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金の杖 銀の杖  作者: jorotama
第二章
12/97

『銀の杖と北の方舟』3

 リネからシュトワまでの船旅の間に、私はドルスデル卿の愛人である元高級娼婦のレイナリッタさんと、ちょっと仲良くなった。

 シェムスは


「まっとうな淑女はあのような手合いとは慣れ合ったりしないものです」


 ……と、あからさまに嫌な顔をしたし、グラントも苦笑いを浮かべつつ私に


「有言実行だな」


 なんて言う。

 それどころかレイナリッタさん本人すら不思議そうな目で私を見て


「こういう仕事を始めてから貴族の奥方と近しく言葉を交わした事なんてありませんでしたわ。お嫌じゃないんですか?」


 とほっそりした首を傾げる始末だ。


「もしも貴女がグラントを誘惑しようと言うのなら私だって考えるけれど、ドルスデル卿との旅行の最中にそんな事なさらないでしょう? だいたい卿とレイナリッタさんの橋渡しをしたのは彼だと言う話を聞いていてよ。そんな相手に今更何かなんて……考えにくい事だと思うの。だったら私達の間に利害関係は成立しないのだもの、私がレイナリッタさんを嫌がる理由が無いわ。それにあの二人、一日中カードゲームに打ち興じてて私達の事など放りっぱなし……退屈じゃなくて……とても……?」

「まぁ……確かにそうですわね」


 こげ茶色の長い睫毛に縁取られた目を瞬かせてそう答えたレイナリッタ嬢は、それから可笑しそうに笑った。


「やっぱりグラントさんの奥様になられる方だわ……」


 愛らしくクスクス笑いを漏らす彼女の言葉を聞いて、なんとなく彼女はもともと商人としてのグラントの知り合いだったのではないかと言う気がした。


「ねえ、もしかしてレイナリッタさん、グラントが貴族だと言う事を出会った当初はご存じなかったのではない?」


 後から思えばこんな事をこんなふうに訊ねるのは場合によっては危険な事だったかしらと反省したけれど、私の問いに彼女は少し驚いた顔をして答えてくれた。


「え……あの……奥様もその事をご存じなんですか……?」


 やっぱり……。



 レイナリッタさん本人の話しによれば、彼女の出自はシズミュワレファの富裕な商家なのだそう。

 父親は一代で財を築いた商人で、レイナリッタさんはそのお家の長女として生を受けたそうだ。


「人は経済的に恵まれると次には名誉や地位が欲しくなるものじゃないですか。少なくともわたしはそう。だけど名誉や地位なんてそう簡単に手には入れられるものじゃないんです。ことに父一代の薄っぺらい家系ですから、いくら商才があり財を増やしたところで父は名誉ある役職にはつけません」


 シズミュワレファは大国だ。

 近隣の争乱続きの小国ならば武力のみならず財を使って戦役で功績を立て、それを元に爵位を手に入れたりもできるだろうけれど、それも難しい。


「だけど……方法が無いわけじゃないんです」


 昼日中、女二人で甘い林檎のお酒を啜りながらのお喋りの内容として適当かどうかはさておき、私は興味深くこのレイナリッタ嬢の話に耳を傾けた。


「まずわたし、父の商人としてのコネを使ってとある貴族のお嬢様の侍女として働き始めたんですの。……富裕層の子女が礼儀作法を覚える為に貴族の家へ行儀見習いに入るのは、そう珍しい事じゃないですから」

「ええ。……私の知っているお嬢さんも今、同じように行儀見習いをしていてよ」

「ただし、わたしの場合は最初から計算尽くでしたわ。その貴族の娘さんは他国の婚約者の元へ嫁ぐことが決まっていて、わたし……彼女の輿入れに侍女として同行したかったんです。ねぇ奥様はご存知ですか? 南の大陸では国同士絶対に失敗させたくない結婚の場合、花嫁には何人もの侍女が付けられる事があるって」


 そういってレイナリッタ嬢は可愛らしくてズルそうな笑みを浮かべた。

 聞けば花嫁の容姿があまり冴えない場合、時に美しい侍女で周囲を固める事があるのだとか。

 娘が気にいられなくてもその国の侍女を気に入ってもらえれば……との考えかららしい。

 勿論その場合の『侍女』はきちんとした身元の子女である必要があるけれど、嫁ぎ先の主の『手』がついたところで正妻にはなれない訳だから、それを自身や家族が了解している者のみに限られる。

 侍女込みの嫁入りと言う事だ。


「どこの家の者だとか、どの国へ嫁いだ方かは伏せさせていただきますけれど、わたしそこで目論見通り旦那様のお手付きになったんですわ」

「あら、だけどそれってあくまでもめかけの座を手に入れたと言う事でしょう? 正妻じゃないのならさほどの『出世』にはならないのではなくて??」

「それは相手の地位によりけりですわ。それに……こちらの手腕によっては『正妻よりも重要な位置に居る妾の座』だって手に入れられますもの」


 想像するにレイナリッタの主が嫁いだ先は、相当に位の高い貴族だったのだろう。

 富裕層の生まれでそれなりの家に侍女として仕えていたのだと言う過去があるのなら、彼女自身の洗練された所作や場をわきまえた態度には納得がゆく。

 光をたたえた黄灰色の瞳が急に伏せられ、ふっくりと艶やかな唇が拗ねたようにすぼんだ。


「だけどわたしは失敗したんです。仕えさせていただいていた女主人がわたしよりも先にお子を身ごもられましたの。そうなると女って強くて恐ろしいモノですわよ。……もともとどちらかと言うと悋気りんきの強いお方だったんですけれど、子を孕まれてから拍車がかかったようにやきもち焼きになられて……。旦那様も子の無い妾より子を持った正妻の肩を持つものですわ。わたしはそのお屋敷を追い出されてしまったんです」


 はあ……と大きく溜息をついて、レイナリッタ嬢は椅子に背を預けた。

 なんだか私まで話しを聞いているうちに身体に力が入っていたらしく、一緒になって椅子の背に凭れると手にしたままだった杯から一口、甘いお酒を啜った。


「そう珍しくない話ですよ」


 と、レイナリッタ嬢は言うけれど、世間に疎い私にとって彼女の話はとても刺激的な物だった。

 ……グラントに殿方同士の会話は下世話だとぼやいたけれど、私が興味を持って聞いているこのお話も充分下世話な話かもしれない。

 自分がちょっぴり恥ずかしくなったけれど、でも、どうして今彼女はここでドルスデル卿の愛人の座に収まっているんだろうかとても気になってしまう。

 なるほど。下世話な話には下世話な話なりの魅力があるものなのだ。


「わたしの話……面白いですか?」


 問いかけに間髪入れず、つい力強く頷いてしまった私を、レイナリッタ嬢は鈴を転がす様な可愛らしい声でころころと笑う。


「こんなお話、娼婦時代に仲間に話して以来ですわ。……その後、国許くにもとに帰って貴族や高級官僚相手の娼婦になったんですの。ちょうど……と言うとおかしいですけど、その頃父親が具合を悪くして……そうなると一代きり父だけの力で財を築いた家は脆いものですよ。父親の信用で大きなお金を動かしていたのが駄目になってしまって、あっという間に商売は没落。母はもう亡くなってましたけど、妹や弟がいますので自分が家族を養う事になって……。ああ、でもわたし、こう見えてもとても人気があったから実入りは相当良かったんですよ。暮らし向きには何も問題はありませんでしたわ」

「……ええ、そうでしょうね。 貴女みたいに可愛らしくて賢くて美しい女性になら、いくら貢いでも良いと言う殿方の気持ちが少し分かる気がするもの」

「まぁ……うふふ。ありがとうございます奥様」


 レイナリッタ嬢はまんざら悪い気持でもなさそうに、口元を扇子の影に隠して笑った。

 話を聞くと、どうやらグラントは商家の主であった彼女の父親の方の知己だったようだ。

 ……私は、なんだかちょっとそれを聞いて安心した。


「だけど……わたしもいつまでも若いわけじゃありませんもの。ずっとあの仕事で家族を養うのは無理ですわ。

……だから、グラントさん……いいえ、バルドリー卿からドルスデル卿をご紹介いただいた事、感謝していますのよ。今は家族をこちらに呼び寄せてドルスデル卿から頂くお手当で安定した生活も出来ていますし。……それに、もう2~3年もしたらたぶん卿もわたしに飽きてくださるでしょう? そうでなくとも、お歳もお歳なことですし。そうしたらまとまった手切れ金をわたしに下さって、恐らく侯爵の傘下の下級貴族か騎士ナイト爵の殿方の元にわたしを下げ渡ししてくださる筈ですわ」


 私はその話を聞いて、なるほどと思った。

 徹底して割り切りさえすれば、彼女にはある程度の財産と下位とは言え貴族の正妻の座が手に入るのだ。


 一言に『娼婦』と言っても、高級娼婦と言われる人達は知識も教養もあり生まれも良い家の事が多い。

 さすがに身分の高い貴族の正妻になる事は少ないが、下位の貴族や豪商などの賢妻といわれる人の中にはそう言う職歴を持つ者も少なくは無い。

 遊び慣れたドルスデル卿のような人間の妾でいるならば、別れに際して妙な揉め事になったりはしないだろうから安全でもある。




「……なんだかすっかり感心してしまったことよ」


 どうやら今日はドルスデル卿にカードでこてんぱんに負けたらしいグラントに彼女の話をすると、それまでぐったりしていた彼はいくぶん快活さをそのおもてに戻して、言う。


「彼女のそんな昔話は初めて聞いたよ。随分レイナリッタ嬢と仲良くなったもんだな」

「ええ……でも、旅行が終わったら近しく話かけちゃいけないって、彼女にお説教されてしまったわ。外聞が悪いからって。親切で言ってくれているのは分かっているけれど、少し淋しいわね。私、勿論ああいう職業は背徳的だって思っているわよ。生活の為に止むなく身売りする人や、下手をすると人身売買で売られて来た人だっているんだもの。だけどレイナリッタさんのように目的があって自分自身の魅力を取引の材料に使う人には、違う感慨を抱くわ。……高級娼婦の中には国を動かす影響力を持つ人だっているのでしょう? 凄い事だわね」

「まあ……一部ではそういう事もあるんだろうが、政治的に時流に合った的確な方向へ動かされているならまだしも、そうじゃない影響を受けるなら、その国の指導者はボンクラだと言う事になるな」

「政治指導者じゃないけれど、ドルスデル卿はその言によればボンクラと言う事になるの?」


 レイナリッタ嬢を使って、卿の狩りで疲れた腰にトドメをささせた本人であるグラントが一瞬言葉に詰まった後言うには


「ボンクラと言うよりは……本人が思っているよりも実際はお歳を召していたというだけだ」


 ……と言う事だったけれど、庇う様な言葉を口にしている割に口元に少し人の悪い笑みが浮かんでいるのは、カードでの負けが悔しかったせいだろうと思う。

 ドルスデル卿だけじゃなく、殿方の身体には賭けごとに熱くなる血が流れているもののようだ。


「こうも人のペースで日々生活する事を強いられるというのは、たまったもんじゃないな」


 溜息混じりにグラントはぼやく。

 日中は馬車での移動で、食事や休憩に立ち寄ったお店や宿ではドルスデル卿のお相手。

 本来、人に合わせて動くのが得意じゃない彼にはかなりの忍耐が強いられる事だろう。

 王城に着けばついたで気を使う事も多いだろうが、それでも彼にとって興味深い情報を得られる場所にいた方がどんなに気持ちが楽になるか分からない。


「もし今はキツイのなら、シェムスにそう言いましょうか?」


 こんな移動生活の中でも、グラントは相変わらず朝の剣術の稽古は欠かす事がない。

 暫く前からその稽古にシェムスも加わって、グラントが時々彼の手ほどきをしているのだ。

 シェムスとすれば以前ブルジリア王国で『浚われかけた』私を守りたいがため、剣術を身につけるべきと判断したのだろうけれど……。


「いや別にかまわないさ。彼は一生懸命だし」

「……そう」

「あまり筋がいいとは言えないけど彼、剣は持った事があるようだな」


 グラントは傭兵だったお祖父じい様に剣技を習っていてかなり腕が立つ。シェムスが過去に剣術を齧った事に気がつかない筈はないと思っていたけれど、思った通りだったようだ。


 私はシェムスの過去の私生活に関わるその事を口にするべきか少し悩みつつも口を開いた。

 以前、シェムスがまだ血気盛んな青年だった頃、彼は一時屋敷を出て海外に行っていた時期がある事を。

 寡黙な彼の口からは詳しく語られる事は無かったけれど、どうやらシェムスは一時傭兵の集団と行動を共にしていたようなのだ。

 ……とは言え彼のしていたのは雑用や馬の世話だったらしいが、その時に少しだけ剣を齧ったようなのだ。


「剣は自分に向かなかったけれど、馬のお世話は楽しかったってシェムスは言っていたわ。……彼、嘘がつけない性質でしょう? 戦いには向かないって言われたらしいの」


 シェムスは嘘をつくとすぐに態度に出てしまう。

 剣を持って戦おうと言う時にも、顔つきや目線で攻撃のパターンを読まれてしまうのだ。


 自身も正直で躾には厳しかったご両親の教育の賜物なのだろうけれど、世の中には『嘘』とは言わないが『方便』が必要な局面が多々発生する。

 それすらも器用にこなせない善良過ぎる彼は、必要な事以外は殆ど口にしないと言う『沈黙』を自分と周囲を守るために選択し、結果今の寡黙なシェムスが出来あがっていた。


「傭兵としての戦いには確かに向いていないだろうな。……けど、お嬢さんの事を護ろうと言う気持ちは本物だからね。その気迫が護衛としては役に立たつんじゃないかと思うよ。前々からキミに悪い虫が近づいてくると、彼からはその男を是が非でも排除してやろうと言う気迫が漂っていたな……。あの気迫に有る程度の戦闘能力が組み合わされば、そうそう変な人間は近づかなくなると思う。昔だけではなく今も俺は排除されそうな恐ろしさを彼から感じるところが困りものだが。……ああいう人間は得ようとしてもなかなか得られるものじゃない……」

「貴方が彼に信用されないのはそれなりの理由があるじゃない。眠り薬入りのワインを飲ませたりしたんですもの仕方が無くてよ。テティやフェイスはシェムスの事とても褒めていたわ。いい人で大好きだって。見た目は強面だけどああ見えて彼、良く気がつくしすごく親切なの。私がエドーニアの館の生活に引っ張り込んだりしなければ、結婚して家庭だって持っていたかもしれないと思えて……余計に申し訳ない気持ちになるわ」

「お嬢さんのお気に入りだし、少しでも強くなってくれればキミの事をいざという時に護ってくれる頼もしい味方になると言うわけだ。まあ……年齢的に考えてそう腕の立つ剣士に仕上がる見込みはないけれど、真面目な生徒でもある彼に剣の基礎を教えるのに否やはないさ」


 そう結論した通り、グラントはブルジリア王国の王城のある街ノルディアークに到着するまでの間、貴重な自由時間を削って自身の稽古とシェムスの稽古とを続けた。


 ***


 ノルディアークはボルキナ国とブルジリア王国とを隔てて連なるシェイジット山脈の外れ、テティト山の裾野に乗り上げるように築かれた灰色の要塞のような街だ。

 王城が建設される以前には実際にこの場には大きな砦があり、隣国がシェイジット山脈を越えて攻め込んでくることが無いように見張る役割を負っていたのだそう。


「どうしてルルディアス・レイではなくこのノルディアークを王都に定めたのかしら? ルルディアス・レイの方が東西南北全てに街道が整っているし、国の中心として便利な場所じゃなくて?」


 私はそう思うのだが、グラントに言わせるとどうやら『便利』な事と王城を置くに相応しいかどうかはまた別の話のようだ。


「春にこの国に来た時に説明したと思うが、ブルジリア王国は巨大国家古代フディバル帝国が分裂した幾つかの国の一つ……エルテカが滅亡する時にドサクサ紛れに独立した国家なんだ。ブルジリア王国の南は海。東の大河ロズローを隔てて向こうはほぼ未開の原野が続き、その向こうはブルジリア独立当時、エルテカ滅亡時の混乱のまま部族ごとに千々に乱れ国家としての形を成していなかった。北のドルダンは逆に安定しきった国家で、外に対しての野心はそう強い国ではない。問題だったのはブルジリア王国に先んじる事150年の前から独立し、しかも野心的に国土を広げていたボルキナ国だ」


 もしも海からボルキナ国が攻め込んでくる場合、ブルジリア王国の海の玄関口は東西を山に隔てられ守られている為に間口が狭い。

 立地的に大規模な港を作るのは難しく、シュトワの港はあまり大きくは無いのだ。あそこへもし大艦隊で攻めてきたとしても上陸には相当に手間取るだろう。

 厚い陣容で港口を一端固めてしまえば、そうそう攻め込んでは来られない。

 もしもこの国に大隊を送り込めるとするならば、それはシェイジット山脈の山容が少しだけ薄いテティト山の山道……。


「シュトワの港の近くに大きな宿営地らしきものがあったのを見てよ」

「そう、港の左右の山には見張り台があって常に海を見張っているんだ。もしも海から攻め込む者があったとしても、直ぐに狼煙があがって兵が港を固める事が出来るようにね」

「……なるほど。船から投石機や大砲で港の兵を蹴散らしてしまったら、自分達が上陸する時に港が壊れて困るもの……下手な事は出来ないというわけなのね」


 だから南側の守りはある程度の戦力があれば事足りる。


「でも、だったら南の守りと同じくノルディアークにも軍備を敷いて、王城はルルディアス・レイに置いても良かったのではなくて?」

「それは……建国の王シュスティーヴァの気質と国内情勢に鑑みて、難しかったんじゃないかと思うんだ……。

当時はブルジリア国内の五つの部族の統制が国を安定させるための最重要課題だった。その為に『神事』を行ったと言う伝説もあるくらいだし、その五つの部族に対する……示威行為としての意味もあって、王自らがこの地に軍と共にある事を示そうとしたんじゃないだろうか? ……まあそれに、王自身が指揮を取れば兵の士気も上がる。例え山越えで疲れ果てた軍が攻め込んできたとしても、退けるのは容易だっただろうしね」

「ああ、そう言う事ね……。けどねえ……そのお話は誰かの受け売りなの? グラント?」


 馬車の車窓から目線を戻すとグラントは浅黒く日焼けた顔にニヤリとした笑いを浮かべ


「受け売りと、数冊の歴史書。それと俺の想像の複合物だな」


 そう、答えた。


「それにしても面白い形の街だわ……」

「ノルディアークは別名『北の方舟』と呼ばれているんだ。ごらん、お嬢さん。ここから見ると丁度、テティト山の山頂に向けて舳先を向ける方舟のような姿をしているのが分かるだろう?」


 グラントの説明の通り、街は山裾の針葉樹林をかき分け山頂へ進む白灰色の方舟の様な威容をこの街へ来る者の目に見せつける。


「近隣で採石される白灰色の石と漆喰で硬く、厚く囲われた街の外壁はテティト山の雪崩避けだ。山頂に向けて鋭角部分を持って行けば崩れ落ちてくる雪を左右に分ける事が出来るだろう? ちょうど船が波を分けるように、この街は雪崩をかき分け雪禍から逃れるんだ。ダダイの話によれば、昔は街の周囲の山肌には木が殆ど植わっていなかったんだそうだよ。……街の住人が薪を得る為に伐採してしまってね。今は街の上部……舳先側の西の木を伐採する事はこの街の法で禁じられているそうだ。それ以来ノルディアークが雪崩に襲われる回数は随分と減ったとか……」


 ここ何十年かで植樹された木々は街の外壁と同じく雪崩を防ぐ緑の盾として成長し、街を守っているのだ。

 ノルディアークに続く街道は方舟の船尾にある門から伸びる為、雪崩が街を襲ったときでも雪は左右に分かれ街道を埋める事は無い。

 実に考えられた設計だと思う。


 石畳の街道をカラカラと軽快な音を立てて私達の乗った馬車は進んだ。

 近づいてくるノルディアークの街の白灰色の石の壁には、緑の地に鮮やかな色彩で国王の紋章が染め抜かれた国王のバナーをはじめ、披露宴に招待された諸侯の紋章旗が色とりどりに美しく垂れ下がり、この白灰色と緑の街を鮮やかに彩っているのが見える。

 前王妃がアグナダ公国の出身であるためだろうか?

 アグナダ公国の旗は石組みの巨大アーチを形作る街の門、王家の紋章に隣り合うようにはためいている。

 街の門を入り、緩やかな傾斜を大通りが直進する。


「城はさっき見た方舟の外壁で言うなら、ほぼ舳先の部分にあるんだ。街の成り立ちは新しいけど見事な設計だろう? ごらんよフロー。キミは気がついているか? 街道から街に入ってすぐよりも上に……城に近づくにつれて道幅が狭くなってゆくんだ」

「え? 気がつかなかったわ……」

「道の高低と遠近法の組み合わせで城までの距離を見誤らせる効果と、もしも外敵が侵入したらこういう直線的な道路なら道幅いっぱいに進軍するだろう? でも始点と終点では随分と道幅が違うから、人馬ともに身動きがとれなくなったり陣形が崩れたり……混乱をきたすように出来ているんだ。混乱の起きる予測地点には道路の左右上部から張り出したあの石の櫓から下を行く軍勢に向かって攻撃が加えられる。今まで街は一度も外敵からの攻撃を受けた事はないが、素晴らしい備えだよ」

「本当だわ……ルルディアス・レイの街も素晴らしい作りだと思ったけれど、この国はとても考えられた街を作るのね」


 軍事的な意味合いだけじゃなくこの遠近法を使った街の造形に、私はとても感銘を受けた。

 グラントの説明を受けてから見ると分かるのだが、ノルディアークの城はそう規模の大きなものではないのに、街の入り口から見ると大通りの奥……遥か遠くに威容を誇る壮大な城が鎮座しているかのように錯覚するのだ。

 建物自体階層を重ねた高層の城ではなく、背の低い横長の建築物である事が視覚効果を高めているようだ。


 城の背後に控えるのはテティト山の青白く大きな山容……。

 王の住まう城まで素通しで見渡せると言うのは危険ではないかと危惧した私だったけれど、街の入り口から見れば一段高くなっているだけのように見える部分の向こう側に、テティト山からの湧水をたたえた堀が配置されていたり、真っすぐ進めるかに見えて実際は迂回する必要がある個所が幾つかある事が、城に向かって走る内に分かる。


「掘りの水は湧水で夏は冷たいけれど、冬でも凍る事はなく一定の温度を保っているんだ。街の建物をご覧。鋭角な屋根を持った背の低い建物が多いだろう? 屋根に積もった雪が落ちやすいよう、落下する氷雪で周囲の者が危険じゃないように作られている。落ちた雪は堀へ投げ入れて行けば湧水に融かされながら街の外の河へと流れて行くしね。……俺も冬には来た事は無いけれど、相当に寒くて雪が積もるらしい」

「夏はこうして涼しくて気持ちがいいけれど、冬には近寄りたくないわ。……雪崩に対して備えがあるとは言っても、きっとこの中でそれを見るのは恐ろしい事でしょうしね。……その『恐ろしい雪崩』を真っ先に受けてそれを左右に分断しながら街を守るこの方舟の舳先に居城を作るなんて、シュスティーヴァ王と言う人は凄い人だったのね……」


 たぶん、軍事的な脅威からだけでなく自然の脅威をも受け止めて流し、街に住む人間を守る位置に城を作ったのはこの国の『王』と言う物の有り方を象徴するものだったに違いない。

 ブルジリア王国と言うのはそう言う意識地盤の上に建国運営されてきた国家なのだ。

 ……これでは七年前のはやり病の時に死に瀕したルルディアス・レイの街で、人々を見捨て自分達の安全を守る為だけに門扉を閉ざし病が通り過ぎるのを待ったサリフォー教会の旧勢力の人間が信者達の信を失うのは当然だっただろう……。


 私は不意に忘れていた『王弟グラヴィヴィス』の事を思い出した。

 彼はサリフォー教会の勢力を『王家が無駄に積み上げてしまった積木』だと言った。

 そして自分は何かを創造するよりも破壊するに向いた人間だとも。

 あの……少し不思議な印象を私に与えた人は、今もこの国で積木を崩す作業をしているんだろうか?

 王位継承権を放棄したとはいえ彼は王の弟だ。

 当然今回の結婚披露宴には出席するだろう。


 街の中を見ると元はサリフォー教会だったと思われる尖塔を持った建物が目に入る。

 以前街道やルルディアス・レイで幾つも見た教会には、入り口扉の上部に女神サリフォーを象徴する翼を模したレリーフがあったけれど、今目にしている建物には壁の上に削り取られたらしい形跡がある。

 以前はサリフォー教会が押さえていたこの国の病院や薬局、学校などは現在、暫定的にブルジリア王国王室指導の元に地方や国家または個人での運営の道を模索中であるとのこと。

 道中にもたくさん教会があった筈だけれど、私はあまりそれらに意識を向けていなかった事に気付いた。

 こんな重要な事を失念しているだなんて……少し華やかな大名旅行に浮かれ過ぎていたのかもしれない。


 大きな紋章旗と鮮やかな青の制服に身を包んだ衛士や儀仗兵の並ぶ城門を、ドルスデル卿や私達を乗せた数台の馬車は入城した。

 日差しにキララに照り返る金色のラッパから鳴り響く高らかな歓迎の音色とともに……。



 初めて目にするその……大仰とも言える歓迎ぶりに、自分達ではなくドルスデル卿がこの祝宴の主賓で良かったと、私はこの時心の底から思った。





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