち度は無い。
ただ……テティに口裏を合わせるよう根回しをせずにいた自分の甘さに腹が立つ。
それ以来、プシュケーディア姫はドルスデル卿夫人の講義でやたらと私に競ってくるようになってしまった。
アグナダ公国への出発を前にうかつにも私は彼女に嫌われてしまったのかと思いきや、何故か王女は以前と変わらず私を傍に置くことを好む。
それに……何が転機になったのか、あれ以来王女は子供のような丈の短いスカートを身につけるのを止め、年齢に見合った衣装を身につけるようになっていた。
中途半端な丈のスカートを止め、侍女のスティルハートやカチュカらに選ばせた衣装を身につけた王女は、最初に会った時に比べ別段に大人びて女性らしく見える。
「プシュケーディア姫の白金の髪は本当に美しいですわ。……澄んだ灰色の瞳もその髪も、どんな色の衣装を着ても大丈夫と約束してくれているような物ですもの。上背もおありだから、大きな柄の衣装もお似合いになりますわね」
きちんと身なりを整えた王女は、なかなかに美しかった。
体つきにもう少し女性らしい丸みを帯び、所作に気を使うようになれば見違えるようになると思う。
必要以上に日に焼けるのを止めれば皮膚だって肌理が細かく滑らかだし、髪は真っ直ぐに癖のないカスタードクリームのような白金。
咲き初めのモッコウ薔薇のような王女にはまだまだ飾る余地があるのだ。
「……鬱金色のブロケードがあるわ。色糸で大判の花と蝶が描かれているの。それに柿色のタフタに白ベルベットのダマスク」
大きな柄の描かれた二枚のローブは、昨年、フェスタンディ殿下との婚約が決まった後に作られたものであるのだとか。
その頃新たに王女付きの侍女となったスティルハートとカチュカとの勧めで選んだそうだ。
「仮縫い以外は一度も袖を通されていないのですか? ……まあ……これは絶対によくお似合いになりますのに。……ダマスクもブロードも本当に素敵。私、柿色も鬱金色も大好きですけれど、残念なことに髪と目の色のせいで顔映りが悪くて。……しかも、背がさほど高くありませんから素敵な柄でも着られないことが多いのです」
衣裳部屋のローブはどれも素晴らしく、美しいものばかりだった。
スティルハートもカチュカも王女に似合うものをよく理解している。
プシュケーディア姫の結婚が決まってから協力的ではない当人に代わり、お嫁入りに相応しい衣装や小物類は二人が手配したと言う話だが、二人とも彼女の身の回りを整える『侍女』としてとても優秀なようだ。
「ふ~ん……鬱金色、好きなのに着られないのねフローは。あと苦手な色はどんなのがあるの?」
「緑でも重い緑はたぶん似合わないですわ。顔色が土気色に見えてしまう上に背が小さく見えるんですの。こんな風に下に行くにつれ濃い色になるグラデーションは、身長がおありの方じゃないと着られませんもの。それに髪と同じ金藁の色も。しっかりした差し色が入っていれば問題ありませんけれど、とても……気の抜けた感じに見えませんこと? だけど王女のその白金の髪でしたら灯火を受けて豪華に映りますわね。前髪を太い同色のリボンで押さえてふんわり持ち上げると襟ぐりの形にも合いますし」
若い娘が衣装に興味を持つのは悪いことではない。
自分に似合う色や似合わない色、柄、形を見つけたり、自然光とランプなどの灯火の下でそれぞれ映えるモノを把握し、その場その場に相応しいように身支度をするのも、王女のような立場の人間には必要な嗜みだもの。
これまでさほどそういうことに興味を示さなかったプシュケーディア姫にとって、そういう方面での一助になれば……と、普段はこんな人様に何か言うようなことは無いのだが、ちょっとだけ口を出させてもらうことにした。
その後、プシュケーディア姫は柿色や鬱金色、私には着られない大きな柄のローブを好んで身につけておられる。
それから……私が好きだけれど似合わなくて身につけられないと言った色の衣装を。
子供の着るような短いスカートのモノはすっかり姿を消した。
しかし、額に掛かる中途半端な長さの切り下げ前髪は相変わらずそのまま……。
……どういうつもりだろう、これは?
私に張り合う……と言うより、もしかしたら私に意地悪をしているのだろうか……?
気にはなったけれど、まさかそんなことを聞くわけにも行くまい。
とりあえずプシュケーディア姫はあれ以来、出発のための準備にも協力的な態度で臨んでいるようなのだ。余計なことを言って水を差す事になっては大変だ……。
アグナダ公国指して花嫁を乗せた船が出航する前日、王宮内は一種異様な興奮状態に包まれたまま船出のための準備が粛々と進められた。
午前中はドルスデル卿夫人の講義の合間、この数日と同じく王女は私相手にダンスを美しく踊るために必要なのは姿勢であり、美しく歩く為にもそこが重要なのだという話を得々として語り、頭に数冊の本を載せ、いかに自分がすばらしい脚捌きで歩けるかを上機嫌で実践して見せていたのだが、スフォールの内海の西、折り重なる島影に煙が上がり始めたのを知ると、さすがに王女の口数も少なくなった。
「本日の講義はここまででございます。……王女。生れ育った王宮にお名残もございましょう。明日の出発までもう時はございませんが、懐かしい人や場所にお別れをなさるのも良いかと……。では、失礼いたします」
ドルスデル卿夫人が退出の挨拶をして部屋を出ると、普段は私を引っ張って自室やあちらこちらへと歩くプシュケーディア姫だが、今日は何も言わずにフラリと出て行ってしまった。
向かった方向から考えると、恐らくプシュケーディア姫の父王のトコロへ行ったのだと思う……。
彼女が生れ育ったこの王宮で過ごす『娘時代』最後の夜が明け、秋の澄み切った水色の空に熱量の少ない白い太陽が昇った翌日の朝。
王女は立ち並ぶ鮮やかな国旗と騎兵や儀仗兵の列の間を堂々と歩き、白と金とに塗られた馬車へと乗り込んだ。
出発に先立ってちょっとした式典があったけれど、王女の様子を見れば殆ど周囲のものなど目に入らず、耳にもはいらずな状態だったに違いない……。
涙に崩れ落ちることなく真っ直ぐに顔を上げ続けるのは本当に……どんなに精神力を要したことだろう。
モスフォリア王室の旗と煌びやかな式典の衣装に身を包んだ騎士らを先頭に、プシュケーディア姫の花嫁行列は何台もの馬車を連ねて港へ向かい出発した。
私は王女の馬車に同乗し、進行方向に向けて真っ直ぐに顔を上げ、馬車の内部……緑の絹の内張りがされた壁を見つめ続けるプシュケーディア姫の隣に腰を下ろしていた。
式典の衣装を身につけた衛士らが立ち並ぶ列の後ろに、アグナダ公国から派遣された軍人らがやはり式典用の衣装で並んでいるのが車窓から垣間見えた。
彼らは私達の列の最後尾を護るため、出発は一番最後になるようだ。
鮮やかな群青色に深紅の襟、白いモール飾りと金釦付きの大きな折り返し袖の華やかなアグナダ公国軍らの末席に、黒い帽子と上品だが地味な深草色の上着を着たグラントの姿が見えた時、私はプシュケーディア姫がいることを忘れて車窓に身を乗り出しそうになってしまった。
スフォールに来て七日。
たった七日間と言われればそのとおりなのだけれど、もっとずっと長く彼に会えず時を過ごしたような気がする。
一瞬グラントの姿を目にしただけで、胸がドキドキと早鐘を打つのだ……。
暗い色味の帽子や衣服のせいか、グラントは少し疲れた顔をしていた気がする。
私だけではなく彼もなかなかに居心地の悪そうな立場でのモスフォリア逗留だったのだ。気疲れしていて当然だ。
彼の姿を少しでも長く見ていたくて、私は座席からつい腰を浮かせかけてしまったが、幸いにも王女は気がつかなかった様子。
グラントの姿の残像から意識をもぎ離し、私は硬く強張ったプシュケーディア姫の横顔へと目を向ける。
王女の両の手がハンカチを硬く握り締めるあまり震え始めた事に気がついた私は、レースの手袋の包まれたその手の上にそっと自分の手を重ねた。
「大丈夫ですか……プシュケーディア姫?」
自分の手の上に重なった私の手をしばし見つめた後、プシュケーディア姫は一瞬こちらに微笑みかけ、それから……突如として私の手を払いのけた。
「私は、逃げたりなんかしないわ。ちゃんとこうやって大人しく馬車にだって乗ったでしょ……! 『あなたなんかに』馬鹿にされる謂れはないわよ……っ」
いきなりそんなことを言われて、驚くなと言われても無理だと思う……。
「何を仰っているのですか……プシュケーディア姫……?」
私は王女がこの場に来て逃げ出すだなんて、思ってもいない。
思ってもいないことだから当然、そんな心配を口に出したこともない。
彼女には何日か前、耳に痛い話をすることにはなってしまったけれど、あれ以来プシュケーディア姫は自分の立場を理解したものと信じていたのだもの……。
「……そ、そうだわよね。……悪かったわフロー。私、ちょっと緊張してイライラしてたみたい。自分の故郷を出るんだもん、あなたにも分かるでしょう?」
……と、取り繕うようにプシュケーディア姫は笑い、一度振り払った私の手をぎゅっと掴んだ。
彼女といるとどうにも、こう……据わりが悪いと言うのか、彼女にとって自分がどういう『位置』にいるのか……掴みづらくてどうにもならない……。




