68 ふわり
生きている?
そんな馬鹿な。
私と同じ世界から来た人でしょう?
フォンとティアの話しをてらしあわせて考えると、フォンが言ってた行方知れずになった人と、ティアが会った人は恐らく同一人物の筈で。
ティアの話しだと、その人は三千年前にこの世界に来ていて…。
やっぱりおかしい。
私の世界の人は、魔法なんて使えない。
それは常識だ。
みんな普通の人の筈だ。
そんな普通の人が三千年も生き続けるはずがない。
私は椅子から立ち上がる。
「嘘、じゃないの?」
私の言葉に、スィーアは曖昧に笑む。
「嘘じゃないです。わたしの言葉を信じない人は多いから、慣れてますけど。」
少しさみしそうに言った。
「…全部は信じない。けど、私は今あなたを頼るしかないから。今は信じる。…教えて。」
私は考えながら言葉を選ぶ。
スィーアは微笑んで、
「ええ。もちろん。」
頷いた。
オーケストラが次の曲を演奏し始めるのを聞き流しながら、私はもう一度スィーアの隣の椅子に座り直した。
スィーアはもったいぶる様なことはしないですらすらと語り始めた。
さっきから淡々と話を進めていくけれど、長話は好きじゃないタイプなのだろうか。
「わたしはあまり長居できないのよ。あなたも…でしょう?」
スィーアは私の心を見透かしたようにうふふと笑う。
本当に心が読めるんじゃないだろうか。
スィーアは私の額に人差し指を当てて、真剣に話だした。
「これは誰にも言えないようにするまじない。わたしもこれは商売とかじゃないから、誰でも彼でも話して良い訳じゃないの。だからおまじない。あなたは言わないでしょうけどね。ルールみたいなものだから。」
「うあっ、」
ちくりと額が熱を持つ。
立ち上がったヴァシュカを制して、スィーアを見詰める。
「痛いかもしれないけど我慢。」
そう言って、スィーアは私の眼を覗き込んだ。
「いい?緑の国、ラッシュバルドの王城に行くの。そこには隠された秘密の場所があって、そこに彼がいるわ。そこまで辿り着くのはとっても難しい。でもあなたならきっと行けると思うわ。あの人もあなたを邪険に扱うことはないはずだから。」
そう言うと指を私の額から離す。
そして私の額を優しく撫でて前髪を梳きながら軽く正す。
柔らかく微笑むと、
「わたしは具体的に何もできないけど、頑張ってね。早く、お兄さんに会えると良いわね。」
そんな風に、スィーアはやさしく言った。
「さあ、もうそろそろここを出たほうがいいわ。わたしは何も言わないから安心して。」
私の背中をぽすぽす叩いて立ち上がるように促す。
私としても聴きたいことは聴けたし、もうここにいる必要もないので早く出たい。
「ありがとう。」
私はスィーアにお礼を言って立ち上がる。
少し考えてみたけど、やっぱり信じて大丈夫そうだ。
良い情報がもらえたので無理して来た甲斐があったな。
私はヴァシュカに歩み寄る。
「あら。」
ふと、スィーアは立ち上がってホールを見下ろす。
眉をひそめて、小さく舌打ちを漏らす。
「思ったよりも早い。あなたは早く出なさい!」
私たちの方を振り返って手を払うような仕草をして退室を促した。
それと同時に、ばん!と大きな音がして勢いよく下のホールの扉が開く。
警邏隊が数人どっと入って来て、物々しい雰囲気で、優雅で和やかなムードを急激にかき乱した。
「警戒態勢を強いていた『黒魔女』が姿を現したとの連絡が入った!『黒魔女』よ!大人しく出てこい!」
よく響く声で、先頭に立っていた男が叫ぶ。
ふむ、早くしろってこういうことか。
予想の範囲内だけどね。
私はヴァシュカの手を引いて、つかつかと手すりに歩み寄る。
「お、おい。逃げたほうが良いんじゃないのか?」
引かれながら、ヴァシュカは心配そうにそう言った。
私は大丈夫だと答えて、ヴァシュカを抱えて手すりの上に飛び乗った。
「多少派手な方が良いから。…じゃあヴァシュカ、私に合わせて。」
小声でヴァシュカにそう告げて、息を吸う。
よし。
「ずいぶんと空気が読めないんだな。」
声が響くように。
遠くに飛ばすイメージでお腹の力を遣って声を張る。
警邏隊は私に気付いて、私を下から見上げる。
何人かの警邏隊の人が後ろの人に指示を飛ばしているのが見えた。
私は横に立って、私に任せてくれているヴァシュカの手を誰にも見えないところでさりげなく握りながら、声を張る。
「折角のパーティが台無しだろ?少しは場を弁えたらどうだ。」
「貴様が大人しく我々についてくるならば、すぐにこの場を去ろう。」
まけじと先頭の男も叫んできた。
「嫌だね。私は誰にも縛られない。慌てずとも、世界を滅ぼすのはゆっくりやってやるよ。」
不敵に笑って、言ってやる。
何人かが息を呑むのがわかった。
私は震える手を必死に誤魔化して、顔に出ないように堂々と背筋を伸ばす。
ヴァシュカが私の手を優しく握り返して、さりげなく寄りかかってくれているのが、とても安心した。
「ヴァシュカ、ここから落ちても大丈夫?」
私は唇を動かさないように小声で尋ねる。
ヴァシュカは無言で、私の背中を優しく叩いた。
うん、ありがとう。
「心配せずとももう行く。用は済ませたのでな。本当はもう少し楽しみたかったのだが、もう十分だ。ドラドの者よ、招いてくれたことに感謝する。」
私はもう一度笑って、ヴァシュカの手から繋いでいた手を放す。
ヴァシュカの背中に手を当てて、
「このパーティに忍び込むためにこの男を利用したが、もう用はない。お前らに返そう。ちなみに、こいつに何を聴いても分からないと思うぞ。」
これでヴァシュカが守れるとは思わないけど、少しはましだろう。
私はそう考えて、そのままヴァシュカの背中を押す。
突き落とす形でヴァシュカを手すりの上から離れさせる。
何人からか悲鳴があがり、私もひやりとしながら落ちていくヴァシュカを見た。
ヴァシュカは素早く現れたドラド家の警備の人たちにうまくキャッチされ、無事なようだった。
まあヴァシュカだったら一人でも余裕で着地できたと思うけど…。
安心して、小さく溜息をつく。
良かった。
「それじゃあ、私はもう行くぞ。」
震える手を握りしめて、笑う。
「ま、待て!」
ヴァシュカを突き落としたことで動揺していた警邏隊の男は慌てて言う。
待てるか、っつーの。
私はドレスの前を軽く手繰って、自らも立っていた手すりから落ちる。
またも短い悲鳴が上がる。
ふわりとドレスの裾が広がって、あたかも黒い花が空中に咲いているようだった。
空気抵抗の所為か、落ちるのがいつもより少し遅い。
そんなことを考えていると、高い位置に規則的に並んでいた窓が音を経てて一斉に割れた。
よし。
ダンスホールはパニックになり、女の人たちが悲鳴をあげながら傍にいる男の人に抱きついているのが見えた。
お楽しみのところに、本当にすみません。
私は苦笑しながら、窓の一つを見る。
そこから素早く入って来た銀色の風が私の下へまっすぐ向かってきた。
落ちていく感覚が不意に止み、私に寄り添うようにシルバが空中に立っていた。
私は微笑んでシルバの毛を撫でると、その背中に抱きついた。
「それでは、失礼。」
ざわつく人々に向かって微笑んで、私は言った。
シルバが風を渦巻かせながら窓へと走る。
素早く外へと抜けていった。
背後で、
「『銀狼』!?」
「まさか、伝説の生き物だぞ!?」
「あんなものまで手なずけていたのか!」
とかいう言葉が聞こえてきて、少し優越感を感じたりした。
「ありがとね、シルバ。」
私はシルバの背に顔を埋めてぬくぬくする。
屋敷のかなり上空まで来たところでギーツと合流して、誰にも見られないようなルートを選んで宿へと戻った。