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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第三章
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『顔の無い花嫁』2

 アグナダ公国やブルジリア王国など、リアトーマ以外の国に出かけるようになってから以前より意識するようになったのは、私のように体に不具合がある人間に対するこの国の扱い方の不親切さ。

 不親切……と呼ぶよりも、はっきり『差別』と表現したほうがいいかもしれない。

 外の世界を知るまで、私はそれをことさら苦痛だと意識する事なく許容していたつもりなのだけれど……。


 王宮のエントランスでグラントは、ビロードのマントの下の剣帯ごと長短二本の剣を外し、王宮の侍従が差し出した房付きの錦の上にそれを置いた。

 友好国同士信頼の証として王の前であっても帯剣を許す場合もあるが、今回の場合、より相手の信頼を求めているのはアグナダ公国の側である事情から、正式な使者としてこの王宮に訪れた彼は自ら武装を解除し、丸腰で王や王の参謀の前に進むのが礼儀なのだそう。


 まあ……冷戦の最中であるならいざ知らず、この王宮で武器を持たずに歩いたところで誰に攻撃されるわけもない。

 これはあくまでも形式に則った儀式的なものと考えるべきだろう。


 グラントから剣を受け取った侍従は速やかに退出し、明るいレモン色のお仕着せ姿の案内人がしゃんと伸ばした……いいえ、伸ばしすぎてふんぞり返ったように見える姿勢でチラリと私の手の中の銀の杖に一瞥をくれた。


 市井の富裕層の家庭に勤める使用人らと違い、王侯貴族に仕える使用人は一般に、客人に対して感情の動きを見せるような所作は見せない。

 主人と打ち解けた侍女や従僕は時に冗談を言い合ったりもするけれど、それでも外部の人間の前で自分の興味や感情を表す事は決してしないのだ。


 他国からの来賓……私自身はただの『私用』で訪れているとは言え、正式な使者としての役を負うグラントもいる前でのこの案内役の視線は躾と礼儀のなっていないものではあったが、リアトーマ国では王宮に私のように足の不自由な女……それも高齢者であるならいざ知らず、まだ若い年代の女が出入りすることなど殆どないのだろうから、高窓から差す光に銀色に輝く美しい杖が案内役の目を引いたのは、まあ仕方の無い事かもしれない。


 ……防寒の為に着けた幅広の黒サテンのリボン付き銀狐のティペットと黒絹の手袋。

 艶の無い金糸で厚く縁取りされた銀と濃灰色の洒落た太縞のローブに銀の杖の組み合わせは、自分の事ながらあまりにも素敵にはまり過ぎて(・・・・・・)いた。

 だからたぶん手の中の杖が歩くために必要な道具(・・)ではなく、どこかで流行の新しいアクセサリーの一つだと彼の目には映ったんだろうと思う。

 恐らくあの一瞥には悪意や差別的な意味はないのだ。

 グラントが武器を置いてこちらへ戻り、礼儀正しく紳士的に私の手を自分の腕に掛けるよう促すのを確認した案内役が歩き出した時、その速度は健常者をいざなう時のそれだった。


 白黒モザイクの床の上をレモン色のお仕着せが徐々に適正な『案内』の距離から遠ざかって行く。

 足音のしない羊革の靴が運ぶしゃんとした姿勢の案内人の背を見ながら、私はなんだか胃の腑がチリチリとして、こめかみの横……耳の上の辺りに嫌な……苦い汗が浮くような錯覚を覚えた。


 私は今より急いで歩く事だって出来ないわけじゃないのだ。

 ただ……速度を速めると酷く脚を引きずって、みっともない歩き方になってしまう。

 グラントは私の速度に合わせて普段どおり歩いてくれていたが、彼が隣りでどんな表情をしているかは分からなかった。

 なんとなく彼の顔を見上げる事が出来ないからだ。


 サザリドラム王子が対面のため用意した部屋はどうやら二階にあるらしく、案内役は私達との距離に気がつかずどんどんと大階段を上ってゆく。

 なんだか嫌な夢でも見ているような気分だ。


 バラ色の壁から白く切り抜かれた二対のアーチ飾りの壁龕へきがんと、その中の精霊像が左右から見下ろす巨大な扉の前に到着してからやっと、彼は私達が未だ階段の登り始めにいる事に気がつき、微かな驚きを表した後、走らぬ程度の急ぎ足で階段を引き返して来た。


 背後を歩く客人の気配に気がつけないところや所作に自分の感情を表してしまうトコロをみると、まだ不慣れな案内係なのかもしれない。

 グラントの腕から手を離してローブの裾を踏まぬようスカートを絡げ持ち、もう一方の手で掴んだ杖に力を入れて階段を上る私に案内役が声を掛けてくる。


「申し訳ございません奥様。……あの、おみ足お怪我でも……? もし宜しければ手をお貸しいたしますが」


 私は平静を保ちつつ小さく首を振って彼の申し出を断った。


「この脚は元々だから痛くはなくってよ。大丈夫、気にしないで」


 その返答に案内役の面に微かな動揺が見て取れた。

 こちらに向けて差し出そうとしたらしい手が、半端な角度で数瞬の間空くうに揺れる。


 ……グラントから静かな怒りの気配を感じたような気がしたのは私の気のせいだろうか。

 どうにも胃の腑がチリついた。


 心の中で唇を噛み恐る恐る顔を上げた先、グラントはいつもどおりの暗色の瞳を私に向け、微かにおどけた笑いに片唇の端を窪ませていて安堵する。


 この国の社交界には怪我や老齢で足を引きずるようになる者はあっても、最初から杖を突く人間などりはしない。

 だから不慣れな案内役の振る舞いを責めることなんて出来ないのだ。

 ここでもし案内役に対してグラントが怒りの色を見せたりしては、私の方がいたたまれない。

 別になんてことの無い小さな出来事だけれども、私は本来この場から排除されている筈の異分子なんだと言うことが、しみじみと実感された。





 王宮二階の廊下はエントランスと同じくアーチを描く高い天井と、何種類かの大理石を組み合わせた花柄モザイクが延々と続く床。

 金彩で彩られた装飾柱と、その柱に絡んだ金彩の立体的な蔦が天井の華やかなフレスコ画を絡め取るように優美に這う、これ以上無いほどに華やかな空間だった。


 芍薬の宮は豪壮との言葉がぴったり来るような王宮だ。

 二階の廊下を抜け回廊を巡る間に一体何基のシャンデリアの下を通ったのか。何本の装飾柱の間を抜けたのか。

 モザイクに金彩、フレスコ画。大小のシャンデリアに金銀の壁掛け式燭台やレリーフ、壁龕、彫像。


 エントランスホールなどでこの城を『壮麗華美』と『悪趣味』の境界線上と評した言葉に納得するなんて、全く持って早計に過ぎたのだ。

 この王宮の装飾を任されていた人物は、空間恐怖症だったに違いない。

 とにかく緻密で密度の高い装飾が余白無く、全ての場所を埋め尽くしていた。



 豪奢としか表現のしようが無い空間を案内役に誘われたどり着いた先が、思いの他こじんまりと落ち着いた設えの部屋だったのを見て私は心底ほっとした。

 ほっとしたのと……脳があまりにも大量の視覚情報情を得た事で麻痺したようになっていたせいだろうか?

 私はその部屋中に既にサザリドラム王子の姿があったことに一瞬気づく事が出来なかった。


 サザリドラム王子は思っていたよりもすんなりした体躯の男性だった。

 身長はそう高くはないし、お世辞にも立派な体つきとは……まあグラントと比べてしまえば絶対言えないけれど、窓辺に立って中庭を見ていた彼がこちらに向き直った瞬間、背や肩幅の狭さの事など印象から消え去るくらいの快活な生気がこちらへ向けて流れ出してきた。


「やあ、ようこそ芍薬の宮へ。お久しぶりですバルドリー卿。その節は僕の妻をアグナダ公国からこの王宮まで無事に送り届けてくれて、本当にありがとう」


 この対面は非公式なものであり、極めて私的なものだ。

 とは言え、他国の上位貴族とこの国の次代の王となる人物の対面にしてはなんだか砕けた第一声に、私はちょっとだけ驚いてしまう。

 所作は礼節を守り丁寧なものだが、サザリドラム王子の調子にあわせるように硬さの無い表情のグラントが鍔広の帽子を胸の前に一礼し、大柄な体ながら重さの無い動きで姿勢を正すと、すぐに後ろに控えた私を王子へと紹介してくれた。


「王子。妻のフローティアです」


 簡潔な紹介を受けて私へと向く、この季節にしては少し日に焼けた顔。

 黄色に近い金の髪に黄金のような黄褐色の輝きを持つ瞳。

 杖を手にして片足を後ろに引くあまり優雅とは言いがたい私の一礼が終わるか終わらぬかの内、こちらを見るサザリドラム王子の薄くソバカスの散る顔に裏も表も無い少年のような満開の笑みが広がった。


「貴女が! 初めましてバルドリー侯爵夫人」


 引いた足を戻し終わる前、スカートを持ち上げていた手をサザリドラム王子が浚い取るように両手で掴んで跪き、鼻ごとぶつけるような勢いで唇をつける。

 その衝動的な動きに驚きはしたのだけれど、どうしてだかこの……レレイス曰くの『ザザ』と言う人には、生まれ持った気品と言うのか人徳と言うのか、下品さや粗暴さを感じさせない何かがあるようで、不思議と腹は立たなかった。


 あのレレイスが夫としてとても仲良く(・・・・・・)暮らしている人なのだもの。

 やはり彼女を惹きつけるに相応しい魅力を持った人物なんだわ……と、驚きから素に戻るまでの数瞬の間、私は思わず愛想笑いではない本当の微笑みに唇をほころばせたかけたのだけれど……。


「貴女とは初めてお逢いするのに、レレイスからいつも噂を聞いているせいか初対面のような気がしませんよ」


 との言葉を笑顔で受けた途端、王宮へ来て以来ずっと頭のどこかに引っかかっていた懸念がキュッと胃が縮むような感覚と共に蘇ってきた。

 レレイスはサザリドラム王子に一体どんな噂話をしていたと言うのだろう。

 そんな疑念を抱きながらも口元を引きつらせる事なくいられたのは、私もアグナダ公国やブルジリア王国の社交の場で多少なりとも鍛えられていたからに違いない。


 サザリドラム王子とグラントと私は、短い時間だけれども打ち解けた会話を楽しむ事が出来た。

 内容は……まぁ当たり障りの無いものだ。

 話した内容や相手の態度から考えるに、どうやらレレイスはサザリドラム王子にさほど変な話は漏らしていない様子だった。

 もちろん私だってレレイスが眉をしかめたり赤面せずにはおられぬような内容の手紙を私に書き送ってくる事など、王子に微塵も匂わせることなどしやしない。

 ……当たり前だ。

 あんな……手紙にあるような単語を口にすることなど、私には到底出来ないもの……。


 レレイスもサザリドラム王子との間に生まれた赤ちゃんも、元気にしているらしい。聞けば子供の成長は順調そのものとのことで、レレイスは産後の回復も非常に早く、もう直ぐ軽い社交の場へ復帰する予定もあるとのことだ。


 レレイスからの手紙にあったとおり、サザリドラム王子が心底彼女の事を愛し崇拝しきっている様子が言葉の端々や表情から見て取れて……。

 手紙のやり取りをするようになった当初、私は王子と彼女との度を越した『仲良さ』の描写はレレイスなりの誇りと意地による捏造ではないかと危惧したこともあったのだが、こうして直接話しを聞いてみて、あの頃の心配がどんなに馬鹿馬鹿しいものだったのかが分かった。

 ……レレイスは、幸せに暮らしているのだ。

 王子は彼女の歩いた後の地面まで崇める勢いで彼女を愛しているのだから。


 余人を介せず三人で語らいあったのはそう長い時間ではない。

 この後、グラントには使者(・・)としてこの王宮を訪れた最も重要な用件が待っているし、サザリドラム王子にしてもその場にリアトーマ国の代表の一人として出席しなければならないのだ。


「社交界から遠ざかっていたここ一年はもちろん、その前からレレイスは貴女の手紙が届くたび、それはもう本当に楽しそうにしているんですよ」


 別れ際、グラントと共にリアトーマ国の要人らが集まる会議室へと移動するため立ち上がったサザリドラム王子が、初見の挨拶の時同様私の手を衝動的な動作で浚い取り、先ほどより幾分落ち着いた優しい笑みを顔の上に広げて言った。


「皇太子妃と言う立場上、社交界に気の置けない友人を作るのはそうたやすい事じゃあない。頻繁に行き来できる距離に貴女のような方がいてくれたらと僕も思うんですが……」


 声色や表情は穏やかで優しいものではあったけれど、その言葉はレレイスがリアトーマの社交界で安穏と過ごしているわけでは無い事を示していた。

 そして、その事をこのサザリドラム王子もきちんと理解しており、彼女の事を労わる気持ちを持っていてくれるという事も。


「バルドリー侯爵夫人。貴女にはこれからも変わらずレレイスの心を支える友人であっていただきたいものです」


 優しいけれど強い黄褐色の瞳に内心でうろたえつつも、私はなんとか平静を保ったまま笑みと頷きを返す事が出来た。


「まぁ……サザリドラム王子と二人の小さな王子様以上の素晴らしい支えがあるとは思えませんわ。ですが、レレイス皇太子妃様とはこれまでどおりのお付き合いをさせていただくつもりでおります。もちろん、皇太子妃がそれを望む限りでございますけれど……」


 あまり上手な返答とは思えなかったが、王子はこの言葉を聞いて良い方向へ納得してくれたようで、笑みを深め私の手の甲の上に本日二度目の接吻を落として短い別れの言葉を口にすると会議場へ移動すべく扉の方へと歩いて行った。


「フロー。会議の進み具合によっては戻るのが遅くなるかもしれない」


 サザリドラム王子の後に従い退室しかけたグラントが踵を返して小走りに戻ると、その高い背をかがめて私の右のこめかみに唇をつけた。

 ……グラントの身につけた深緑の鍔広のビロード帽に同色のマントは去年の春、レレイスをこの王都フルロギまで彼女の介添え人として送り届けた時と同じ色合いの物だ。

 深緑は健康に日焼けした彼の顔や砂色の髪に良く映える。

  ……たぶん、私の惚れた欲目の分は差し引くべき感想なのだろうけれど、去年のように胡散臭い口ひげを生やしていない分、今日のグラントはたいそう男前でとても凛々しく見えた。

 私はグラントの立派さを胸の中で誇らしく愛おしく思いながら彼に頷きを返すと、その緑色のマントに覆われた厚みのある肩を扉へ……この国の重鎮らが待つ場所へ向けてそっと押し出したのだった。




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