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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』18

 シバル伯爵はユーシズからエドーニアに帰還した一昨年の冬、兄様が私にと持って来た縁談のお相手だ。

 伯爵は母様より年嵩だが向こうは現在の我が家より家格も高く、領地である港町ラサスと黄金街道を繋ぐ街道整備で風光明媚な観光地エドーニアにアリアラ海経由で海外からの更なる集客も望め、縁戚関係を結んで損は無い相手。

 しかも伯爵は故人である先妻との間に成人済みの子息が三人もいて、私は伯爵の子を産む必要が無いのだ。


 杖を手放せぬ上に子を産む能力を疑問視される私にはシバル伯爵との縁談は後妻の口とは言え勿体無いくらいのお話だった。

 もしもグラントが私を迎えにやって来なければ、兄様はレレイスとサザリドラム王子の披露宴でシバル伯爵にお会いした折にでもこの話を進めておくと仰っていた。


 グラントの言葉によれば、どうやらそのシバル伯爵が披露宴に新しい奥様を連れて見えておられたらしい。

 私はあの場でたくさんの方と引き合わされた。

 しかもレレイスが御使者として来た後は自分で把握出来ないくらいの人達が私の周りに集まってしまったから、どの方がシバル伯爵だったのか……さっぱり分からないのだ。


 自分がどれほど馬鹿なことで私を怒らせたのか自覚したからか、羽毛で咽こんだ後のグラントは、随分と意気消沈した様子だった。

 茫然自失の態で彼は『済まなかった』と私に詫びの言葉を言ったけれど、一体どういうつもりで私の意志や体力を無視してあんな無理強いをしようとしたり、何日もしつこくしたのか聞きださねば気持ちが治まらない。


 一体どうしたのか……との問いに、グラントは羽毛をたくさんのせたままの髪を両手で掻き毟るように頭を支えてうな垂れながら


「本当に……俺はどうにかしていたんだ……」


 と、いかにも恥じ入った様子で搾り出すように言葉を継いで説明してくれたのだが、シバル伯爵はレレイスが去った後で見えられたようだった。

 ……遅い時間にいらしたという事は、たぶん別邸からさほど離れていない場所に伯爵も伺候用の別邸を構えておいでなのだろう。


 レレイスが帰った後、私の周りには驚くほどの人垣が出来た。

 遅く披露宴に見えられた方や改めて兄様に私達への紹介を望む人々がご挨拶くださったのだ。


 あまりに慌しくたくさんの方を紹介されたせいか、それとも多少気持ちが高ぶっていたためか……ところどころ紹介された人の名前が抜けているし、誰がどれほど私の手を掴んでいたかなど、殆ど覚えていない。


 グラントに聞いてなんとかシバル伯爵を特定出来、改めて思い返してみると、彼の言うように件の伯爵は私の手を若干長く握っていたような気もする……。

 だけど挨拶の手を離さないままお話された方は他にもまだ何人もいて、私は相手がシバル伯爵だから他の方と区別したわけではなかった。


 ……と言うか、今になってどの方がそうだったのかを知ったのに、区別も差別も出来る筈が無いのだ。


 グラントは以前から冗談交じりではあるが、自分の事を『嫉妬深い人間だ』と、よく言っている。

 でも……いくら伯爵がなかなか私の手を離さなかったとしても向こうは既に再婚されているのだし、披露宴には奥様を同伴なさっていたそうではないか。

 よしんば向こうにスケベ心が多少あったとしても、グラントは私が伯爵のもとに喜んで嫁ごうとしていたわけじゃ無い事くらい知っている筈なのに、ここ数日の寝所での私に対する振る舞いの理由は何だと言うのか。

 私ははっきりそれを言うようグラントへ要求した。


「……どうしても言わない訳にはいかないかお嬢さん……? 出来れば聞かないで貰いたいんだ……」


 広い背中を小さく丸め、片手で顔を隠した彼の身の置き所にも困っているような風情に同情心が湧かなかったわけではないが、私は仏頂面のまま


「いやよ」


 と一言のもと却下する。


 だって、これでは納得が行かない。


「そうか……そうだな。だけど、出来ればこれ以上怒らないで聞いてもらいたいんだが……」


 そんな前置きの後に語られた話を聞いて……私は本当に唖然としてしまった。

 グラントはあの、兄様の披露宴が会った夜……その……房事の最中にだけれども、いらぬ事を想像してしまったと言うのだ。

 私がコトによってはシバル伯爵の、その……何と言うか、寝所にいたかもしれないだなどとそんな下種なことを……!

 開いた口がふさがらないとはこの事だ。


「ありえないわ……馬鹿なんじゃないの、グラント……」


 私の口から出たのは、なんとも力の入らぬ声。

 こんなことを聞かされて、力なんて出るわけが無い。


「全く……その通りだ……」


 顔を隠していた片手を下ろしたグラントは苦悩の表情を浮かべていた。


「本当に済まない。……だけどキミの上にあの……いやらしいジジイがのしかっていたかもしれないと考えたら、どうにも自制できなくて……」

「やめて、もう……っ変なことを言わないで頂戴、酷いわ!」


 こんな馬鹿馬鹿しくて失礼な話があるものか。


「顔を上げて、グラント」


 暗色の瞳を苦しげな色に染めたグラントの顔がぎこちなく上げられる。

 乱れた砂色の髪も、表情も、ほんの数分前までの彼からは想像もできないくらいに憔悴していた。


 私は……この人をもっとずっと『大人』なのだと思っていた。

 人に接する機会も殆ど無く狭い世界だけで生きていた私とは違い、たくさんの経験をして何人もの女性と恋愛だってしている筈なのに。


 許してくれなどと図々しい事は言えないが、私の気が済むのなら殴るなり蹴るなりしてくれとグラントが言い、私は即座に彼の頬を叩いた。

 あまりにも間髪入れずの平手打ちで彼も驚いたようだったが、殆ど無意識に手を出した自分自身に私も驚いてしまう。


 ……まあでも、叩いてしまったものは仕方がない。

 そのくらい私だって腹が立っていたという事だろう。

 だって、私がシバル伯爵に気のある素振りで手を握らせていたなど、完全にグラントの妄想だ。

 そもそも、もし私の振る舞いや態度で気に入らない事があったならその日の内に言ってくれればこんな馬鹿な諍いなど起きはしなかったのだ……。



 ***


「もう二度とあんな事はごめんだわ」


 大型船『white coral』の船内でそっぽを向いて言う私に、グラントは再びもう二度とそれは無いと繰り返してくれたけれど……。

 別に私がそっぽを向いていたのは、憤慨していたからではない。


 ……彼の顔を見たら笑ってしまいそうだったからなのだ。


 あの夜も私は反省しきりの彼を寝台の端へ追いやると、私は急いで夜具を頭までひき被った。

 彼から見れば酷く憤慨しての行動に感じられたと思う。

 だけど、本当は違う。

 グラントには申し訳ないけれど、私から断罪される彼の表情がなんだか可愛く見えてしかたがなくて……。必要以上に顔を突き合わせていては、怒るべき場面であるにも関わらず思わず彼のことを抱きしめてしまいそうだった。

 それに、偉そうにグラントを責め立てた私だが、実はゲルダさんがらみの事で私も彼と同じようなコトをしている。


 ……ルルディアス・レイの街で彼女と出会った夜、初めて自分からグラントをあんな風にお髭は剃らなくてもいいから……などと寝台に誘ったのだもの……。


 自分を内側から焦がすような嫉妬心や独占欲がどれほど己の自制心を奪うものであるか……思い出すと悶えるほどに恥ずかしい。

 まあ……彼の嫉妬は全くの妄想の上に成り立った困ったモノではあるけれど。

 落ち着きある大人なのだと思っていたグラントが、あの時の私同様自制を失うくらい苦しんでくれたのだと思うと……申し訳ないけれど、つい、嬉しいと思ってしまう。


 いいえ。

 『つい』なんて軽い気持ちではなく震えるくらい嬉しくて仕方がないと言ったら……呆れられてしまうだろうか。

 彼と結婚してから一年と半分以上が経っていると言うのに、私は恋をしたての小娘のようにグラントを愛おしく思う。

 でもやはり彼の行動はとても失礼だったのだし、ここで直ぐ機嫌を直しては……何と言うか……私らしくない気がする。

 それに年上のグラントに対して私が『可愛い』だなんて感情を持ったことは、彼も知りたく無いのではないだろうか。


 引き被った夜具の中、私は心の中で身悶えながら朝になったらなんとか上手に……この馬鹿馬鹿しい事態の収束を目指そうと心に決めた。

 多少不機嫌そうな表情を取り繕わねばなるまい。

 その上で少しだけ拗ねたような悲しそうな声を出し


「意に染まぬ相手との結婚から救い出してくれたのはグラントなのに、その貴方に私の望まぬ姿を想像されるのはとても辛くて悲しいわ」


 ……とでも伝えよう。


 どうやら自制を失った自分がどれほど酷い振る舞いをしたかについては心底反省しているようだから、これ以上責める必要はないだろう。


 そして、私はその通りのことを慎重に実行し、少しだけもったいつけた後にグラントのことを許したのだった。

 時々それを思い出しては頬が妙な感じに緩む困った発作に襲われるコトがあるけれど、男性の矜持を傷つけるような真似は絶対に出来ない。

 だから、この事は……そう。前にゲルダさんから聞いた彼女の亡夫でありグラントの商人としての師匠ダダイ・ミルジェット氏との出会いのエピソード同様、決して口にし無い事を心に誓っている。


 頬の緩みを引き締め直し、私はグラントに向き直った。


「貴方は一体何を心配してモスフォリアまで同行しようと言うの?」

「まず……一番心配なのは、キミのこと」


 また何か誤魔化そうとでもしているのかと眉間に皺する私だが、彼の言葉には先があるようだ。


「……十年以上だ、お嬢さん。それだけの長い年月を費やしてボルキナ国が抱き続けた野望を、あっさり放棄してくれるとは思えないんだよ」


 その不安な言葉に、私は手にしたティーカップをテーブルに戻して彼の瞳を覗き込んだ。


「まさか」


 だって、ボルキナ国が描いていたシナリオでは、アグナダ公国とリアトーマ国とがフドルツ山の金鉱をきっかけに相戦い、消耗したところを狙って海越えの侵攻を仕掛けるはずだった。

 もはやその陰謀はアグナダ公国のみならずリアトーマ国も知るところとなり、両国が『冷戦相手』ではなく『友好国』となった今、かの国がレグニシア大陸に手を伸ばしてくるなどという事はありえない。

 ……筈だ。


 だけど


「新たなる領土や植民地を得る野望は潰えたけれど、まだ『船』は残っているだろう?」


 そう言われて私はハッとする。


 そう……モスフォリア国がボルキナ国からの資金提供を得て開発した新造船の技術は、未だモスフォリア国にある。

 ソレはフェスタンディ殿下へプシュケーディア姫が輿入れする際の持参金の形でアグナダへ技術者ごと受け渡される事になっている。


 新造船の設計や技術はモスフォリア国には残されず、渡された後は船に関するすべての資料が処分されるのだ。

 資料や試作品の処分はアグナダ公国が厳重に管理し、外に持ち出されることは無いはずだ。


「……モスフォリア国の造船所に諜報員でも侵入したの?」

「いや、今のトコロそれはない。リアトーマ国とアグナダ公国の調査によれば、これまでモスフォリア国からボルキナ国に渡された『新造船』に関する資料類は試作品段階の不完全なモノが殆どだったようだし、あそこは軍事大国ではあっても造船技術は進んでいないから、それらの資料だけで冬場のホルツホルテ海を航行出来るような船を建造するのは、現時点不可能だと思う」

「だけど油断出来ないと、貴方は考えているのね……?」

「……杞憂で済むのならそれはそれで構わないんだ。……と言うより、そうであって欲しい」


 フドルツ山の金鉱脈から採掘される『金』が不正に流出し出したのは十余年前からだ。

 それをアグナダ公国とリアトーマ国に気づかれる事なく行う為、ボルキナ国は金鉱の監査を行う二国の委員らを買収し、脅迫し、都合の良い調査報告を行うよう操っていた。

 それらの買収や脅迫の為の材料をそろえるのにも相当の年月を費やしているに違いない。

 最初の計画が出来てから、どれほどの時が経っているのだろう?

 十五年?

 二十年……?


 計画が白日の下に晒された今、レグニシア大陸に対して戦を仕掛けるようなコトはアグナダやリアトーマの手前出来まいが、『新造船』の技術は手に入れて損は無い。

 いや、長い年月を掛けての侵攻計画が頓挫したのだ。それに関わった人間が悪あがきをしたとしても、なんらおかしな事は無いだろう。


「技術の流出に対する国家間の規定は今のところ存在しないからね」


 と、グラントが言った。


「どういう事?」

「例えばユーシズの亜麻栽培の輪作技術が近隣の領地で真似されたとして、それに対する罰則なんて存在しないだろう?」

「それは……そうだろうけれど。それと船の事では問題が違うのではなくて??」

「いや、同じだよ。今回『新造船』の技術がボルキナ国の手によって奪われ、その技術によって船が作られたとしてもボルキナ国に対して罰則を与える事なんて出来ない。勿論アグナダ公国やリアトーマ国から抗議はするだろう。状況によればモスフォリア国からも。だけどボルキナ国側が『この技術は自国で開発したものだ』と、言い張ったらどうだ? それともモスフォリア国の造船技術者が勝手に亡命してきたのだ……とでも?」


 そんな技術力がボルキナ国に無い事は明らかだ。だけど、その証拠は無い。亡命してきた技術者がいなくても、それも証拠など無い。


 いいえ……それどころか……。


「どうにもならないわ……」


 私は絶句した。

 もしも証拠があったとしても、そんなもの無意味なのだ。


 いくらアグナダ公国とリアトーマ国が抗議したところで……言葉は悪いけれど、蛙の面に小便。手に入れるものだけは手に入れているのだ。痛くもかゆくも無い。

 出来る事と言えばせいぜいが両国からボルキナ国に対する輸出入や出入国の制限や税率の変更。周辺国へ同様の措置を求める働きかけくらいだろうか……?

 最悪のシナリオとしてレグニシア大陸連合とボルキナ国との戦争……という事も考えられるが、それは現実的ではないだろう。


「奪われたら奪われた者負けと言う事?」

「そうなる」


 ……だからアグナダ公国の軍関係者がモスフォリア国へ大挙して監視の目を光らせているのだ。


「……フドルツ山金流出事件の発覚後、ボルキナ国で軍務大臣がその任を解かれた事をキミも知っているだろう?」


 たしかその話は私がグラントのもとからエドーニアへと戻っている時、兄様から聞いた事がある。


「ええ」

「今ボルキナ国にダイダルを潜入させている。彼とはモスフォリアで合流予定なんだが、彼からの報告では元軍務大臣の行方が掴めないらしいんだ」


 グラントの調べによると、かの軍事国家の元軍務大臣であるバズラール卿と言う人物は、地位こそ父親から引き継ぐ形になったものの、軍の統率力にも優れ在任中の評価も高い。

 大臣への任命は十余年前、当時史上最年少と言う若さでの話だそうだ。

 ボルキナ国の大臣職は世襲制ではない……とすれば、相当に有能で優秀な人間であった事は想像に難くない。

 聞こえて来る話ではバズラール卿は頭が切れる上に武芸にも秀で、人を指示して動かすだけではなく非常に行動的な人物であるらしい。

 そんな人間が失地回復の機会に手をこまねいているだけだとは……到底思えない。


「……すまないなお嬢さん。こんな話をキミに聞かせて」


 彼が同行しようとした事情を話す事を強要したのは私なのに、グラントが申し訳なさそうに詫びる。


「キミはキミで面倒な事を任されているのに、こんな話まで知ったら……頭が痛いだろう?」


 気遣わしげに私を見る暗色の瞳。

 私はほっと小さく息を吐き、彼の大きな手に自分の手を重ねた。


 彼が最後に聞いた報告によれば、バズラール卿らがモスフォリアに入った形跡は無いようだ。

 それに『新造船技術』がボルキナ国に持ち込まれたと言う情報も無い。

 とすれば、今現在も『新造船技術』は危険に晒されているのだし、それを持ち移動する限りプシュケーディア姫輿入れの花嫁道中も安全では無いという事だ。


だから(・・・)貴方は私と一緒にモスフォリアに渡る事にしたのでしょう? だったら、守ってくれるのではないの?」


 船の建造技術も、プシュケーディア姫や彼女に同道する私達も。


「船は二の次で、キミのことだけは絶対に」


 本当に……どうしてグラントはこんなに私の事を甘やかそうとするんだろう。


「貴方のその台詞を聞いたら、フェスタンディ殿下がお怒りになってよ」

「怒るほど心配ならアイツが自分で嫁と持参金を迎えに来ればいいんだ」


 サラリ、非常識きわまり無い事を口にする彼の言い草に半ば呆れながらも笑い、私はグラントの逞しい肩に寄りかかる。


 モスフォリア国王都、スフォールはもう目と鼻の先に迫っていた。



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