『顔の無い花嫁』20
ドルスデル卿夫人は仰った。
「王女は貴女やレレイス公女の話に非常に興味を持っていたので、その話をして差し上げる代わりにと言う事で授業を受けていただいていたのですが、まさかプシュケーディア姫があのような勘違いをしているとは……」
と。
プシュケーディア姫は、私がリアトーマ国とアグナダ公国の友好の為に無理やり嫁がされた……と、そう頑なに信じ込んでいる。
私だけではない。レレイスは自分の意志でサザリドラム王子との結婚を決めたと言うのに、強要されての政略結婚なのだと言うのが彼女の持論。
まあ……当時の政情や互いの立場を考えるなら、私もレレイスも政治がらみの結婚であると言われても仕方がないだろう。
私の場合婚姻による政治的な意味合いは後づけのようなものだが、レレイスも私も国に売られたわけでは無いし、決して愛情の無い相手と不幸な結婚生活を送っているわけではないのに、それを彼女は理解しようとしない。
この事についてドルスデル卿夫人の見解は、自分と同じ立場の人間と慰め合う事で自分の気持ちの安定をはかろうとしているのではないか……と言うものだった。
この場合の自分と同じ立場の人間とは『私』と『レレイス』になるわけだが、レレイスは他国の王族に嫁いだ公女。
私のように呼びつけるわけには行かぬ遠い相手だから、王女にとってはもっぱら『私』の事を指すのだと思う。
しかし彼女と私が同じ立場だと言うのは、向こうの勝手な思い込みに過ぎない……。
プシュケーディア姫が妙な誤解をしていると気づいたドルスデル卿夫人は、何度も彼女のこの思い違いを糺そうとしたようだけれど、プシュケーディア姫は夫人の言うことを一切信用しなかったのだとか。
モスフォリア国の脚の悪い貴族女に対する捉え方は、アグナダ公国やブルジリア王国よりもリアトーマ国寄りであるようだ。
なので、貴族の家系に不具のある者があれば隠蔽されるし、私のように杖をつく女を大っぴらに娶る者はいない。
プシュケーディア姫が杖をつく私の姿を見て、開口一番に『可哀想』呼ばわりしたのはそういう背景があってのこと。だから、政治的に利用できる相手でもなければわざわざ不具の女を娶るなんて可笑しいではないか……という事なんだろうと思う。
ドルスデル卿夫人もそんなプシュケーディア姫の考えに気づいていたのだろうが、まさか自分よりももっと不幸で可哀想な相手として貴女を想定しています……なんて私に言えるわけがない。
私をモスフォリアに招聘するにあたって送ってきた手紙の内容にしても、相当に頭を痛めたことだろう。
私を呼ばねば梃子でもフェスタンディ殿下の嫁になど行かぬとゴネ始めた王女に、ドルスデル卿夫人がどれほど苦悩されたことか……想像するだけで溜息が出る思いだ。
体をずぶずぶと沈みこませる柔らかすぎる長椅子で体の安定を保つのは難しかったけれど、私は自分の体がこれ以上沈みこまぬよう杖の握りにしっかり縋りついた。
手に馴染むその握りが象牙の柄の木の杖の物である事に気づき、私は心の中で苦笑する。
スフォールの王宮に入る時銀の杖と持ちかえるつもりだったのに、どうやらうっかり失念していたようだ。
だけど美しいよそ行きの銀色の杖よりも、普段使いのこの木の杖の方が使い易い。
だいたいにして私にはプシュケーディア姫に対して自分を取り繕う必要など無いのだ。いくら綺麗ごとを並べて自分を飾り立てたところで、最後にどうなるかは既に最初から決まっているのだから。
こんな風に開き直るのもなんだけど……そう思えば気持ちが楽になることは確かだ。
向かいの肘掛け椅子に腰を下ろす王女に真っ直ぐ目を向けて、私はプシュケーディア姫と言う人物を観察する。
プシュケーディア姫の髪は白金……と言うよりもカスタードクリームの色をしていた。
恐らくほんの少し前までは眉の辺りで前髪を切り下げていたのだろう。今はそれが少し伸び、額の真ん中辺りで前髪は軽く左右に分けられていた。
切り下げ髪は主に子供のする髪型だ。
ふつう14~15歳にもなれば子供じみた切り下げ前髪を嫌がり、大人のように左右に分けたり後ろに流したりしたがるものなのだが……。
肌は強い日差しに無防備に晒された夏の名残か、薄く焼けて頬や鼻の辺り一面にたくさんの雀斑が散っていた。
プシュケーディア姫が美人か不美人か……正直なところ私はその判断には悩んでしまう。
ただ……もう少し大人らしく装った方が今より見栄えが良くなる事は確かだろう。
髪型や年齢不相応な短めのスカート丈のドレス、それに雀斑などのせいで外見が子供っぽく見えてしまっているようだけれど、背は私よりあるし手足もスラリと長く大人なりだ。
上背や手足の長さの割りに肉付きの方が追いつかないようで、全体のフォルムは女性らしい丸みには乏しい。
彼女自身の意志によるものなのか周囲の意向を受けてのものか不明な幼い髪型であるけれど、左右に分けられた髪から覗く額は広く、秀でて良い形をしていた。
それにプシュケーディア姫の両の瞳は、子供じみたダダを捏ねる人間には相応しからず知的な光を浮かべる澄んだ灰色をしているのが……なんとも私の目にアンバランスに映る。
「私の事を可哀想と思うのは間違いですわ。プシュケーディア姫。私はバルドリー家に嫁ついで申し分なく幸せに暮らしているのです」
私は正面にある灰色の瞳を真っ直ぐに覗き込み、はっきりとそう言ってみた。
視線の端のドルスデル卿夫人は少し驚いたような顔をなさっているが……まあ、曲がりなりにも一国の王女……しかも未来のアグナダ大公妃に対して頓着ない反論をするのを目にしては、ドルスデル卿夫人も驚くのは当然か。
プシュケーディア姫は自分の脳内で自分に都合の良い『不幸なバルドリー卿夫人像』を作り上げた。
だけど、もしも目の前の本人からそれを否定されたなら一体どんな反応をするのか、私はどうしても確かめてみたかったのだ。
プシュケーディア姫は白っぽい睫に縁取られた灰色の瞳を瞬かせた。
悲しげに顰めた眉と微かな笑みとを表情にし、首を横に振る。
「……外に嫁いだ姉姫達や従姉妹たちも、あなたと同じ事を言うのよ。そう言うように強要されているのよね。私がまだ小さい頃、隣の国の皺くちゃ宰相の所に嫁に出された従姉妹が暫く前にスフォールに来てたけど、彼女もあなたとおんなじ事を言ったわ。申し分なく幸せ? 好きな人がいたのにあんな……汚い老人の妻にされたくせに、幸せって何? あんなにいつもニコニコ笑っていたザビネが、こっちに来て一度だってまともに笑わず……すっかり痩せちゃって……。そんな様子で幸せだって言われて信じられるわけがないじゃない?」
……なるほど。
どうやらプシュケーディア姫の身近には不幸な政略結婚のモデルケースがあったようだ。
それなら彼女が私を『不幸』の同胞にしたのにも多少は頷ける。
「私は王女の従姉妹とは違います。プシュケーディア姫。バルドリー侯爵は私と言う人間を生涯の伴侶にと心から求めてくれたんですから」
気をもむドレスデル卿夫人を尻目に私は再び口を開くのだが、どうやら現時点、プシュケーディア姫はこの事で引くつもりなど、微塵も無いようだ。
「フローティア。私は本当にあなたと『お友達』になりたいのよ。どうかいらない心の垣根なんてとっぱらって頂戴。……そりゃ私だって意地を張りたいあなたの気持ちは分かるけど、今はそんなの忘れて欲しいの。その方が自分を苦しめなくて済むってこと、分かるでしょ?」
……と。
私がグラントと幸せに暮らしていると言うのは、いらぬプライドから発せられた虚勢に過ぎぬと彼女は決めつけた。
そんな虚勢など張らず、素直になって自分とオトモダチになりましょう……と言うのだ。
どうしても、どうあっても、私はプシュケーディア姫にとっては可哀想なオトモダチでなければならないようだ。
今現在、モスフォリア国とアグナダ公国はけっして対等な関係とは言えない。
そんな中、アグナダに人身御供よろしく差し出された歳若いプシュケーディア姫を気遣い、フェスタンディ殿下は私を介添え役として任命なさった。
彼女と同じく他国から……それも、当初あまり良好な関係とはいえなかった国から嫁ついで日の浅い私を彼女の傍近くに置く事により、私とプシュケーディア姫の間に親近感が芽生える事を期待されてのことだろうと思う。
アグナダ公国で幸せな結婚生活を送る私を通し、王女にもフェスタンディ殿下との結婚生活に希望を見出して貰いたい……そう殿下はお考えになったのだ。
決して同病相哀れむ相手として傷を舐めあったり、自分よりもっと不幸な人間と見下しプシュケーディア姫を精神的優位に立たせるために私の事を遣わしたわけではないのに。
私は溜息を飲み込んで、王女へと笑みを向けた。
隠し切れず唇に浮かんだ苦笑いは、恐らく王女には気弱で悲しげな笑みに見えている事だろう。
「よく、分かりますわ。プシュケーディア姫……」
今はこの状況をひっくり返す時ではないのだと思う。
もう少しこの人を見極めなければ、彼女の誤解を解いたところで何の解決にもなりはしない。
「私はこうして王女の目の前にやって参りました。……これでドルスデル卿夫人とお約束なさった通り、プシュケーディア姫も夫人の授業をお受けになって、渡航の日に備えてくださいますわね?」
「ええ、もちろんよ。……そうでなきゃわざわざここまで来てくれたフローティアの立場もないものね。そうだわ……そうじゃなけりゃあバルドリー卿があなたの事を役立たず呼ばわりして酷く虐めるかもしれない! 侯爵もあなたと一緒にこっちに来たと聞いたけど……」
グラントはこの酷い言われようを聞いたら憤慨するだろうか? それとも呆れるだろうか?
でも……もしかしたら『バルドリー侯爵』が鬼畜のような人間で、私の事を虐めるかもしれないと彼女が思ってくれたのは好都合なのかもしれない。
少なくとも私が可哀想なオトモダチである限り、プシュケーディア姫はこれ以上ゴネたりせずにアグナダ公国に来てくれる筈だ。
「彼はこちらに来ている軍関係者と合流しております。あの人のこの国での役割は……例の『船』の資料の廃棄をその目で見て確認することですから」
「あの嫌な軍人の見張り役みたいな感じ? ……なんて素晴らしく厭らしい役目かしら。でも、欲得尽くであなたのような人を無理やり妻にする男には相応しい仕事ね。権威をひけらかしてふんぞり返っているところが目に浮かぶようじゃない?」
一体……彼女の中に作り上げられた『バルドリー侯爵像』と言うのはどういうものなんだろう……。
グラントには申し訳ないし反論したいのは山々だけど……今は彼女に意見をせず口を閉ざさせてもらう事にしよう。
プシュケーディア姫は甘やかされて育ち、我侭になった人だ。
そして……そのせいで現実にきちんと向き合うことが出来ない心の弱さを持っている。
しかし、どうやら約束を破らず守る律儀さや人を思いやり心配する優しさも、彼女は心の中にきちんと持ち合わせているらしい。
プシュケーディア姫には申し訳ないけれど、しばらくの間……そう、少なくともアグナダ公国の土を踏むまでは、その優しさと律儀さを利用させてもらうしかないだろう。
そんな人の心の隙をつくようなズルイ事を考えていたせいかもしれない。
「……そうだわ……!」
目の前でプシュケーディア姫が両の手をパチンと打ち合わせて満面に笑みを浮かべた。
「せっかくこうして離れることが出来たんだもの、私が出来るだけバルドリー卿と顔を合わせずに済むように計らってあげる。もちろんフローティアがアグナダ公国に帰ったらそうはいかないけど、私と一緒の時はなるべく侯爵が近くに来れないようにするわ。……こういう……なんていうの? 命の洗濯? そういう時間があっても罰はあたらないじゃない!」
「……え?」
「どう? いい考えでしょう?」
「……え・ええ……そうですね……」
グラントになるべく会わぬよう取り計らおうと嬉々として言うプシュケーディア姫に、私はそんなことはやめてくれ……なんて言う事は出来なかった。
だって、これはあくまでもプシュケーディア姫の親切心から出たものなのだ。
ここで異議を唱えるためにはそれなりの説得力ある理由が必要になるけれど、私はそんなものが瞬時に口から飛び出してくるインチキ商人のグラントではない。
介添え役の私はプシュケーディア姫のいるスフォールの王宮にアグナダ公国へ出発するまで滞在するのだし、グラントはと言えば『新造船』の資料や試作品などの廃棄をその目で見ることが仕事なのだから、彼は船の建造が秘密裏に行われていたスフォール近くの小島へと出向かねばならず、暫く会えない事にはなっていた。
だけど船の廃棄が終わった後にはグラントもプシュケーディア姫らと合流してアグナダ公国へ渡航するのだし、顔を合わせる機会だってあるだろう。
私はそんなふうに軽く考えていたのだけれど……。
実際には私のこの『バルドリー卿からの隔離』は、思いのほか長い日数続くことになってしまったのだった。
宗教的思想にあまり興味はないけれど、世の中には因果応報とか『罰』と言うものは……もしかしたら、ことによっては……あるのかも知れない……。




