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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』12

 馬車寄せに多頭牽きの馬車が次々と到着し、紳士淑女が盛装姿で降り立った。

 秋と言う季節柄もあり、たいていの客人は鶯色と白の大理石が描く大きな円形モザイクのエントランスで使用人にその場で脱いだ外套を渡す。

 外套の下から色とりどりの美々しい姿を現した男女が案内役に伴われて私達の待つ広間や解放された談話室へと流れ込み、軽い飲み物で喉を潤す。

 広間の隅では楽士達が心躍る音楽を奏で、夕餐までの歓談を楽しむ人々の会話の隙間を埋めていた。


 私は衣装や装飾の一部ではなく実用品としての杖を持つ自分が、リアトーマの社交界でどういう風に受け止められるのか興味を抱いていた。

 趣味は悪いかもしれないけれど、自分が『他国の貴族の妻』として見られるのか、それとも『リアトーマの子爵の妹』として見られるのか気にせずにいるのは無理だ。

 兄様やポメリアさん、母様らと一緒にジェンフェア・エドーニアの血に連なる一員として客人達への挨拶をする私の傍らに、グラントが寄り添っていてくれたせいだろうか。

 殆どの方々は私をジェンフェアエドーニア子爵の血縁ではなく、アグナダ公国の貴族『バルドリー卿の妻』として相対しているいるようだった。


 まあ……その反応は妥当といえば妥当と思う。

 人間内心はどうあれ、表面上は出自や生家よりも現在の地位で立場や態度を変えるものだ。


 兄様やグラントが私に覚えきれないくらいたくさんの方々を引き合わせ、紹介しくれた。

 コーダ男爵、ファニトン卿とレクスマ伯、マーミア夫人とレダ卿……ネキセンドラード卿にフェビアン子爵。

 母様の姉妹ではあってもジェンフェア・エドーニアの血族ではないホーネスタ夫人は少し離れた場所で自分自身の友人や知人と歓談しており、時折冷ややかな視線を私へと投げてくる。

 伯母さまの目が私に身の程を知れと釘を刺すように感じられたのは、あながち間違った受け取り方ではないように思う。


 他国の公人や貴人との交流の機会が多い人は私の脚の事をあまり問題視しない傾向が強いようだ。

 兄様もそういう立場の人間なせいか、私が銀の杖を片手に歩き回ることをあまり気にしていないようでほっとする。


 哀れみや同情、奇異なモノを見る好奇心に満ちた目線はさほど気にならない。

 そんなものには慣れている。

 最初は私に気の毒そうな表情を隠そうとしなかったマーミア夫人も、話すうち先刻のポメリアさんのように私は左脚が不自由なだけのいたって普通の人間だと言う事に慣れてくれたようだった。


 だけど、中にはリアトーマの慣習に厳格で保守的な人だっている。

 そういう人達は私を場違いな異分子・身の程を弁えない図々しい女……と、扇の後ろで眉を顰めているだろう。

 グラントの手前、正面切って私を無視したり侮蔑したりしないけれど、ホーネスタ夫人が私に向けるのと同種の視線を感じなかったと言えば嘘になる。

 でもそういう人間の存在は覚悟していたことだから、実のトコロさほど苦になるものではなかった。


 ……気になるのは、母様の眼差し。

 私が脚を引きずり不恰好に肩を揺すって歩くのを見つけると、母様はさり気ない風を装い周囲の人間の表情を伺う。

 そして、目が合った人に気弱で悲しそうな笑みを見せるのだ……。


 いかにも恥ずかしそうなその様子を見るにつけ、私はいたたまれない気持ちになる。

 前までの自分ならばきっと、とっくの昔に広間からこそこそと抜け出し、誰もいない隅にでも隠れてしまっていただろう。

 だけどそんなことをしたら私は前までと同じ、怯えた()に戻ってしまう。

 グラントの隣で胸を張って生きてゆくことを決めたのだから、もっと強くならなくてはいけないのに。

 ぐらぐら心が揺らぐ私を励ますように、グラントは大きなその手で時折私の手指をきゅっと握り、肩を抱きしめる……何も言わずに。


 『逃げ場』を確保した上で励まし過ぎない程度に私を励まし、甘やかしすぎない程度に私を庇護する彼のやり方以上、完璧なサポートの仕方を思いつくことが出来ない。

 そんな風に心を砕いてくれる彼の為だけにでも、母様の顔色など伺わず背筋を伸ばして顔を上げ続けるべきだ。

 そう思ってはいるのだけど……。


 ……私の心の中には、小さな子供のままのフローティアがいるのだ。

 小さなフローティアは母様に赦され、愛されたくて仕方がない。

 どうにかして存在を認められ、こんな娘を持って良かったと褒められたくて……心の中で虚しくもがく。

 だけど、一体どうすれば母様が私を恥しく思う気持ちを消すことが出来ると言うのだろう?

 今はもう憎まれていないと言うだけでもありがたいのに、この上自分を母様が誇りに思える娘にするなんて……どう考えても無理ではないか。


 広間から移動し、私達新郎新婦の親族はお客様達と夕餐のテーブルについた。もう殆どのお客様は揃われていたと思う。

 夕餐後にいらっしゃるのはこのフルロギ別邸からさほど遠くない場所に別荘や屋敷を構える方々が主だ。

 王室からの御使者はいまだいらっしゃっていないが、そのうちおいでになるだろう。

 夕餐の席で兄様が来客の方々に披露されていたけれど、既に王からはお祝いの品物を戴いているそうだ。

 御使者の方は改めて王や王妃からの祝いの言葉を伝えたら、あまり長居はせずに帰るのが慣例らしい。


 私は決して背中を丸めたりはしなかった。

 グラントや母様や兄様、それにポメリアさんの隣で堂々と顔を上げ、初めてお会いした人たちの目を真っ直ぐに見て話をした。

 伯母さまやロディディアの冷たい目や暗い視線を感じても、私の姿に不快感を抱く人間の気配を皮膚で感じても、笑顔を絶やさず振舞った。

 だけど……母様が私の動きを気にする気配を見せるたび、なんとも言えぬ惨めさがひたひたと胸を満たす……。


 街から呼びよせた道化師や芸人が祝いの場を盛り上げ、楽士達は食事の終盤近くになるとダンス好きの足が疼くような音曲を奏でた。

 祝いの杯が重ねられるたび祝宴は盛り上がり、そちこちで笑い声が聞こえた。

 夕餐の料理は見た目にも工夫を凝らした力作で、食卓は装飾的な銀器や山盛りの花で飾られた素敵なものだったけれど、私はどんな味のものを口にしたのかあまり覚えていなかった。


 食事が終わり、人々はそれぞれに居心地の良い椅子や語らえる場所を求め、広間や談話室、娯楽室、または楽しい踊りの輪に加わるべく開け放たれた舞踏室へと流れて行き始めていた。

 食堂を出たところでグラントが介添え役としてフルロギに来た折に知り合った老伯爵と行き会い、その当時の話をし始めた。

 私は人いきれに酔い外の空気が吸いたくて、二人にその旨を断わり裏庭に面した廊下の窓のところへ歩いて行く。


 窓の外には月明かりに照らされ明るい藍色に輝く夜空と、黒い森のシルエット。

 細く押し開けた窓から冷たく新鮮な空気が流れ込み、火照った頬を撫でる。

 まだまだ夜は長いのだ、しっかりしなければ……。

 冷たい夜気を思い切り吸い込んで、沈みがちな自分の心に喝を入れた。


 どうやらだいたいの客人は踊りや音楽、ゆったり腰掛けられる場所を求めて向こうへ行ってしまったようだ。

 戴いた祝いの品へのお礼を交えたや雑談をしつつ居心地の良い場所へ人々を誘導しながら、母様や兄様、ポメリアさんが廊下に出てくるのが見え、私はそちらに足を踏み出した。

 歩き出した後でホーネスタ夫人とロディディアが母様に続くのに気づき、私は一瞬躊躇した。だけど、ここで踵を返してはいかにも不自然だ……。


「私はもう暫くしたら部屋へ引き上げさせてもらいますよ」


 皆の所へ近づくと、ロディディアに腕を取られたホーネスタ夫人が話す声が聞こえた。チラリ一瞬合った目が、すぐに逸らされる。


「まあ……姉さま、なにかそそうでもありましたか? お気に召さない事があればどうぞ言ってくださいな」

「いいえエニナ、そうじゃないのです。全て申し分なく整っていますよ。……素晴らしくね。ただ、ここ数年痛めてる膝のせいでこういう場所に長居するのが辛いだけ。……まさかこんな場で杖を突き突き歩くなんてみっともない真似、恥ずかしくて私には到底出来ませんからね」


 私は心の中に溜息を吐く。

 伯母さまの最後の言葉は私に対するあてこすり以外のなにものでもない。


「お母さま。お、お疲れならば直ぐ仰ってください。私が部屋までお連れしますわ」


 続くか細いファルセット。

 蘇芳すおう色のローブの五分袖をしっかりと支えるロディディアの目に微かに光が宿って見えたのは、ホーネスタ夫人が部屋に戻りさえすれば自由な数時間を得ることが出来ると彼女が考えたからではなかっただろうか。


「もちろんそうしますよロディディア。お前が一緒に戻らなければ誰が私を部屋まで支えて歩いてくれるんだい?

それにあの要領の悪い侍女には、お前のように疲れた脚を上手には揉めませんよ。今日は楽しくて私も随分と無理をしてしまいましたからね、私の脚をほぐしておくれ。……それが終わったら後でなにか長い詩を一つ二つ暗誦してもらいましょう。お前の綺麗な声で吟じる詩を聞いていると、私は良く眠れますからね」


 ロディディアの目に宿った光はホーネスタ夫人によってあっと言う間に吹き消されてしまったようだ。

 微かに肩を落としたロディディアが、暗い目で


「はい、お母さま」


 と、頷いた。


 夜気を吸って気持ちを立て直しておいて正解だった。

 そうでなければこの……なんとも嫌な気持ちをうっかり表情に出してしまったかもしれない。


 伯母さま達を見ているのが耐えられなくなりグラントの方へ顔を向けると、彼はまだ老伯爵のお喋りに捕まったままだった。

 気遣わしげな視線を寄せ、こちらに来たそうな様子なのは分かったが、私は笑みを浮かべて小さく首を振る。

 ここ数日、グラントには心配かけどおしだ……。


 視線を転じた先、兄様が俯き加減のポメリアさんの背中に腕を回し、懐の隠しからハンカチを取り出して手渡すのが見えた。

 広間に集合した時には元気そうですっかり忘れていたけれど、そう言えば私が兄様やダーディス卿の待つ部屋へグラントを案内し、再び応接室に戻ったあの時、ポメリアさんは気分が優れず自室で休んでいると使用人に聞いたのだった。

 もしかして、また具合でも悪くなったのだろうか……?


 兄様から受け取ったハンカチを口元に当て小さく嘔吐えずく兄嫁の姿を見て、私は唐突に『その可能性』に気づく。

 ……そう言えば、彼女が日中身につけていたディドレスもいま着ているいるローブも、ウエストの絞りや締め付けの無い腹部に負担の掛からない形のもの。

 これならばお腹が膨らんでいたとしても目立つ事はない。


「母様……もしかしてポメリアさん、懐妊なさっているの? お腹に赤ちゃんが??」


 春の終わりに兄様とポメリアさんは結婚し、もう何ヶ月も経っているのだもの。彼女のお腹に赤ちゃんがいたとしてもおかしなことはない。

 私が傍まで来ていることに気づいていなかった母様は、突然声をかけられ驚いた顔で振り向いた。


「あらフローティア、いつのまに……。え・ええ、そう。そうなのよ。……恐らくそうだろうってお医者様がね」

「まぁ……!」


 兄様の子供……!

 なんて素敵なんだろう。

 さっきまでの沈んだ気持ちが、一瞬で吹き飛んでしまったようだった。

 だって……私が屋敷を去りいまや兄様一人になってしまったジェンフェア・エドーニア家の直系の子供が、ポメリアさんのお腹の中にいるのだ。


 私は嬉しかった。

 嬉しさのあまり胸がどきどきと呷る。


 もしも……もしも本当にそうならば、兄様は私よりずっと父様に似ておられるから、子供は美しい子になるに違いない。

 兄様もポメリアさんも申し分ないほどに健康な二人だもの、きっと元気で健康な子供が生まれてきてくれる。


 間違いなく歓迎されてこの世に生を受ける兄様の子に、ぜひ何か私からも贈り物をさせて貰わなければ。

 一体どういう品物が喜ばれるのだろう?

 子供が喜ぶものにするべきか、それともお腹に子を宿してくれたポメリアさんが喜ぶものの方がいいのか……。


 まだポメリアさんのお腹は目立ってはいないのだから考える時間は暫くあるはずだ。今夜にでもさっそくグラントと話し合うことにしよう。

 それにしても、どうしてそんなおめでたい事になっているのなら教えてくださらなかったんだろう……?

 仰ってくださったら私にももっと気を使えることだってあったはずなのに。

 嬉しさのあまりの恨み言を母様に伝えようと、私が口を開いたその時だった。


「エニナ。その娘に赤子の事を言ってはいけないと申したではないですか」


 厳しい表情のホーネスタ夫人。

 決して荒げたわけではないその声に、苛立ちや非難の気持ちがこもっている事がありありと感じられた。

 なにがなんだか訳が分からず、私は中途半端な笑みを浮かべ唇を半開きにした間抜けな表情のまま、その場に固まってしまった。

 なぜ伯母さまは私にポメリアさんの妊娠を伝えてはいけないだなんて、そんな意地の悪い事を仰るの……?


「今が一番大事な時期だというのに何かあったらどうするのです? 嫉妬や妬みで人間はどんな恐ろしい事をしでかすか分からないのですからね。こうなったらもう、フローティアをエクロウザの嫁に近づけてはいけませんよ」


 鋼のように硬いホーネスタ夫人の声に容赦なく切り裂かれながら、私はしばしの間、自分が何を言われているのか理解する事が出来なかった。


 だって……そんなの、ありえないのだ。

 ほんの数十秒前までこの家に生まれ来る新しい命に心躍らせていた私が、自分では子供を成す事が出来ないかもしれないからと言って、なぜそんな酷い事をするだなどとこの人は考えるんだろう?

 そんな恐ろしいこと、私は絶対にしない……一瞬だって考えもしなかった。

 それなのに……どうして母様はホーネスタ夫人に私がそんな事をする筈はないと否定してくださらないのか……。


 呆然とする私の視界の端に、ロディディアが微かに口元を歪めて微笑わらうのが見えた気がした。


「……馬鹿なことを、仰らないでください……」


 少し前までの喜びの表情を残し、私の唇は笑みの形を刻みつけていたけれど、話す声は情けなく震えていた。

 今のやり取りを聞いていたらしい兄様とポメリアさんがこちらを呆然と見つめている。

 母様はおどおどと、私と伯母さまとに交互に視線をさ迷わす。


「フローティア……違うのよ、これは……」


 違う、と母様は仰るけれど、では何故私にポメリアさんのことを教えてくれなかったのか……。


 なんだか足元がグラグラする気がして、私はしっかり杖に縋った。

 頭の中にビオラの花輪模様の長椅子やスツールのある物見塔の部屋の景色がぼんやりと浮かぶ。

 今すぐあの部屋に逃げ込んだとしても、誰も私を責めないのではないだろうか……。

 老伯爵と話をしているグラントの元へ歩いて行って、部屋まで送ってくれるよう頼んでみようか?

 きっとグラントもそれを許してくれる筈だ。


 それにしても……私は何ておめでたい愚か者なんだろう。

 母様に愛されたい?

 母様に認められたい?

 母様が自慢に思う娘になりたい?


 まったく……それ以前の問題(・・・・・・・)ではないか。信用すらされていない娘が、母様に愛されるも認められるもない……。

 重心を杖にかけ、私は母様やホーネスタ夫人の下を離れようと後ろに足を引いた。

 悲しさと言うよりも絶望感で胸が詰まる……。



 私が殆どこの場からの退却を決行しかけたその時のこと。

 唐突に玄関前……車寄せの辺りから、高らかなファンファーレが屋敷内に響き渡った。

 

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