70 満月の夜
目が覚めると、既に日は高く昇っていた。
ぐっすり眠っていたらしい。
シルバは昨日も夜にどこかへ行っていたのだけど、いつの間にか帰って来ていたらしい。
どうやって入って来たのかは分からないけど、私の背の後ろで丸くなって眠っていた。
私が起き上がるとシルバも目を開ける。
ちらりと私を一瞥して、耳を軽くぱたりと振ると、また目を閉じた。
「おかえり。」
私はシルバの頭を撫でてそう言うと、目を開けないまま尻尾を振って「ただいま」というように返事が返ってきた。
その仕草がなんだか可愛らしくて、少し笑う。
隣ではギーツが布団をかぶらずに眠っていた。
もしかして、私布団引っ張っちゃった?
「うわぁ…」
申し訳なく思いながら、自分にかかっていた毛布を半分ギーツの体にかける。
相変わらず綺麗な顔をしているギーツ。
まつ毛が朝の光に光って綺麗だった。
瞼に、銀色の柔らかそうな細い髪がかかっている。
ほんのり紅い頬、白い肌、綺麗な額。
何度も思うけど本当、美形なんだよな…。
こうして寝顔を見ると、尚。
ギーツに別れを告げたあの日を思い出す。
何も言わずに離れた私を、許してくれた。
まあ実際にはあのとき起きていたのだけど、それでも理不尽だと怒ることはなかったし、こうして私と一緒に来てくれた。
ああ。
ギーツには、感謝しかない。
この優しくて綺麗な青年に、私は助けられたのだ。
髪をそっと撫でてみて、ふと気づく。
どうして、ギーツはまだ起きていないのか。
ギーツが私より起きるのが遅いってだけかもしれない。
しかし、日の高さを見ると、時刻は昼に近いはずだ。
私は休みの日だと昼まで平気で寝こけるような奴だからいいとして、ギーツは?
ギーツは、結構早起きな人だ。
それはいつも私より早く起きるし、自分でも言ってたから知ってる。
常に眠そうだけど、昼までずーっと眠っていることなんてなさそうだった。
昨日、大分疲れさせてしまったから、というのももちろんあるだろけど、撫でられたりして起きないのはおかしいような気がする。
私は身を翻して、毛布から這い出る。
そしてギーツの頭上から「ギーツ、ギーツ?」何度か呼びかけてみた。
ギーツはうっすらと目を開けて、ぼんやりと私を見つめ返した。
私はほっとしながらも、心配になって額に手を当ててみた。
熱はなさそうだった。
「…良かった…。」
「ふぁ、おはよう…。」
ギーツはのそっと起き出して、カーテンの隙間から窓の外をぼんやりとした目で眺めた。
「あ…、すごい寝てたみたいだね、ごめん。」
ギーツは細い声でそう言うと、とろんとした目のまま欠伸を漏らす。
そこでふっと、私に身をもたれかからせてきた。
「ん、ごめん…。ちょっと、だるい気がする。」
ギーツは目をこすって、ベッドから足を下ろす。
それからぼんやりと動かなくなった。
「ギーツ?大丈夫?」
尋ねると、ギーツは天井を見上げながら、
「これは…。今夜はアレかもしれないな…。」
聞き取れるギリギリの音量でそうつぶやいた。
「アレ?」
「ん…、満月。」
相変わらず、ぽつりと。
小さな声でぽつりと。
ギーツは静かに言った。
その言葉の意味が分かったのは、これから数時間後だった。
私たちは朝食という名の昼食をとり、空の旅をはじめた。
今日は少し風が強い。
シルバのおかげでそんなに気にはならなかったけれど、一番不安なのはギーツだった。
こうして外に出てみるとよく分かる。
今日のギーツはおかしい。
ふらふらとおぼつかない奇跡を描いていく。
顔色も悪く、時間が経つにつれて悪化していく。
「ギーツ、大丈夫?」
日が落ち始めてきたところで、何度目になるか分からない質問をした。
そろそろ、ログダリアを出ようという場所。
そこで、がくん、と高度が落ちた。
ギーツは虚ろな目でふらふらと落ちていく。
このままでは、落ちてしまう。
それに、落ちていくところを誰かに見られてしまうかもしれない。
「シルバ!」
私はギーツを抱きかかえ、体をギーツの下に潜り込ませる。
片手で頭の上の帽子が落ちないようにする。
シルバの風の魔法が解かれて、スピードが一気に加速した。
私は地面を見てシルバの名前を呼んだ。
それだけで何をするのかが分かったのか、シルバは一度クォンと鳴いて風の魔法を放つ。
私たちは一気に風に流され森の方へと軌道を変えた。
よし。
ギーツの頭を守るようにして抱きかかえ、茂みの中へと落ちていく。
草と草が激しく揺れてぶつかり合う音を聴きながら草の間を、枝の間を落ちていく。
地面すれすれのところで体を捻って足を思い切り地に擦りつけながら着地した。
慌てて確認すると、ギーツに目立った外傷はない。
ほっと安心して、ギーツを座りやすい姿勢に変えてしゃがむ。
意識が朦朧としているらしきギーツの顔をのぞきこむ。
「ごめん、ナユ…。」
ギーツは目を閉じて弱々しく言った。
額や鼻の頭には玉のような丸い汗がたくさん浮かんでいた。
頬は上気していているのに、額は真っ白で、ただ事じゃなさそうだった。
「無理させ過ぎちゃった…?ごめんね、ギーツ。休もう、どこかで…。」
私がそう言うと、ギーツは軽く苦笑して頷いた。
肩を貸して、ギーツを立ち上がらせる。
シルバの背に荷物を括り付けて、私はギーツの背に手を回して支えた。
そのまま森から出て、すぐ近くの宿に泊まることにした。
案内された部屋に這入ると、すぐさまギーツをベットに横にして、部屋の鍵をかけ、窓からシルバを引き入れた。
「ギーツ?ギーツ、平気?」
宿のおじさんに貰ってきたタオルと水の入った桶を傍に引き寄せて、タオルを水で濡らす。
「ん…、ごめん。大丈夫…、耐えてれば終わる…。」
ギーツは目を閉じて静かに答えた。
息が細く、声はかすれていた。
不安で、体が熱くなるような錯覚に陥る。
足がふるふると震えていた。
どうしたらいいのか分からない。
私は絞った冷たい濡れタオルでギーツの顔の汗を拭う。
もう一度水につけて絞ると、首や手足を拭いた。
ギーツの苦しそうな顔を見て、胸が苦しくなった。
「ボク…、というか龍鬼はさ…、」
タオルを額から目にかかるように乗せると、その隙間から銀色の瞳を覗かせて、ギーツが言った。
「満月が弱点なんだ…。満月の日は体長が悪くなる。…あと、満月をずっと見てると死んじゃうんだよね…。」
「え…。」
私は目を見開いた。
不死身の龍鬼は、満月を見ると死ぬのか。
ふと、窓の方を見て、カーテンの隙間から覗く月光にぞっとした。
すぐさまカーテンを両方隙間なく合わせる。
「不死身ーって言っても完全じゃないんだよね…。ああ、でも大丈夫だよ。今日が初めてじゃないから。」
へらへらと笑って、心配するなと手をひらひらさせる。
胸がきゅうっと苦しくなった。
この世界は地球とよく似てるけど、ところどころが違う。
月もあるし、満ち欠けもあるけれど、その周期が私がいた世界とは全く違うのだ。
ここの方が圧倒的に速い。
一週間に一度、満月が訪れているような気がする。
つまり。
ギーツは相当苦しんでいるはずだ。
毎週、満月になると一人で布団にくるまり、蹲っていたのだ。
誰も傍にはいてくれず。
たった独りで。
私はギーツの手を握って、彼の胸に顔を埋めた。
「朝まで、こうしてようか。」
小さく呟いて目を閉じる。
頭の横で、ギーツが何かを言おうと息を吸う音が聞こえた。
しかし、ギーツは何も言わずにただ苦笑した。
シルバが私の足にすり寄った。
私はそれにほっと安心しながら、ギーツの手を握ったまま眠りについた。
-十七日目終了-