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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』9

 焦茶の腰板と白漆喰の壁に青い絨毯敷きの廊下を歩く私達は、応接間から充分に離れたことを確かめ小さな声で話しを始めた。


「……ねぇ……グラント? もしかして兄様は貴方が王宮に行った理由をご存知なの?」


 どうしてここに来るまでそのことに考えが至らなかったのか、いくら他の事に気持ちが一杯だったからと言ってあまりに愚か過ぎる。

 この設備の整ったフルロギ別邸ではなく市街の小さなテラスハウスを貸せと言ったなら、それが何ゆえなのか気になるのが普通だろう。兄様がそこに疑問を差し挟まないことの意味を、私は全く考えもしなかった。


「恐らくね。……それに、それ以前のことも含めて今は色々と気づいておいでだと思う」


 グラントは別段慌てた様子もなく言うけれど、アグナダ公国でもリアトーマ国でも公になっていない事を……私がこう言ってはなんだが、たかだか『子爵風情』の兄様が掴んでいると言うのはどう言う事なんだろう。

 それに……。


「それ以前のこと?」


 眉間に深く皺を刻む私に頷きが返された。


「まあ……なんだ。二人の出会いが『海の上で賊に攫われたキミを俺が救助』と言うのは嘘だと言う、その辺りはもう気づいておいでだろう……完全に」


 彼の口元には苦笑い。


「フローお嬢さんだって当時はアグナダの諜報員情報を兄上に流す手伝いをしていただろう? ……冷戦中の隣国との国境を任されるに足る家だけあるんだよ。キミの兄上は普通の子爵家では掴みようもないような情報を色々と得ているようだね。さすがに歴史あるお家柄なだけあって、政治中枢内部に太いパイプもお持ちと見える」


 振り返って考えてみれば、私を浚った()に関して兄様はシェムスから人相風体の情報は得ていた筈なのだ。

 それに『グラント・バーリー』と言う名前だって。


 ただ、私を救助し保護したと連絡をもらった時点で『バルドリー侯爵』が私を浚った()……『グラント・バーリー』本人であるとは思わなかっただろうし、レレイス輿入れの介添え人としてエドーニアを訪れるやいなや突然私との結婚を願い出たあの時もまだ、そのコトには気づいてはいなかったのだろう。


 アグナダ公国とリアトーマ国が冷戦状態にあった数年前、私は屋敷を出ていたせいで兄様が政治的にどんな立場にいたのか、詳しいことを知らない。

 けれどアグナダ公国の間諜を諸々の手段を使って見つけ出し、あぶり出し、追跡し、捕まえ、中央へ報告していたことは確かなのだ。それに……そう、グラントの言うとおり、国境の町エドーニアを政権からの補佐官を派遣されることなく任されていたという事は、少なくとも国にその能力を認められていたと言う事だもの。

 兄様が政権中枢に何らかの繋がりを持っていたとしても不自然はない。いいえ……むしろそうじゃない方がおかしいくらいだ。

 それにしても私はどうしたらいいのだろう?

 嘘を付いて騙していることへの罪悪感を抱きながらではあるけれど、それを信じてくれていることへ旨々と乗っかっていた私には、この状況はあまりにも居心地が悪すぎる。


「……どうしましょう……」


 動揺して呟く私の肩にグラントの腕が回された。


「どうもしなくてもいい。キミの兄上は嘘を承知の上今まで何も言ってきていないんだ。そもそも、お嬢さんがレレイスに続いてリアトーマとアグナダの架け橋となった事は既成の事実なんだから、今更どうにもしようがないしね。……キミはただ堂々としていればいい」


 不安な心を隠せず縋るように見上げた先、グラントは暗色の瞳にいつもと変わらぬ自信に満ちた笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

 確かに兄様は何も仰っていない。騙されたことへの不満も、怒りも。


「でも……私、ハドファリのシバル伯爵と縁談があったのよ。……サザリドラム王子とレレイスの結婚式が終わったら話を進めるって兄様が仰っていたのに……」


 エドーニアと大きな港町ラサスを擁するハドファリと縁を結ぶことが出来たなら、アリアラ海経由の人と物の流通の強化が出来る。

 ポメリアさんの生家エリンシュート家は都市や道路の設計施工の方面に力を持つ一族なのだもの。私を使い、シバル伯爵との婚姻によりハドファリとエドーニアのつながりを深め、ラサスからエドーニアへ至る街道を整備すればエドーニアの発展に役立ったことだろう。

 私はその可能性を潰してしまったのだ。

 ……だけど領民の生活の安定を支える要として感情に先走らず、より良い治世を模索する事を義務づけられた立場の兄様からこれまで何の抗議がなかったと言う事は、政治的にみてグラント・バルドリー侯爵は私を介して縁を結んで損の無い相手であると判断された……そういうことだろうか……?


「その話は初耳だ……」

「レレイスの披露宴でシバル伯爵にお会いした時に兄様から了承のお返事をする事になっていたわ」

「…………そうか……それは危ないところだった(・・・・・・・・・)な」


 一瞬で笑みの気配の消えたその目に、剣呑な光が見えた気がした。


「グラント……貴方一体……誰がどういう風に危なかった(・・・・・)って言うの……?」

「いや……それは、その……つまり『俺が』……だろう? ……もちろん」


 問い返す私から目を逸らす人の言う事を、果たして信じるべきか否か。


 コホンと咳払い一つ、再びグラントは口を開く。


「……まぁなんだ。キミの兄上は色々と情報を掴んでおいでのようなんだが……そうなると、『バルドリー侯爵』とキミのご親戚ダーディス卿との三人で会談の場を持とうとするのは、どういうわけだと思う?」

「兄様が私と貴方の『嘘』を知っている、知っていて敢えて黙っていて下さると言うのを前提とすれば……そうね。貴方に『借り』を返してもらうつもりではないかしら? 時期や立場を考えれば、アグナダとリアトーマ間の黄金街道を繋ぐ計画に絡んだことか……それとも……」


 最初にグラントが王宮を訪れたと言う事実を口にしたのは兄様だ。それにフルロギ市街の部屋を借りた時、なぜそれが必要か聞いてこなかったのも。

 そのようにして兄様は、グラントがどういった用で王宮を訪れたかを知っている(・・・・・)と匂わせているのだから……。


「二国間の……秘密協定に絡んだ、何か……?」


 歩きながら、私の肩を掴んでいた手の力がほんの僅かに強まった。


「まったく……恐ろしいな、お嬢さんの血族は」


 彼は溜息混じりの独白にそんなことを言うけれど、それは少し失礼だと思う。


「『方便』だろうがなんだろうが、嘘は嘘ですもの。反則した分ペナルティを取られるのは当たり前のことだわ。商売でも品物だけ受け取って代償を払わないなんて事、許されなくてよ」


 それに、私は彼が恐ろしなんていうほどの『対価』を要求されることはないと踏んでいる。

 兄様の手持ちのカードは、アグナダ公国とリアトーマ国の秘密協定の内容を知っている事と、グラントが私をめとる時についた『嘘』の二つ。

 秘密協定についてを迂闊に口外すれば、兄様の立場の方が危うい。

 それは文字通り秘密の(・・・)協定なのだから、知っていても口を噤んでいなければいけない事なのだ。

 下手に協定の内容が広がれば金の不正流出事件のボルキナ国に対する玉虫色の決着まで表ざたになり、国としての対応に不満を抱く人間だって出て来かねない。

 私との結婚に際してのアレコレの嘘も、グラント本人が私を浚った『賊』だという時点で人に信じてもらうのは難しくなる。

 それどころか、子爵家の娘が攫われた事の方が遥かにとんでもない醜聞だ。二つとも、実際的には使える(・・・)ようなカードではないのだ。


「無茶な要求はされないって……貴方だって分かっているくせに」


 不機嫌に言う私の頭一つ上で、グラントが小さく笑う。


「キミの血族を貶しているわけじゃないよフロー。むしろ感心しているんだ」

「ダーディス卿がどう関わってくるのか分からないけれど、兄様が貴方に『借り』の存在をちらつかせるのは交渉の席についてもらうための材料でしょう。……政治的にも商業的にもよくある駆け引きだわ」


 それを感心している……だなんて、いくらなんでも目線が上過ぎて感じが悪い。


「そうだ、お嬢さんの兄上は実に的確に俺を交渉の席に導くね。必要以上の圧力は掛けず、かと言って逃げられないように……。だけど俺が感心しているのは兄上ではなくキミにだよ、フローお嬢さん」

「私??」

「血は争えないと言う意味でね。バランス感覚が良いというのか、パワーバランスの見通しが的確だ。お嬢さんの兄上がどうしてキミを手放したのか不思議なくらいだよ。手元に置いて自分の補佐を任せたら良い仕事をしただろうに。いや……俺としてはそうならなくてむしろありがたかったんだが……」

「この国では……政治に首を突っ込む女性は嫌われてよ」


 それ以前に社交の華として消費されはしても、女は発言力が低いのだ。


 裕福な貴族の家に生まれた娘は美しく装い贅沢に暮らす代償として結婚相手を家によって管理される。

 娘が出入りを許されるのは同等以上の階級の人間が出入りする場所に限定されるし、その場においても自由な恋愛や男女の交流が許されるわけではない。


 容姿に優れた娘なら家格の高い貴族に見初められることもあるけれど、家同士結びつきに利益がなければその逆……家格の低い家へ嫁ぐことはほぼありえない。

 結婚に置いて女には発言権など無きに等しく、結婚後も政治に興味を抱くことは『下品』なこととされる。

 女は常に健康で美しくあることを求められ、血筋を残す子を産むことこそが大事。


 私は女として生まれた時点で政治に興味を抱くこと、それについて発言する権利を失い、脚の健康を損ね、子を産む能力の有無を疑問視された時点で政略結婚の駒としての価値を失っている。

 にも関わらずグラントに……もしかしたらただのお世辞かもしれないけれどこんな風に言われ、私はとても嬉しかった。

 リアトーマ国ではグラントの言う私のバランス感覚とやらは役に立たないけれど、少なくとも彼はそれを役立つ能力だと思ってくれているのだもの。


「……ありがとう。でも、そんな風に褒めても何も出なくてよ?」


 認められるのは嬉しいけれど素直に喜ぶのも気恥ずかしく、相変わらず可愛げの無い私は笑みに緩みそうになる頬を引き締め、鹿爪らしく礼とも言えぬ礼を言う。


「いや出ているだろう、お嬢さんのいつもの調子が」


 しれっとした彼の返答に、引き締めたはずの頬が思わず緩んだ。



 グラントがこの別邸への投宿に私が元々使っていた部屋を希望したのは、恐らくそれが私の(・・)テリトリーだったからだと思う。

 エドーニアの屋敷では私の部屋は既に無く、用意してもらった部屋にも……何と言うか、ケチがついてしまった。

 まさかあんなことはもう無いだろうが、何とか自分の意識を変えようともがく私の心の状態を見極め、その上での配慮だと言う事が分かるだけにありがたい気持ちになる。


 確かに豪華絢爛で馴染みの無い客室よりも、物見塔の前の部屋の方が落ち着くもの。


 扉を開けて目に飛び込んできたのは、記憶の中にあるよりも若干色あせたクリーム色の壁紙にターコイズの絨毯。

 白い窓枠、暖炉の上の青藤色の花瓶には山盛りの薔薇。

 恐らくこれは裏庭の薔薇園から摘んだ秋咲きの薔薇だ。

 背もたれつきの椅子やスツール、カウチの布張りはビオラの花輪模様でそろえてある。

 今見ると少女趣味が過ぎるが、これらは全て娘時代の私が自分で選んで張り替えさせたものだった。


 部屋の奥の古いシェンバルも記憶のままに、歩く練習をしていてる時に倒した椅子の傷が残されている。

 さすがに寝室の寝台は入れ替えられていたけれど、天童と百合が楕円の鏡面を取り巻く真鍮しんちゅう枠の掛け鏡も家具も、私が居た頃のまま何も変わっていない。

 来客の多い屋敷表に居場所が無くなることの多かった私にとって、ここと物見塔は安全な逃げ場だった。

 けっして後ろ向きな意味ではないが、逃げることの出来る場所……それが形而上であれ形而下であれ予め用意されているのは、随分と心強いもののようだ。

 だけど今はとりあえず、私は少女時代の逃げ場に引きこもることはせず……また、グラントのジレやタイをのんびり選んだりすることもせずに、二人は物見塔……つまり図書室へ、兄様とダーディス卿への対策を相談するべく向かったのだった。


「これがダーディス卿の領地周辺の詳細な地図。それからこの本がたぶんその地域について書かれた本だと思うわ」


 二人は図書室の一角に陣取り、窓際の樫のテーブルの上に地図を広げた。

 司書をしていた老人の姿は既に無く、今は学舎を出たばかりと思しき青白い男性が老人の後を引き継いでいるが、司書の姿が変わったこと以外この場所もまったく以前と変わらないようだ。


「リアトーマの南寄り……大河エヴシルの下流域からアリアラ海沿岸の一角か……なるほど」


 グラントがかつて私が使っていた部屋を用意させてくれたのは正解だったと思う。

 私のいざという時の逃げ場として……ではなく、こうして地図や貴族等の諸領地について目の前の図書室で調べらるのに楽なのだもの。

 兄様やがダーディス卿を絡め、グラントと何らかの交渉をするつもりであるのは間違いないだろう。

 交渉の席に用意もなくつくのは、無謀な愚か者のすること。

 今回の話の内容を推測するためには、まずはダーディス卿のバックボーンを知ることこそが肝要なのだ。


「なるほど? なにか思い当たるところがあるの?」

「まあ、無い事もない」


 得心いった様子のグラントの口元には、微かな笑み。


 ダーディス卿の領地はそう広大な土地ではなかった。

 領地の中、唯一目を引くのは水量豊富な大河エヴシルくらいで、他に目ぼしい地名は見当たらない。目ぼしい地名どころか、リアトーマの中心を貫く黄金街道へ繋がる主要な街道からもはずれている。

 これでは街道沿いの領主のように関所を設け、通行する荷や人馬に税を課し税収とすることも出来ないではないか。

 しかしダーディス卿の父……祖父の弟であるオドスティン大叔父様は、割と裕福な家へ婿入りしたと聞いている。


「ほらフロー、ここをご覧。ダーディス卿の領地の上……エヴシル上流域のワザフツ山地の裾野に大きな森林地帯が広がっているだろう?」


 グラントの指が地図の上を北上し、青いインクで記されたエヴシル河の源流付近の一帯でくるりと輪を描く。

 確かに彼の示す辺りは森林を示す記号が広範囲に渡り書き込まれていた。


「そしてダーディス卿の領地内には大きな木材製材所と貯蔵乾燥施設がある」

「……水運! 木材を運搬するルートは『街道』である必要はないのね……寧ろ……河を下る方が大量に効率よく運べる……」

「そう。実はこの木材は良質な船材として中々に高値で流通されているんだよ」


 地図の上、再びグラントの指がエヴシル河の青い線を……今度は上から下へとなぞり、アリアラ海へ突き出した突端で止まる。


 この時期にグラントが王宮を尋ねた理由を知っている事を匂わせた兄様。

 船材。アリアラ海……。アリアラ海を渡れば、造船で世界に名をはせるモスフォリア国がある。


「……グラント……もしかしてダーディス卿の領地で製材された木材って……」

「そう。モスフォリア国に新造船の材料として発注された木材だ。品質良いの目のつんだ木材だよ。ふぅん……なんだか気のせいか儲け話の気配がするな……」


 その言葉に私は、はっと船の上で風を孕む白い帆を思い出す。


 ……そうだわ。ユーシズは名の知れた亜麻の産地なのだ。




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