67 事実と解明
名前を訊かれたものの、私は戸惑ってその問いに答えられなかった。
すると彼女はショックを受けた風もなく。
「ふふ、大丈夫よ。いきなり名乗れないわよね。あなたの立場を考えると。突然こんなところに来ちゃって、大変だったわね。」
スィーアは見透かしたような明るい赤茶色の眼を細めて笑う。
「でも、生きてるだけ幸せなのよ?
ああ、知ってるのね、もう大体のことを。知っているのにまだ諦めてないの。素晴らしいわ。
…フォンさんねぇ。直接会ったことはないけどわたしもあの人とは仲が良いのよ。」
この人は…。
「…心が、読めるんですか?」
私の言葉に、スィーアはおかしそうに笑う。
「心なんて読めるわけないじゃない。嫌われるわよ、心なんて読んだら。できる人はそりゃあいるでしょうけど。
ああ、そうね。大精霊くらいだったら心くらい簡単に見ちゃうわよね。ふふ。でもわたしは一応人間だから。そんなことは出来ないわ。」
くい、とグラスの中の液体を飲み干して視線をホールへ戻す。
心の中に一瞬ティアが浮かんだことすらも、見抜かれている。
微笑みながら、踊りを踊る人たちを眺めている。
手すりに置いた右手の人差し指がとんとんとオーケストラの音に合わせて小さくリズムを刻んでいる。
細くてすらりとした綺麗な指だ。
私が何も問わずにいると、やがてスィーアは、
「わたしに出来るのはね、過去を覗くことだけ。勿論嫌われるわ。人には必ずトラウマがあるからね。」
そう言って自傷気味に笑う。
「過去を…覗く。」
「そう。だから何でもは分からない。未来は見えないし、千里眼も持ってない。人を覗いて、受け継ぐだけよ。」
スィーアはまたこっちを見て、手すりに預けていた体重を自身に戻して真っ直ぐ立つ。
真っ直ぐ立つと、スィーアは私と同じくらいの身長だった。
私は女にしてはなかなか高い身長なのだけど。
そんなことを気にしていたら、スィーアは手にしてたグラスを顔の前で軽く振った。
「受け継ぐってことはね、「受け取って、伝える」の。その“歴史”を渡すべき人に渡すの。それがわたしの役目。」
そう言って反対の手の人さし指をぴんと立ててグラスの横で伸ばす。
「あなたに渡したい“歴史”があるわ。あなたに伝えたい“記憶”があるの。」
掲げたグラスをわたしの胸に押し当てる。
「あなたがわたしを探していたように。わたしもあなたに探されていたの。伝えるために。」
スィーアは軽やかに笑う。
「こんなにとんとん拍子に話が進んでついていけないでしょう?ふふ、わたしもあなたもあまり暇を持て余している感じじゃないからね。急がなきゃ、と思って。」
「…まあ、いいよ。知っていることがあるなら、早く教えてもらったほうがいいし…。何か、知ってるんだ?」
私の言葉に、スィーアは満足気に笑った。
よくぞ聴いてくれました、とばかりに。
「知ってますよー。わたしとあなたが会うのは必然だったのだし。わたしの知っていることをあなたに伝えるために。」
笑ってそう言った。
「帰る方法は知らないけど、一つだけ知ってることがあるの。“歴史”なんて呼べるものじゃないけど、あなたには伝えなきゃ。」
なんだかよく分からない。
スィーアは明らかに何かを知っているし、その知っていることを快く教えようとしてくれてる。
でも、疑問が解消されない。
知りたいことは全部教えてもらいたい。
少しでも、手がかりになるように。
「さっき、あなたは“日本”って言ったよね。私が日本から来たってことがどうしてわかるの?」
そう思って、気になったことを聴いてみた。
スィーアはおかしそうに笑って、
「ここに迷い込んでくる異世界人は全員日本人だから。」
そんなことをさらりと言いのけた。
「それって…。」
「あら?気付かなかった?フォンさんに聴いたのでしょう?異世界人は皆黒髪だと。それは全員が日本人だからよ。偶然なんかじゃないわ。」
そこで、扉が開いて鮮やかなピンク色の飲み物が注がれたグラスを二つ運んで来たメイドさんが入って来た。
メイドさんはグラスをヴァシュカに渡して、もう一つを私に渡してきた。
スィーアはそのメイドさんに空のグラスを渡して、同じものをもう一杯頼んだ。
メイドさんはお辞儀をして音を経てずに再び部屋から出て行った。
「聴いた話ですと、“日本”には神社という祠があるんですよね?ふふ、それが原因ですよ。この現象の。」
「え!?」
スィーアは近くの椅子に座って、私に隣に座るように促した。
私はもどかしさを感じながらも大人しく隣に座る。
「“日本”の各神社の位置、そして島国という条件。水が豊富で、偏西風などの風の通る軌道があって、豊かな緑に、地震の多い土地、最後に炎や日差しが揃えば、条件は完全に満たされてる。あとはタイミングと、運ね。」
すらすらと語るスィーアの話しに呆気にとられていると、スィーアはいたずらっぽく私の持つグラスを指で何回か叩いて飲むことを促した。
私はそれに反応せずに、ただひたすらスィーアを見つめ返した。
スィーアは苦笑して、続きを話してくれた。
「これは、フォンさんの知識と私の中の歴史を元にたてた憶測でしかないのだけど。“日本人だけ”っていうのはほぼ間違いないわね。そういえば、…私が知っているのは“江戸”だったのだけど、今は日本なのよね。」
ぽふん、と背もたれに寄りかかって懐かしそうに語る。
そして私の方を向いて、すっぱりと、
「あなたがここに来てしまったのは「運が悪かった」としか言いようがないわ。あなたが“選ばれた”ことに理由なんてないのよ。“たまたま”“運悪く”“条件のそろってしまった”その場所に居合わせちゃっただけ。本当にご愁傷さま。同情せざるを得ないわ。」
そう切り捨てた。
理不尽を、こうもあっさりと突きつけられた。
怒りが頭の中で爆発してしまいそうだった。
そんな理不尽なことがあっていいのか?
たまたま?
運悪く?
あのとき私が家のトイレに入っただけで、私はこんなに苦しい思いをさせられているのか?
じゃあ、私があのときお母さんを急かさなかったら、ここにいたのはお母さんだったってこと?
そんな理不尽が許されるのか?
「ナユ。」
ヴァシュカの制すような落ち着いた声で、ふと我に返る。
はっとして自分がどれだけ歯を食いしばっていたかがわかる。
口の中が痺れて、頬と喉が沸騰するような熱さになっていた。
唾をごくりと飲み込んで、一度目を閉じる。
落ち着け。
スィーアに当たってもどうしようもない。
私は振り返ってヴァシュカに「大丈夫」と目配せした。
ヴァシュカはほっとしたように少し乗り出していた体を元に戻して座り直した。
そしてまた口を閉ざす。
スィーアはその様子を軽く眺めてから話を戻した。
「怒るのも無理はないです。わたしも酷いな、って思ったもの。だからこそ、あなたに協力したいの。」
「…そう。で、その伝えたいことって?」
私はぶっきらぼうな物言いでスィーアに訊き返す。
仕方が無い。
私はそんなに強くないんだから、そんなに簡単に気持ちを切り替えたりはできないんだ。
だからこんな言い方になってしまうのはどうしようもなかった。
スィーアはこくりと頷いて、
「これはあなたにしか伝える予定はありません。今までも、これからも。誰にも伝わらないようにまじないもかけておきます。」
そう前置きした。
そして、優しく笑って、
「過去にこの世界にやってきた日本人三名。その中で行方が分からなくなっていた一人。彼は、まだ生きています。」
そう言った。
ナユちゃん可哀想…