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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第二章
20/97

『銀の杖と北の方舟』11

 ノルディアークの王城からノルディアーク市内、それに職人街のアルドンウェイとルルディアス・レイ……ブルジリア王国へ到着後、幾度かの移動を繰り返した私達だけれども、テティやフェイスら侍女と幾人かの従僕らの殆どはノルディアークの館に残してきていた。


 だって、ノルディアークで商館の設立に動いていたのは確かにバルドリー侯爵だけれども、侯爵の立場では職人街に乗り込み、教会へ提出する意匠案の決定や試作品の作成の為に工房の職人達と一緒に頭を捻りつつ工房で夜を明かすなんてこと、出来ないではないか。


 ノルディアークを出て以降、グラントはバルドリー侯爵ではなく商人の『グラント・バーリー』を名乗り、同行する私も必然的にバーリーの姓で通していた。

 ……隊商の護衛なんて事をしていたグラントはもちろんのこと、少人数の使用人とともにエドーニアの館に暮らしていた当時から、私は自分の身支度くらい自分でしていたのだ。実のところ、身の回りのことくらい侍女らがいなくても特に不自由などなかった。

 宿に宿泊すれば掃除は宿でやってくれるし、食事だって宿か近所の食事の出来るお店で摂ることが出来る。

 だから、当初私もグラントもアグナダ公国から伴ってきた使用人達はすべてノルディアークに残してくるつもりでいたのだが……。



 ***


「いかにお嬢様のご命令でも、今回ばかりは承服いたしかねます」


 ノルディアークでの留守居を命じた私の言葉に異を唱えたのはシェムスだった。

 エドーニアの街外れに暮らしていた時にも、私の行動が『お嬢様』らしからぬ目に余る物と判断した時にははっきり苦言を呈してくれた彼だけれど、今回のそれは『苦言』では無く完全に『拒否』『拒絶』の言葉のようだ。


「こんな危ない国にありながらお嬢様から目を離したとあっては、亡くなられたお父上様に申し訳が立ちません」


 眉間に皺を寄せたシェムスは体の横に固めた拳を垂らし、硬い線を描く背に頑として意見を動かさない意固地さを隠そうともせずに私の前に立っていた。


「もしもどうしても連れて行けないと仰るんでしたら、この場で私を解雇していただく他ありません。……そうでないのなら、石にかじりついてでも私はお嬢さんのお傍を離れません」


 普段そう饒舌じゃないシェムスがこんなに自分の主張を口にするなんて、そうは無いことだった。

 要はそれだけ彼の意思が硬いと言うことなのだけれど……。

 どうしたものかと困惑する私にグラントは


「来てもらえばいいじゃないか」


 などと、事も無げに言う。


「治安のよい場所だからという俺の油断で、キミはひどく恐ろしい目に遭ったこともあるからな。シェムスがいてくれた方が俺としても安心できる」


 ……まあ……確かに私はルルディアス・レイで浚われた事があるし、シェムスをアグナダ公国へ連れて来る為その話しを駆け引きの材料にも使った。

 しかもシェムスはノルディアークの王城でグラヴィヴィスが刺客に襲われる場面にも遭遇している。

 この国が彼の目に『とんでもなく危ない国』として映ったとしても、不思議はないかもしれない。

 実際ルルディアス・レイのように治安のよい場所ばかりなわけではないのだし、シェムスがいてくれればグラントも私に気兼ねなく自由に動くことが出来るに違いない。

 ……悩みつつ……ではあるが、私はシェムスに同行してもらうことを決めた。


「でもシェムス、私やグラントが何をしているかについては質問しないって約束してくれる? これだけは言えるけれど、私もグラントも決してお父様に顔向け出来ないような道に外れたコトをしているんじゃないの」


 その言葉にシェムスは数秒間私の目を黙ったまま見つめ、頷いてくれた。

 


 移動の仕度のためにシェムスが部屋から退出し扉が閉められた後、私とグラントの二人はほぼ同時に大きく息をついた。

 私は『質問はしないでくれ』と言う条件を彼が呑んでくれた安堵からだったが、グラントはどうやら違う意味のため息だったよう。

 どうしたのかと問うと再びため息を……今度はさっきよりも小さいため息を、ひとつ。

 利き手を砂色の髪の毛の中につっこんでかき回し苦く笑うグラント。


「……シェムスにとても怖い目で睨まれてしまったよ。……大事な『フローお嬢様』をわけの分からないことに巻き込んでいるのが俺だというのは事実だしなぁ……」


 言葉は、ぼやきというより自嘲に近い響きだ。

 彼は去年一年、ずっと私を自分のしていることに巻き込むべきか巻き込まぬべきかを考え続けたのだと言っていた。

 もしかして、今も『グラント・バーリー』としての自分にこれ以上関わらせるべきじゃないのでは……と後悔しているのかもしれない。


「シェムスは私のことを心配してくれているだけだわ。ちょっとぐらい睨まれるのは仕方がなくってよ。……我慢してくれなくては困るわ」


 私は唇を尖らせグラントの前に立ち、彼の顔を見上げる。


「それとも、シェムスに睨まれないように私のことをノルディアークに置き去りにするの? 貴族のご婦人の行動として相応しくないからと言って、貴方は私に自分の半分の顔だけしか見せずに生きてゆくという事なの? そんなの冗談じゃなくってよ。そりゃ……去年までの私だったら、大人しく貴方が時々何処かへ出かけて帰ってくるまで待っていたわ。よい妻と言うのはそう言うものだって思っていたんですもの。だけどグラント、少しくらい危ない目に遭うコトがあったとしても、私は貴方がどこで何をしているのか全然知らないでただ待っているだけなんて、絶対に嫌だわ」


 彼のことだもの、危険な事をするなと言っても安全な場所から人の動きだけ見ているなんて出来るはずがない。

 メイリー・ミーの時のように、場合によっては自ら動く事になるだろう事は目に見えている。

 それを『危ないから止めて』なんて言うつもりはサラサラないけれど、何も知らずにお家でいい子でお留守番しているだなんて。……そんなの、全然私らしくない。

 体の前に持ってきた杖の握りに両手を置いて、私はグラントの暗色の瞳を睨みつける。


「もしそんなことになったら……今度はシェムスじゃなくて私が貴方のことを思い切りねめつけて差し上げることよ」


 もちろん実際には『睨みつける』なんて甘い嫌がらせで済ますつもりはないけれど。

 心の底から抗議の気持ちを込めて睨み上げた暗色の瞳が、驚きと逡巡、そして柔らかな和みの色へと変化して行くのが見えた。


「お嬢さんに睨まれるのはシェムスに睨まれる以上に恐ろしいな」

「そうよ、恐ろしいわよ。……私は……グラント、貴方が私の知らないところで危険な目に遭っている『かも知れない』と言うのが嫌なの」


 私はグラントのように頭が良いわけでも腕っぷしが強いわけでもないけれど、少しでも彼の助けになりたいと思っている。

 出来る事はそう多くはないかもしれないけど、それでも『何も知らない』よりは一緒にいて状況を把握出来れば、何かの手助けを出来る可能性だって出てくるだろう。


「……だが、フローお嬢さん。キミの目に見えるほどの距離で俺が危険な目に遭っていたなら、当然お嬢さんだって危ない事になるんじゃないか?」

「……そうね、そうかも知れないわ。だけどその時は、シェムスか貴方が私を守ってくれるでしょう?」


 グラントの気持ちが分からない訳じゃないけれど、だけどやっぱりここで引くわけには行かない。

 自分の言葉が辻褄の合わない『詭弁』である事は承知していながら、私は口を開きかけたグラントの言葉を制して言葉を続ける。


「だけど、私を守るためにほんのちょっとの怪我をすることくらいは許して差し上げるけれど、命まで失っては駄目よ。……貴方は私よりも先に死んだりしないって約束したんですもの。そんなの絶対に許さないわ」


 なんだか冗談のように聞こえるかも知れない言葉だが、私はこれ以上ないくらいに真剣だった。

 もしも少しでも笑ったり馬鹿にしたりの気配があれば、象牙の杖で彼の向こう脛を思い切りぶってやるつもりでいたのだが、グラントは表情を引き締めて自分よりも随分と背の低い私の肩に手を置いて言う。


「もしも俺の目の前でお嬢さんが危険にさらされるような事があったら、どんな事をしてでも守るよ。……そうか、キミも俺と同じような気持ちでいてくれているんだな……」

「そうよ。……当たり前じゃない」


 見つめるグラントのまなざしの深さと真剣さに多少たじろぎつつではあるが、私は精一杯背筋を伸ばして言い返した。

 日に焼けた顔に薄く走る笑い皺が、えも言われぬ甘い笑みに深さを増す。


「シェムスの睨みに弱音なんて吐いている場合じゃないか。お嬢さんがそういう女だからこそ俺もここまで惚れ込んだんだ。……キミを置いて何ヶ月も留守にするなんて事、出来るはずがない。俺がそれに耐えられないんだから」


 両の肩に両の手を置いたグラントが体を寄せて私の額の際に唇を押し当てた。


「こらえ性のない人ね」


 グラントの言葉尻を揶揄する私の頭の上、笑いの吐息が髪を揺らす。


「本当にこらえ性が無かったら、今頃お嬢さんは裸に剥かれてベッドに引きずり込まれている筈だけどな」

「……そういう意味で言ったんじゃないわよ。どうしてそう貴方はいやらしい事ばかり考えているのよ!」


 驚きと羞恥に跳ね上げるように顔を上げた私の肩から両手を離し、グラントが朗らかに笑った。


「それは俺のせいじゃないね。キミがそうさせるんだ」


 ぬけぬけと嘯(うそぶ)く長身を数秒間ねめつけて、私は


「移動の荷造りがあるから失礼するわ」


 と彼に背を向けた。


 絶対にグラントの思考回路はおかしいと思う。

 そんなものに関わっていてはこちらの神経がもたないもの。黙って去るのが一番だ。


「ああ……フローお嬢さん。ルルディアス・レイにはテティもフェイスも同行しないんだ。もう髭剃り道具を隠してもらうなんて悪戯は出来ないぞ」


 部屋を出て行こうとする私の後姿に、どう考えても笑いながらそんな台詞を投げかけるグラント。

 まったく、忌々しい。

 閉じる寸前の扉から顔を覗かせ、私は部屋の中で『やっぱり笑っている』グラントに


「大丈夫よ。今度はシェムスに預かってもらうもの」


 そう言ってそっと堅木の戸を閉じた。

 一瞬彼の眉が妙な角度に跳ね上がるのを見たような気がするけれど、その後グラントがどんな表情になったのかを確認できなくて残念だ。



 ***


 女神サリフォーの彫像の足元に日の光をキラキラと反射して水が踊る。ルルディアス・レイの中央広場は多くの人で賑わっていた。

 春に訪れた時には今はまだ観光シーズンの本番前だとディダが言っていたけれど、その言葉に違わず夏の青空の下、あの時とは比べ物にならないくらいたくさんの人が中央広場やその周囲を取り囲む市場に溢れている。

 広場には市場での買い物や観光で疲れた足を休める人々やサリフォー像を間近に見ようと近づく人々。それらの人間目当ての物売りらが、ベンチや噴水の縁に腰を下ろしまたは歩き回る人の間を縫う。

 石畳の上の白い鳩が時折億劫そうに行き交う人の足元でバサバサと短く羽ばたいては着地し、撒き与えられる餌を啄ばむ。


「お嬢様、酷い人波です。どうかおはぐれになりませんで下さい」


 活況を呈する広場をゆっくりと歩く私の半歩後ろを、シェムスが険しい表情で付き従う。

 自分のペースで歩く私と違って、彼は警戒心もあらわに道行く人たちに鋭い目を向けながら行くせいか、とても歩きづらそうにしている。


「……シェムス大丈夫よ。心配してくれるのはありがたいけれど、そうそう頻繁に危険な目になんて遭う事はなわ。

人が多いから貴重品は置いてきたし、バッグはこうしてしっかり手に持っているわよ。まさかこの衆人環視の中で私が人攫いにでも遭うと思っているの?」

「それはまぁ……そうなんでしょうが……」


 私の言葉に同意しつつも、やっぱりシェムスは警戒の目を緩める事は出来ない様子だった。


 『最終選考会』まで十日ほどの余裕を持って私達はルルディアス・レイの街へと入った。

 グラントは選考会までの日々をこの街で商館の支局……実質的には本部であるけれど、その開業準備に費やしている。


 女神像を中心にして広場やその外周を市場が取り巻いているのだが、市場の外には倉庫街と大小の商会や商館の本館や事務所が混在していた。

 大手の商会などは東西南北へと走る太い大通り沿いに権勢を示すかのような立派な建物を構えている。

 グラントらが立ち上げる商館は、大通りから少し奥まった場所に自社倉庫に隣接するように建っていた。

 建物自体は小さいし古びているけれど、荷の積み出しに必要な荷車や馬車の車庫が近く、荷や人が近隣各国へと渡航するのに必要な旅券の発券を受けるにも都合の良い場所にある。

 ほんの少しだけ私も仕事場の様子を見せてもらったけれど、開業直前の事務所も倉庫も慌しく殺気立っていてとても『お手伝い』など申し出て良い雰囲気ではなかった。

 グラントも言ってくれたけれど、ここは大人しく街でもぶらぶらしていた方が良さそうだ。

 そこで私はシェムスを伴って中央広場へと足を向けたのだけれど……。


 とにかく、人が多い。

 物売り、観光客、鳩の糞を掃除する子供達に市場で日常品や食料を仕入れる街の住人ら。

 人出を見込んで大道芸人らもここに集まるのかそちこちに小さな人だかりが出来て、楽しげな笑いや拍手が時折周囲を満たす喧騒を割って耳に飛び込む。

 なんだか人波に酔い頭がぼうっとしてしまいそうになったけれど、春に来た時に見た中央広場の景色を思い起こしてその記憶と照らし合わせてみると、人の数は増えてはいても基本的に物売りが商いをする立ち位置はそれぞれ領域が決まっているらしく、春に見た鳩の餌を商う老婆は夏の今も同じ場所におり、林檎で作った甘い飲み物を商う女性はやはり春と同じ場所にいる事が分かる。

 私が記憶を頼りにサリフォー像の左腕の見える方向へと歩いてゆくと、そこにはふくよかなご婦人から銅貨を受け取り小さな子供に鳩の餌の入った小袋を手渡すディダ・シンクの姿があった。


「ディダ」

「フローさん!」


 こちらを見たディダが私の姿を認めた途端茶色の瞳を大きく見開いて一瞬驚いた表情を浮かべる。驚愕の表情がすぐに笑顔に変わってくれたのがなんとも言えず嬉しい。

 ノルディアークではあの『刺客』騒ぎで彼とはまともにお話し出来なかったから、ルルディアス・レイに来る事があったら会いに行こうと心に決めていたのだ。

 数ヶ月ぶりに対面したディダは春に出会った時と変わらず、少年らしい希望に満ちた目と快活な表情をしていた。

 気のせいかもしれないけれど面差しが男らしくなり、ほんのちょっぴり背が伸びたように見える。


「元気そうで良かったわディダ。あの時は一言もお話し出来なかったから……。商いの方はうまく行っていて?」


 ちらりと目を落とした先、鳩の餌の小袋が入った肩掛け箱には半分以上の残りがあるようだ。


「今日は天気も良いし人も多いですからまずまず売れていますよ。……午前中に箱いっぱいが全部ハケてまた補充してきたんです」


 もしかしたらあまり売れ行きがはかばかしくないのでは……との心配は、どうやら杞憂で済んだらしい。

 私はディダに一枚銅貨を手渡し一袋分の売り上げに貢献をして、餌が売り切れたらちょっとだけお喋りに付き合ってもらう約束をした。

 噴水周辺でバサバサと白い羽の鳩らに餌を与える事を楽しんだ後、広場外周の露天で干しイチジクと香辛料の入った焼き菓子と蜂蜜入りの冷たいお茶を買って戻ると、ディダの今日の商いが終了する頃合になった。



「お仕事が終わったら孤児院の雑用とかお手伝いがあるって知っていたから、そんなに長い事お話は出来なかったけれど、結構色々なお話を聞く事が出来たわ」


 春にも泊まった宿のお部屋で、私とグラントは差し向かいに腰掛け葡萄のお酒の入った杯を傾けながら遅い食事を摂っていた。

 グラントは忙しいなりにも仕事の準備が順調に進んでいるせいかそう疲れた様子も無く、エドーニアの私の生家へ出発する前の連日の徹夜状態の頃とは比較にならないくらいに表情も良いようだ。

 アグナダ公国内とは違って変に彼の足を引っ張る人間が居ない影響が大きいのだろう。

 今日は部屋へ戻ってくるのが遅くなり、外へ食事に出るのが億劫になったからこうして宿の部屋で夕餉をいただいているけれど、明日からはもう少し余裕が出来そうだと言っている。

 グラントにちょっと相談したい事が出来た私にとってありがたい話だ。


「それで、ディダに『あのこと』は話したのか?」


 夏野菜とオレンジのマリネを添えた鴨の骨付き腿肉のコンフィを、ちょっとお行儀悪く手づかみで食べていたグラントが指についた脂をナプキンで拭いつつ私へと目線を向ける。

 今日私がディダに会いに行くことはグラントに前もって告げていたのだから、きっと訊かれるだろうと思っていた。


「いいえ。……やっぱり言わない事にしたの」


 私はディダが上の学校へ行けるだけの資金を援助してあげられないかと、グラントと前から何度か話をしていたのだ。

 もちろんただ『資金を提供』するのではきっとあの真面目で独立心の強いディダの事、絶対に断られるだろうと思っていたから、学校を卒業して生活が落ち着いたなら小額ずつそれを返済してもらうのはどうだろうかと考えていたのだけど……。


「どういう心境の変化だい?」


 と、興味を引かれた様子で彼が問うてくるのも当然だろう。

 私は自分でも自覚があるくらい、ちょっとディダの進学問題に首を突っ込みたがっているのをグラントは知っていたからだ。

 ……自分が『学校』と言うものに縁が無かったせいか、彼が切望する学校へディダには是非行って欲しいと思うのはエゴイスティックに過ぎるだろうか……。

 家庭教師に貴族の娘として十分な教育は施してもらったけれど、本当はもっと勉強をしたかった。

 その気持ちをつい彼に託したくなってしまう。


「心境は変化していないわ。ディダには彼が望む高等教育を受けてもらえたら……と、今だって思っていてよ。

でも、そう思っているのは私だけじゃないと分かったの」

「……グラヴィヴィスか?」

「ええ……そう」


 グラヴィヴィスに雇われてディダはノルディアークへ随行している。

 そう多くの賃金を得たとは思えなかったけれど、少しは学資は増えたかと私は彼に訊ねた。

 それほど親しくない人間から金銭の話をされるのは気持ちの良いコトではないだろうとは思ったが、それをきっかけに学資の融資話に持ち込もうと考えていた。

 ……けど、お話しをそこへ持ってゆく前に私はディダから逆に相談を受けてしまった。

 曰く。グラヴィヴィスが学資の援助を申し出てくれているのだけれど、自分はどうするべきなのか……と。


「ディダのことを買っていてかつ心配しているのは、グラヴィヴィスも同様だという事が分かったわ。学資援助は条件付きらしいけれど、条件もまっとうで、小額ずつの返済って言うところは私が考えていたものと同じなんだけれど。……だけど私は自分の浅はかさを反省していたところよ……」


 グラントと同じメニューを彼とは違いナイフとフォークを使って切り分けながら、私はため息を禁じえなかった。

 グラヴィヴィスがディダに出した条件は、自力で学資の半分を貯金できたなら……と言うものだったのだ。

 私がグラントにディダの学資について相談し始めてから、再三彼に言われていた事がある。

 それは、私達にとっては彼に出資する学資は小さな額であるけれど、ディダにとってはとても大きな金額だという事。

 だからこそ出してあげたいと言う私に、グラントは何度もそれがディダに与える影響について考えるべきだと諭すように繰り返してくれたのだが、どうやら私はその意味を本当には理解していなかったのだ……と、今ならば分かる。

「グラヴィヴィスがね、ディダに言ったそうよ。学資の全額を出すのは簡単だけれど、それでは彼がそれを返済する時にどれほどの苦労をするか実感できないと言うことと、学業へ対する情熱を本当に持っているならばそのくらいの困難は乗り越えられて当然だ。楽をする事を覚えてはいけない……って」


 ディダは後二年程で孤児院を出て行かねばならない。

 学資の半分さえ貯金する事が出来れば学業に専念できるよう、生活にかかる費用についてもグラヴィヴィスの方で見てくれると言われたようなのだが……。


「至極まっとうな提案だと思うよ。彼にはこの先の人生もあるんだ。『融資』と言うのは彼に追わせる『負債』でもあるんだってことをお嬢さんは失念している」


 ……本当にグラントの言うとおりだ。

 私は、ディダが学資を返済できないのなら、それはそれで仕方が無いと思っていた。

 だけどディダはただお金を出しますと言って受け取るような子じゃない。だから『返済』と言う条件にしようとしたに過ぎない。


「……だから、その事は本当に反省しているの。人を馬鹿にしているのと同じなのよね。そんなお金、ディダが受け取るはずがないわ……。そういう子だって分かってるつもりだったのに。あのね、ディダや何人かの孤児へ試験的に学資の援助をするつもりみたいなの。それで上手く行くようならば更に今後学資融資の人数枠を増やして行こうという考えがあるのですって。ディダが返済してゆくお金で、後進の世代の学資を支える形ね。……どうするべきか悩んでいるようだったから、貴方がそれによって支えてもらった分で将来誰かを支えられるのは素敵な事だわって、それだけ言ったの」


 当たり前と言えば当たり前だけれど、グラヴィヴィスはディダの性格をよく理解していると思う。

 悩んではいたけれど、こういう話の進め方をされれば彼はグラヴィヴィスの申し出を受ける気持ちになるだろう。


「ディダにとってはとてもいいお話だわ。本当に良かったと思っているのよ」

「その割りに表情が冴えないのはどういうわけだ?」


 ワインの入ったゴブレットを傾けながらニヤニヤ笑いでこちらを見る意地悪なグラントをちょっとだけ睨みつけながら、私は柔らかな鴨肉をゆっくりと咀嚼して嚥下し、口を開いた。


「分かってるのに訊くなんて酷いわ。……笑ってくれて結構よ。確かに私は『自分が』ディダの後見を出来なかった事にこうしてぶすくれている身勝手な人間なんですもの」

「ハハハ。……素直でけっこうだ」


 グラントが容赦なくクツクツと笑ってくれて、私もなんだかほっとする。

 ……自分の心の狭さに落ち込みかけていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。

「ねえ、グラント。学資のお話しもそうなんだけれど、孤児院もグラヴィヴィス個人の『私費』で賄っているらしいのよ。その事、貴方は知っていて? 教会に集められたお金で私服を肥やすような不正なんて彼、一切働かずにこれまで来たのが……なんていうのかしら……『売り』というか、一般にアピールしてきた部分なわけよね。高位の聖職者ってそんなにお給金が良いものなのかしら? 個人的に孤児院や奨学金基金を運営できるくらいに?」


 じっとグラントの目を見ながら疑問を呈する私に、暗色の瞳があきれたような表情を浮かべる。


「……フローお嬢さん……。俺は時々キミの勘の良さを褒めるべきか危惧するべきか分からなくなるよ。……あまりグラヴィヴィスの事情に首を突っ込むのはお勧めできないな……」


 ……ノルディアークのグラヴィヴィス襲撃事件の時以来、彼が自分が襲われる理由が複数あるようなもの言いだったことがずっと心に引っかかっていた。

 今日ディダと話をしていてもしや……と思った事がどうやら的を得た考えだったらしいと、グラントの目を見て分かる。


「グラヴィヴィスはとてもお金持ちなのじゃなくって?」

「……お嬢さん……」


 ふぅ……と大きく肩を揺らし、グラントがため息をつく。

 やっぱり私の考えは間違っていないようだ。


「首は突っ込まないわ。ただ、知りたいだけなの」


 重ねて問う私にグラントが諦念を漂わせた風情で小さく首を振った。


「……まったくキミは。興味と言うのは『好意』の出発点じゃないのか?」

「またそうやって論点をずらして誤魔化さないで。『興味』じゃないわ。……どちらかと言うと、好奇心よ。興味より性質が悪いかもしれないけれど。……でも、やっぱり『そう』なのね?」


 いくら王位継承権を返上していたとしても、グラヴィヴィスは王族だ。

 先代の父王が亡くなられた時には相当に大きな遺産を相続している事だろう。

 もしも今グラヴィヴィスの身に何かがあったなら、その莫大な財産はどこへ行くんだろうか?

 『主管枢機卿』と言う立場を考えたなら、……それも王位継承権を返上した現状にあってもサリフォー教会に留まった彼の遺産が王室へ返還されるとは考えにくい。

 それでは王位を捨ててまで教会首脳部に実権を得た彼の立場が守れないもの……。

 グラヴィヴィスに妻子でもあれば、家庭を大切にすることを基本とするサリフォー教会の教義に則った形で相続権をそちらへ移す事が出来るかもしれないけれど、彼は独身だ。

 そして……宗教に関わる人間がそんな事を考えるとは思いたくないが、今後サリフォー教会の財政が以前のように豊かとは言えなくなれば、善からぬことを考える人間が出てこないとも限らない。

 私の考えている事がもしも間違っていないのならば、これから先グラヴィヴィスが独り身で居続ければその分、彼の身は危険にさらされる事になるだろう……。


「孤児への学資援助基金の設立って、そういう部分から目を逸らせる意図もあるんでしょうね」


 私財を慈善事業に投じるというのは富裕な商人や貴族らも良く使う手段であるのだが、それは自己防衛であり、いわゆる貴族の義務(noblesse oblige)と言われる富める者の負うべき責務でもある。

 責務を果たしながら更に社会からの指弾を防ぐ手立てにもなり、更にはディダにとっても悪い話じゃないのだからそれはそれでいいけれど、でも……。

 チラリと見たグラントはワインの入ったゴブレットを傾けながら眉間に皺を寄せてちょっと不機嫌そうな様子。

 ……どうしてグラヴィヴィスは誰からも祝福される相手との『噂』ではなく、私のような既婚者と不倫をしているなんて『噂』を立てたのか、私にはその意味が分からないのだけれど、今はその話題を振れるような空気ではなさそうだ。

 慈善事業で彼に対する良からぬ思惑から意識を逸らし、配偶者を持つことにより彼の個人資産がサリフォー教会から離れた場所へ継承されることの正当性を得る……との道筋を作れば、グラヴィヴィスの身に起こりうる危険を回避するには良いのではないかと私は思うのだけれど……。


「……」


 そのお話しは今度にしましょう……。

 私はチーズ入りのニョッキにフォークを突き刺しながらこの話題を続ける事を断念した。

 ……何故ならば、グラヴィヴィスに関して私はもうひとつグラントに『相談』したい事があったのだ。

 彼の手がゴブレットから離れるのを待ち、私は口を開く。


「ねえ、グラント? あのね、私に会ったならば『是非お会いしたい』……って、ディダがグラヴィヴィスから伝言を託されていたそうなんだけれど、私はどうしたら良いと思って?」


 グフっとひとつ咽たグラントに私は黙ってナプキンを手渡した。

 口元を拭った彼は眉間に深い皺を寄せて口中に唸る。


「……なんのつもりだ……一体……!?」


 ……グラントが咽たり唸り声を上げたくなる気持ちは分からなくも無い。

 何しろこの時期だ。

 グラヴィヴィスがどんな思惑で私との対面を望んでいるのかを図りきれず、困惑するのは当然だろう。

 なんだか胸騒ぎを覚える。


 ……胸騒ぎと言えばもうひとつ。

 中央広場のサリフォー女神像の下、噴水の縁に腰を下ろし私とディダとは少しの間話し込んでいたのだけれど、後でさぞや文句を……言葉ではなく視線での抗議をシェムスにもらうコトを覚悟していた私は思い切り肩透かしをもらった。

 護身用の剣を下げて抜かりなく周囲に目を向け二人の話しが終わるのを待っていた筈のシェムスが、ディダが軽やかな足で走り去り、私がゆっくりと彼の前まで歩いて声をかけるまで、なんだかぼんやりとした表情で雑踏に目を向けたまま立ち尽くしていたのだ。

 普段のシェムスだったらきっとディダが立ち去った後すぐに、鳩の餌売りなどと話し込むなんて……との非難をその目に込めて私を見ることだろう。

 どうしたのかとの問いに、シェムスは最初


「なんでもありません」


 と答えた。

 だけどシェムスは嘘のつけない人間だ。

 嘘をつくと目が泳ぐんだからすぐに分かる。

 自分でも目が泳ぐ自覚はあるようだけれど、どうしても『嘘をつく』罪悪感からその動きを止めることが出来ないと言っていた。

 だからいつもは訊かれたくない事を訊かれた時には『沈黙』を返答代わりにするのだけれど、シェムスは沈黙ではなく『嘘』で私に答えた。

 どうしたんだろうと首を傾げる私に、シェムスはすぐに頭を下げ


「……すみませんお嬢様。実は、今さっきそこの雑踏に昔の知り合いの姿を見たような気がしたんで……」

「あら、だったら私のことはいいからその方を探しに行っても構わなくてよ? 大通り沿いにウインドショッピングでも楽しみながら宿へ戻るだけのつもりですもの、危険な事はないわ」


 海を渡った先で「昔の知人」に出会うなんて、そうそうあることじゃないと思う。

 そういう縁は大切にした方が良いと言う私に、シェムスは苦い表情で首を振った。


「いいえ、そう良い縁でもないんで。……傭兵時代の下っ端仲間だった男ですから」


 若い頃自分が傭兵集団の下働きをしていたことを『若気の至り』と語るシェムスだ。

 私の問いに思わず『嘘』で答えたのも得心がゆく。

 だから私はそれ以上の事は何も言わず、そのままシェムスを伴って市場や大通りの散策を続けたのだけれど……。

 どうしてだかサワサワとした胸騒ぎを胸の奥底に覚えて仕方が無かった……。


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