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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
56/97

『顔の無い花嫁』25

 結局のところ、やっぱり王女には現実と言うものが見えていないのだ。王女をやめてみては……などと言う馬鹿馬鹿しい私の言葉に


「やめられるの!?」


 などと食いついて来るのだから。



 プシュケーディア姫と言う娘は悪い人間ではない。失礼な言動も多いけれど、人を気遣う優しい部分もある。

 問題なのはある意味においてただただ……彼女が浮世離れしていることだ。

 ……でも、それはたぶんプシュケーディア姫のせいではなく彼女を徹底的に甘やかして来た周囲の人間……恐らくはモスフォリアの王のせいなのだと思う。

 王には王で国の為に政略結婚の駒として使ったプシュケーディア姫の姉姫らの埋め合わせのつもりで彼女を可愛がってきたところもあるのだろうけれど、今は王へ同情を寄せているような局面ではない。


「王女としての責任を放棄するのでしたら、王女であるからこそ享受出来た物の全ては今後受けられなくなります」

「……なによ、フローティア。結局お説教なの?」


 ハンカチの中から顔を上げた王女は面白くなさそうに唇を曲げた。


「先ほど言ったとおり、ちょっと想像していただきたいだけです。……お怒りにならないで聞いてくださると『約束』いただけたと思いますが……」

「……したわ……分かった。さっさと続けて」


「……では。今お話していた王女の従兄弟殿とエリルージュさんのことと話は重なりますが、王女が『王女』を辞めたなら、この国の国民は王女を養う謂れは無くなりますよね? 鍛冶屋が鉄を打って道具を作ったり直したりする事で生活の糧を得るのと同じく、統治者は統治することによってその代価として税を得ているのですから。王女が王女としてやれる事をしないのでしたら、もうプシュケーディア姫にはこの王宮に住まう資格もありません」

「嫌な言い方するわね。……ここに住んじゃいけないのなら、出て行けばいいんでしょう?」

「出て何処へゆかれるつもりですか? さっきも言ったとおり、この国の貴族らは王女が逃げることには手を貸したりしません。もちろんプシュケーディア姫の姉姫らも王女をかくまうことはないと思います。なぜなら、王女がもしも本当にフェスタンディ殿下との結婚から逃亡したら、アグナダ公国及びリアトーマ国はモスフォリア国と戦争になる可能性が高いのですから。そんなことに手を貸すのは危険でございますもの」

「だからっ! それは私のせいじゃないでしょう!?」

「確かにボルキナ国と結びつくことによって後ろ盾を得ようとしたのは王やこの国の重鎮らでしょうが……。アグナダ公国もリアトーマ国も、貴女がフェスタンディ殿下へ嫁ぎ、新造船の技術を渡すのならモスフォリア国の裏切り行為を不問に付し、怒りの矛を収めると申しているのです。プシュケーディア姫がなさろうとしているのは、友好の為に差し出した手を打ち払い、払いのけるも同然の行為です。……これで戦争が起きればその責任は全てプシュケーディア姫と言うことになりますわ」

「……だから、私一人が我慢しろってことなの……?」

「その方がプシュケーディア姫にとっても幸せなことではないですか? 戦争になればこの美しいスフォールの街も戦火に焼かれることでしょう……。アグナダもリアトーマもモスフォリアを植民地にするつもりはないでしょうが、潰された面子めんつがございます。少なくとも王都であるスフォールの街と王宮は徹底的に攻撃することと思います。それにいきさつがいきさつだけに、周辺の友好国からの援軍は望めないかと……。恐らくたくさんの人が死にます。それに……弱ったこの国を狙ってシズミュワレファ辺りが動かないとも限りません。もちろんこれらは全て『もしも』の話です……が、もし仮にそのような事態になったとして、プシュケーディア姫には耐えるコトがお出来になりますか?」


 王女はたぶん、あまり踏み込んだ部分まで考えたことは無かったのだろう。

 私がこのスフォールが戦火に包まれると言った辺りから、ふて腐れていたような顔が引き締まり、その面から血の気が失せてハンカチを握る指先が少し震えはじめるのが見えていた。


 これ以上追い詰めるようなことをしては気の毒かもしれない……。

 私はほっとひとつ息を吐き、苦笑いを浮かべた。


「それに、プシュケーディア姫。王女を辞めて身一つで出奔して、どうやって生きてゆくおつもりです? 権力も財力も失った貴族女なんて、本当になんにも出来ませんわ。……現に私、卵のひとつもまともに割れませんもの」


 唐突に大きく話が変わったせいか、プシュケーディア姫はぽかんとあっけに取られた表情で私を見た。


「た……まご?」

「ええ、卵です。ちょっと前に私……厨房で生の卵を割らせてもらったことがありますの。……酷いことになりましたわ。プシュケーディア姫は生の卵を割ったことがありまして?」


 首を横に振る王女の顔を見ながら私は話を続ける。


「料理人は簡単そうに片手でボウルの中に卵を割り入れますけれど、なかなか難しいものでしてよ。……料理が出来なければ料理人を雇わねばならないのでしょうが、料理人を雇うには賃金を払わねばなりませんわ。だけど、私には生活の糧を得るために糸を紡ぐこともできないし、はたで布を織ることもできません。それに縫い物も出来ないし。……侍女にレース編みを教わってみましたら、酷いんですの。簡単なドイリーすらヨレヨレで笑われてしまいましたわ。どうやらまともに出来るのは絵を描く事とシェンバルを弾く事くらい。その他の手を使う仕事はまるで駄目なようですわ……。かと言ってこの脚では酒場でお運びも出来ないでしょうし……」


 私の口から酒場のお運びと言う職業が出たことに、王女は衝撃を受けたらしい。


「き、貴族や王族が酒場などという下賎な場所で給仕だなんて……あ、あり得ないわよ!」

「まぁ……ですが王女。……身ひとつで働き始めるんですもの、貴族や上流階級家庭での勤め先なんてありませんわ。王宮もそうでしょうが、紹介状がない身元の不確かな者など屋敷に上げられませんのよ。……まさか()王女と名乗るわけには行きませんでしょう? ……技術も信用も縁故もない人間の勤め先なんて限られておりましてよ。それこそ酒場の給仕か、街で花売りでもするか……。でもプシュケーディア姫……花売りが一日必死に花を売ったところで、王女が手にしていらっしゃるそのハンカチ……ええ、それです。そのハンカチ一枚買うことは出来ないコトをご存知でして?」

「嘘……これ、そんなに高いの? だってふつーのハンカチよ? カチュカが持ってきたのがそこにもたくさんあるでしょ」

「花売りにとってはとんでもなく高価なものですわ。お花を花売りから買ったことはございませんか? どれくらいの値なのかは後ほど侍女にでも聞いてみてください。……そうだわ、王女。私のこの脚、どうしてこんな風になったのかをご存知でしょうか?」


 我ながら随分と話が飛び飛びに飛んでいるとは思うのだが、グラントもよく話をあちこちに飛ばすのだ。

 木を語るのに幹だけではなく枝や葉、花についてを飛び飛びに説明するのと同じことを彼はしているのだが、私がそのことに気づくのはたいてい時間が経ってからのことになる。

 あまり一つ一つにコトをじっくりと考える時間があるよりも、この方が余計な部分に突っかかったり考えすぎたりせずに済み、暫くした後に全容が見えてくるから……人によっては有効な話の持って行き方だと思う。


「……父と相乗りした馬から崖の下へと転がり落ちましたの。……その事故で父は亡くなりましたけれど、私は二日ほど後に家人に崖下から救いだされました。……今はこうして杖を使えば歩けるようになりましたが、その事故で私の膝と大腿骨は砕けてしまいましたの。スカートの下で分かりませんでしょうが脚には今も……随分酷い傷跡が残っておりますわ」


 プシュケーディア姫も私の話が突然飛ぶことに違和感を覚えているようだが、話の内容が内容なだけにそのことには文句も言えずにいるのだろう。

 ただ


「二日も見つけてもらえなかったの?」


 と、気の毒そうに彼女は言った。


「大きな怪我をしている上に雨が降っていて……春とはいえ高地でのことでしたから、酷く寒かったことを覚えています。半死半生で見つけられ、こうして無事に大人になることが出来たのは奇跡のようだと医師に言われたくらいですわ。……まあ、そういうわけで私は『傷物』でございますから、娼館に身売りしたところで恐らく二束三文の値しかつかないと思います。若くて買い手がつく内ならなんとか生活出来るかもしれませんけれど……まともに生きて行くのは難しいですわね」


 私の口から飛び出す『娼館』やら『身売り』やらの言葉にプシュケーディア姫はどれほど驚いたことだろう。

 言葉を結んだ時、彼女は灰色の瞳をぱしぱしと瞬かせて絶句していたのだが、私は容赦なく王女に質問を投げかけた。


「王女はいかがでしょうね……?」


 と。


「わた……私がどうして身売りなんて真似を……っ」


 怒りか羞恥か、顔を赤く染めた王女は文句を言うけれど、私は悲しそうな表情を取り繕って首を振った。


「手になんの技術もなく身元も不確かな女に出来る仕事なんてそうはありません。没落貴族ならまだしも、国を見捨てて逃げた人間が身分を明かすわけにはゆきませんでしょう? 体力に自信がおありなら港の女人夫か……身元にうるさくない場所で下働きくらいはあるかもしれませんが、一日働いたところで今身につけているその絹のリボンも購えませんわ。花売りとして一日必死に花を売っても、硬いパンと卵と果物を購える程度。……これらの場合は住処は自分で見つけて家賃を払わねばなりませんし、食事も自分でなんとかしなければなりませんね。ああ……ですが私には無理な酒場の給仕も、健康な王女には可能ですわね? お店によっては住み込みで働ける場所もありますし、お食事がつくこともあります。ただ……王女。酔客に絡まれた時に適当にあしらうことがお出来になりますか? 両手が塞がっている時を狙ってアチコチ触ってくる男性もおりますわよ? そんなことがあっても雇い主はよっぽどの時でなければ助けてくれませんわ。……それ以外で現実的なのは住み込みで娼館勤めくらいしか思いつきませんもの……」

「フローティアは意地悪ばかり言うのね! 人夫の賃金とか私のリボンの値とか、そんなものどうしてあなたが知ってるのよ!?」


 唇を震わせた王女に噛みつくように反論され、今度は私がぱちぱちと瞬きをした。

 ……プシュケーディア姫の言うのも尤もだ。ふつうの貴婦人は港で働く人夫の賃金など知らないだろうし、街に買い物に行っても支払いは付き添いの侍女か後日払いのツケになることが殆どだから、物の値などわからないことが多いのだ。


 私は港口の口入屋の入り口に賃金表があるのを何度も目にしているし、エドーニアではシェムスを連れずに自分の買い物をしていたから、物の価格もある程度承知している。

 港口の口入屋のことはまあ……説明しなくても良いだろうが、私は少し考えてからエドーニアで独立して館を切り回していたことを王女に告げることにした。

 ……これくらいのことなら話しても問題はないだろう。


「アグナダ公国に来る前に、私、エドーニアで館を構えて数年間一人暮らしをしておりました。生家には脚のこともあって居場所がありませんでしたので、当主である兄にお願いして屋敷から出してもらっておりましたの。最低限の使用人しかいない小さな館でしたわ。そういう状態でしたから私、物の値にはある程度詳しいのです。王女のリボンの正確な価格は存じませんけど、その染色は珍しい上に見事な手刺繍ですもの。人夫の一日の賃金では到底購えないことくらい分かりますわ」

「一人暮らし……!? あなたが!?」


 プシュケーディア姫の灰色の瞳がこぼれんばかりに見開かれる。


「はい。生家から何人かの使用人は連れてゆきましたし、生活力の無い私の為の費用は当主である兄に出していただきました……。だからこそ私は経済的に自立して生きていくのが容易い事ではないとつくづく思い知っております」


 あの頃の事を思い出すと、未だに気持ちがふさぐ。

 少女時代の私は父上の命と引き換えに生き残った事への罪悪感に押し潰されそうになっていた。

 私が脚を引きずる姿が視界に入るたびに兄様や母さまがどれほど嫌な気持ちになるのか、それを思うだけでとても苦しくて……。

 もしもあのまま外に出なかったなら、私は心を病み自らの手で自らの命を絶つことになったかもしれない。


 あの屋敷に私の居場所なんて無かった。

 だがしかし、エドーニアの外れに館を構えた後にだって素性を名乗れぬ私に居心地の良い居場所などありはしない。

 屋敷に残り、気配を消してただ生き続けているよりは多少マシ(・・)だっただけ。


 自分の存在に私が意義を見出すことが出来たのは、国境の街エドーニアにアグナダ公国の間諜が跋扈していることに気づいてからだろうか……。

 エドーニア周辺の防備を探りに来る諜報員を見つけ出すコトを自分の『仕事』とし、私はようやく生家に養われているだけの役立たずのお荷物でなくなることが出来た。

 父様の愛した美しいエドーニアをアグナダ公国の人間に踏み荒らされぬよう、必死に戦っているつもりでいたけれど……振り返ってみればあの当時、私の心は酷く荒廃していたように思う……。

 美しい景色に囲まれながらも心が安らぐことなどはなく、いつも誰かを疑う生活。

 悪化して行くリアトーマ国とアグナダ公国の関係には明るい未来など見いだせず、それどころかグラントと知り合った頃にはきな臭く戦火の香りすら漂い始めていたのだ。


 ……もし私が諜報員を見つける仕事をしている事がグラント以外のアグナダ側の人間に発見されていたならば、私は今頃生きてはいなかったことだろう……。

 そういう酷い生活をしていたのだ。



「……家を出て暮らしたことがあるなんてズルいわ。随分と気楽に過ごしていたんでしょうね?」


 ほんの一瞬だが過去のあの暗い日々に意識を飛ばしていた私は、少し不満そうな表情でそんな事を言い出した王女に驚いた。


「気楽? 生家にいるよりはまだマシでしたけど……それはありませんわ。だって、家を出るにあたって『家名を名乗らないこと』を条件にしましたから、名を名乗れない得体の知れぬ者には友人も近しい人間も出来ないのですよ。むしろ人との付き合いになるべく距離を取らねばなりませんもの。酷く孤独でしたわ」


 私は慌ててプシュケーディア姫の思い違いを正したが、でも……まあ……実情を知らねば家を出て生きるコトを『自由気ままな生活』と思い違えるのも無理のないことかも知れない。


「そうなの? 名前を名乗らないって……どういうこと? いくら人と近しくしないにしろ、まったくの名無しで通すのは無理なんじゃないの?」

「ああ……ええ……そうですわね。名乗らないというのは『家の名』です。私の場合、暮らしていた街では『フロー』と言う通称で通しておりました。街の人間は私を呼ぶときにはただお嬢さんとか、フローお嬢さんとか……。きっとあの街の人達は私の事を得体の知れぬ怪しい女だと思っていたでしょうね。十代の後半頃からグラ……バルドリー侯爵のもとへ嫁ぐ前年の春まで外におりましたが、あの街で挨拶以上の言葉を他人と交わしたの事は数えるほどしかありませんでしたわ……」

「自分で好きなように買い物に行くのは素敵なことじゃない。あれこれ言う人間がついて来ないなんて、羨ましいわよ」


 楽しい生活ではなかったと言う私に王女は懐疑心を抱いたようだった。

 ……彼女に私のエドーニアでの話しをしたのは失敗だっただろうか。まさかこんな風に受け取られるなんて考えもしなかった。


「王女……先ほど申し上げた通り、統治者は正しい統治の代償として人々から税を徴収し、それを生活の糧としているのですよ。花売りが花の代価を受け取るのと同じです。この脚がありましたもの、当時の私は結婚によって有益な相手と縁を結ぶ役目すら出来ず、家の助けもなにも出来ぬ役立たずだったんですわ。こういう言葉を使うのもなんですが……『無駄飯食い』とか『ごく潰し』……です。しかも友達の一人だっていませんもの、社交的な場に出ることもありません。夜会用の美しいローブなど一度だって持ったことはありませんでしたし……だいたい華やかな生活などしたら極力目立たぬようにしたいのに悪目立ちしてしまうではございませんか」

「……夜会用のローブの一着も無いなんて考えられない……!」

「夜会どころか私、リアトーマ国にいた頃にはお茶にだって招かれたことがございませんわ」


 リアトーマ国だけではない。

 モスフォリア国だって杖を突いた女が出入りできるパーティーなどありはしない。

 その辺のことはプシュケーディア姫もすんなりと認めたようだったのだが、屋敷を出て自分の取り仕切る館で暮らしていた頃の事に強く興味を引かれた様子だった。


「エドーニアでの暮らしはそう楽しい物ではございませんでしたが、聞きたいと仰るのでしたらいくらでもお話しますわ。……ですが王女。もう二度とご自分の立場を捨てて逃げるような真似はなさらないでくださいますわね……?」


 灰色の瞳を覗き込んで問う私に、プシュケーディア姫は自分の中でしばし何かを考える様子を見せてから一つ頷きを返してきた。


「……私は『物乞い』なんかじゃないから、もらった分は返すわよ」


 それは私が兄様からの援助無しには生きていけない『無駄飯食い』の『ごく潰し』だったとの表現を受けての言葉だと思う。

 多少極端な表現ではあるけれど、どうやらさっきまでの『王女なのだから、何かを与えられるのは当然』と言う考えは改めたようだし、この辺りは安心するべきだろうか。


「それに、フェスタンディ殿下と言うのはおじさんでも『いいおじさん』なんでしょう? ……少なくともザビネの結婚した『おじいさん』よりはまだ若い分マシよね。……私も姉さま達とおんなじに結婚と恋愛は別だと割り切ればいいだけの話だわ」


 プシュケーディア姫はフェスタンディ殿下の肖像画を見ていないのだし、実際彼女と殿下では随分と年齢が離れているのだから……殿下を『おじさん』呼ばわりするのは仕方が無いのかもしれないが……。


 結婚前の若い娘が結婚前から愛人を作る宣言をしていることに対しては、どう反応するべきだろう?

 いや……いくらフェスタンディ殿下が美男子で良い人でも、男女と言うのは相性と言うものもあるのだし、本人同士の恋愛感情より家同士の利害関係を重視しがちな貴族社会にあって婚外恋愛は珍しいものではない。

 こればかりはプシュケーディア姫とフェスタンディ殿下の問題だ。

 政略結婚とは言え前向きな考えを持って嫁ぎ、実際に上手く行っているレレイスと言う例を見た後だけに色々と思うところはあるけれど、そもそも想う相手と結婚できた私には偉そうに口を出す権利などないのだ。


 ……それにしても、プシュケーディア姫が素直な上に聡く、また、自尊心の強い人間で助かった。

 必要以上に彼女を甘やかしてきた王に倣い周囲に厳しく意見する人間がいなかったようだが、説明すれば理解してくれるし、今までの自分を振り返り反省も出来るのだもの。


 しかし


「フローティア。あなたも生国で『役立たず』だの『ごく潰し』だの言われるれるのが嫌だったのよね? アグナダとリアトーマが友好関係を築こうとしている時だもの。バルドリー卿もあなたの生家もフローティアが結婚することで随分と評価が上がったでしょ」


 そう言い出した王女に、私とグラントはそういう理由で結婚したわけではないのだと理解してもらうことだけは出来なかった……。

 彼女の言うようにあのタイミングでリアトーマ国内の古い家系ジェンフェア・エドーニア家の私と前時代の戦で二国が戦いを止め協定を結ぶきっかけを作ったカゲンスト・バルドリーの孫であるグラントとが結婚した事は、ジェンフェア・エドーニアの家にとっても、バルドリー家にとっても利益が無かったとは言えない。


「プシュケーディア姫……。私とグラ……いえ、バルドリー侯爵はそう言う打算的な理由で結婚を決めたわけではありませんわ……」

「いいの。分かっているわよフローティア。いいえ、あなたのことは私もフローと呼ぼうかしら。その方が更に親近感が増すものね。私はあなたをお茶に呼びもしなかったエドーニアの人達とは違って、あなたの素性を知った上でそう呼ぶんだもん。ね、フロー。……ごめんね……もうこんな話は終わりにしましょう。もう冷めてしまったけど、お茶を飲みましょうよ。この焼きメレンゲは本当に美味しいんだから!」


 ちゃんとお互いが愛し合っていたからこその結婚だったのだと説明しようとする私を遮り、悲しげなわけ知り顔で王女は話を無理やり終わらせてしまう。


「王女……ですが……」

「お茶を飲む約束を守らせてよ。ね、それからあなたが生家を出ていた時の話を聞かせてよ。エドーニアってどんな土地なの? 小さな館って言ったけど、どれくらいの大きさ? 本当に一つも楽しいことが無かったわけじゃないんでしょう??」


 言葉を継ぐ隙が有らばこそ……プシュケーディア姫は無理やりに話を逸らして聞こうとはしてくれなかったのだ。


 彼女が話を必死に逸らしたのは、プシュケーディア姫なりの気遣いなのだ……と思う。

 最初に会った時から王女は私とグラントが好き合って結婚したのだと言う事実を認めようとしなかった。

 それを認めない一番の理由は今も、自分と同程度かそれ以上に『可哀想』な相手を身近に置くことで自分の気持ちの安定をはかろうとする無意識的なものだろうとは思うけれど、強引な政略結婚の末に不幸そうな様子をしながら『申し分なく幸せだ』と口にする従姉妹の存在も大きそうだ。

 プシュケーディア姫は私に悲惨な意地を張らせまいとしたのだ。


 それに、対外的に私はエドーニアでグラントに一目惚れされたことになっているのだが、プシュケーディア姫にしてみれば外の国にまで美貌で聞こえたレレイスのように美人なわけでもない私が、しかも……みっともなく脚を引きずり杖を突く女が一目惚れされるなどあり得ない……と、そう考えているのではないだろうか?


 いや……確かに私は絶世の美女なんかではない。

 無いけれど、でも……蓼食う虫も好き好きと言う言葉だってあるのに……。

 そこまで考え、私は自分を『蓼』に喩えて自ら貶めていることにハタと気づき、心の裡に苦笑した。


 私とグラントの本当の馴れ初めを語るわけには行かないのだから、これ以上言葉を重ねても仕方が無いのかも知れない……。

 先行きを思えば気も重いし溜息を禁じえないが、『嘘も方便』と言う言葉に今はすがらせてもらおう。

 そう決めた私は、それ以上の説明を胸の中にしまい口に出すことを止めたのだった。



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