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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第一章
3/97

『木の杖と初夏の花嫁』1

「グラント、本当に今回貴方は来ていただかなくても構わないのよ?」


 アグナダ公国の首都セ・セペンテスの東にある港町リネの桟橋で、私はここ数日再三口にした台詞を再度グラントに向けて繰り返した。


 リネからリアトーマ国ホルタネラへ向けて出航を待つ船には、既に私達の荷物が積みこまれていた。

 今更もしグラントがこれに同意した場合、彼だけではなく同行してくれているナップスとシュトームも船に乗る意味が無くなるから、彼ら三人の荷を荷役に頼んで降ろさねばならなくなるだろう。

 私について来てくれている侍女のテティが不安そうな眼差しでこちらを見ていた。

 見送りをしてくれる為に屋敷から一緒に馬車に乗り込んでいたメイリーミーも、無言のまま私からグラントへと視線を向けた。


 私はこれから一年と数カ月ぶりにエドーニアに帰郷しようとしている。

 グラントとの結婚生活が破綻してして泣きながら帰る訳ではない。

 エドーニア領主である兄様が結婚するのだ。


 数ヵ月後に国内の貴族達を招いてのお披露目は行うが、この度のエドーニア行きは身内だけの挙式に参加する為のもの。

 国内の……それも近い場所に住んでいるならまだしも、他国の貴族であり多忙な中にあるグラントまで来てくれなくて大丈夫なのだと以前からずっと言っているのに、彼はどうしても一緒に来ると言って譲らないのだ。


「……ねえ? 私の話を聞いていて?」


 カツカツと杖を鳴らしイラ立ち混じりの嘆息とともに問う私に、グラントは手にした書類から顔も上げずに


「ああ……済まないがちょっと待っていてくれ。ドイル……ペンをくれないか?」


 そう言って、見送りに来ていたバルドリー家の初老の家令を呼び寄せると、彼からインクをつけたペンを受け取りなんと……その背中を机がわりに手にした書類にサインを入れた。


「恐らく夕方にはレシタルから使者が来る筈だ。書類を渡しておいてくれ」


 家令は指示に頷きつつ書類を受け取りグラントに一礼する。


「……フローお嬢さん。前から何度も言っている通りエドーニアへは俺も同行させてもらう。絶対にだ。……いいね?」


 語尾に疑問符付けながら、実は意見を変える気など毛頭無い事が分かる言い方で宣言する彼の顔を見て、私は心底呆れる思いがした。


 グラントの目の下には隈がある。

 衣服こそ清潔で上等なものを身につけているけれど、無造作に後ろで結んだ髪は乱れているし、何日も当たっていない髭はチクチクする長さを通り越してモサモサと頬や顎……鼻の下を陰らせて、彼を人相の悪い男へと変えている。


 ここ数日、たぶんグラントはまともな睡眠を取っていない。

 一緒の寝台で最後に休んだのは、既に十日以上前になる。

 グラントは今本当に、とても忙しいのだ。


 忙しさの原因は彼自身が作った物でもある。

 今年の春、私と彼はホルツホルテ海を渡った向こうにあるブルジリア王国で、王権派とサリフォー教会旧勢力との権力闘争に関わる事になった。

 力を持ちすぎた教会勢力は、王弟グラヴィヴィスが建国の王シュスティーヴァが行ったと言われる神事を成功させることによりその勢力を殺がれ、国内情勢は安定を見たのだが、その件への協力の報酬としてグラントはブルジリア王国側との折衝の結果、対アグナダ公国交易に対する数年間の減税とブルジリア国内へアグナダ公国間諜の出先機関として『商館』の設置の認可を得たのだ。


 古都フィフリシスは大陸内の近隣国との交易が盛んな街だ。

 あの場所に情報の収集分析機関を置く事は、長い目で見れば数年間の減税よりよほど国益に繋がるだろう。

 ……とは言え、情報収集分析機関と言うのはあくまでも商館の一機能であり、対外的にはちゃんとした『商館』の体裁を整えなければ、意味は無い。

 周囲に警戒されてまともな情報が入らないだけではなく、場合によっては偽情報に踊らされることにだってなりかねない。


 ……グラントの多忙さの原因は、商会の起業と商会の出先機関である『商館』の設置の為のものだ。

 これまでにもアグナダ公国の安全や国益に関わる功績や間諜組織の立案編成の上での幾つか業績を上げている彼は、大公の覚えもめでたく次期大公フェスタンディ殿下との個人的な交流も密。

 なんというか……今回彼はあまりにも上手にブルジリア王国からこの商館設置の認可を引き出してしまったようなのだ。


 去年までの私ならばこんな事情を彼から聞き出す事はなかったけれど、今はグラントから時折こういう話を聞かせてくれて私の意見を求める事もある。

 レシタルさんが屋敷で私に漏らした言葉が本当ならば、大公は自分が抱える執政の協議員の中にグラントを入れたがっているのだとか。

 つまり、彼を自身の側近として取り立てようとしているらしい。


 私はこの話を聞いた時、まさかグラントが?

 ……と驚くと同時に、彼を重用しようと言う大公の人を見る目は間違っていないだろうとも思った。


 私の欲目だけじゃなく、たぶんグラントと言う人はひどく優秀なのだ。

 視野が広く判断力もある。

 紳士的でありながら商人らしい狡猾な根回しも出来る。

 彼が認められるのは私としても嬉しいし誇らしくもある。


 でも、そう言う立場に立つには彼はまだ若い。

 しかもバルドリー家は新参の貴族だ。

 グラントの祖父のカゲンスト卿の時代はまだリアトーマ国との戦争の傷跡も深く、国内を安定させるための優秀な人材がいくらあっても足りない時期だっただろうけれど、今は違う。

 せめてカゲンスト卿の後にグラントのお父様も、執政の中心とまで言わなくともそれに近い位置にいられたなら良かったのだろうが……。


 そこで、グラントの力量を試す為にもアグナダ公国間諜出先機関でもある商館の設営を彼に……と言う流れになってしまい、現在の彼のあり得ない程の忙しさに繋がる。


 ……グラントの立ち位置は微妙過ぎる。

 彼を認める人間も多いが、古い家柄の貴族の中にはそうじゃない人間もいるらしい。

 それらの非協力的な動きも相まって、ますますグラントの仕事は忙しくなっている。

 でもきっと彼の性格だもの、一端引き受けた仕事は完璧以上の完璧さで遂行する事だろう。


 そういう大事な時期なのだから、私は何度となくエドーニアには一人で行けると言っていたのに……なんだってどうあっても同行すると強情を張るのだろう?


 数日間の船旅の間、彼は船内で書類の確認と修正作業を行う。

 リアトーマ国のホルタネラに到着後、ナップスかシュトームのどちらかがその書類を持ってブルジリア王国行きの船に乗るのだ。

 グラントがここに残ってそれらの作業を行えば、ナップスもシュトームもわざわざホルタネラまで行かず、国内からブルジリア王国行きの船に乗れただろうに……。

 黙ったまま唇を曲げている私の横から、メイリー・ミーが少し遠慮がちにグラントへと声を掛ける。


「……グラント、あまり無茶をしてはフローティアさんが心配するわ」


 出会った頃、メイリー・ミーはまだ子供らしさを残した少女だったけれど、今ではすっかり娘らしくおとなしやかな雰囲気を身に着けていた。

 バルドリー家が後見人についてはいるとはいえ、ほぼ唯一の肉親であった父親を亡くした彼女には一人で生きて行かねばと言う意志が強く、この年頃に無いほど芯のある娘へと育っている。


「分かっている。ああ……せっかくメイリー・ミーがセ・セペンテスに来ていたのに、殆どまともに相手も出来なかったな」


 グラントはメイリー・ミーの赤褐色の頭を花飾りの帽子の上から無造作にポンポンと叩いた。

 ……その様子はまるきり小さな子供をあやすよう。


 まだ幼い頃から亡くなられた老ラズロと共にバルドリー家に出入りしていたメイリーは、グラントにとってはまだ小さな子供のように映っているのかもしれない。


「グラントが忙しくしていてくれて良かったような気がするわ、私。……ねえフローティアさん、この様子じゃグラントにはまだ私が隠れん坊をしたがっている子供にしか見えないのよ?」


 グラントから離れ、情けなさそうな表情でこちらに来たメイリー・ミーを、私は抱擁する。


 今年、彼女は寄宿学校を卒業し、サラ夫人の知人の上位貴族の奥方付き侍女として暫くの間行儀見習いをすることになっていた。

 これは近隣国の下級貴族で伝手つてを持つ家ならよくある話。

 大きな屋敷を構える裕福な貴族の方が、そうじゃない家よりも規模の大きな宴を頻繁に張る。当然サロンも活発だ。

 しきたりや礼儀作法を学び、そういった場の空気を知るに適しているし、そこから縁談が持ち込まれることだって多い。


 メイリー・ミーの後見になっているバルドリー家で行儀見習いをした方が彼女にとって気楽じゃないかとも思ったけれど、サラ夫人は


「ウチじゃ行儀見習いにはならないわ」


 ……と苦笑いなさって、メイリー・ミーにはこの国でも古い家柄のご友人のお宅を何軒か紹介されたようだ。

 以前よりも落ち着きがあり愛嬌もあって機転が効くメイリー・ミーの事だから、きっと紹介された家でも立派に振舞えるだろうけれど、私を姉のように慕ってくれていた彼女と暫く会えなくなるのは淋しかった。


「本当に失礼だわね。後でちゃんと叱っておいてよ。それよりも、メイリー……元気でね? お休みが取れたら屋敷の方に来るのでしょう?」

「もちろん。……絶対に」


 滑らかな頬を私の頬に押し当て力強くそう約束はしてくれたけれど、実際のところ暫く会う事は出来ないだろうとは、お互いに分かっていた。

 たとえメイリーに休みが取れたとしても、私やグラントが屋敷にいるとは限らないからだ。


 今年の秋には兄様の結婚のお披露目に参加しなければならないし、実はまだ帰国してからさほど経っていないけれど、ブルジリア王国へ再び行く事になっている。

 滞在日数自体は長くないとしても、遠方の事。移動にかかる日数を考えれば今回のエドーニア行きと合わせ、かなりの期間アグナダ公国を離れている計算になるのだ。


 今年はたぶんもう彼女とは会えないだろう……。

 そう私は思っていたのだが、私とメイリー・ミーとは思わぬ再会を果たす事になる。

 だけどそれはまだ先の話。



「さて……それじゃあそろそろ船に乗り込もうか」


 書類の束をナップスに手渡し、グラントが言う。

 私は彼の次の行動を予測して、象牙の持ち手の木の杖をぎゅっと強く掴んだ。


「ねえ、グラント。貴方とても疲れいるんですもの、私は自分で船に乗るわ」

「一日二日眠っていないくらいでキミの事を抱き上げられないほど、俺は年寄りじゃないつもりなんだが……」


 髭に覆われてただでさえ人相の悪いグラントが眉間に皺を寄せると、ちょっとだけ不機嫌そうな表情を作ったつもりなのだろうけどとてもとても不機嫌そうに見えた。


「そういう意味で言ったんじゃないわ。私はただ……自分で」


 言いかけた言葉は、グラントに脚元からすくい上げられるように持ち上げられた瞬間に途切れる。

 彼が私を落とすことは絶対無いと分かっているが、急に体のバランスが崩されるのは怖くて、これに馴れるのは難しい。


「もう、自分で歩けるっていつも言っているのに。私……いままで一度も自分で歩いて船に乗った事がないのよ!」


 もしかしたら彼が本当に気を悪くしたんじゃないかと思った私が馬鹿だった。

 この人が心の隙につけ込むのが得意だと失念するなんて、我ながら学習能力が無さ過ぎる。


 グラントは両膝の下辺りを腕で抱えるようにして自分の肩に私を腰かけさせた。

 脚元はしっかり支えられているので落ちる心配はないのだろうが、上体を安定させたくて両手で抱きしめていた杖を左手に持ち替え、グラントの頭に右手を回した。

 手首の内側に彼の頬に生えた髭が当たって変な感じがする。


「二人ともいつも仲が良くて素敵だわ。それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃいね」


 メイリー・ミーが微妙に場違いな台詞を口にしながら私達に手を振ってくれた。

 ……ナップスとシュトームの二人はもうすでに船内へと消えている。


「お嬢さんは気を悪くするかもしれないけど、ここは人が多い上に足場があまり良くないんだよ」


 私は憮然とした表情のままグラントの肩に揺られて船へと乗り込んだ。


「……そうね」


 グラントが大きな背をかがめ、私をそっと甲板の上に降ろしてくれる。


「───と言うのは八割方言い訳で、本当のトコロ俺はいつだってキミに触れる口実を探している訳なんだが。まあ……その、悪かった」


 部屋の前、殊勝に謝罪するグラントの顔はやはり疲れの色が隠せない。

 なんだか溜息が出た。


「そんな酷い顔色をしていたんでは怒りたくても怒れなくてよ。それに、笑って済ますには目の下の隈が濃すぎるわ。本当に少しでもいいから休んでくれないと、私は貴方にむくれて見せる事も照れて甘える事も出来ないわ」


 案内の船員がチップを受け取り退室して行くのを見送って、私が扉に内鍵を掛けている間、グラントは客室に備え付けの鏡を覗き込み


「あ~……確かにこれは酷いな」


 と、呟きながら寝台の上に腰を下ろした。


「どうしても今日中にあの書類を送りたかったんだ。でもそうだな……どうせ残りの書類はナップスに持たせたままだし、少し休ませてもらうか……」


 彼の言葉の最後は殆ど吐息のようだった。

 厚い敷物で杖をつく音は吸収されると分かっていたけれど、なるべく静かに身体を横たえるグラントの元へと近寄る。


 ……よほど疲れ切っていたんだろう。

 たった今目を閉じたばかりなのに、どうやらもう眠ってしまったようだ。

 

 結婚前、フドルツ山金鉱の金の不正流出事件の調査で多忙だった彼が、ユーシズで過ごす私の元へと殆ど不眠不休で馬を駆って会いに来てくれたことがあった。

 スースーと無防備に寝息を立てるグラントの顔を眺めていると、あの時のことが昨日の事のように思い出され、胸がきゅっとした。


 結婚してもう一年以上経っていると言うのに、どうして私ったらこんなに照れて赤くなったりしているのかしら……?


 室内には二人きりなのに表情を取り繕いつつ私はグラントの脚元へと回り、ふかふかの敷物の上にぺたりと座ると睡眠中には窮屈そうなブーツを彼の足から引き抜いた。

 両のブーツを寝台の横にそろえて置き、手から放した杖に目線を向けた。

 馬の頭を模したしっとりした象牙の持ち手は微かに煤け、堅木の部分には小さな傷が幾つも付いている。


 amethyst roseの船内でメイリーミーが人質に取られた時、グラントはこの杖を蹴り飛ばしてボルキナ国の諜報員にぶつけたし、ルルディアス・レイでバルテスさんらに拉致された時には、石畳の上に落してしまってもいる。

 傷くらいついていて当然だ。


 でも、傷が付いていてもこの杖は私を歩かせてくれる大事な物。

 サイノンテスの城で庭に置き去りにされた時の、あの情けない気持ちを二度とふたたび味合わないためにも、この杖はいつでも手元に置いておかねばならない。

 例えグラントが私を二度とあんな風に置き去りにすることがなくても、私がしたいのは彼の荷物になる事じゃなく、自分の力で彼に添い生きて行くことだから。

 無論これは私の願いに過ぎず、実際にはグラントにたくさんの負担や迷惑を掛けるだろうことは承知している。

 だけど……少しでも私は彼の信頼に足る人間になりたい。


 杖を握り締めたまま、私は寝台の上のグラントの厚い胸板が呼吸のたびに上下する様子を見ていた。

 出航を知らせる銅鑼どらの音が聞こえる。

 天候が安定しているこの季節なら、帆に風をはらみ波を分け、船は4日でホルタネラに到着するだろう。


 そこから馬車で一日半程の距離を行けば、懐かしい私の故郷エドーニアだ……。




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