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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第二章
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『銀の杖と北の方舟』7

 短剣類の中でも『ダガー』は投擲や近い間合いで相手の急所を刺す攻撃に向く武器だが、ククリ……グルカナイフは刃が内側に向けて『く』の字に湾曲したその形状から、投げるには適していていない。

 もしもこの時相手が毒を塗ったダガーを放っていたら、グラヴィヴィスの命があったかどうか……。

 そしてグラヴィヴィスが退廃した生活に溺れるサリフォー教会旧勢力の聖職者のように、だらけた生活を送っている人間だったら、彼の身体はとっさの動きを取る事は出来なかっただろう。


 怠惰に溺れる貴族の摘外子ら等に対する嫌がらせの為とは言え、グラヴィヴィスは古い教義に則り、日々心身の鍛練を怠らなかった。

 手にグルカナイフを構え襲い来る男の間合いへと入る寸前、彼は身を沈めて横っ跳びに飛びのいた。

 グラヴィヴィスの首があった辺りを凶刃が薙ぐ。

 短剣とは言え刃渡りは私の指先から肘の辺りまでありそうな大きさの、分厚いナイフだ。

 あんなものの斬撃を受けたら、比喩的表現ではなく物理的に首が跳んでしまう。

 辛くも最初の攻撃を避けたグラヴィヴィスが、飛びのいた先の寝藁の山に突き刺さるピッチフォークを引き抜いて素早く構えた。

 フォークは長さもあり間合いの近い武器を持つ敵を牽制するにはいいかもしれないけれど、元々農機具なのだから武器として振り回すにはいかにも扱い難そうだ。

 そもそも先端の4本の歯先を突き刺すくらいしか攻撃の出来ない道具。

 それにあのグルカナイフの分厚い刃を思い切り打ちおろしたなら、木の柄の部分が壊れてしまうに違いない。


「フ、フローお嬢さまっ!!」


 この異常事態に気付いたシェムスが片手にさっきまで打ちふるっていた剣と、もう片方の手に見慣れた長剣を掴んだままこちらに向けて慌てて駆けだした。


「助けてシェムス……誰か人を……!!」


 グラヴィヴィスへの警鐘を叫んで以降、喉が張り付いたようになって発することの出来なかった声がようやく喉から押し出された。

 シェムスから攻防を続ける二人へ視線を戻すと、馴れぬ得物を手にしたグラヴィヴィスは二撃三撃と攻撃してくる相手に押され、今にも壁際に追い詰められそうになっている。

 長い柄のピッチフォークを持ったまま壁際などに追い詰められたなら、直ぐに身動きが取れなくなってしまうに違いない。


 シェムスはもうすぐそこまで来ているし、時ならぬ叫びや騒ぎの気配に辺りの人間の視線はこちらを向きはしたけれど、救援が来る前に牽制と防御でいっぱいいっぱいに見えるグラヴィヴィスは一体どうなってしまうのか……。


 手になじんだ武器で素早く斬撃を繰り返しながら、男は巧妙にグラヴィヴィスの退路を狭めて行った。

 白い刃が風を切る。

 長い柄と振り回すには重心の取れぬ武器を使い、何とか自分へ向かう刃の軌跡を逸らし踏み込む足場を制限するグラヴィヴィスの隙を付き、男は寝藁山の横にあった空の水桶を彼の顔に目がけて投げ付けた。

 下手にこれをよけようと思えば藁に足を取られるし、ピッチフォークで桶を弾こうとしたならグルカナイフの踏み込む間合いを許してしまう事になる。


「…………っ!!!」


 私はまともに狙いも定めず、ただ無我夢中で手にしていた銀の杖を今まさにグラヴィヴィス目がけて襲いかかろうとしていた男に力の限り放っていた。


 武芸など習った事が無い上に誰かに向けて物を投げつけるなんてはしたない真似、それこそレレイスが命を狙われた時以来だ。

 案の定男の脚元を狙った杖は銀の軌跡を描きながら何故か……幸運にもその鼻先を掠めるように飛んで、間合いに踏み込みかけていた男を怯ませる事に成功したようだ。

 キラキラ光る杖が刃か何かの武器に見えたのだろうか。


「お嬢さまっ……ご、ご無事ですか……っ!?」


 抜き身の剣と鞘に入った剣とを両の手に掴んだシェムスが私の元へ駆けつけた時、グラヴィヴィスはピッチフォークを男へ向けて思い切り投擲するところだった。

 男がフォークを打ち払う隙に追い詰められて間近に迫った壁を蹴り、地面の上を反転して素早く立ち上がりながらシェムスに向けてグラヴィヴィスは手を差し出した。


「剣を……!」


 シェムスは鞘のついたままの見慣れた……グラントの長剣を、間髪入れずグラヴィヴィスの手に投げ渡す。

 カランと音を立てて、鞘が地面に落とされる。

 青みを帯びた長剣の鋼の刀身が抜き出され、グラヴィヴィスはグラントとは違った端正な構えで男に相対した。

 緊張感を全身にみなぎらせながらも必要以上の力の入り過ぎない綺麗な立ち姿。

 グラヴィヴィスが結構な剣の使い手である事が、その姿だけで充分に伝わってくる。


「くそ……っ」


 鍛冶屋の姿に変装をした男が吐き捨てるように呟き、後ろへとじりじり後退し出す。彼にも自分の相手の実力のほどが分かったのだろう。

 このまままともに戦ったトコロで、決着がつくには何合かの打ち合いや時間が必要になる。

 この異変に気付いた人達に包囲されるのはもはや時間の問題。

 ……そう判断したに違いない。


 『刺客』は、グラヴィヴィスに投げつけられ撃ち落したピッチフォークを器用に蹴り上げ、それをグラヴィヴィスが長剣で叩き落とすのを目視もせずに背を向けて、脱兎のごとく走り去った……。


「な……なんの騒ぎですか、グラヴィヴィス様……!?」


 チュニックに半分だけ袖を通した姿で、着替えの途中だったらしいディダが厩から飛び出してきたのを始め、周囲からは騒ぎを聞きつけた人々が次々と私やグラヴィヴィスの周りに集まってきていた。

 私は杖を投げつけた後バランスを崩して倒れかけたところをシェムスに支えられ何とか立ってはいるけれど、膝から下に力が入らずに今にもくずおれそうだ。

 一体今の一幕は何だったんだろう?


「フローティアどの……」


 グラントの長剣を鞘に入れシェムスの手に返したグラヴィヴィスが、私の銀の杖を拾い上げて今一度戻ってきた。

 隠しの中にハンカチを探すもいまの戦闘で落としたようで見つけられず、自分のタイをするりと外すして杖を丁寧に拭ってから震える私の手にそれを握らせてくれた。


「お嬢さま……大丈夫ですか?」

「……大丈夫。私は何もされていないし怪我もないわ……」


 グラヴィヴィスは兵舎から飛び出してきた兵士や位のありそうな騎士に状況を説明し、逃走した鍛冶屋に扮した男の追跡を指示する。

 その姿に、私は彼にも怪我の無い事を知った。


「椅子を借りてきましょう。少し座って休まれた方が……」

「いいのシェムス。貴方のお陰で助かったわ……。私、早く部屋に戻りたい……」


 今すぐへたり込んでしまいたいけれど、ここで座り込んだりしてはそのまま立ち上がれなくなってしまいそうだ。


「フローティアどの、申し訳ない。まさかこんな事になるとは……」

「ご無事ですのね……良かった。もう宜しいんですか? 今の事を衛士らに報告しなければいけないんじゃ……」


 私の腕を取りシェムスと共にふらつく身体を支えてくれるグラヴィヴィスに、兵や騎士らの何人かはもの言いたげな顔を未だに向けている。


「いえ。後で改めて報告に行くと言ってありますので。それより……部屋までお送りしましょう」


 胡散臭げな物を見る表情のシェムスに、私は彼がこの国の王弟である事を告げる。

 シェムスは少し身体を強張らせたものの、軽く会釈を一つしただけで黙って私を支えて歩いてくれた。

 剣術の稽古をしていたシェムスは改まっているとは言い難い服装だった為、作業道までしか私を送れない事を気にしているようだったが、少し険しく硬い表情のままグラヴィヴィスに私を託してその場を別れた。

 ……相手が王の弟であろうと、怪しい人物から私を守る姿勢にぶれを見せないシェムスは本当に頼もしい従者だ……。


「さっきの人は一体なんですの……!?」


 シェムスと別れた後のこと。恐ろしさの反動で多少の怒りを込め、私は小さい声ながら鋭くグラヴィヴィスへと問いかけた。


「……刺客……でしょうね。私への」


 ほんのちょっと前にあんな恐ろしい目に遭った人間とは思えぬ表情と声色で、グラヴィヴィスは静かに答える。

 その口元に微かな……ほんの微かな嘲笑めいた笑みが浮かんでいる事を私は見落とさなかった。


「何故貴方が命を狙われるんですの? もちろん、教えてくださいますわよね??」


 口調の鋭さを和らげぬ私に、今度ははっきりと目に見える笑いを口元に刻んでグラヴィヴィスが言った。


「ええ勿論です。……ただ、確証はありませんのでそのことは前もってお断りします。……が……たぶん、今のは兄上を信奉する何者かが、新王に祀り上げられる前に私と言う邪魔者を排除しようと動いたのではないかと」

「どういうことですの? だってそんなのおかしいわ」


 グラヴィヴィスは既に王位継承権を放棄している。

 そしてフォンティウス王には嫡子も存在する。

 今の状態でグラヴィヴィスがまともに王位を主張できる要素などどこにもないのだ。

 もしも未だにフォンティウス王の嫡子の存在が発表されていないと言うならば話しは別だけれど、夕べの宴でミストヴィネ王妃と共に王子の存在も明かされていると言うのに。

 疑問を口にする私にグラヴィヴィスは


「昨日の祝賀の宴の出席者やその使用人らが王子の存在を知ったところで、今日この国全ての人間にそれが知れ渡っているわけでははありません。特に昨日からいらしている方の半数は近隣諸国からの使者や招待客で、残りはこの国の主要な……ごく上位の貴族達です。それに……半数の招待客を除く残りの貴族らの更に何割かはこの王宮に宿泊している筈です」


 近隣国からの招待客はさておき、宿泊していない貴族らやその使用人の口から、フォンティウス王の後継者の事はノルディアークの街に広がっているだろう……。

 そう言う噂はあっという間に広がるはず。


 だけど……そう……『刺客』として送り込まれて来たあの男はあくまでもグラヴィヴィスの殺害を依頼されただけだとしたら?

 自身の思想の元で動いているならもう、グラヴィヴィスの排除の必要性を再考するだろうが……。


「あの……鍛冶屋姿の男は請け負った仕事をしに来ただけで、その中止命令を受けていなかった……と言う事?」

「……そうじゃないかと、私は思っています」


 彼の言うとおりフォンティウス王の王政を守ろうとする人間による殺害命令だとしたら、グラヴィヴィスの排除の意味が薄くなった今、何故彼が狙われなければいけないのか……。


「……中止命令を『出せなかった』人間の仕業……と言う事ですの?」


 覗きこんだ薄茶の目が細められた。

 もしそうだとすれば、昨日この王宮に宿泊して……外部と接触を図れなかった上位貴族、または王に近く身動きの取れなかった人間の中に黒幕はいると言う事になる。

 犯人を貴族に限定しなかったのは、その人間があまりにもグラヴィヴィスの王宮内での行動に精通している様子だったからだ。


 彼がこの城に来て以来、どんな時間にどこにいるのかを知らなければ厩舎へ刺客を送り込むなんてコトは出来なかっただろう。

 王を信奉しており、かつ王城内の事情や地理に精通し……庭の作業道や兵舎や厩舎地区にグラヴィヴィスが出入りしている事を知り得る立場にいる者となればそう多くはない。

 その中から昨日から今日にかけて王城内に留まり身動きが取れなかった人間となれば、更に限られてくる筈だ。

 グラヴィヴィスにその事を話すと、彼は静かに首を横に振った。


「私が襲われた事は公にしないよう、あの場の者達に申し伝えています。一応の捜査は行われるでしょうけれど……このまま迷宮入りになるのではないかと思っています。もし第二第三の刺客を私の為に用意してあるとしても、いい加減にそろそろ実行中止が伝えられるでしょうし……この件に関してはこれ以上何も起きないと思います」


 確かにグラヴィヴィスの言うように……そして私が思うとおりの動機での殺害依頼だとしたなら、今後は彼も狙われずに済むのだろうけれど……。


「……こういうことが起きるとは、貴方も想定済みだったと言う事ですの?」

「なぜ、そう思われるのです?」

「……グラヴィヴィス様は、落ち着き過ぎておりますもの」

「一応こういうことが起きてもおかしくないとは考えて警戒はしていたのです。だからこのノルディアークへ来る道中も複数人の護衛に守っていただきました。だが外部から雇い入れた彼らを城内で私の身近に置くわけには行かない。……城には衛士らもいますし。せめてバルテスを同行出来れば良かったのですが、なにしろ現在の教会内は人材が不足していて彼をはずすわけにはゆかない。急いで後継の育成はしているのですが、バルテスをルルディアス・レイから離れさせるのはいかにも不安が残る……。それに、だからと言って王の弟の私が祝宴に出席しないと言うわけにもゆきますまい。せめて衛士や騎士のように王宮内での帯剣が許されていれば良かったのですが。……なにしろ私は謀反の意志有りと勘繰られておりましたので、兄らが暮らすこの城で剣を携えていたいなどと言う許可を求めるのは……あまりにも危険でした。……お陰で、フローティアどのの前であのような無様な戦いをお見せすることになってお恥ずかしい限りです」

「……『お恥ずかしい』で済んだのは、命があったからです。中途半端に実力と自信がある剣士こそ死に取り込まれやすいと、グラントが申しておりましたわ」


 グラヴィヴィスには世間一般を平凡に生きる人々よりも難しい事情をたくさん抱えているのだろう事は想像できるけれど、抱えているものが多いのならもっと慎重に生きるべきだと私は思う。

 ……昔の自分を振り返ればそんな説教を出来る立場にはないかもしれないけれど、でも、だからこそ言いたくもなるのだ。

 殊勝らしく


「もっともです」


 と頷くグラヴィヴィスに、私は声を潜め、思い切って一つ気になっていた事を問う。


「……まさか……フォンティウス王自身の指示ではございませんよね?」


 一瞬虚をつかれたような表情の後、グラヴィヴィスはきっぱりとそれを否定した。


「それはありません。随分以前から打診していた王位継承権の放棄にしても、兄上はずっと渋っていたくらいですから。フローティアどのがどう思われているのか存じませんが、私と兄上はそれほど仲の悪い兄弟なわけではないのです」


 ……実の弟に対する『警告』が、謀反の意志ありとの噂を立てる事であっても仲が悪いわけではない……なんて、私には理解の範囲を超える関係ではあるのだけれど、そういえばフォンティウス王が本気でグラヴィヴィスの排除にかかるのならあんな刺客を送り込まずともいくらでも方法はあるだろう。

 しかもこの祝宴の日に王宮の一角でそんな事をするとも思えない。


「それにしても……あの兄上に、私を弑してまで……と言う信奉者がいようとは……」


 呟くグラヴィヴィスの口元に、またもやあの皮肉な笑みが過った。

 ……これで『仲が悪いわけではない』……だなんて、そんな複雑な兄弟関係分かりたいとは思えないのだけど……。


 夜の宴の準備の為だろうか?

 暫く前までちらほらと歩いていた人影は既に庭から消えていて、私はグラヴィヴィスに送られて誰にも会う事なく部屋の露台の階段までたどり着く事が出来た。

 一刻も早く部屋に戻ってへたり込んでしまいたい。

 宴の仕度の為にそれほど時間はないけれど、ほんの少しでいいから四肢を投げ出して横たわる事が出来れば、随分と落ち着く事ができるだろう。


「送ってくださってありがとうございました」


 どうせまた宴席では彼の姿を見る事になるだろうけれど、一応の挨拶をする私の手を取って、突然グラヴィヴィスが跪いた。

 薄茶の瞳が普段よりも幾分強い光を浮かべ、こちらを真っすぐに見上げている。


「フローティアどの。貴女には一度ならず二度までも助けていただきました。前回の事でも返しきれぬ恩義を受け感謝の念でいっぱいですのに、命までも救われてしまった。なにか……私の心には感謝と言う言葉では収まりきれぬ想いが生まれそうです……」


 そんなことを言いながら、儀礼と言うには多少情熱的な口づけを手の甲に落とすグラヴィヴィスの唐突さに私は少し面喰ってしまう。


「大げさですわ。……それに、グラヴィヴィス様をお助けしたのはシェムスですもの」

「貴女の使用人ですから、貴女に救われたも同然です。……勿論、彼には後ほどお礼を言わせてもらうつもりではありますが、春に続いて今日までも……となると、なにか運命的な物を感じざるを得ない」


 どうやら……あんな事の後で一見落ち着いているように見えていた彼ではあるが、やはり命を狙われると言うのは何らかのショックを心に与えるものなのだろう。

 その時よりも時間を置いて恐怖や興奮状態に襲われると言うのはよくある話だ。

 私だってメイリー・ミーをフィフリシスのカフェから連れ出した時は、後になってから恐ろしさに震えたではないか。


「運命なんて、ありませんわ」


 彼の思わぬ若さに微笑ましいものを感じながら、私はグラヴィヴィスの手から自分の手を引き抜いた。


「天の采配なんて言葉がございますけれど、結局人間がそれぞれ動くからこそ『事』が起こるんだと私は思いますわ」


 良い事も悪い事も、全てを運命の責任にするのは私の好きな考え方では無い。

 それは私の父様が私を助けて亡くなった事をきっかけにして抱いた信念である。

 私の言葉をグラヴィヴィスがどう受け取ったのか本人ではないので分からないけれど、なにか思うトコロはあったようで、地面についた膝を上げ立ち上がると若干狂騒的な光を宿していた彼の瞳は落ち着きと力のあるものに変わっていた。


「……もっともです。人が動くからこそ事象は動く。どんな動かし方をしてどんな結果になるかは絡み合う思惑や……時による……と言う事ですね。フローティアどののその考え方は、私も非常に共感できる……」


 自分に言い聞かせるように一人ごちたグラヴィヴィスは改めて私に向けて優雅な一礼をすると


「では、また後ほど」


 との言葉を残しその場を立ち去った。


 ……後ほど……。


 露台への階段をのぼりながら私は小さく溜息をつく。

 なんだか疲れて祝賀の宴席になど出るのは面倒だったけれど、きめ細やかな配慮を尽くしてくれる王室からの招待を受けておきながら、そんな非礼は出来ないだろう……。

 私は重い足取りで露台まで登るとグラヴィヴィスが立ち去り誰も見当たらない庭を眺め渡した。


 それにしても後から思い起こせば私のなんと呑気で浅はかなことか。

 庭に誰も見当たらないとしても、庭に面した部屋の窓に誰もいなかったとは限らない。

 前日の帳の席で、私は人の心にグラヴィヴィスとの関係の『薄墨』をひと筆塗り入れていたと言うのに、その事も気づかずに池の端のベンチで二人で語らい、部屋の前では事実はどうあれまるで逢引をした不倫相手との別れの様な一場面を演じ、疑惑の薄墨を黒に近づけていたというのに。



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