表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
52/97

『顔の無い花嫁』21

 プシュケーディア姫がアグナダ公国へ向けて出立するまでの間、私は彼女と一緒にドルスデル卿夫人の講義を受ける事になった。

 それは別に構わない。

 構わないどころか大公家の歴史や国内貴族らのこと、国の行事や祭礼について学ばせて貰えるのはむしろ願ってもない話。


 私も一応折に触れ、サラ夫人やグラント、家令のボストレンさんや女中頭のアニエラに話を聞いたり、屋敷の図書室で歴史や儀礼や主要上位貴族家の家史などに目を通したりもしているけれど、分からないことが多過ぎてどこから手をつけてよいのやら……と言う状態だったのだ。


 アグナダ公国に嫁ぐ王女の為、ドルスデル卿夫人が組んだカリキュラムを一緒に受けられるのはありがたい事。

 花嫁教育が始まって暫くの間プシュケーディア姫がドルスデル卿夫人から逃げ回っていたせいで講義の予定が狂い、一日辺りの課程が多少詰まっているけれど、興味のある事を教わっているせいかまったく苦にならない。


 王女とアリアラ海を渡る船に乗るまでの七日間。それにアリアラ海を渡る船の中でもドルスデル卿夫人の講義はあるし、アグナダ公国に到着してからも移動の合間を見て続く予定。

 それでも足りない分は婚礼後も必要に応じてドルスデル卿夫人やアグナダ公国の学舎の人間が城に出向いて行うことになるだろうと言う話だ。


 王女と一緒に授業を受けて分かったのは、プシュケーディア姫という人が思いのほか賢い人間だと言うこと。

 ドルスデル卿夫人も王女との初対面の前にその事を言及なさっていたけれど、本当に物の飲み込みが早いのだ。

 私をスフォールに招聘することを交換条件に真面目に講義を受ける事を約束したようだが、今は約束を守って普通に講義を聴いているだけではなく、ドルスデル卿夫人へ鋭い質問を飛ばす場面もしばしば見られる。


「あなたに来ていただいてから、あのだんまり王女がまるで別人のよう……」


 私がスフォール入りしてから三日目。その日の講義を終えたドルスデル卿夫人が感に堪えない……と言った様子で仰った。


 初日二日目は王女の気まぐれを警戒していた夫人だが、三日目になっても真面目に勉強しているプシュケーディア姫の姿を見、これは本物だと安心されたのだろう。

 我侭勝手にしている状態のプシュケーディア姫を私は目にしていないけれど、泣き言を口にするタイプではないドルスデル卿夫人がそう言うのだ。

 それまでが相当に大変だったのだろう事は想像に難くない。


「バルドリー卿夫人にいらしていただいて本当に良かったわ……。もちろんあなたが一日中プシュケーディア姫のお守り……いえ、お相手で大変な目に遭っていることに対して申し訳ないとは思っておりますけど……」

「たった一人で王女の我侭に振り回され続けるご苦労に比べれば、私など大変と言うのもおこがましいと思いますわ。……どうもプシュケーディア姫は意地になっていたようですね。授業も興味を持って聞いているようですし……。周囲に甘やかされて我を通すことが当たり前だったのか、少し強情なところがあるようです」

「ええ、意固地になっていた。ここ数日の様子から私もそういうことだったのだろうと感じました。こちらに問題があったとか勉強が嫌であのような態度でいたのでないなら、もう少し私にもやりようがあったのではないかと思うのですけど……」


 申し訳なさそうにドルスデル卿夫人はため息するが、話しかけても無言で表情すら動かさない人間からその心情を推し量るのは困難だったに違いない。


「今日もこれから王女と?」

「はい。昨日まではこのスフォールの王宮をあちこち案内してくれて、今日はプシュケーディア姫の私室でお茶をいただく予定です。お部屋に呼んでくださったので、この際少しだけ突っ込んだ話をさせていただこうかと……」

「大丈夫かしら……?」


 私が口にした『突っ込んだ話』の部分に反応してだろう。ドルスデル卿夫人は気遣わしげに眉を顰めた。

 夫人が心配するのも無理はない。

 私がプシュケーディア姫の機嫌を損ねてしまっては、折角やる気を出してくれた王女が以前のようなだんまり王女に逆戻りしてしまうかもしれないのだから。


「弁えておりますわ」


 今はまだ(・・)プシュケーディア姫に嫌われるわけには行かないことくらい、弁えている。

 ドルスデル卿夫人を安心させようと、私は唇に笑みの形を刻んだ。


 そう。

 あくまでも今はまだ(・・・・)……だ。

 だって……いずれ私がプシュケーディア姫に嫌われるだろうことは、既定も同然なのだもの……。

 プシュケーディア姫の可哀想なオトモダチ『フローティア』は、この世には存在しないのだ。

 これを誇るのはちょっと気恥ずかしいコトだけど、私とグラントとは互いに愛し合って結婚したのだし、それはアグナダ公国内では割と有名な話でもあるらしい。

 いくら私が何も言わないとしても、そのうちプシュケーディア姫だって真実に気がつくことだろう。


 ドルスデル卿夫人に無言を通し、当初の予定に無かった私のスフォール入りを実現させるまで強情を押し通すほど気性の激しい王女が、真実を知った時にすんなりそれを受け入れるとは思えない。

 その点に関してはドルスデル卿夫人からの手紙に目を通したグラントや、フェスタンディ殿下も私と同意見……。

 彼女に恥をかかせた相手として、私は恐らくプシュケーディア姫に酷く嫌われることになる。

 運よく嫌われるまでなかったとしても、暫くの間、避けられるくらいはするだろうと思っている。


 まあ、実際は避けられるどころか……の話だったのだけど、それはまだ少し先の話。


 とまれ。

 ドルスデル卿夫人はもちろんフェスタンディ殿下もこのことでは私に申し訳なく思ってくれているらしく、将来的に問題化しないよう出来うる限りのフォローを入れてくれることを確約してくださった。

 こんなことを言ってはなんだが、プシュケーディア姫にレレイスのようなカリスマ性や社交術が無くて本当に良かったと思う。

 だって、プシュケーディア姫はいずれアグナダ公国の大公妃になる方なのだ。

 地位だけではなく国内社交界での実力まである人間に、こんな馬鹿馬鹿しい嫌われ方をしたのでは私だって遣り切れないではないか。


 まあ……だが開き直るわけではないけれど、どうせ嫌われるんだろうと分かっているせいか、私はプシュケーディア姫に対して必要以上に遠慮する気持を持たずにいられる。

 私は私として王女に接し、限度を見極めはするけれど言いたいことは言わせてもらおう。

 フェスタンディ殿下は女性の扱いに長けていらっしゃる。 

 きっと彼女が気持ちを拗らせて私を嫌われたとしても、時を見ていずれ殿下がうまく取り成してくださるだろう。

 ……と、信じるしかない。



 セ・セペンテスを基準に言うなら夏の終わりを思わせる陽気の午後。

 私はプシュケーディア姫と一緒にスフォール王宮の回廊を歩いていた。

 白い柱が等間隔で続く回廊の床は鮮やかなモザイクタイルで彩られ、影と光が極彩色のモザイク上に美しい縞模様を描く。

 外に目を転じると艶やかな緑の棕櫚が取り囲むテラコッタ張りの中庭。

 庭の中心には清い水を湛えた大きな水盤が青い空と白い雲を映していた。

 非常に異国情緒を感じさせる光景だ。


 本当なら私はこの回廊をプシュケーディア姫から遣わされたであろう案内の者と歩いているはずだった。

 王女は私に


「お茶の時間になったら迎えをよこす」


 と言ったのだから、当然案内の者を部屋に送ってくるのだと思うではないか。

 だけど私が出かける仕度を済ませた頃に部屋の扉を叩いたのは、他の誰でもないプシュケーディア姫本人だった。

 町場の子供が友達を遊びに誘い訪ねるのとは違うのだ。まさか本人が来るなんて思いはしない。

 どうにも彼女の行動は常識を逸脱しているように感じるのだが、ここに来る前訪れたリアトーマ国の芍薬の宮でレレイスも彼女と同じような行動をとった事を私は思い出す。

 あれをレレイスは、私のことを驚かせるためにわざと(・・・)やったと自分で言っていた。

 とすると、これはやはりプシュケーディア姫が私を驚かせるためにわざと(・・・)やった行動ととるべきだろう。

 私は子供のように嬉しげな笑みを浮かべる王女に


「どうしてこんな、人を驚かすようなことをするのですか?」


 と、聞いてみた。

 プシュケーディア姫は私の質問に少し訝しそうな表情をして


「そんなの、皆が喜んでくれるからに決まってるじゃない」


 と言う。


 ……なんだか妙な感じがする。

 だって、レレイスは自分が面白いから私のことを驚かしたのに、プシュケーディア姫の言い種では自分が楽しいから私を驚かせたわけではないと言うことではないか。


 彼女の言う喜んでくれる()と言うのは誰の事だろう……?

 もしかしたら私もその中に入っているのだろうか……??


 頭の中が疑問符だらけになったけれど、プシュケーディア姫はあまり気に留めぬ様子で私を先導して歩いている。

 出会った当初身勝手な甘えん坊と思った王女なのだが、昨日一昨日と王宮の内部をあちこち案内してくれた彼女の言動は、若い娘にありがちな傲慢なトコロはあるものの、最初から私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれたし、ある程度歩いたところで休憩を入れるなどの細やかな気遣いもしてくれた。

 私のように足に不具合のある人間に慣れていると言うより、人に気を使い状況を見ることに慣れている……とでも言うのだろうか。

 人を見て気を配るコトが出来る人間が、どうしてドルスデル卿夫人に対してあのような我侭な振る舞いをしたのだろう?

 講義を受けている彼女を見ればドルスデル卿夫人を嫌っていると言う訳ではないようだが……。


 フェスタンディ殿下との結婚自体を嫌がっているのだろうか?

 もちろん、諸手を挙げて喜んで嫁ぐと言う状況ではないことは分かっている。

 だけど王族や貴族の家に生まれたからには、いつ何時家や国の為に自分の身を駒として使われても仕方の無いことだ……と、ある程度覚悟を持たされるものなのに。


 まさかプシュケーディア姫にはどなたか心に思う殿方でもあるのだろうか?

 自分の後ろで両手の指先同士を絡め、だらだら歩きの少年のような格好で歩く彼女からはそんな恋愛などと言うものの気配は感じらないのだけれど……。


「プシュケーディア姫。あなたはフェスタンディ殿下のことが嫌いなの?」


 我ながら唐突なうえ、あまりにも直接的な質問だったとは思う。

 中途半端に伸びた切り下げ前髪の横顔を見せる王女を見ていたら、どうしてだかそんな質問が私の口をついて出てしまったのだ。

 これは本当に無意識に口から出てしまった言葉だった。

 プシュケーディア姫が灰色の瞳を驚いたように瞬かせるのを見て、私は自分がどれほど唐突なことを口にしたのか気づき、内心大慌てに慌てた。

 どうにも変な開き直りからか、慎重さに欠けた発言をしてしまったようだ。


「随分……聞きにくいことを聞いてくれるじゃない、フローティア」


 普通なら不興を買ってもおかしくない場面だったのに、何故だかプシュケーディア姫はころころと可笑しそうに笑う。

 頬が笑いのせいで綺麗なピンク色に染まり、日焼けと雀斑そばかすで損なわれているが彼女のもとの皮膚はきめ細かい綺麗な肌であることが分かった。

 多少横に長いけれど唇の形は申し分ないし、こぼれ見える歯も白い真珠のような美しさだ。

 それに、何よりもプシュケーディア姫の笑い声はとても耳に快く、可愛らしい響きを持っている。

 もう少し所作に気を使い、大人っぽい衣装を身に着ければ見栄えも良くなるというのに。

 この日の彼女も裾の中途半端に短い少女向けのエプロンドレス姿。


「いいわね。やっぱり私あなたのこと気に入ったわ。みんな私のこと腫れ物扱いで遠巻きにビクビク見るばっかりなんだもん。気持ち悪いったらないの」


 まあ……今の状況を考えればそれは仕方が無いことではないだろうか。

 誰だって気性が激しい人だと分かっている王女の気持ちをうっかり逆撫でしたくはないのだ。


「フェスタンディ殿下なんて知らない人だもん、好きも嫌いも無いわ。ただ……ちょっと怖いとは思ってるけど。だって……随分おじさんじゃない」

「お……おじさん……?」


 私はフェスタンディ殿下と面識があるから王女の言葉に驚いてしまったが、そういえば……もしも殿下が十代で子供を持っていたのならプシュケーディア姫はそれこそ殿下の子供でも可笑しくない年齢だ。

 決してフェスタンディ殿下はプシュケーディア姫の所謂『おじさん』などではないのだけれど、王女の目から見ればそのくらいの年齢の男性はおじさんと言うことになるという事か。


 ……だとすれば、王女にとってグラントだって当然おじさんと言うことになるのだろう。

 ますますもって彼女には『バルドリー侯爵』は悪印象に違いない。


 だけど……。


「あの、プシュケーディア姫? フェスタンディ殿下のお顔をご存知ないのですか?」


 普通こういう縁談の時には、それが既に決まった話だとしても、互いの肖像くらい見ているはずだ。

 レレイスだって私が描いたモノをサザリドラム王子に贈っていたのだから。

 フェスタンディ殿下は確かにプシュケーディア姫よりかなり年上だろうが、非常に見目形の良い美男子なのに……。


「一度くらい見たかしら……覚えてないわ」


 プシュケーディア姫は唇を歪めて首を傾げた。

 聞けばプシュケーディア姫にはフェスタンディ殿下の肖像は届けられていないらしい。

 彼女が見たかもしれないと言う肖像は、どうやら昨年亡くなられたメレンナルナ姫の持っていたモノであるようだ。


「……酷い失礼な手落ちだわ……」


 いくらプシュケーディア姫がメレンナルナ姫亡き後彼女の代わりにフェスタンディ殿下に嫁ぐ事になったとは言え、これはあんまりだと思う。


「手落ち? わざとじゃないの? 前に一枚送ったんだから、使いまわしで充分だってことだと思ったんだけど」

「いいえ、恐らくフェスタンディ殿下はこの事をご存知無いと思います。これを知ったらきっとお怒りになりますわ」

「フローティアが怒ってどうするの。あは、変な人ね。……私の周りじゃ誰もそんなこと言う人いなかったわよ。私が顔を知ってても知らなくてもどうせ決まった話なんだから関係ないだろってことだと思ってた……」

「気にならないのですか?」


 自分の夫となるのがどんな人間なのか、普通はその顔を知りたがるのが当たり前だと思うのだけれど。


「……考えたことが無かった」


 本当か嘘か、眉間に皺を刻んで王女は言った。


「けど、じゃあ見に行こうかしら。……ちょっと……!」


 通りかかった使用人をプシュケーディア姫は呼びつけ、何やら彼女に指示を出した。

 小走りに廊下を行く使用人の背を見送った後、王女がこちらを振り向いて言う。


「この奥にメレンナルナが使っていた部屋があるの。たぶんまだ殿下とやらの肖像はそこにあるはずよ。今、部屋の鍵を開けさせているから、お茶の前に少し付き合ってちょうだい」


 ……と。


 正直なところ、故人のお部屋にお邪魔するのは気が引ける。

 普通に『故人の部屋』と言うだけで遠慮しておきたい場所なのに、相手は王族。しかも……メレンナルナ姫と言えば、もしかしたらフェスタンディ殿下を殺い奉る刺客か、アグナダ公国内部の情報をボルキナ国に流す間諜として入り込もうとしていたのではと疑われる女性だ。

 出来ることならあまり関わりたくないと言うのが私の気持ちなのだが。

 プシュケーディア姫はこちらの返答を聞きもせず、チラリ私を見ると廊下の向こうへと歩き出してしまった。

 どうやら行き掛かり上、ここで否やと言うわけには行かなそうだ……。


 気の向かぬまま重い足を引きずり、私はプシュケーディア姫の後に続き歩き出す。

 気持ちは重かったが自分の結婚相手が美男子だと知れば王女の気持ちも少しは和らぐのではないか……との淡い期待を心に抱いて。


 だが、残念なことに、私のこの期待は叶えられることなく終わることになる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ