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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』17

 モスフォリア国王都スフォール上空に広がる藍色の夜空の裾野を、橙色の炎が染めていた。火の手が夜を焦がすのは、王都から海を隔てて北北西に浮かぶエランダ島の一角。

 日中燃え上がった炎は時間の経過と共に火勢を失いつつあるが、王都やエランダ島周辺地域に住むモスフォリア国民達は不安な夜を過ごしているに違いない。

 彼らは今『何』が、そして『何故』燃やされているのかを知らないのだから。


 近隣の港や海上は明日の朝までモスフォリアとアグナダ公国の軍によって封鎖されている。事情を知らぬ人々はこの炎の中に何があるのかを窺う事は決して出来ない。

 ……だけどそれでいいのだ。

 炎に焼かれて燃やされたのは、この国の犯したある種の『罪』なのだから。

 そんなものの存在など、知らぬ方が幸せに違いない。

 夜が明ければ浄化され灰燼かいじんに帰した『罪』を朝日が照らすだろう。


 グラントは今頃エランダ島に間近い海上からこの炎を眺めている筈だ。

 私が夜の裾野を照らす炎を見ているこの同じ屋根の下、国民らが知らぬ『罪』を贖う花嫁は、一体何を思いこの白亜の王宮に乙女としての最後の時を過ごしている事だろうか……。



 兄様の結婚を披露する宴から数日の内、私とグラントはアグナダ公国へ戻るべくアリアラ海を西から東へと向かった。

 私達が目指したのはアグナダ公国アリアラ海側最大の港町、タフテロッサだ。


 本当なら一度、大公の住まう都セ・セペンテスへ戻り旅装を改めて整え直したいところだったのだが、モスフォリアへと渡航する船便の本数や日程を鑑みるとそれは難しかった。

 なにしろプシュケーディア姫の教育係ドルスデル卿夫人からは、出来うる限り早く渡航してきて欲しいとの申請が来ているのだから、何日もかけてタフテロッサとセ・セペンテスを往復して来るわけには行かないだろう。


 しかし、できうる限りと言われても限界がある。

 当初の予定ではモスフォリア国から渡ってきたプシュケーディア姫をタフテロッサで出迎え、そこからセ・セペンテスまでの花嫁道中をご一緒する筈だったのだもの。突然予定を変更しろと言われてもこちらにはこちらの都合と言うものがある。

 私こそ旅装やなにやらは前もってセ・セペンテスからタフテロッサに運ばせ、不足分はそこで現地調達すればなんとかなるものの、グラントの方はと言えば……。


 いや、旅支度の話ではない。

 もう少しこう……政治寄りの意味で言う準備(・・)の話だ。

 私と一緒にモスフォリアに渡る彼だけれど、現地に何の役職も用意されてなかったらあちらへ行く言い訳が立たないのだ。

 なんとかフェスタンディ殿下の口添えでそれは取り繕う事も出来たが、根回しの時間が不足していたせいで、モスフォリア側で彼を迎え入れるアグナダ公国関係者に対し、なんと言うか……角が立ってしまったようなのだ……。


 これが何の問題もない通常の王族間の婚姻であったなら、グラントもそれほど苦労をせずに済んだことと思う。

 だが今回のフェスタンディ殿下とプシュケーディア姫との結婚は、普通の結婚以上に政治的と言うか、軍事寄りの政治色が強いのだ。


 モスフォリアがボルキナ国と結びついて開発した新造船技術が、アグナダ公国やリアトーマ国以外の国へと流出しないよう目を光らせる任を受け、アグナダの軍関係者がモスフォリア国に渡っているのだが、どうやら彼らとバルドリー侯爵家とは……あまり相性が良いとは言えないらしい。


 外の国から戦争を機に渡ってきた傭兵から身を起こしたバルドリー家と、古くからアグナダ公国を守る国軍の指揮官等を輩出してきた軍属の方々が戦時下でもない今、手に手を取って仲良く……と言うのが難しい事くらい説明されるまでもなく理解出来る。

 『お国の為』に血を流す人間と、『お金の為』に戦地を求め国を渡り歩く傭兵では、そもそもの立ち位置が違うのだとグラントは苦笑いを浮かべた。


 彼に言わせればバルドリー家は戦後の混乱と人材不足に乗じて爵位を得た成り上がりに過ぎず、由緒正しい家柄の貴族から見れば彼の家などくもすけ(・・・・)同然なのだそう。

 いくらなんでも自分の血筋を雲助くもすけ呼ばわりなんてあんまりだと思うのだが、大公やフェスタンディ殿下の信の厚い彼を快く思わぬ人間がいても確かにおかしくはない。


 ……だいたいグラントは、これまでふらふら得体の知れない行動を取り過ぎたのだ。

 エドーニアで出会った時にもそうだったけれど、侯爵家の当主でありながら間諜めいた仕事に手を染め、あちらの国こちらの国へと赴き自らあれこれ調べまわるなんて、自分の立場を弁えぬ狂気の沙汰だ。

 そういう行動によって得た情報や人脈から大公らにその能力を認められる事になったとは言え、彼がそんな事をしていると知っている人間は多くはない。


 客観的に言ってグラントは、成り上がりの家系に生まれ、侯爵家と言う上位貴族でありながら家にも国にも居つかぬ放浪癖を持つ変人……と言う事になるのではないだろうか……。

 事情を知らぬ者から見れば彼は国の行事にも殆ど参加せず、貴族としての責務を果たしているようには見えない。

 それなのにここ数年大公やフェスタンディ殿下に大事にされているとなれば、反感を買うのも当然だ。


 モスフォリアでグラントを待つのは、無理のゴリ押しで役職を捏造した彼に不快感を抱いているだろう軍関係者……と言う事になる。


「ねぇグラント? そろそろ貴方が……半ば無理やり同行しようとしているのがどうしてなのか、教えてくれてもいいのではなくて?」


 タフテロッサからモスフォリア国王都スフォールへ向かう船旅が終わろうとした頃、私はかねてからずっと気になっていた疑問をグラントにぶつけてみた。


 ドルスデル卿夫人だってプシュケーディア姫の教育係としてドルスデル卿の同行なしに単身アリアラ海を渡ったのだ。

 介添え役を仰せつかったのは私なのだから、本当は一人でスフォールへ赴くべきだろうに、グラントまで一緒に来るなんて……どう考えたって不自然過ぎる。

 確かに彼は私に関してちょっと度を越して心配性なところはあるけれど、それにしてもフェスタンディ殿下の口添え無しには得られなかった役職をゴリ押しで作らせてまで……と言うのは、何か理由があってのこととしか思えない。


「一体陰に何が(・・)あるの?」


 手入れしていた剣からこちらに顔を上げたグラントは、微かに首を傾げて


「何も……起きなきゃいいとは思っている」


 と答えた。


 と言う事は、今現在彼の懸念は具現化しているわけではないと言うコト。

 でも。


「何か起きるんじゃないかと思ったから、貴方もモスフォリアに一緒に来る事にしたのでしょう? 貴方だけじゃないわ、フェスタンディ殿下だって何か心に懸かるものがなければ……」


 そう。殿下もこれがただグラントの我侭であるならば、口添え自体してくださらなかったのではないだろうか。


「…………」


 グラントは綺麗に拭き上げた刀身を鞘に収め、暗色の瞳をこちらに向けてしばし何かを思案する風情。


 ……なんだか面白くない。


 今年の春、ブルジリア王国に共に渡って以降、彼は随分と色々な話を私にしてくれるようになっていた。

 リアトーマ国もそうだったが、アグナダ公国だって女が表立って政治に興味を示す事はあまりお行儀の良いコトとはみなされないトコロがある。

 実際はそれなりに政情を知っていなければ社交界を生きて行けないのだけど、それでも世の中の動きについて考え政治を動かすのは男性である……との認識が強い事に変わりは無い。

 だから私は結婚後、彼がジェイドやレシタルさんらと行っている事について口出しは愚か、何をしているのかを聞き出そうとすらせずにいたのだ。

 そこは彼の妻として私に踏み込む事を許された領域ではないと考えたからだ。

 そうやって私が引いた『線』を取り払ってくれたのは誰でもないグラント自身だったと言うのに、どうして今こんな風に私を蚊帳の外へ置くような事をするんだろう。


「言いにくいのならそれは構わないけれど、貴方が黙っている事でまた詰まらない諍いになるのは願い下げだわ……」

「そ、それはもう無い。本当だ」


 半眼で睨みつける私の目の剣呑さに気づいたらしいグラントは、刀身の拭き上げに使っていた布ごと剣を椅子の上に放り投げると、お茶を飲む私の横に急いで大きな体を滑り込ませてきた。

 彼が慌てているのは詰まらない諍いに覚えがあるからだ。


 つい最近、本当にくだらない事で私とグラントは喧嘩をした。

 下らないなんて言ってはグラントに申し訳ないかもしれないけれど、恐らく余人が耳にしたならその馬鹿馬鹿しさたるや失笑を禁じえないレベルの話だと思う。


 兄様とポメリアさんの披露宴の後、私とグラントはジェンフェア・エドーニア家フルロギ別邸に二晩ほど投宿した。


 春のエドーニアでは私の精神状態を心配したグラントの手配で一晩だけでエドーニアの屋敷から暇を告げることになったけれど、今回はいくら先の予定が詰まっているとは言えそれでは兄様に対して礼を失する。

 私とグラントにしても翌日からまた馬車での移動と更にはリアトーマ国からアグナダへと渡るための船での移動も待っており、体を休めたいとのこちらの事情も鑑みての事だったのだが、フルロギ別邸に投宿中、なんと言うか……その……グラントがむやみやたらと私に対してしつこい(・・・・)ような気がしていた。

 ええと、その……ね、閨でのあれこれの事だ。


 稀にだけれどそういう事は以前からあったし、なんと言うか……披露宴の当日は自分から水を向けた部分もあって、その夜はまあ私もそれを許容していたのだけれど、翌日も更にその翌日の移動中に宿泊したお宿でも……となれば、こちらとしても何事かと思うではないか。


 前の私は今より馬鹿で、房事の適正な月回数は……などと妙な計算式を持ち出したこともあったけれど、今はもう少し人間としての情緒的部分も勘案し、なるべくそういう事を受け入れる方向でいたのだが、考えてもみてもらいたい。

 ……私とグラントではあまりにも基本的体力に違いがあり過ぎるのだ。

 彼だって私が無理をしないよう、受け入れられない時には容赦無くお髭を剃る道具を隠してしまっても良いと言ってくれていたのに……。


 人が聞けば馬鹿馬鹿しい話かもしれないけれど、私だってそういう振る舞いを続けられては大概に怒る。

 疲れていれば怒ってキレだってする。


「キミがあの……シバル伯爵とか言ういやらしいジイさんのモノになるところだったんだと思ったら……どうにもイライラして我慢できなかったんだ……」


 しつこい(・・・・)グラントが三晩続いた翌日、王都近くの大きな港ホーンラディーンからタフテロッサへと出向した大型客船での事。


 前日は朝早い時刻から私達はフルロギ別邸を発ち王都フルロギ近くの港、ホーンラディーンへと向かった。

 王都に近いと言っても別邸からは馬車で丸一日掛かる場所。

 馬車での遠出を経験している人なら分かるだろうが、ただ馬車に乗っているだけでも移動と言うのはなかなかに疲れるモノなのだ。

 しかも夕べも一昨日も必要以上に体力を要するコトになっているのだから、私は移動中、殆どうつらうつらと眠って過ごす事になった。

 それでも疲れが抜けず、ぼんやりしたまま過ごす羽目になったのに……タフテロッサへと出航する早朝の船に乗るため宿泊したホーンラディーンのお宿でも彼はしつこくて、船に乗った私は今日はどうあっても早く休ませて貰おうとお髭を剃る道具を部屋から持っていってもらったのだけれど……。


 就寝前、チクチクのお髭でグラントが唇を重ねて来たのだ。

 ……別に私だってキスだけなら怒ったりはしないけれど、深く唇を重ねて私を押し倒した彼の両手が……どうにも良からぬ動きをするのだもの。

 もちろん私が力でグラントに適うわけも無く、組み敷かれてしまえばもう抗う術は無い。

 やけに熱っぽい唇や絡められた舌に理性が奪われずに済んだのは、怒りの為。

 お髭を剃る道具を片付けさせる事で私の意思表示はしてあるのに……こんなのは彼らしくない。

 グラントは確かに多少強引な性格をしているけれど、こんなふうに私の意志に反して無理やりのようにだなんて……。


 そんな事をする彼に腹が立った。


 私が胸に怒りを抱いている事など、この時の彼は微塵も思ってはいなかったのだと思う。自分が無理やり私を組み敷いていると言う自覚も無かったのだ。

 だからこそ私は彼が手を緩めた隙に比較的容易に胸の下からもがき出られたし、油断しているグラントの頭めがけて思い切り枕を叩きつける事も出来た。


 ……淑女としてあまり褒められた振る舞いではないけれど、本当にここ数日のグラントの妙な様子には頭に来ていたのだ。


 だけど私は人に暴力を振るう事に、馴れていない。

 思い切り振り上げた枕は彼の頭に……ではなく、胡桃材製のヘッドボードと天蓋柱の間に引っかかり、ビリビリと勢い良く破れてしまった。


 枕から噴き出すように飛び散った白い羽が橙色の灯火のもと、雪のように飛び散り舞い落ちる様に驚いたのは私よりも寧ろグラントの方だったようだ。

 彼が驚いたのはもちろん枕から羽毛が飛び出した事に対してではない。

 私が本気で嫌がっていた事や、私が枕を振り上げる程嫌がる事をしようとしていた自分自身に……と言うことなのだが、砂色の頭の上に白い羽毛をのせたグラントが呆然とした態で口にしたのが、前述のシバル伯爵云々と言う台詞である。


「シバル伯爵……って、何を言っているのグラント!? どこからシバル伯爵が出てきたの???」


 突然飛び出した思いもかけぬ名に、私は驚いて目を見開いた。

 だって、一体どうしてここでそんな名前が出てくるのかさっぱり分からないのだ。

 私の驚きようにグラントの眉間に深く皺が寄る。


「いただろう、先一昨日の夜。キミの手を握ってニヤニヤしていたのを忘れたのかフロー? あのいやらしい表情。……それなのにお嬢さんと来たら嫌がる素振りも見せずにあんな……よくも平気でにこにこ話なんか出来るもんだ」


 いやらしいジジイ……なんて言葉が彼の口から出てくるという事は、きっとグラントはシバル伯爵に会ったのだろう。

 だけど。


「待ってグラント。シバル伯爵って……それ、何時の事なの?」

「だから、先一昨日だよ。キミの兄上の披露宴で、シバル伯爵が来ていただろう? なんだか新しい妻とか言う女性を連れて」


 グラントは右の眉を上げてそんな事を言うけれど、私はその該当人物を思い出すことが出来なかった。

 だって、あの日は本当にたくさんの方とお会いしたのだもの。


「……頬髯ほおひげ猩猩緋しょうじょうひの上着をお召しになった方……?」

「頬髯? 違う。鼻の下に黒い髭だ」

「黒いお髭ね? ……確か、鼻の下にお髭を生やしていた初老の方は何人かいらしたわ。水色のジレをお召しになった恰幅の良い方と、緑柱石の大きなブローチを胸元にしていらした方。その方は少し髪の毛が乏しくて……ああ、だけど黒いお髭でしょう? 黒い髭だったら……そう。三人いたコトよ……」


 眉毛の上に一枚小さな羽毛を乗せたグラントの眉間から、深く刻まれた縦皺が薄れて消える。

 彼が言う『シバル伯爵』と言うのは、どの方のことだろう?


「ねえ、お願い。ヒントをちょうだい? 何色のジレを着ていたのかだけ教えて貰えれば顔は思い出せるのよ。だって黒いお髭なのでしょう? そうよ、お髭は鼻の下だけだったの? それとも顎にも生えていた??」


 私の質問に、グラントは大きく目を剥いた。

 大きくはだけて乱れたシャツの襟についていた羽毛が吐息に舞い上がる。


「まさか、覚えていないのか!?」

「なによ失礼ね。私が人の顔を忘れるわけがないでしょう!? だから、どんな髪型でどの色の服を着ていたか教えてって言っているじゃないの!」


 私は目にした映像に関してなら本当に細部に渡って仔細に……それこそ、一年前に見た人の顔でもその場で見ているように鮮明に思い出すことが出来る。

 だけど、脳みその性能はグラントの方が遥かに良いのだ。


 人の顔や姿やどんな服装をしていたか、少し頑張れば白髪や顔の皺が何本あったかまで思い出せるけれど、記憶の中のその顔が一体誰のものなのか分からない事も多い。

 確かに目から入ったモノへの記憶力は誰にも負けないと思うが、耳から入ってきた情報に関しては十人並みの記憶力しかないのだもの、しょうがないではないか。


 私と初見の人物が皆、名札に名前とどんな素性の人間なのかを記して現れてくれたのならば、名前と顔が一致しないなんてことは無いのに。


「お嬢さん……キミ……本当に分かっていなかったんだ……な……」


 本当にグラントと来たら、腹立たしい。

 私の記憶に無い……いいえ、あるけれど。どの人かわからない人間を突然持ち出して、それを道理に適わない不機嫌さで私をあんなふうに扱った事への言い訳にしておきながら、その言い種は何事なの!?


「だからっ! どの人のことを貴方は言っているのよグラント!? いい加減にしないとあなたの事、レレイスに叱ってもらうわよ!」


 怒りに任せて私は、手の中の破れた枕をグラントめがけて思い切り投げつけた。

 枕はグラントの鳩尾にバフッ……と言う間抜けな音を立ててぶつかり、盛大に羽毛を巻き上げる。

 柔らかな枕が私の非力な腕の力で当たったくらいで大した打撃を与える事は出来ないが、噴き出した羽毛が呼吸に紛れて口に入ったらしく、グラントが苦しそうにゲホゲホと咳き込んだ。


 ……我ながらとても性格が悪いとは思うのだが、それを見て私は少しだけ……ほんの少しだけだけど、怒りの溜飲を下げたのだった……。



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