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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第二章
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『銀の杖と北の方舟』16

 この春『神事』が行われたルルディアス・レイ市街のサリフォー教会大聖堂近くの居酒屋に席を陣取り、私とグラント、それにナップスとシュトームはかなり早めの夕食のテーブルを囲んでいた。

 卓上にはそれぞれが注文したエールのジョッキや大皿盛りの料理が並んでいるのだけれど、全員並べられた食べ物には一向に手が伸びず、むやみやたらと渇く喉を潤すべく店のエールの樽だけを悪戯に軽くしている。

 せっかく作った料理が冷めるに任せた状態にもしかするとお店の人達は気分を害しているかもしれない。

 別に料理が不味いというわけではないのだ。

 ただ今はみな、固形物など喉を通りそうも無い精神状態にあるだけ……。

 教会で行われている『最終選考会』の結果が気になるのだもの、食事どころではない。

 ……日は傾き、聖堂の正面玄関上にあるステンドグラスの色とりどり華やかな色彩は、金色の反射光一色に塗りつぶされている。

 刻限からすれば『最終選考会』の結果の発表はとうに終了している筈だった……。



 『バルドリー侯爵』を狙う暴漢に襲われた一件から、今日で六日の時が経過している。

 あの日、私を宿の部屋に送り届けた後グラントは二通の文をノルディアークの商館本部とそれからグラヴィヴィスに宛てて出したそうだ。

 ノルディアークに向けては、サリフォー教会の最終選考に残った五つの工房とその母体組織のここ数ヶ月の業績と代表的出資者の身元調査の依頼。


 ルルディアス・レイからノルディアークまで旅する場合通常であれば二日は掛かる道のりなのだが、このブルジリア王国の……特にノルディアークと各都市を結ぶ通信網が整備発達しているお陰で、利用料は相当に高額だが商業組合管理の早馬便を利用することによりかなり早くルルディアス・レイからノルディアークまで文を届ける事が出来る。

 先日ノルディアークから届いた調査の結果、『バルドリー侯爵暗殺未遂』の件で最も怪しいと思われる工房が判明していた。

 代表出資者にこの国の貴族、トニロニー伯爵を持つエンドリオ工房だ。


 トニロニー伯爵はノルディアークの王城で行われたフォンティウス王の結婚披露の宴にも出席していたし、あれほどまで強引で汚い手段に出るに足る動機を幾つか持っているようだ。

 その一つは母体組織である商社が隣国、ボルキナ国への鉄の輸出を大掛かりに行っていたこと。

 ボルキナ国国内では二年前から鉄の価格が暴落している。

 フドルツ山から不正流出したきんを使い、モスフォリア国の新型船を軍艦としてリアトーマ国及びアグナダ公国のあるレグニシア大陸へと侵攻しようとしたボルキナ国は、軍備の増強の為にそれまで多くの『鉄』を必要としていた。

 芸術の都であるフィフリシスの華やかなイメージに隠れてはいるが、あの国は強大な軍事力を持ち、鉄製の防具武具の製造でも有名なのだ。

 ボルキナ国内の鉄鉱山だけでは供給が足らず、このブルジリア王国からも相当量の鉄鉱石を買い付けていたらしい。


 ……勿論、その軍資金となったのはフドルツ山から不正に流されていた『金』である事は言うまでもない。

 それがメイリー・ミーの父、老ラズロの死とグラントらの働きにより事件が明るみに出て以降、フドルツ山から流れる『金』は途切れ、軍備増強とリアトーマ国やアグナダ公国への侵攻を影で指揮していた軍務大臣の失脚があり、ボルキナ国では鉄の価格が暴落してしまった。

 ……そのあおりを受けたブルジリア王国の鉄鋼関係の商社のいくつかが、激しい業績不振に陥っているのだと言う。


 トニロニー伯爵の出資する商社は対ボルキナ国の鉄鉱石輸出に力を入れていた。

 かの伯爵はこの貿易で相当の損失を出し、表面上は取り繕っているがかなり苦しい経済状態にあるとの調査結果がグラントの元へと届けられている。

 ……それに、結局身柄を確保する事は出来なかったけれど、シェムスのかつての同僚であったナトガやその仲間達がトニロニー伯爵にお金を融資していた代貸しの護衛だった事も判明している。

 『伯爵』と言う高い地位を持つ人間があのような野蛮で稚拙な犯行を……と思うと、怒りと情けなさが胸に湧き上がる。

 貧すれば鈍するとか窮すれば濫すという言葉があるが、まさにその言葉通りではないか……。

 更にその事だけではなく、かの伯爵にはもう一つの動機があることがグラントの依頼した身辺調査と、グラヴィヴィスが調べた教会内部の情報流出の調査からも分かってきていた……。



「……随分時間がかかっているようね」


 窓の外、金色からオレンジ色へと変わりつつある斜陽を映す大聖堂のステンドグラスを望み呟く私に、グラントは


「すんなり報告に戻ってくるようなら望み薄だよ」


 そう言いながらエールのジョッキに唇をつけた。


 結局、今日の最終選考会のプレゼンにはグラントではなくレシタルさんが出かけていた。

 まさか工房の母体組織の代表出資者であるトニロニー伯爵本人や、ノルディアークの王城での結婚披露の宴に参加し『バルドリー侯爵』の顔を見知っている人間が最終選考会に参加しているとは思わなかったけれど、万が一のことを考えて危険を避けたのだ……と彼は言う。

 危険と言っても、再びグラント……いいえ、『バルドリー侯爵』が命を狙われる危険ではない。

 ナトガとその仲間が自分達の失敗を悟り逃亡した時点で、侯爵殺害の危険は無くなったはずだった。

 確かにそんな危ない依頼を請負う人間はそう簡単に見つからないだろうし、最終選考会までの時間的余裕も無い。

 それは理解できるのだが……でも、だったらグラントの避けた『危険』と言うのは何を指しているのだろうかと私は首を傾げた。


 もし彼が気にするところがあるとすれば、グラヴィヴィスと工房の母体である商館の設立の立役者であるバルドリー侯爵とが予てからの知己である事ではないかと思うのだけれど……。

 翼の意匠の『趣意書』だってグラヴィヴィス本人からグラント──────『バルドリー侯爵』に渡された物だ。

 もし仮にこれを知る人間がいれば、グラヴィヴィスがバルドリー侯爵の息が掛かった工房を優遇し選出させたとの疑惑を持たれることになるかもしれない。

 その辺の万が一を考慮して、グラント本人が最終選考会に出席するのを止めたのではないかと私は思っているのだけれど……。


 レシタルさんからの最終選考会結果の報告待ちにこの居酒屋に陣取った当初、グラントの表情にはあまり余裕は無く緊張した様子だったのだけれど、選考会が終了し、発表が行われたはずの時刻を過ぎて暫くした頃から、徐々に彼の口元には笑みに似た表情が浮かび始めている。

 窓の外に見えていた聖堂のステンドグラスへの日光の反射は消え、オレンジ色だった空の色は薄いすみれ色から暗い藍の色へと変化していた。


「結果発表後に紛糾していると言うのはいい傾向だな」


 いくらなんでも遅いのではないかと気を揉んでいた私の耳に、そんなグラントの呟きが聞こえた。


「ねえ、一体どうなっているというの? そろそろ私にも教えてくれてもいいのではなくて? 何故遅くなればなるほど良いみたいな言い方をしているのよ?」


 浅黒い頬に片方だけのエクボを刻むグラントの余裕に満ちた表情がなんだか腹立たしく、ちょっぴり機嫌を損ねた声で私が問うたその時、店の扉が来客を告げるベルの音を鳴らしながら開き、皆が待ちに待った人物がようやく登場した。


「……レシタル」

「レシタルさん!」


 異口同音に名を呼ばれた彼の顔にはさすがに疲れは見えるものの、その頬はかすかに上気し緑がかった灰色の目には光がある。


「いや、すっかりお待たせしてしまいました。結果発表後にすったもんだと色々ございましたもんでね」


 グラントが座ったまま彼のための椅子を引くと、レシタルさんはそこへどっかりと腰を下ろし一同の顔をぐるりと見渡した。

 ……彼の顔つきからどういう結果が出たのかは分かりきっていた。

 だけどはっきりと言葉でそれを聞きたくて、私はエールのジョッキをテーブルに戻して姿勢を正した。


「……取っただろうな?」

「もちろんですとも。うちの工房で決定しました……!」


 頬だけでなく尖った鼻の先までもほんのり紅潮させたレシタルさんが言うのを聞いて、私は思わずパチンと両手を打ちあわせた。

 安堵と悦びの声が皆の口からも漏れた。

 グラントが指を鳴らして店員にエールとワインを注文し、よく冷えたエールがレシタルさんの手に届くのを合図にくどくどしい口上抜きに5人で杯を掲げた。


 ああ……なんてうれしい事だろう!


「何があったのか、教えてくれるかレシタル?」


 乾杯が終わり、グイグイとエールを一息に飲み干したレシタルさんは大きく息をつくと、唇の薄い横長の口を輪郭からはみ出しそうなほど更に横に引き上げて笑う。


「グラント様が予想した通りのことですよ。……酷い大騒ぎでしたね」


 笑顔のままに大きなため息をつくという器用な真似をした後、レシタルさんは私がまだ知らずにいたアレコレの事情から起きた騒動についてを私たちに語ってくれた。



 私たちが最終選考に持ち込んだ『意匠』が選考委員会が選出した作品に選ばれたとの発表を受けて、その結果に声高に異議を唱えたのはエンドリオ工房の代表者であったそうだ。


 曰く


『この選考会は不正が行われている。結果は最初から決まっていたのだろう。選考会自体がサリフォー教会グラヴィヴィス派の演じる茶番劇ではないか!』


 ……と、彼は口角唾を飛ばし選考会参加工房各代表者に訴え、次いで選考委員とその場にいたグラヴィヴィスとに詰め寄った。


 ……やはりフォンティウス王の結婚の宴でグラントとグラヴィヴィスとが帳の席で話しをしていたのを、トニロニー伯爵は見ていたのだ。

 自らも商業に手を染めるトニロニー伯爵ならば、『バルドリー侯爵』が商館の設立にむけて各方面へと根回し外交に勤しんでいたと言う情報を得ていてもおかしくは無い。

 くだんのバルドリー侯爵がらみの商館を母体組織とする工房が最終選考会に残ったと知れば、トニロニー伯爵が疑惑を持つのも当然だ。


「最初は一同、落選したからといって何を血迷った事を言うんだって顔で見ていたんですけどね。グラヴィヴィス様とうちの工房がつうつうだと言われて、だんだん怪しいんじゃないかって空気になって来たんですよ。ええと……グラント様……これを詳しく言ってしまっても構わないんでしょうか……?」


 レシタルさんの目がチラリと私に向けられた。

 ……なんだろう? 私に言っては不味いことでもあるのだろうか……?


「……事実無根だし……まぁ……お嬢さんもそんなに気にしないだろう。……少しは憤慨するかもしれないけれど……」

「…………???」


 私から目を逸らし、ちょっと言いにくそうにレシタルさんは語る。


「さすがに相手は個人名を晒したりはしませんでしたけど、アグナダ公国の上位貴族がうちらの工房を抱える商館の中心にいて、その貴族と主管枢機卿が仲良くしていたって事をエンドリオ工房の代表が言ったわけなんですけど……。これが……その、このところ巷を騒がしていた主管枢機卿との『噂』の相手と言うのがこの貴族の奥方で、あの。……それを『取引材料』にして今回の選考結果は決定していたんだと……彼は主張したわけですよ……」


 いつもは饒舌なレシタルさんがつかえつかえに説明する言葉を聞いて、私は胸がむかつく思いがした。

 怒りも過ぎると頭に『血が上る』のではなく、逆に血の気が引くのだという事が分かる……。


 レシタルさんは細かい部分を濁して言ってくれたけれど、つまりは……エンドリオ工房代表者は、バルドリー侯爵が私の身をグラヴィヴィスに差し出してサリフォー教会との大口取引を得たのだ……と、そういう主張をしたのだろう。

 当然そんなのは全くの事実無根だ……。

 これでは今の今まで私にグラントが詳しい調査結果や今日起きる事が予想されていた事態についての説明を渋ったのも当たり前だ。

 こんな話しを彼の口から聞くのは、私だって嫌だもの……。


「……下種げすね……」


 眉間に皺を寄せる私の肩にグラントは腕を回した。


「すまない。本当はこんな話、キミには聞かせたくなかったんだが……」


 だけど……私に知らせずに済ませるなんてきっと無理だ。

 ……だって、私が今日の結果を知りたがる事は分かりきっていたんだから。

 グラントの代わりに言いにくいことを言葉にしてくれたレシタルさんは、心持ち肩を竦めるようにしてテーブルの上の料理を口に運んでいた。


「私はいいわ。腹は立つけれど、どうせ本当のことじゃないんだもの。……私よりもレシタルさんに何か言う事があるんじゃなくて?」

「あー……そうだな……。ありがとうレシタル。嫌な役を押し付けてしまった」


 空いている手で彼の前のグラスにワインを注ぎ入れながら、グラントはレシタルさんに礼を言った。


「いやぁ……まさかグラント様にこんな話しをさせるわけには行かないですから、気にしないでください」


 私とグラントとを見ながらレシタルさんは苦笑いを浮かべた。


「まあそれでですね、話しの続きなんですけれど。大騒ぎになった代表者らに向かって、それまで沈黙をまもって来たグラヴィヴィス様が立ち上がって話し始めたんです」



 グラヴィヴィスは椅子を鳴らす事なく静かに立ち上がった。

 ……にも関わらず、その気配や存在感だけで蜂の巣をつついたような騒ぎになっていたその場が、急に静かになったのだと言う。

 彼は激高するそぶりもなくまた不快そうな表情も見せずにいつもの穏やかさを持ったまま、よく通る声で一同に

『そのような不正な取引は存在しなかった』旨を説明し始めたそうだ。


「ですがまあ、エンドリオ工房の人間はそんな言葉で納得行かないわけです。工房どころか商社自体が掛かっているわけですから頭に血も上ってますし。王の結婚披露の宴に出席していた多くの貴族らは……その、連日グラヴィヴィス様がバルドリー侯爵夫人と逢っていたことは知っているのだ……とですね、まくし立てたわけですよ」


 エンドリオの代表者が言葉を終えるのを待ち、グラヴィヴィスはもう一度はっきりと


『不正など行っていない。なぜなら、自分は不正を行える立場にないのだ……』


 そう言ったらしい。


 当然のように言葉だけでは納得出来ず、ざわめく一同……。


「宴に出席していた貴族様たちに聞けば、まぁ、そういう噂があって噂の主になったのがどこの誰かは分かるわけですよ。だからきちんと調べてみるべきだ……とか言い出す人間もしまいには出てきたんですが、選考委員の聖職者がそこで立ち上がってこう言ったわけです。『主管枢機卿の言の通り、枢機卿には不正を働く事は出来なかった。何故なら、主管枢機卿は今回の選考委員の中には入っておらず、選考基準に対する発言権すら無かったんだ』……とね」


 ……え?


「……彼は選考委員会の一員ではなかったの? だってサリフォーの『翼』の意匠を使った商品を開発するべきだと発案したのはグラヴィヴィスなのでしょう? それにグラヴィヴィスと面談したあの日、カーテルナーさんは、だったらどうしてあんなインチキな真似までして彼に会いに行ったと言うの??」

「枢機卿殿が選考委員会に入っていない事を知らなかったんだろう。……と言うか、グラヴィヴィスはわざとそれを公開しなかったんだろうな」


 グラントにそこまで言われ、私は初めてグラヴィヴィスの思惑になんとなく考えが至った。


「グラヴィヴィスへの面談のアポイントメントがなかなか取れなかったのも……もしかしてカーテルナーさんのような人間を、わざと彼に引き寄せる為? グラヴィヴィスが自ら進んで選考委員らから目をそらす風除けの役を果たしていたと……そういう事?」


 彼以外の選考委員達をどこかへ隠し、わざと狭くした窓口を残すことでカーテルナー氏のような人間の視線を自分に集中させた。

 唇を曲げて笑い、ワインのグラスを私に掲げて肩をすくめる事を『肯定』代わりにするグラントの向こう隣りから、レシタルさんが再び口を開く。


「しかも、選考委員会の所在はグラヴィヴィス枢機卿殿には知らされていなかったそうですよ。……この選考会を開くに当たって、有識者やらその他から選出したオンブズマンが組織されていて、その中から特に有力な……しかも守秘義務を厳守する人間が選ばれて選考委員達を匿い、一般人との接触はおろか教会からの連絡すら遮断する役をしていたんだとか。更に周到な事に前回の選考会もこの度の最終選考も、完全『ブラインド』で行われたんだそうです。……あれですね、どの作品がどの工房なのか分からないようにして選ばせたという事ですよ。ですから、私が弁舌を振るった『プレゼン』は……まあ、おまけのようなものだったと。……プレゼンの時には最終選考の投票はすっかり終わっていたと聞かされて、ちょっと腹も立ちましたけれど。……それにしてもグラヴィヴィス様って御仁は若いのに恐ろしく頭の切れる人間ですね。……うちの大将と張るな」


 言葉を切り、レシタルさんがワインのグラスに口をつけたタイミングを見計らうかのようにグラントが


「……腹黒さで、か?」


 と混ぜ返した。


「ぐふっ……っ」


 とレシタルさんが咽こみ、私もナップスもシュトームも笑った。


 グラントが腹黒いかどうか私には判断できないけれど、味方にいて頼もしい彼がもし敵陣にいたとしたら、確かにかなりやっかいな相手ではあると思う。

 そういう意味ではグラントとグラヴィヴィスは似ているかもしれない。


 笑いがおさまりレシタルさんが話し始めた最終選考会でのごたごたの『続き』は、敵に回してはいけない相手を敵に回してしまったエンドリオ工房へのグラヴィヴィスからの痛烈な反撃でもあったからだ。

 工房の今後の存続が絶望的になったエンドリオ工房代表者はじめ、その場に集まっていた人々に対してグラヴィヴィスはあくまでも穏やかにゆっくりと話し始めた……。



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