51 魔獣の住む森
残酷表現が多く含まれます。
苦手な方はご注意下さい。
くらくらと。
くらくらと視界が歪む。
私は肩の傷口を押さえてふらふらと森の奥へ進む。
押さえるだけでは満足な止血は望めないようだった。
あたりまえか。
しかし、止血するものがない。
袖を千切ってもいいのだけど。
遠くで大勢の人の足音や叫び声が聞こえてくる。
どうやら私は追われているらしい。
単純に『黒魔女』を狙っているのか、復讐なのか。
「はっ、…は、はぁっ、」
上がった息は収まることなく肩を上下に動かす。
困ったなぁ。
これは、一度ログダリアを離れたほうがいいのだろうか。
しばらくはここにいるつもりだったのだが、居場所がバレてしまったしなぁ。
「おい、こんな奥にいたら見つからないんじゃないか?」
背後から、声がした。
「血はこっちに続いていた。こっちにいる可能性は高い。」
私は慌てて傍にある木に登って息をひそめた。
すると、がさがさと音をたてて二人の男が現れた。
銀の髪が月光を反射して居場所がわかりやすい。
私は息が聴こえることのないように、絶え絶えの息を必死で止めた。
どくどくと、心臓が跳ねる。
「お、血の跡があるぞ。ここを通ったんだな。」
男の片方がしゃがみこんで言う。
心臓が一際大きく跳ねた。
私はいざ見つかったときに行う攻撃方法を頭の中で考え始める。
そこに。
「おいっ!駄目だ、引け!」
「あ、アーネスト…!」
「エドガー!早く!走れ!」
私の眼下を、黒い何かが猛スピードで駆け抜ける。
黒い何かは男の片方を巻き込んで転がる。
「っぁぁあっ!!!」
黒い巨体は男の一人の上に乗り上げる。
男は重みに体を軋ませ、叫ぶ。
「エドガー!」
もう一人が名前を叫ぶ。
黒い影は、犬のような何か。
ただ、犬なんかと比べられないほどにでかい。
熊のような体格である。
ライオンの、ような。
「なっ、あ、あっ!」
もう一人の男は獣の下敷きになった男を見て顔面蒼白になる。
獣は、大きく唸って。
ばきり、と。
ばきんばきんと何かが砕ける音が響く。
「ぁああぁざぁぅううううううああぁぁあっぎいぃいいがぁあっっあっ!!」
私は息を呑んだ。
「……っ!っッッ!!!」
目を覆いたくなる光景だった。
獣が馬乗りになった男を食いちぎり始めたのである。
骨をいともたやすく噛み砕く。
痛々しい程にその音は大きく響く。
びちり、ぐちゃり、びちゃりびちゃり、ぎちゃり。
その光景に目を覆う。
喉に込み上げてきた熱い物を必死で飲み込んだ。
獣は男の腸を一通り食い終えるともう一人の男の方に目を向ける。
「ひぃっ!」
男は悲鳴をあげて、肩を震わせる。
すくみ上って動けないらしかった。
慌てて手にしていた銃の安全装置を外して発砲の準備にかかるも、焦り過ぎて安全装置がうまく外れない。
つるりつるりと指が滑って、かちかちと情けない音が上がる。
獣はゆっくりと倒れた男の上から降りて、口の周りの血を舌で舐めとる。
「ひぃいいいっぃいっぃッ」
男は鼻水と涙を垂れ流して必死に銃をいじくる。
やっとがちんという音と共に安全装置が外れたかと思えば、構える間もなく獣が男に飛びかかる。
男は獣に押し倒され、右腕を噛みつかれた。
「ひっぎゃぁぁぁああああぁぁあああ」
劈くような悲鳴が上がる。
私は恐怖で歯がかみ合わない。
―――この森には魔獣がいる。
よく今日まで出会わなかったものだ、と頭のどこかでそんなことを冷静に考えている自分がいた。
このままじゃ…。
このまま何もせずに隠れたままにはできない。
勇気を振り絞って、木から飛び降りた。
やられる前にやるんだ。
私の着地音に反応した獣の振り返る鼻頭を思い切り蹴り飛ばす。
きゃうんっ!という鳴き声をあげて首を大きく揺らす獣の腹をさらに力を入れて蹴り上げた。
獣は大きく吹っ飛んで木の幹に勢いよくぶち当たるとべしゃりと地面に落ちた。
私は腕から血を流す男を急いで立たせる。
涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにした男は私を見て目を見開いていた。
「く、『黒魔女』…っ」
「るっせえ!まだ助かってねえぞ!馬鹿野郎!」
私はそんな男の顔が腹立たしくて噛みつくように怒鳴った。
驚いてる場合か。
ああ、腹立つ!
すぐさま起き上がる獣を見据えて、震える足を叩く。
そして私は男を蹴り飛ばした。
「っ!?」
蹴り飛ばされた痛みに顔をしかめて、男はわけがわからないという風に恐怖を顔に貼り付けていた。
私は獣から目を離すことなく、
「死にたくなかったら早く逃げろ!!!」
叫んだ。
同時に獣が私に向かってきた。
私は屈んで、獣の顎を下から両手の拳で突き上げる。
舌を挟んで泡を吹く獣の前脚を掴んで背負い投げた。
犬モドキは地面に叩き付けられて跳ねる。
それでもまたすぐに、よろめきながらも立ち上がった。
私は下がって距離をおく。
まだ背後でもたもたしている男を一瞥して、
「早く行け!!!」
喉が痛くなるほどに怒鳴った。
助けてやったんだから、イライラさせんじゃねえよ。
男はびくりと肩を揺らしてから、躊躇うような間を開けて、それから一気に走り出した。
私はそれを横目で見送って、獣に向き直る。
獣は牙をむき出しにして吠えた。
さっきよりも大分動きが鈍い。いける。
私は跳んで、獣の頭上から頭めがけてかかとを振り下ろした。
獣はそれをかすりながらも躱し、私の右足の脛に噛みついて来た。
「ぃぃぃいったぃぃい!」
右足をすぐに引いて、口を離そうとしない獣の脳天に肘鉄を叩き込む。
3、4発食らわせてやっと離れた。
それからもう2発蹴りぬくと、獣は泡を吹いて気絶した。
肩で息をしながら、スカートの裾を正す。
獣が回復したり、獣の仲間が来る前に離れなければ。
私は無惨に殺された男の死体に近寄る。
とても直視できない程、無残に死んでいた。
顔が食いちぎられ、喉は噛み切られている。
内臓が美味いのか、腹の中身がひきずり出され喰い散らかされていた。
私はおぞましいそれに吐き気を催し、胃液と血を咽ながら吐き出した。
胃の中がからっぽになってしまって、もうゲロすら出ない。
私は溢れる涙を拭って、歯を食いしばる。
泣くな、泣くな。
「助けてあげられなくてごめんなさい。」
そう言って頭を下げる。
そして、もう一度謝ってから男のベルトを拝借した。
それを獣に噛まれた足にきつく巻き付けて止血する。
同じくズボンから覗かせていた白いハンカチも抜き取る。
ハンカチを半分に裂いて、一本に結んで繋げて、それを使って髪を後ろでくくる。
もう帽子を被っている必要もあまりないだろう。
私は被っていた帽子をスカートのポケットに無理やりねじ込んだ。
急いで立ち去ろうとしたところで、足元にこの男の物と思われるナイフが落ちていることに気付いて、それも拝借させてもらった。
どくどくとうるさく鳴り響く心臓を服の上から押さえつけるようにして、ナイフを逆手で握りしめる。
息の苦しさに気付かないふりをして、またも走りだす。
森の奥に向かって。
もう、どこにいけばいいかなんてわからなかった。
グロいですね…