72 ラッシュバルド
銀狼のシルバは、子供とはいえ、伝説になるような動物である。
覇王の資質を生まれながらにして持っているので、その強さも圧倒的であった。
シルバは一歩踏み出す毎に風を巻き上げ、近くの人間をはねのけて行く。
私はその横で飛び上がって、軽々とラッシュバルドの国境にある塀を越えた。
内側から、外側の様子を窺おうとしていた兵に頭上から踵を勢いよく落とす。
不意打ちだったために、脳天に私の渾身のかかと落としを食らった兵はあっさりと白目を向いて倒れた。
内側に居る兵の数は気絶したこの男も含めて三人。
気絶した仲間に気づいて駆け寄って来る残りの二人をカポエラの様に、地面に手を付いて回し蹴りで蹴っ飛ばした。
段々闘い慣れしてきたような気がする。
前から喧嘩はよくしていたものの、ここまでイメージ通りに動けるというのは自分でも感動している。
私の蹴りを食らって、それぞれ頬と腹をおさえながらも立ちあがる二人の背後に素早く回り、手加減しつつ、後頭部を殴り飛ばした。
着地したと同時に、どこに隠れていたのか、もう一人の男がすぐそこまで迫ってきていた。
不意を突かれた私は、男が剣を振りかぶって襲ってくるのが見えていたものの、咄嗟に反応が出来ない。
やばい、と思った瞬間に横から勢いよくシルバが男に噛みついた。
痛みに叫び越えをあげる男に、軽く謝ってから後頭部を強く叩いた。
こてん、と男の首が折れたのを確認すると、腕に噛みついていたシルバにもう良いと告げた。
「ギーツ!」
私が塀の向こうに向かって言うと、半分龍の姿になっているギーツがゆったりと降りてきた。
そして降りてくるなり私に駆け寄ってきて、結構な勢いで抱きついて来た。
「ぶふっ!?」
私は急に抱きつかれて息が出来なくなる。
うお、苦しい。
「ちょ、ギーツ。」
ギーツを引きはがそうと腕を上げたところで。
ふと、ギーツが震えていることに気付いた。
「…ごめん。ナユがボクのことを想ってくれたのはよく分かるんだけど…。次からは一緒に行かせて。…ボクから見える場所にいて。」
「ギーツ…?」
ギーツはそうして黙り込んでしまった。
塀の向こうに取り残されたことは、ギーツにとって相当の恐怖があったのかもしれない。
どういう風になっているか分からない、見たことのない壁の向こう側の世界に私が行ってしまったことが、ギーツにとっては恐ろしいことだったのかもしれない。
今まで屋敷の中という小さな世界でずっと一人でいたギーツの前に、私という味方が現れて、彼の世界は随分と大きくなったそうだ。
前にギーツがそう語っていた。
そんな広い世界で置いていかれることの恐怖を、私はギーツに感じさせてしまったのかもしれない。
「独り」に戻されてしまった錯覚を、起こさせてしまったのかもしれない。
私はギーツじゃないし、ギーツもあんまり考えていることが顔に出るタイプじゃないからそんな理由で在ってるのかは分からないけど、そんなに大きく外れてもいないだろう。
「ごめん、ギーツ。」
私はそう言って、ギーツの柔らかい髪を撫でた。
ギーツは静かに首を振って、私から離れた。
いつもの、眠そうな顔だった。
と、思ったのもつかの間。
緑の国、ラッシュバルドを進む中、ギーツは終始私にくっついていた。
すごい邪魔なんですが。
ラッシュバルドは、全体的に灰色の街だった。
路は全て綺麗に舗装されていて、建物も装飾のないシンプルなものが多い。
ログダリアのように色鮮やかな看板はなく、木で作られた質素な看板を掲げた店がほとんどだった。
軍事国家というのは大げさではなく、いたるところでラッシュバルド兵を見かけた。
ラッシュバルドの城というのは、少し奥に入るとすぐに分かった。
街の中心地に堂々と、大きくそびえたつ建物があった。
セノルーンの城も大きなものだったが、高さでいえばラッシュバルドの城の方が断然大きかった。
目立たないように、二人とも人の少ない道を徒歩で動いていたのだが、目の前に見えている筈の城にはなかなか辿り着けなかった。
どんだけ大きいんだ。
大分近付いて来たところで、宿をとることにした。
城に忍び込むのは明日だ。
今夜はここで夜を明かすことにしよう。
宿屋のおかみはうさん臭そうに私たちを見て、怪しがってはいたけれど、そのまま泊めてくれた。
ラッシュバルドのお金は持っていなかったので、ログダリアのお金を換金してもらった。
窓から離れていたシルバと合流して、みんなで食事をすると、二人と一匹で布団に潜ってすぐに眠った。
―――十八日目終了―――